本紀22回
紫天賊からの襲撃を警戒した白涼は、紫州の軍馬の陳哲より預かった約2万を陣地に残して出発した。無理をすれば紫州の軍を都まで率いることも出来ただろうが、この兵はあくまで紫天賊討伐のために借り受けたもの。となれば、州を出て都に引き連れていくとなると、州の兵権を預かる陳哲の横槍が入るのは目に見えている。あの小太りの軍馬への応対に取られる時間も惜しいのだ。
残った紫州兵のとりまとめは白涼軍の校尉の中でも最も命令に忠実である年配の校尉、樊日に命じた。白涼は樊日に対して硬く陣の守りを固め、挑発があっても手を出してならぬと厳命した。そして都から連れてきていた兵3万を、再び都へと向けて進軍したのであった。
「叔父上、もっと急ごうよ!」
馬上にて。父の、祖父の身を心配する桃花が、通常の5割り増しの速度では遅いと感じて白涼に進言する。いや、懇願といっても良かった。それでも。
「気持ちは分かる、桃花。だが、一日二日の道のりではないんだ。兵も馬も、これ以上走らせては都まで持たないし、もし到着できても疲労で戦力にならない。それでは、意味が無いんだ」
桃花も、そのことは頭では分かっていた。けれども。
「分かってる、分かってるけど……!」
感情が高ぶり、ぎゅっと唇を噛んで耐える桃花の様子を、白涼も悔しげに見つめる。
そばでやり取りを聞いていた慕容循が、普段であれば理屈をとうとうと語って桃花を抑え込むところであったが、さすがにこの度は自重した。慕容循は将ではなく参謀だが、武人一家の出身だけあって幼い頃より乗馬は叩き込まれている。激しく揺れる馬上であることを気にすることなく、この先の難関に向けて意識を向けていた。それはやはり兵の疲労。そして、白涼直属の5千は別として、皇帝から預かった2万5千の兵、これらがどれほど士気の崩壊から脱落していくのかということ。皇太子と白涼、どちらにつくかを選ぶのか。そして最悪は白涼の首を狙った反乱を起こされはしないか。その様子を探るために、白涼直属の兵を一般兵に紛れ込ませ、様子を探らせているのだった。
「悪い予感が、当たらなければいいのですが……」
細い目をますます細くして、思案に暮れながら馬を駆るのだった。
その日の夜。簡易な幔幕だけ張っての夜営をしているところに、汗だくになった紫州軍馬、陳哲がやってきた。陳哲は顔を真っ赤にして白涼に詰め寄る。
「いったいどういうおつもりですか前将軍! 紫天賊の討伐の任を捨てて都に帰る等! しかも私に断り無く私の兵を置き去りにしたと言うではありませんか!」
つばを飛ばしながらまくし立てる陳哲に、白涼は無表情を努めて返す。
「実はですね、都で変事がありまして、その対応のために急遽撤退することになったのです。しかしあなたの兵まで連れて行くことは出来ませんから、陣を硬く守り紫天賊を紫天山地に押し込めるように命じたのです」
少なくとも、と慕容循が言う。
「紫天賊に取られていた城はすべて取り返していますから、ご安心下さい」
「賊のことはいい! それより変事!? いったいなんのことですか! 私は何も聞いていませんぞ!」
「言っていいか? 慕容循?」
「仕方ないでしょう、あとで知られるよりは」
「なにをこそこそ言い合ってるのですか!」
小太りの顔は汗と脂でてかり、紅潮した顔で詰め寄る姿は控えめに言って醜いものだった。そんな陳哲軍馬に対して、白涼は言ったら卒倒するのではないかと心配をする。
「実はですね、皇太子殿下が皇帝陛下に対して謀反を起こしたのですよ。皇帝陛下の行方は不明。皇太子殿下には虎賁中郎将、執金吾、左将軍が少なくとも味方をしているとの事ですよ」
自分で言っていて腸が煮えくり返るようだった。しかしその感情を押し殺して伝える白涼。冷静に、冷静に。少なくとも背後を紫州の軍に攻められるわけにはいかないのだ。
「こ、皇帝陛下が……!? それで、将軍は皇帝陛下をお助けするために、戻られると」
