本紀17回
新上県に一度引き返した白涼軍。予定通り紫天賊を本拠地に追い込んだものの、予想より紫天賊の保有兵力が大きかったため、戦略の調整が必要となっていた。
そのためにも情報が欲しい。偵察部隊を増員して紫天賊の根拠地の把握を第一目標に偵察兵を放っているが、まずは本拠としている山塞の位置が判明していた。
紫州知事から供出された紫天山地の地図に、判明している限りの情報を書き込んでいく。
「山塞の背後にある盆地では耕作を行えるようで、兵糧攻めも難しいようです」
校尉の曹弁が言う。これは紫州知事からの情報にあったことだ。と、いうより。この山塞自体、もともとはその盆地を守るための兵が駐屯するためのものであった。
「兵力では負け、兵の質では勝っている。さて、どう攻めたものか」
元武術教官の韓維が腕を組む。
「一つ提案ですが将軍。賊を山塞に篭らせている間に、賊に落とされている城を開放してはいかがでしょうか」
これは中郎将の孫灸だ。中郎将は階級としては将軍の下にあたるため、この中での発言力も大きい。ただ、孫灸自身はあまりそのことを意識せず、あくまで提案という形をとっていた。
「ふむ・・・・・確かに簡単に攻め落とせないなら、後方の憂いをなくすべきかも知れないな。慕容循、どう思う?」
「はい、一理あるかと」
「曹弁、山塞に一番近い城はどこだ?」
「はっ、令陽県になります」
現在滞在している新上県より北寄りにある県である。
「よし、ではまず令陽県を取り返そう。また、賊軍に落とされた城の奪回には一万の兵で孫灸があたってくれ。取り戻した後の処理は紫州知事に任せよう」
「はっ」
「では各自出陣準備!」
白涼の号令に、めいめい返事をして行動に移った。
令陽県の奪還は、もともと滞在していた賊兵が少なかったこともあって苦労なく行われた。しかし本題はここから、どうやって山塞に引き上げた賊軍を討伐するかであった。
「たとえば、別働隊を側面に送って、両面攻撃をするのはどう?」
そう桃花が提案した。しかし慕容循はこれに消極的な反対意見を述べた。
「山岳地帯で本隊と別働隊とをうまく連携させるのは難しい部分もありますし、紫天賊が迎撃に出てきた場合には効果的ですが、山塞に篭った場合は難しさに見合った効果が得られないのではないかと思います」
「うーん、そうかあ」
桃花は残念そうに言う。
「奇策に頼らず、正面から突破したいところですが・・・・・」
と、言葉尻を濁す慕容循。白涼がその後を続ける。
「消耗は避けられないだろうな」
「消耗を怖がってちゃ、戦なんかできねえ。違うかね、将軍」
顎鬚をしごきながら言うのは長孫覇。白涼はもっともだと頷く。
「こちらの兵力は四万。紫天賊は現在分かる範囲で七万弱。倍とは行かないまでも。かなりの差がある。兵の連度でこちらが有利といっても、苦しい戦いになると思う。みな、油断なきように頼むぞ」
はっ、とそれぞれが返答する。
「はじめに戦った五万より、後で出てきた二万のほうが明らかに強かった。その点は考慮しておくべきです、将軍」
韓維は実際にその兵と戦っていた。その手ごたえから、あれはかなり訓練を受けた部隊だというのだ。
「勝てぬ相手だったか?」
「いや、こちらの兵のほうが強いでしょう。ただし、紫州兵を除いて、ですが」
「そうか・・・・・紫州兵一万の使い方、これがある意味戦いの肝かも知れんな」
白涼の言葉を受けて、慕容循が頷く。
「最前線には出さず、後詰として使っていく形で配置を行いましょうか」
「そうだな。あまり減らして紫州軍馬殿の機嫌を損ねたくもない」
一同、これには苦笑で答える。そもそも軍馬がもっと軍備に力を入れていたら、ここまで賊が膨張することもなかったであろう。
「この令陽県から紫天山地に向かう途中にやや広い平地があります。ここに陣を張って、対峙する形がよいでしょう。距離を見たところ、令陽県からでは敵本陣の山塞までは行軍に余裕が出来ません」
