呉才伝 2回
呉才が太尉府に入ると、すでにそこには情報を求めて幾人もの武官、文官が詰め寄せていた。武官はともかく、文官の姿が呉才の予想より多いのは。おそらくこの大乱から身を守ってくれそうなのは太尉府の武官だと思ったからだろうか。まず呉才は太尉の執務室に向かった。
「失礼します、中郎将呉才、入ります」
「呉才か。どこまで把握している?」
奥の席に座り、十数名の武官らに囲まれていた太尉の慕容玄が反応する。武官たちは殺気立っているものがいる一方、青い顔をして落ち着かない様子のものもいた。
「はっ、皇太子殿下が皇帝陛下に反旗を翻し、帝宮に攻め寄せたと。少なくとも虎賁中郎将と執金吾は皇太子殿下に積極的に手を貸しているようですね」
それを聞いて慕容玄は頷き、補足する。
「それと、左将軍の金明もだ。金明の兵が兵舎を抑えたために、他の将軍が兵を出すことが出来ん状態にある」
「左将軍が・・・・・・」
絶句する呉才。他の武官たちも、目を伏せ、また悔しそうに歯を噛み締めるものも居た。
現在、南方の異民族侵攻に対して20万の兵と多くの将軍、中郎将らが出払っている。また、各地の賊討伐に10万を超える兵が出陣していた。そのため残る常備兵は10万余、その中でも左将軍金明の直属兵が五千。わずかに残る他の将軍の直属兵が約3万だが、先手を取られ兵舎を抑えられては手が出せなかった。もちろん、虎賁中郎将の手勢五千と、執金吾率いる警備兵の二万も大きな障害だ。
「皇帝陛下がご無事かどうかを調べるための手勢すら、確保が難しい状態だ」
と、慕容玄は渋い顔で言った。
「太尉、今はむやみに動かず、それぞれ身の安全を確保すべきでは」
おずおずと発言したのは鎮北将軍の紀昂だ。現在帝都にいる将軍職の中ではもっとも高位にある。やや弱気な性格ではあるが、それゆえ慎重さをもって事にあたるため、大きな敗北をしないことで有名である。
「都の兵が少なくなっているこの時を見計らったかのようなこの動き、おそらく前々からの計画でしょう。そうであれば、我々がなにかしようとするのは、ただ徒に危険に飛び込むようなもの」
これに、若い校尉が声を張り上げて反論した。
「だが、それでは忠節の道にもとりましょう! 我々だけでも帝宮に向かい、皇帝陛下のお力になるべきではないでありましょうか!」
「火に包まれている帝宮にか?! それはただの無駄死に、自己満足に過ぎんだろう?」
紀昂が激昂する若者に釣られたように大声を出した。それをたしなめる慕容玄。
「落ち着け、二人とも。おぬし、名はなんという?」
「はっ、校尉の楽単であります、太尉!」
「楽単。お前の忠誠心は立派だ。だが、皇帝陛下が心配なのはみな同じ。それでも今の状況で死ににいくのは、命の無駄遣いだ。国軍の指揮官たるわれらがここで死ねば、防備に大きな穴が開くことになってしまう。われらは皇帝陛下の兵ではあるが、任務は国を守ることだ」
「し、しかし・・・・・・」
「今は、南方におられる帝弟殿下と、賊討伐などで帝都を離れている将軍らにこの状況を知らせることが最優先だ。そのための兵の確保に、幾人かがあたっている」
「そ、それでは! 帝弟殿下の下へは拙が向かいたいであります!」
せめて何か動かなければしょうがない、といった風の楽単が立候補する。
「ううむ。お前では少し血気盛んが過ぎるな・・・・・・。帝弟殿下とは衝突しそうで怖い」
眉間にしわを寄せる慕容玄。そこに呉才が声をかける。
「では、紫州に出向いている白涼前将軍の元へ送るのはいかがでしょうか。皇后陛下の妹婿でもありますし、今回のことは彼には大きく影響されるはずです。皇太子殿下が実権を握ることとなれば、下手をすると追討軍が送られてしまう可能性すらあるかと」
