本紀21回
帝都を脱出した楽単は、懐に太尉慕容玄の封書をしのばせ、馬が潰れる寸前まで駆けさせて一路紫州へ急いだ。駅舎があるたびに馬を変え、払暁から日没まで馬が駆けることが出来る時間を使って帝都の変を伝えるために。
普通の伝令であれば7日程度かかる行程を三日で駆け抜けた楽単は、疲労困憊しながら白涼の陣中に駆け込んだ。弱い雨が降る中、楽単は何者かと誰何してくる門番へ声をかける。
「私は校尉の楽単であります。太尉からの使者であります! 白涼前将軍にお目通りを!」
声を振り絞って門番にそう伝えると、疲労からずるりと馬から落下する楽単。あわてて門番の一人が抱き起こしてくれる。門番長は楽単のやつれた容貌にただごとではないと悟って、すぐに白涼へその来訪を伝えるよう、部下を走らせるのだった。
中央の幕舎。そこには白涼をはじめとして、慕容循、姫桃花ら、主要な白涼軍の幹部が軍議のため勢揃いをしていた。そこへ兵の肩を借りて通された楽単は、白涼へ懐にしまっていた封書を差し出した。
「校尉、楽単であります。太尉よりの封書、確かにお渡ししたであります」
「遠いところご苦労だった」
楽単をねぎらいながら封書を開く白涼。その顔は見る見るうちに暗く曇り、封書を握る手が震え始める。
「おじ……将軍?」
その様子に不安を覚えた桃花がおそるおそる声をかける。白涼は一度かぶりをふると、顔を上げた。
「帝都で皇太子殿下が挙兵、皇帝陛下の居られる帝宮を襲った、と。虎賁中郎将、執金吾、金明(左将軍)らが皇太子殿下につき、この変事を起こした、とのことだ」
ざわ、と騒がしくなる幕舎の面々。真っ先に声を上げたのは、桃花であった。
「父上は、お祖父様は無事なの?!」
父の姫班は皇帝秘書官筆頭の尚書令、祖父の姫淵遺は最高位の大臣、丞相。二人とも皇帝のすぐそばに仕えている。その二人の身を案じたのは、娘として、孫としては当然だったであろう。
「もうしわけないでありますが、姫校尉。尚書令も丞相も、私が知る限りでは何も情報が入っていなかったであります」
「そう……。うう、心配だよお……」
青い顔をして自らの体を抱きしめる桃花。その様子を見て白涼は毅然とした態度を維持せねばと自分に言い聞かせる。
「皇帝陛下の生死は不明、もしかしたら隠し通路などを利用されて逃げ延びておられるかもしれぬ、と太尉はいっておられる。楽単、間違いないな?」
「はい。少なくとも私が帝都を出立した時点では、その通りであります。それと将軍、呉才中郎将から」
言って顔を伏せる楽単。
「よく知らせてくれた、楽単。疲れただろう、下がって休め。我らはこれからのことを相談する」
しかし楽単は白涼の言葉に首を振る。
「可能でしたら、将軍。私も軍議に加えてほしいであります」
「しかしその状態で」
「邪魔はいたしません。お願いするであります、将軍」
楽単の目には涙が浮かんでいた。それは、不意の反乱に皇帝を守ることが出来なかったという、忠誠心からくる悔しさであった。
「いいのではないですかな。階級でいえば彼も校尉のようですし、私たちも大半が校尉。出席して都合が悪いと言うことはありますまい」
槍の名手、韓維が言う。白涼がちらりと横を見ると、慕容循も頷いていた。
「分かった。辛くなるようならいつでも退席してよいからな」
「感謝するであります、将軍」
楽単のために床机が用意されると、軍議がはじまった。最初に口を開いたのは慕容循。
「大きく方針を決めましょう。ひとつ、すぐに帝都へとってかえし、逆臣らを討つこと。皇帝陛下がご無事であれば迎え入れること。ふたつ。命令が下るまではこのまま紫天賊との戦いを続行すること」
