本紀28回
政庁に向かった長孫覇の隊は、逃げ出そうとしていた紫州知事張謙を捕らえることに成功していた。
政庁に到着した白涼の前に引き出された張謙は、青い顔をして震えている。
「張知事。悪いがこの城、我々が使わせてもらうぞ」
政庁広間で。普段は知事が座る椅子に腰をかけた白涼が話しかけた。
「張知事は皇帝を名乗った大逆の皇太子に、今も忠誠を誓っているか?」
それは、張謙の生死をかけた質問である。当然張謙もそのことは理解した。
「ち、違うのです白涼将軍! 私は別駕の宋結に唆されただけで、本当は将軍に逆らうつもりはなかったのです!」
別駕とは、州知事の副官のことである。つまり張謙は、その副官に罪をなすりつけたのだ。
「捕まっていないなら、まだそのあたりの部屋にいる筈です。奴さえいなければ、私はきっと最初から将軍のお力になれたはずです!」
見苦しく言い訳を並べる張謙に、白涼達も呆れ顔であった。だが。
「その宋結というのは、この地の者ですか?」
そう質問したのは郭操。長官である州知事は中央から派遣された文官だが、その副官以下の多くは任地で任用されることが多い。
「いえ、確か……相州の出だと聞いております」
ふむ、と考え込む郭操。相州は帝都の隣の州であり、帝国一の大河である章河に大きな港を持つ交通の要衝である。
「将軍、私は少し席を外します」
そう断って郭操は中座した。それを見送って、今度は慕容循が口を開く。
「人物としては小物もいいところですが、州の知識はある程度あるでしょう。無官にしてその情報だけ使わせてもらいませんか」
「無、無官……」
口を開けたり閉じたりの張謙。これに不機嫌そうに桃花が言葉を投げつけた。
「ふん、本当なら処刑するところを、命を助けただけじゃなくて使ってあげようって言ってるんだから、感謝するところでしょ!」
「ははっ、違いねえ」
長孫覇が同意する。これに震え上がった張謙は、五体を投げ出して這い蹲り。
「命だけは、命だけはごかんべんを……!」
必死に命乞いをするのであった。
政庁裏手の馬屋。周囲を警戒するように扉を開けて外に出てきた目付きの鋭い文官は、その進路をふさぐ軍人を見て眉をしかめる。
「おい貴様、何をしている。私が州の別駕だと知ってのことか」
「ええ、存じております。別駕の宋結殿」
背後から姿を現した郭操が、軍人――赤倫教の剣士周温――と宋結を挟み込むように移動する。宋結は懐に手を入れながら二人の様子をうかがっていた。
「私は少し使いに出るだけだ。どけ」
「教団に密書を送る使いに、ですか?」
郭操の言葉に、殺気の篭った視線で応える宋結。
「カカカ、貴様どこまで知っている? いや、答える必要はないぞ」
言うや否や、懐から取り出した小刀で郭操に切りかかる宋結。だが郭操は落ち着いて、周温に一言。
「斬れ」
その瞬間、周温は風のように速く踏み込んだ。まず小刀を持つ右腕を斬り落とし、驚愕に目を見開く宋結を袈裟懸けに斬って捨てた。ほんの僅かな時間の出来事である。宋結は、断末魔の悲鳴すら上げさせてもらえなかった。
血の海に沈んだ宋結の懐を郭操が探ると、黒い印章がそこにはあった。それこそが、黒冥教徒にとって唯一教団とのつながりを示す持ち物だ。
「やはり、この男が黒冥の者でしたね。逃げられる前に抑えれて良かった」
「見当は、付いていたのだろう」
周温が口を開く。その言葉に郭操は頷いた。
「密偵の報告では、そうですね。ただ城攻めが始まる前に逃げたと思っていたので、まだ残っていると知って少し焦りましたよ」
さらに懐から封書を見つけた郭操は、それを持って立ち上がる。
「さて、われらが主の所へ戻りましょうか」
「ああ」
宋結の死体を置き去りに去ってゆく二人。憮然とした表情の郭操。無表情の周温。表情に出す形は違うが、黒冥の徒に対する憎しみの炎は、二人とも同じだけの熱さを持っていた。
その夜は、兵のねぎらいのために酒が振舞われた。多くの将兵が勝利の酒に酔う。だが、その命を下した白涼自身はとても酒を飲む気分にはなれず、しかし総大将が宴席に顔を出さぬわけにも行かず、仕方なしと白湯で口を湿らせていた。
逆に桃花は、飲まねばやっていられないとばかりに杯を重ねていた。ふらふらと兵達が飲んでいるところに出歩いてその輪に加わっていく。最初はとまどいを見せた兵も、ただの酔っ払いとなっていた桃花の様子に気を許し共に唄などを唄っていた。
酒に弱い慕容循もあまり杯に口をつけていなかったが、その代わり茶をよく飲んでいた。そして白涼の様子を気にして何か話さねば、しかし何を、と言うような逡巡を繰り返す。
「慕容循様」
そこへ、郭操が話しかけてきた。
「ああ、郭操殿……。様はよしてください、なんだか体が痒くなります」
「では慕容循殿。あなたまで暗い顔をしていては、白将軍も楽しめませんよ」
「それはそうなのですが、私はどうもこういうときに楽しむのが苦手で。なにしろすぐに酔って倒れてしまいます」
と、慕容循は少し無理におどけてみせる。
「今日は倒れてもいい日ですよ、多分ね。それよりひとつ、慕容循殿にお願いがあるのですが」
「なんでしょうか」
「後で白将軍に、教主様を訪ねるよう進言してくれませんか」
「えっ。それはどうして。まさか」
「何を想像されたか分かりますが、違いますよ。ただ、教主様なら白将軍の心の痛みを多少和らげていただけるかと思ってのことです」
「はあ、そうでしたか……。しかし何故私から? 郭操殿が進言すればよいではないですか」
首をひねる慕容循に郭操が答える。
「私から言っては裏があるように思われるでしょう」
その返答に、おもわずぷっと吹き出す慕容循。確かに郭操は裏で何か画策をしていそうな雰囲気がある。郭操自身、白涼の信頼を勝ち取れてないという自覚があった。
「分かりました、私の案ということで進言してみます」
「ええ。教主様の許可はすでに頂いていますので」
「そういう手際のよさが、裏でなにかあると思わせるんですよ」
「むぐっ」
はは、と笑うと早速慕容循は席を立ち、白涼の元へ向かうのだった。