「おう、そうか。白涼がいたか。あれなら楽単のような者でも問題なかろう。どうだ楽単、行ってくれるか?」
「はっ、了解したであります!」
「帝弟殿下と白涼にあてた文を書く。出来たらすぐに出発してくれ」
「はっ!」
「他のものはすまんがしばらくここに居てくれ。状況が確定するまで、軽挙妄動は慎めよ。繰り返すが簡単に死を選んではならん。それが国のためだ」
文を受け取った楽単が、白涼の元へ出立してから数刻。徐々に空が白み始めた頃、慕容玄が放っていた偵察の兵があわてた様子で太尉の執務室へ駆け込んできた。
「報告いたします! 御史太夫の蔡究様が、皇太子殿下の支持を表明されました! また、太尉には東宮まで出向かれるようにとのことです!」
ざわ、と部屋の空気が乱れる。御史太夫は国政をつかさどる三名の宰相、通称三公の一人。文官の管理を主な職務とする御史台の長官である。慕容玄も、その三公の一人であるため、同格なのだが。
その御史太夫が皇太子についたということは。文官は皇太子につくことになる、というのとほぼ同義であった。無理に皇太子を批判するものが居れば、それは今後の地位の保証が無い、ということだ。
「蔡究め、わしを呼びつけるとは何様のつもりか。だがまあ、無視するわけにも行かんな」
「太尉、お一人では危険です、我等も同行いたします」
何名かの将軍、中郎将がついていくと言う。慕容玄は頷いた。
「では中郎将のみついてきてくれ。将軍職のものはわしがおらぬ間の太尉府を頼む。校尉以下はその指示に従え」
『はっ』
「多少焦らしてやるか。東宮へ行くものは鎧兜に身を固めてここへ集まれ。夜明け少し過ぎた頃を目安に乗り込んでやる」
意地悪そうに笑いながら指示を出す慕容玄。執務室はにわかに騒がしくなり、それぞれが自分の出来ることを、と動き始める。呉才もまた、慕容玄と共に皇太子と御史太夫の元へ赴く役を与えられたため、武装するべく一度帰路に着いた。
「おかえりなさいませ」
帰宅した呉才を出迎えたのは妻の馬圭と使用人の丁。妻のことは丁が起こしていたようだ。呉才の様子から、ただ事ではない雰囲気を感じ取ったようでその顔は青ざめていたが、それでも態度には出さずに夫を見守る。
「圭、すぐに鎧兜を着けて出仕しなければいけない。手伝ってくれ」
「はい、分かりました」
「何があったか聞かないのか?」
「気にはなりますが、私に説明しているどころではないのでしょ? お急ぎのようですから、また帰ってこられたときにゆっくりとお尋ねします」
「そうか、すまん。急ぐぞ」
「はい」
本心では何があったのか聞きたいに違いない。それでも健気に夫の手伝いをする馬圭を見て、使用人の丁は「うちの嫁もこれくらいできた女ならよかった」と、場違いにそう思うのであった。
呉才は鎧を装着しながら、どこまで話してよいだろうかと考える。
「圭、よく聞け」
「はい」
手を止めず、妻に話しかける呉才。
「皇帝陛下が謀反で亡くなったかもしれん」
「まあ、それは・・・・・・」
「そのことで忙しくなるかもしれないし、逆に俺は謹慎を受けるかもしれない。なにがどうなるか分からんが、気をしっかり持ってついてきてくれ」
「わかりました。ええ、何があろうと、私はあなたの味方ですから」
そうこうしているうちに支度を整えた呉才が、玄関で丁と待っていた馬に乗る。
「ああ、よろしく頼む。よし、出てくるぞ。私以外の人間がきても絶対に家に上げるな。皇帝陛下の使いと言おうとも、だ」
「ええ、しっかり閉じさせていただきます」
落ち着いた妻の様子に安心した呉才は、きっと宮殿のほうをひと睨みすると、再び太尉府へ向けて馬を走らせた。




