呉才伝 1回
白涼が帝都に対して出した援軍を請う使者が、その帝都に到着した頃のある夜。中郎将の呉才は、使用人の丁によって眠りを中断していた。
「旦那様、旦那様、起きてくだせえ」
「む・・・・・・どうした丁。まだ暗いではないか。何事だ?」
「へえ、すみません旦那様。それが、宮殿の方角の空が赤く染まっておりまして、もしや宮殿の方でなにかあったのではないかと、へえ」
「空が赤く? まさか火事かもしれぬか。よし、すぐに馬を用意しろ、何ができるか分からんがとにかく向かってみる」
「かしこりました、へえ。奥様と坊ちゃまは寝ておられますが、いかがしますか」
呉才には妻が一人いる。その名を馬圭といい、美人ではないが愛嬌のある顔立ちをした女性である。この時、まだ起きてはいないようであった。そして六歳になる息子の呉鳳礼。可愛い盛りであった。
「他に起きている者はいるか?」
「へえ、張がおります」
「では張に言って圭を起こさせ、外に出られる服を着ておくよう伝えろ。行け!」
「へえ!」
駆け足で使用人が去っていく。呉才も夜着を手早く脱ぐと、着用しやすい簡素な服に着替えて腰に剣を吊るした。季節は晩秋、夜の気温は肌寒い。しかし悪い予感にとらわれた呉才は、その寒さも感じない。足早に玄関へとたどり着くと、ちょうど丁が馬を引いてきていた。外に出るとはっきりと分かる。丁の言ったとおり、宮殿の方角の曇り空が紅に照らされていた。
「これは、本格的に大きな火事かもしれんな。丁、戸締りをしっかりして、私以外は扉を開けるな。圭にもしっかり伝えておけ」
愛馬の手綱を握り、その背に飛び乗る呉才。
「へえ、分かりました」
「言ってくる、くれぐれも他のものを通すなよ。はあっ!」
馬の腹を蹴り、宮殿へ向かう呉才。実際に赤い空を見て、明らかに火の手が上がっているのだと確信した。もはや大火に見舞われたのは間違いない。それがせめて皇帝のいる宮殿ではないことを祈り、呉才は馬を走らせた。途中この様子に気づいたのであろう人々が通りに出てきているが、宮殿に近づいて様子を見ようとまでは思わないようで、近くのものたちと不安げに会話している様子が見えた。
悪い予感が当たった。宮殿は、城の中の城ともいえる作りになっている。皇帝が居住し、執務室や謁見の間などがある最も大きな建物である帝宮だけでなく、その妻達が生活する後宮や、皇太子の住居となっている東宮、そのほか皇族が住む宮など、多くの建造物が内包されているのが宮殿だ。これらが大きな壁で周囲をぐるりと囲まれているのだ。そして、火が出ているのは、その壁の内部であるのが呉才の遠目に見えてきた。そして、おかしなことに気づく。
「衛兵たちが・・・・・・何故宮殿を囲む」
そう、普段は帝都の治安維持を担当している衛兵たちが、火事の鎮火に加わるでもなく、宮殿をぐるりと取り囲んでいるのだ。宮殿の周囲にあるのは主にさまざまな役所。人が住む区域ではないため、野次馬もいない。蝋燭の明かりの元で役所仕事をしていたような役人が少しいる程度だ。なのに、いったい何故この状況で宮殿を取り囲むのか。
正門に近づくと、そこには帝都の巡察や警護を司る警備部門の責任者、執金吾の周歴が馬上から衛兵の指揮を執っていることが見て取れた。呉才は馬を下りると、いぶかしみながらその周歴に近づいていく。
「執金吾殿! これはいったい何事ですか!」
呉才の呼びかけに、周歴が振り返る。
「おお、おぬしは確か中郎将の・・・・・・はて、名はなんだったかな?」
とぼけたような問いかけにやや怒鳴るような様子で呉才が答える。
「呉才にございます。もう一度お聞きしますが、これはどういうことです。火災が起こっているこの状況で、なにが目的で宮殿を取り囲んでおられる!?」
周歴はふん、と鼻で笑う。事情を知らない呉才を哀れむ心が、そこに見て取れた。
「よく聞け呉中郎将。此度、外戚姫一族に政治を壟断させていた皇帝陸寵を、皇太子殿下が正義の兵を以って討ち果たすべく兵を挙げられたのだ」
「な・・・・・・なん・・・・・・だと・・・・・・」
絶句。それは。
「大逆ではないか!」
「口を慎め中郎将。正義の兵である」
周歴から放たれる殺気。ここで無理に逆らっても、孤立無援のこの状況では処分されて終わりだろうと呉才は悟る。それならばせめて現状を認識するために、少しでも情報を聞き出さねばならない。
「皇帝陛下は・・・・・・どうなったのです」
この問いかけに対しては、周歴もすぐに返答をすることをためらった。だが、呉才一人では何もできまいと思い直す。
「それがな、帝宮に火をつけた後行方が分かっておらんのだ。せめて死体を確認せんことには皇太子殿下もご安心できんなあ」
「そう、ですか・・・・・・」
大きく息を吐く。それは皇帝の無事が分からぬ落胆か、それともまだ生きているとの望みを見出した安堵か。
「おぬしがここにおっても出来ることは無いぞ。それとも、兵と共に帝宮の消火にあたるか?」
「・・・・・・いえ」
呉才は反発したくなる気持ちをおさえ、押し黙る。自分ひとりであれば忠義を見せるために切り込み、皇帝に殉じてもよいかもしれない。しかし、妻と子の顔を思い浮かべ、短慮を思いとどまった。急ぎ馬に戻った呉才は、武官の役所である太尉府へ馬首をめぐらせた。
太尉府は宮殿からそう遠くない。その前に到着すると、すでに太尉府の各所には明かりが灯っており、人が詰めていることが分かる。その薄明かりを頼りに厩舎へ馬をつないだ呉才の背後に近づく気配があった。
「呉中郎将、お静かに願います」
「誰だ?」
闇の中へ声をかける。
「白涼前将軍の配下、校尉の曹弁です」
「涼の配下か、どうしてここにいる?」
「はっ、太尉に援軍要請のために来ておりました。・・・・・・此度の件、お聞きになりましたか」
「皇太子殿下の挙兵だな。とんでもないことをしでかしてくれた」
「はい。皇太子殿下はどうやら虎賁中郎将を抱きこみ、その兵で皇帝陛下を襲撃したようです」
虎賁中郎将、名を魯洋展と言った。皇帝直属の親衛隊隊長である。その親衛隊が裏切ったとあれば、皇帝を守る兵などほとんどいなかったであろう。
「大義名分として姫一族の排除、と申しているようですが、おそらく皇太子殿下が姫皇后のお子の陸無病皇子殿下に、皇太子の座を奪われるのを恐れての挙兵であろうと太尉殿はおっしゃっていました」
「皇太子の猜疑心か。ありうるかも、しれん・・・・・・。そうか、その状況では姫一族に連なる白涼の立場も危ういな。おぬしも場合によっては捕らえられるか」
「はい、ですので私は人目につかないようにしております。私はしばらく帝都に潜み、連れてきている配下を使って状況を白将軍にお伝えしようと思っております」
「分かった、それがいいだろう。俺はもう少し状況を把握することに努める」
「はっ。ご無理なさらないように」
「お前もな」
そう言い合って二人は分かれる。曹弁は城下に姿を隠すために。そして呉才は太尉府の中へと入っていくのだった。