「わかった。陣地構築の指揮は慕容循に任せる」
「はっ。紫州兵をこきつかわせていただきますね」
冗談めかした慕容循の言葉に、皮肉げな笑いを漏らす韓維。
「くくくっ、まあ、それくらいはしてもらわんとな。ああ、それから将軍」
「なにか?」
「長孫覇のダンナだけ色つきってのが悔しくってねえ。私にもそういう直属兵、くれませんかね」
「直属兵か、ふむう・・・・・私の直属が五千、うち長孫覇の直属になっているのが一千。残り四千」
「全部はだめですよ、韓維殿」
あわてて注意をする慕容循だが、直属兵のことは考えていたことで、長孫覇の赤備えと対になる精鋭部隊は欲しいと思っていたのだ。
「分かってるって慕容循殿。それでも二千はいただきたいところですが、どうですか将軍」
「どちらにしてもすぐに答えるわけにはいかんな。今回の討伐が終わってから、考えさせてくれ」
「了解です将軍」
一方の紫天賊が本拠としている山塞では。
「ふん、連中、まだあきらめずに来ようって感じらしいじゃねえか。あのとき追撃をしてりゃあ、致命的な一撃をやれたんじゃねえのか?」
あのとき追撃の命令を出そうとしてたのだ、紫天賊頭目の李蕃は。
それを止めたのは、援軍として山塞から出撃した二万を指揮していた青い鎧の青年、王澄命であった。
「いえ、存外整然と引き上げていきましたからね、追撃していてはかえって被害が拡大していた恐れがあります」
「逃げる相手を追うのは兵法に適ってることだろうが!」
怒鳴り散らす李蕃。そこへ。
「相手があの白涼将軍ですからね~、王澄命殿の言うとおり、手痛い反撃を受ける可能性は、十分にありますね~」
間延びする声で会話に入ってきた人物がいた。痩せた短髪の青年である。服装だけ見るとこのような賊徒の巣窟にはふにあいな文士風の姿であった。名を、郭操と言う。
「いいですか李蕃様~、我々は勝つこと以上に、負けてはならないのですよ~。まして、野戦で五千の兵を失ったあとですし~」
「そ、それは分かるが・・・・・」
それまで王澄命の傍に控えていた白い鎧を着込んだ女性が、剣の柄に手を書けながら一歩出る。
「貴様、郭操様の言葉に逆らうか」
その殺気に気おされた李蕃が、うっと言葉を詰まらせて後ずさる。郭操は、二人の間に割ってはいる。
「賈燐、落ち着いてください~。李蕃殿が大きく間違っているわけでもないんですよ~」
間延びした声で仲裁していく郭操。白い鎧の女性の名は賈燐というようだ。
「ただ、我々の目的を考えると~、ここではっきり決着をつけてしまいたくはなかったと、そういうことなんですよね~」
「それだ! いつも、目的があるとだけ聞かされて動いているこちらの身にもなってみろ! 窮屈で仕方がない!」
「それはまあ、そうですね。郭操殿、李蕃殿だけには伝えますか?」
王澄命が李蕃に同意して郭操に問いかけるが。
「申し訳ないのですが~、まだお伝えするわけには~。ただ、あなたの勢力がここまで大きくなったことが我々のおかげであることだけ、覚えていてくだされば~」
「ぐっ」
そうなのだ。王澄命、賈燐、郭操・・・・・彼らは、李蕃の配下になるためこの山に来たのではなかった。まだ李蕃が数千の山賊の頭領でしかなかった2年前、2万の兵を率いてその前に現れた彼ら。その後ろ盾があったからこそ、この紫天山地に散らばるほかの山賊たちを統合し、流れの犯罪者なども引き入れて五万の軍勢まで育て上げることが出来たのだ。
「官軍が、あの白涼将軍がこのまま引き下がるはずがありません。李蕃殿、ぶつかるときには細心の注意を」
王澄命のこの言葉は、李蕃の五万で相手をしろという意味だった。もちろん、大敗しないように二万を待機させておくつもりではあるが。
「ちっ、しょうがねえ。癪だが契約は契約だ、やってやるよ」
「はい~、期待しておりますよ~」