紅くなっていた陳哲の顔が、こんどは血の気が引いて真っ青になる。白涼はひとつため息をついて。
「ええ、まあ、そうです」
「理解いただけると助かります、軍馬。これはまだ兵も知らないこと。できるだけ隠密裏に都に戻りたいのです」
慕容循も白涼に追随する。
「そ、そうですか。では、道中お気をつけて……」
毒気を抜かれた陳哲は、とぼとぼと背を向けて去っていく。その背中に、慕容循が声をかけた。
「そうそう軍馬殿、紫天山地の入り口にある陣と軍。あれが紫天賊を抑え込んでいるので、軽々しく動かしてはいけませんよ。また州の半分を賊に取られたいなら別ですが」
「ぐ、わ、分かりました」
白涼達は、陳軍馬が去っていくのを見届けて、大きくため息をつく。
「意外と食い下がってきませんでしたね」
「物分りがいいと言うより、面倒を避けたがっている感じだったな」
「そうですね。ですが、これでひとまず後方の憂いは減ったと思います。念のため、紫州の知事と軍馬の様子は密偵に探らせておきましょう」
「ああ、頼んだ」
陣を離れて三日目、つまり皇太子の乱より八日目の夕方。都に居る曹弁からの伝令が到着した。この使者がもたらした知らせは、白涼たちに大きな衝撃を与えた。
「皇太子殿下は、皇帝陛下を討ったと宣言、また同時に御史太夫の推薦を以って皇帝に即位することを発表されました!」
「ちっ、やっぱりな。これはやべぇことになったな、将軍」
長い顎鬚をしごきながら、異民族部隊の指揮官の長孫覇が言う。
「ああ、これは兵たちに無用の詮索をされぬよう、また変なうわさが立たぬように、われらは先帝の仇討ちとしての行軍であると触れを出す必要があるな」
「いくらかは逃げるとおもいますが、大丈夫ですかい?」
伊達男の韓維が、冷静に口にする。皇太子陸項巴が皇帝になったということは、動員できる兵力が格段に増えたと言うことだ。それまではせいぜい繋がっていた左将軍の兵程度であったのだが、今は都に居る全兵力十万以上を相手取る必要が出てきた。
そして、その前に。苦々しげに言うのは慕容循だ。
「将軍……。明日には、氷麓関に到着します。もしそこで抵抗にあえば……」
氷麓関。帝都を守る4大関所のひとつにして、西北部へ続く大道に構えられた頑強な関所である。元は簡易な関所だったが、ある戦の時、わずか一晩で氷で出来た巨大城砦へ変貌したという伝説がある。
「ああ。氷麓関か……もしあそこを今の装備で攻めるとしたら、どうする慕容循」
「この軽装では難しいかと。一度下がって間道を通るほうが現実的ですね」
「確かに、あそこは塀も高いし配備されている兵も精鋭だ。戦わずに通してくれることを祈ろう」
ふ、と二人の視線が合う。苦笑する慕容循と、笑みを浮かべる白涼。
「将軍閣下は楽天的なようで」
「参謀殿は悲観的かな?」
「そうでもありませんよ。山を越えての迂回となれば、軽装で来たことが吉と出ます。森を強行突破しやすいですからね」
「なるほどな。まあ、どちらにしても明日氷麓関に到着してからだな」
話がひと段落した所で、伝令が再び口を開く。その口調は歯切れが悪い。
「それから将軍、もうひとつご報告が……」
「悪い話か?」
「はっ。丞相、姫淵遺様、尚書令、姫班様をはじめとした姫家の方々が、先帝をたぶらかし政治を壟断したという罪に問われ、捕らえられました……っ!」
がたっ、と床机から立ち上がる桃花。その顔は真っ白に血の気が引いている。
「そんな! 動きが早すぎる……!」
「ちっ、丞相一家がよっぽど目障りだった見たいだな、皇太子は」
長孫覇が顎鬚をしごきながら苦々しげにつぶやく。そして、さらに報告は続いた。
「さらに、皇后陛下や、白将軍の奥方など、政治にかかわっていない女性も含めての逮捕になっております!」
「え、ええっ!?」
悲鳴にも近い声を上げる桃花。立っている力が抜けていくのを感じ、再び床机に腰を下ろす。
