本紀 9回
前日の戦闘では有利に運んだとはいえ、被害がなかったわけではない。後詰の七千のうち千は戦死または戦闘不可能な負傷と、被害を受けた部隊もあった。また賊軍も半数を撃破したわけだが、それでも殲滅できたわけではないので、おそらく五千は戦列に復帰してきると白涼は見ていた。およそ九千対一万五千。数日の上ではまだ賊軍が上回っている。
慕容循は、この戦は白涼麾下の三千を鍛える場でもあると考えている。そのため翌日も中央に配置し、最も激しく戦闘が起こるであろう正面衝突を選んだ。しかしただ衝突させるだけではない。残り六千を三千ずつ左右に配置し、多くの兵に弓を持たせていた。両翼から降り注ぐ矢が、中央の三千を包囲しようとする賊軍両翼の足を鈍らせる。
先頭を駆ける長孫覇以下一千は、前日大将首を逃したことで今日こそはと猛っていた。白涼もこの日はその手綱をしめることなく、動きたいように動けと命じていたのだった。
衝突。やはり長孫覇の一撃がぶつかり合いの合図であった。その巨大な斬馬刀が振るわれるたびに血飛沫が飛ぶ。前日の勇猛さを見ている賊兵は早くも浮き足立ち、中には背を向けて逃げ出すものもいるくらいであった。さらに賊軍の陣形が混乱により崩れたところで、左右の六千も接近戦へと移行する。兵数に勝る賊軍は、しかしその有利を活かすことができず徐々に崩壊していった。
戦いの決着をつけたのは、この日右翼の指揮を任されていた韓維という、凛々しい面構えに口ひげを生やした、三十前後の校尉であった。韓維は元々都の兵に武術を教える教導師範であり、厳しい訓練を課すことで知られていた。韓維の訓練では逃げ出すものが他の師範より多いが、その分精強であると専らの評判である。また、実際に武器を振るってもその強さは群を抜いていて、師範の中でも五指に入る。特に槍と長刀に秀でていた。しかし彼はあくまで一人の武人であり、兵を率いるために使おうと考えていた将軍はこれまでいなかった。それを、白涼が自軍を鍛えるためにと引き抜き、さらに校尉として幕僚に引き立てたのだ。
韓維は鈎付きの槍を振るって並み居る賊兵を打ち倒していたが、そのとき遠目に賊将馬銀を見かけるや、無尽の野をかけるがごとく敵中を突破し、馬銀に迫った。その韓維の勢いと、馬銀の周囲の兵の足並みが乱れていて動きが鈍っていたこととが重なって、とうとう韓維が馬銀に追いつく形になった。
「馬銀、覚悟!」
「しゃらくさい!」
その声と共に韓維の槍が一閃する。馬銀も自らのトゲ付き鉄棒、狼牙棒で防ぐ。その腕前は一介の賊将としては見事なものであった。しかし何合か打ち合いを続けていると。
「そこだ!」
馬銀の脇にできた隙を見逃すことなく韓維の槍が突き出される。その鈎となった部分が馬銀の腕を捉え、馬から突き落とす。そこへ韓維が切り開いた道を通ってその兵が追いつく。馬銀の配下はなんとか馬銀を守ろうとするが、そのことごとくが韓維の槍の錆になっていた。
「韓校尉、馬銀を捕縛いたしました」
部下の報告を確認すると、韓維は声を張り上げる。
「賊将馬銀、捕らえたり! 賊兵ども降伏せよ!」
響き渡る大音声。前線にいた賊兵のほぼ半数が戦意をなくし、武器を捨てる。残りも抵抗しようというものは少なく、多くが散り散りに逃げ出していく。馬銀を取り戻そうと向かってくるものもいたが、その多くは官軍に討ち取られ、生き残ったものも首領の奪還は諦めざるを得なかった。
「韓維、よくやってくれた。一番手柄だな」
勝利を収め自陣に引き返した官軍の中央幕舎。縄にとらわれて膝をつく馬銀の横に立つ韓維に、ねぎらいの声をかける白涼。はっ、と答えて韓維は頭を下げる。
「おじ……将軍、この人どうするの? 斬る?」
そう言ったのは桃花。あっけらかんとした物言いだが、その目は冷徹であった。
「ふん、好きにしろ」
敗軍の将である馬銀だが、ふてぶてしい態度を崩さない。その様子に感心しながら、白涼はかぶりを振る。
「いや、私に彼を処断する権限は無い。戦死ということならともかく、な。ひとまず捕虜として都に戻り、あとは刑部の判断する領域だ。馬銀、お前の兵の武装や資金の出所など、拷問を受ける前に白状すれば少しは刑が軽くなるかも知れんぞ」
白涼の言葉を聴いても、馬銀は肩をすくめるだけであった。拷問したいならするがいいと、その目は語っていた。
「それにしても2万か。なかなかの数を集めたものだな」
「それだけお上に不満があるんだよ、この世の中はな。貴様らみたいな都でぬくぬくと暮らしてるような連中には分からんだろうが」
「だからって盗賊になっていいわけじゃないでしょ!」
馬銀の言葉にかちんと来た桃花が詰め寄るが、馬銀はどこ吹く風だ。
「民にとっちゃ、賊もお上も持っているものを奪っていくってことじゃ同じことさ。それともお嬢ちゃんは本当に気づいて無いのか?」
「む……」
兵と接していれば、多少なりとも庶民の暮らしの話も耳に入る。外戚の家から出た桃花は言うに及ばす、名門武官の出だが史官として国家大小の情報を集めていた慕容循、帝都近郊の比較的豊かな農家出身である韓維など、この場にいるものはほとんどが庶民ではないとはいえ、庶民の暮らしぶりを知らずにいるわけではない。
痛いところを突かれた桃花は口ごもってしまう。その後馬銀は多くは語らず、しかし毅然とした態度を崩さない。それは白涼が馬銀を監車へ繋いでおくよう命じたときでも、変わらないのであった。




