本紀13回
帝都威略より西北方面に進むと、徐々に起伏の富んだ土地となる。威略を守る四方の関所のひとつ、賀宗関を越え、さらにいくつかの州を抜けていくと、僅かな平地部分に紫州の州都穆郡がある。紫天賊はそこから西方に広がる紫天山地のどこかを根城にしていた。どこか、というのは、今までの官軍の調査では明らかにできなかった、という意味である。
「元々山賊がいくつか根を張っていた地域だったのですが、李潘という者が、ここ二年ほどでその山賊たちを傘下におさめて強大化し、いつしか紫天賊と呼ばれるようになったとのことです」
斥候からの報告を纏めた校尉の曹弁が、軍議の席で報告する。
「でも、しょせん山賊でしょー? そりゃ、左将軍の金明様が負けちゃったから油断はできないとはおもうけどさあ」
桃花は気楽に言うが、慕容循が反論する。
「しかし金左将軍も実戦経験は詰んでこられたお方。普通の山賊程度でしたら数の不利があったとしても負けるとは考えにくいですよ、桃花さん……ごほっ、ごほっ」
「でも、負けるときは負けるよ」
気楽そうに言う桃花だが、その目は一瞬鋭い光を放った。桃花は事前の軍議でこそ敵を甘く見てしまう傾向にあった。しかし白涼軍として三度の出撃を経て、実戦での冷静さや広い視野を持って戦場を把握する力に長けていることは皆が知るところとなっていた。
「桃花にはもう少し慕容循の慎重さを見習って欲しいところだなあ」
「むっ、叔父上は慕容循殿の肩を持つんだね」
「そういう意味で言ってるんじゃない」
「むう」
二人のやり取りに苦笑しつつ、曹弁は続ける。
「把握されている紫天賊の戦力ですが、左将軍との戦闘で確認された戦力は約五万、しかしこれに支配下に置いた城に配置されている兵が城ひとつにつき500前後、あわせて約一万。また、本拠地の紫天山地にどれだけ控えているかは未知数となっています」
「本拠にまだ数を残しているのか、降りてきている五万で全軍なのかが読めないのが悩ましいな」
「そうですね。ではそれもふまえての討伐方針ですが、ごほっ、まず賊に抑えられた城を開放していくか、または先に兵力の撃滅を狙っていくか、を決めましょう」
「城を先にするのは現実的では無いかな。こちらは三万に、紫州軍馬麾下がどれくらいだ?」
軍馬とは州の軍事長官のことである。この白涼の問いに、曹弁が答える。
「はっ、保有戦力は四万とのことです。しかし全てを借り受けることはできないでしょう」
「だろうね、紫天賊の五万の脅威がある以上、二万借りれるかどうか。軍馬の性格によっては一万でも厳しいかもしれない。兵力では負けていると見るべきだ」
「それでは城を取り返しても、その防御に割く兵力がありませんな」
腕組みをして聞いていた長孫覇が低い声を出す。その場にいる全員が、その言葉に頷いた。
「そうだな、取り返して取られてを繰り返してしまいかねない。それは戦力的にも、城の民の疲弊を考えても厳しい」
「では、敵主力を叩くことを優先でいいですね?」
「異議なーし」
「任せる」
「民にとっては、帝国が取り返さないほうが安心かもしれんしな」
同意の声が上がる中、皮肉げに韓維が言う。幹部に高官の子弟が多いために普段白涼軍では意識されにくい民衆のことを意識できるのは、韓維が農家の出であるからだ。
「韓維」
「失礼した」
たしなめるように白涼がその名を呼ぶと、韓維はふっと笑って謝罪の言葉を述べる。
「引き続き、曹弁は斥候をしっかり統率してくれ。今回の相手は得体が知れないからな」
「はい」
「よし、あとは情報次第だ。それぞれ準備は怠らないように」
『はっ!』
帝都から3万の白涼軍が出陣して数日。紫州の州都、穆城へと到着していた。紫州知事の張謙と、軍馬の陳哲が、配下を従えて城門で出迎える。
「よく着てくれました、白前将軍」
小柄な体をさらに小さくして礼をする張謙知事。
「金左将軍を破って以降、賊の勢いはさらに増しております。どうかこの紫州をお助け下さい」
白涼も馬を下りて張謙の手を取る。
「お任せ下さい、張知事。賊徒の討伐、我らが果たしてご覧に入れます」
小太りの軍馬、陳哲も腰を低くしている。
「情け無い話ですが、我らの軍備では州の半分を維持するだけで精一杯。将軍、是非ともよろしくお願いいたします」
「はい。軍馬殿、すぐにでも軍議をいたしましょう」
それをさえぎって張知事が言う。
「それより、長旅でお疲れでしょう。ささやかですが酒宴の席を用意いたしました。本日はごゆるりと……」
「知事殿、お気遣いはありがたいですが、現状が知りたいので軍馬殿とお話しさせて頂きたく存じます」
強い口調で白涼が言うと、一瞬むっとした表情をのぞかせる張知事。とりなすように、陳軍馬が額の汗をぬぐいつつ白涼に言った。
「将軍、知事も悪気があって言っているわけではないのです。皆様のことを思えばこそで」
「そうだよおじ……将軍。せっかくの好意なんだし、受けてもいいじゃない」
「ちょ、ちょっと待ってください姫校尉!」
まんざらでもなさそうな桃花に、あわてて慕容循がたしなめる。しかし。
「いいんじゃないのか、将軍。一日ちょっと飲んだくらいで賊は逃げねえよ」
「くくっ、違いない」
長孫覇が口を出し、韓維も皮肉を込めた笑い声で続いた。さすがにこの発言には陳軍馬が顔を高潮させたが、それに気付いた張知事が制止した。
「口が過ぎますよ、二人とも」
慕容循が注意したことで長孫覇も韓維も黙ったが、反省した様子は無い。白涼は大きくため息をついたが、少し考えてから返事をした。
「では、その宴席でいろいろとお聞きすることになりますが、よろしいでしょうか」
両者の折衷案である。張知事は、商人のように揉み手をしながら頷いた。
「で、では、案内いたします。陳殿、資料を宴席に運ばせましょう」
「そ、そうですな。では私は準備がありますので、失礼いたします」
資料持ち出しの準備があるのだろう、小太りの体を駆け足でゆらしつつ陳軍馬が去って行く。白涼は、長孫覇と韓維に、小声で言った。
「言いたいことは分からんでもないが、無駄に挑発をしないでくれ。兵を借りる前に関係を悪くしたくない」
「悪かったよ、将軍」
「すまない」
口々に謝る長孫覇と韓維。だが二人ともあまり反省をしている様子ではなかった。
「まあまあ叔父上。関係を悪くしたく無いなら、なおさら酒宴は受けておいたほうがいいよ」
「む、そういう考え方もあるか」
「まあ、一理ありますが……ごほっ」
「慕容循殿、大丈夫か?」
いまだに咳が止まらない慕容循を、さすがに心配して韓維が声をかける。
「ええ、すみません……」
「休んでおく?」
「いえ、情報交換をしなくてはいけませんから、休んでいるわけにもいきません」
心配して桃花が言うが、慕容循は無理のしどころだと考えていた。
「分かった、耐えられなくなったら言うんだぞ」
「はい、将軍、ご迷惑をおかけします」
「気にするな」
白涼は慕容循の肩を軽く叩くと、張知事へと向き直った。
「では張知事、案内をお願いします」
「は、はい。ではこちらへ」
張知事は揉み手をしながら、配下と連れ立って白涼一行を案内するのであった。