「時間の猶予がなくなりましたね。氷麓関で時間を浪費したくありませんが、こればかりは相手の動きを見るしかない。悔しいですが……」
慕容循が話しかけるも、白涼も衝撃の大きさに反応を返すことが出来ないで居た。この徹底した姫一族の排除。そこまで、皇太子にとっては姫一族が目障りだったのか……。
「……報告、ご苦労だった。明日はまた駆けるぞ、みんな。ゆっくり休んで疲れを残さぬように」
解散を言い渡す白涼の声に、いつもの毅然としたものを見つけることは出来なかった。
そして翌日。道中は何事も無く、昼前にはその氷麓関へと到着する白涼軍。
「何度みても、立派な関ですなあ」
感心したように、氷麓関を見上げながら韓維がつぶやく。中郎将の孫灸は、それより気になったことがあった。
「門が、閉じられていますね」
普段であれば旅人や行商人の馬車など、さまざまな人や車が通り抜けてゆく門。それが、まだ昼間だと言うのに硬く閉じられていた。
白涼は一歩前に出ると、大声で呼ばわった。
「開門、開門! われらは官軍である、危急の用件にて都へ向かう途上である! 門を開けられよ!」
すると、その声に応じたように、門壁の上に守将の魏望が姿を現した。
「黙れ逆賊の一族め! 新皇帝陛下の命により、貴様たちには討伐の命が出ておるのだ! 皇帝陛下への忠義を見せるのであれば。ここで降伏してその身柄を渡すが良い!」
「ちょっと! 誰が逆賊よ!」
魏望の言葉に怒りを見せた桃花が声を張り上げる。
「おお、姫桃花殿もそこにいたか。ちょうどよい。おぬしにも捕縛命令が出ているのだ、素直に出頭されるが良い。都に着けば、前丞相や前尚書令と同じところへ送ってもらえるぞ」
前。既に官職も剥奪された後ということだ。皇太子は、姫一族を排除してもすぐ政治を動かせる程度に根回しをしていたと言うことか。
「牢獄に閉じ込められるのが分かってて、はいそうですかなんて言わないよ!」
「牢獄に? ははは、これはおかしい。そうか、まだ知らなかったのか。既に姫淵遺以下、都の姫一族200人は、既に首を討たれた後だ。これから都に戻っても、首なしの死体に会えるだけだぞ?」
この一言は、白涼軍に大きな衝撃をもたらせた。
「そんな……嘘……だよね……? お父様たちが、死ん……だ……?」
呆然とする桃花。あまりの衝撃の大きさに、頭が働かない。そして、それは白涼も同じであった。
「ばかな、丞相を簡単に処刑したと言うのか……。どれだけのことを仕出かしたのだ、皇太子殿下は……!」
「もはや皇太子殿下ではない、新皇帝陛下だ、白将軍。いや、逆賊白涼。この関を抜けて都へ行こうと言うのであれば、全力でお相手するぞ」
「将軍! ここは引きましょう!」
そんななか、なんとか冷静さを維持していた慕容循が白涼の袖を引く。
「おう、今度は万全の準備でこの関をぶち抜いて、仇をとるんだよ、将軍!」
慕容循の逆側から近づいた長孫覇が、白涼の手綱を取って馬を反転させる。
「少なくともわれらは皇帝の兵ではありません。いつものように冷静果敢に指揮を下してください」
背後から槍の名手、韓維も声をかける。
白涼は配下の、腹心の心積もりを聞いて、多少気持ちを持ち直した。そして首だけ振り向くと、氷麓関を、そしてその先にある帝都をみつめて。
(皇帝陛下……父上……義兄上……姫瑶……皇后陛下……私に、力をお貸しください)
大きく息を吸い込んだ白涼は、再び紫天山地ふもとの陣に帰還するという決断を下した。
「全軍、退却!」
歯を食いしばって涙を耐えた。横を見ると桃花は滂沱の涙を流しつつ馬を駆けさせている。落馬しないかと心配になるくらいだった。
(国に、皇帝陛下のために戦ってきた私が逆賊とは……。許さんぞ、皇太子、いや陸項巴! 皇帝陛下と家族の仇、必ずとって見せる!)
唇を硬く噛む白涼。一筋の血が、口の端から流れていた。




