呉才伝 3回
太尉慕容玄が率いる一行が、宮殿で皇太子陸項巴と御史太夫の蔡究、またそれ以外の幾人かの高官達の前に現れたのは、夜明けから少したった頃であった。
太尉こそ普段の朝廷で着用する衣服であったが、その背後に控える将校、中郎将達は鎧兜の完全武装、腰には剣を下げたいでたちである。殺気をまとった将たちを見て、賄賂上がりの蔡究御史太夫は、顔を引きつらせている。
「こ、これはどういうことだ慕容玄殿。まさかおぬし背後の者たちを使ってよからぬ事をたくらんで居るのではないか」
震える声でとがめる。が、慕容玄は不機嫌そうに。
「皇帝陛下を弑逆することに比べれば良からぬ事などありませんな、蔡御史太夫殿」
「し、し、失敬な!恐れ多くも皇太子殿下の前でそのような」
「よい、蔡究。余は気分が良い。許す」
鷹揚にいってのけたのは、皇太子の陸項巴。40半ばの彼は、年齢相応には威厳を以って座していた。
「太尉らもすでに知っておろう。此度の挙兵は、外戚に政治を壟断されていた無能なる我が父皇帝への天罰として行ったものである。死体こそ見つかっておらぬが、皇帝があの炎の中を逃げ切れたとも思えぬ。つまり今現在皇帝は空位になってしまったのだ。分かるな、太尉?」
大きくため息をついた太尉慕容玄は、剣に手をかけようとする背後の中郎将を抑えて答える。
「つまり。その空位には、皇太子殿下がつかれると、そうおっしゃりたいわけですな」
「当然だ。よいな、ただいまこのときを以って、この陸項巴が昌帝国皇帝である」
その言葉と共に、物陰に潜んでいた兵達が太尉一行を取り囲み、槍の穂先を向ける。また、ゆっくりと虎賁中郎将(皇帝親衛隊隊長)の魯洋展が姿を現した。猜疑心の強そうな細いつり目には、勝者の庇護があるという余裕が浮かんでいた。
「シシシ、反論は許されませんぞ太尉。皇帝陛下、では次の命令をお願い申し上げます」
「うむ。朕の名において命ずる。丞相の姫淵遺、尚書令の姫班、そしてその一族をことごとく捕らえ、処刑せよ!」
「ははっ、陛下のお望みのままに! シシシ」
「国政に尽力してきた丞相を、一族ごと処刑ですと!? それはあまりにも理不尽でしょう!」
思わず大声を出してしまったのは、慕容玄の背後に控えていた呉才であった。彼の頭には丞相のことだけではなく、親友白涼の妻、丞相姫淵遺の娘にして尚書令姫班の妹である、姫瑶のこと。このような場合一族といえば三親等、嫁に出ている女も含められるのが一般的であるのだ。つまり親友の妻まで処刑されてしまう、と肌を粟立たせた。
その呉才をぎろりのねめつけた皇太子、いや皇帝陸項巴が怒りをにじませた声を投げかける。
「黙れ下賎のもの。貴様皇帝たる朕に逆らおうと言うのか。反乱分子としてお前も処刑することは朕には容易いのだぞ」
ああ、なにもかも遅かったのだ、と呉才は悟る。姫一族を守るためには、こうなる前に皇太子、いや皇帝陸項巴の野望と欲望に気づき、手を打たねばならなかったのだ。そして自分も、これからはこの皇帝に仕えなければならないのか。
「申し訳……ございませぬ……」
搾り出すようにして謝罪する呉才。それを満足そうに見て取った新皇帝は、傍らに控える文官に声をかける。
「このようなところでよいな、張徹。はっはっは、お前の言うとおりに事が運んでおるわ
」
「はい皇帝陛下、お見事にございます」
その細面の文官は、どこから声が出ているのかと思わせるような重く低い声でこたえる。その男のことをはじめて認識したというように、慕容玄が尋ねた。
「でん……陛下、その者はいずれの者でございましょうや。朝廷では見たことの無い顔でございますが?」
「ん? ああ、張徹は朕が個人的に飼っておった食客よ。我が頭脳としてさまざまな建策をしてくれている。此度尚書令の座につける予定じゃ。のう、御史太夫」
「さようでございます陛下。まさに陛下の秘書官筆頭としてふさわしい人物かと」
話を振られた蔡究はもみ手をしながら追従する。人事権を握る御史太夫が許した以上、軍事にしかかかわる権限を持たない慕容玄には止めるすべも無い。
「もったいなきお言葉」
張徹の低く響くような声。呉才はその不快さに唇をかみ、眉をしかめた。
「太尉。そして後ろの目障りな武官どもよ、もう下がってよいぞ」
ようやく向けられていた槍が上げられて、素直に帰るならば命は助けてやるという態度を見せる新皇帝。悔しさに動けずに居た呉才たちを、太尉は肩を叩いて。
「太尉府に帰るぞ」
怒りを隠そうともせず、しかし逆らうことも出来ず。悔しさに包まれて、引き上げていった。
東宮より帰還した呉才は、すぐさまこの事態を伝えようと姫淵遺の屋敷へと馬を飛ばした。しかしそこは既に執金吾(帝都警備兵長官)の兵が取り囲んでおり、近づくことを許されなかった。無理に逆らうと逆賊として今度は自分が捕らえられてしまう、と感じた呉才。そこで、今は奥方が守る親友白涼の家へと向かった。いや、真っ先にこちらに来るべきだったかもしれないと、呉才は悔やんだ。到着したときは、執金吾の兵はやってきていないようだった。
「姫瑶さん!」
叫びながら扉を叩く。しばし待つと、姫瑶が扉を開けて顔を出す。その美しい顔は早朝の来客にいぶかしんだ様子を浮かべたが、それが呉才だと分かるとほっとした顔になる。
「どうされました、呉才様。こんな朝早くに慌てていらして」
「慌てますとも! 姫瑶さん、今すぐどこかに身を隠してください!」
「どこか、と言われましても……?」
「どこでもいいのです、見つからぬように。そうだ、私の故郷に一旦隠れていただいて、それから」
「あの、お話が見えないのですが?」
「ああ、そうでした、実は――」
かいつまんだ呉才の話を聞いて、下唇をきゅっと噛む姫瑶。しかし。
「わたしは、逃げません」
「何故!」
「父や兄を見捨てて、わたしだけ逃げるような真似はできません。それは私だけが笑いものになるだけではなく、夫白涼も笑われてしまうでしょう。呉才様のお優しいお心は感謝いたします。ですがわたしも、白涼も、誇り高き姫一族なのです。皇后姫茜の妹として、誇りに殉じます」
「姫瑶さん……」
「ここもいずれ兵が乗り込んできましょう。そのときに呉才様がおられると、なにかと不都合があるかと思われます。さあ、お帰りになってください。ご家族を大切に、されてください」
「くそっ、俺はなんて無力なんだ!」
涙を流す呉才の手を取り、姫瑶がふんわりと微笑む。
「伝えてくださって、本当にありがとうございました。どうか、御身がご無事でありますように」
「すまない、すまない……」
姫瑶の覚悟と、その運命を悟り止まらぬ涙。呉才はそれでも最後くらいは、と、きっと顔を上げて堂々と白涼の家を後にした。
丞相姫淵遺とその一族郎党200人が処刑されたのは、その五日後の事である。