白涼は頷くと。
「そうだな。理屈の上では現状を維持、紫天賊討伐に全力を注ぐべきだが」
「しかし反乱を知りながら、命令が無いからとここに留まるのでは子供のやることではないかと思われますが」
中郎将の孫灸が足をゆすりながら言う。気持ちが落ち着かないのであろう、そわそわとした様子だ。
「俺は賊退治に賛成だな。たとえばこの反乱で皇太子が皇帝になったとして、結局賊は倒さないといけねえだろ? それにいくら反逆者っていっても、皇帝になったらそれに歯向かうと逆賊だぜ?」
髭をしごきながら言うのは長孫覇。さらに続ける。
「それに、ここのやつらに勝てないまま引き上げるのは釈然としないな、俺は」
と、武人らしい意見を述べた長孫覇に、普段は意見が同じくなりやすい韓維が意見した。
「それは私たちの感情だろう、長孫覇。このような事態、将軍は将軍の理と感情にしたがって決めてくれれば良いと思う。我々はそれに付いて行くだけだ」
ここは白涼の配下としての分をわきまえるべき、と韓維は言う。白涼はその信頼の言をありがたく感じながら、しかしどうするべきかと頭を悩ませる。
「わたしは、都に帰りたいけど……。お祖父様や、お父様が心配……」
か細い声で発言したのは桃花。皇太子の挙兵の大義名分が、その祖父や父を君側の奸として討つというものなのだ。皇太子が実権を握ってしまえば、その身は危険に晒される。
「帰り、たい……」
戦場では戦乙女のごとく凛々しさを見せる桃花だが、まだ18歳、年相応に未熟なその精神では、この事態を受けて心穏やかで入られなかった。
その後も議論は続けられたが、どちらの意見もあり、決着を見ない。楽単は、この場では発言権を持たない身を悔しく思った。自分であれば、必ずすぐさま都に取って返して反逆者である皇太子を討ち、皇帝の仇を討つのに、との思いがある。この時点での楽単は皇帝の安否を知らなかったが、あの炎に巻かれた帝宮をみれば、助かるまいと考えていた。
各自がそれぞれ自分の意見を出し合ったところで、白涼が口を開く。
「各自、兵に帰還の準備をさせよ。ただし、すぐに出発ではない。最低限の武具は片付けず身に着けさせろ」
おお、と声が上がる。
「では仇討ちですか」
韓維の質問に、白涼は眉間にしわを寄せて答える。
「悔しいが今から駆けても皇帝陛下をお救いすることは出来まい。それに急な撤退は兵が浮き足立ち、背後から奇襲を受ける危険性も高い」
軍の速度を考えると、急いでも7日はかかる。楽単が費やした3日とあわせて、10日。この間に皇太子が実権を掌握できないとは、白涼には思えなかったのだ。
「撤退の準備はするけれど、撤退はしない? どういうことです、将軍」
足をゆすりながら孫灸が尋ねる。
「撤退の準備をする時点で、その動きは賊に気付かれるだろう。だから、奇襲を仕掛けてくるようならそれを迎撃できる準備をしておく。一日、襲撃がないことを確認してから撤退だ」
方針が分かって各々頷く。また、慕容循が補足した。
「三日ほどあれば、おそらく曹弁殿から帝都の様子を知らせる伝令か、もしくは本人が戻ってくるとおもいます。道すがらその情報を得ることができれば、その後の動きも決めやすくなるでしょう」
偵察部隊の指揮官、曹弁は配下を10名ほど従えて帝都へ戻っていた。そこからの連絡が必ずあると慕容循は言っているのだ。
「そうだ。道中は最低限の装備と食料のみを持って、駆けるぞ。準備にかかれ!」
白涼の号令の元、めいめい動き出す。群議を聞いていた楽単もほっとした様子を見せた。
姫一族を襲った大難を、白涼たちはまだ、知らない。




