本紀 8回
両軍のぶつかり合う戦場となったのは、なだらかな丘陵地帯であった。先陣に立つは長孫覇率いる胡騎部隊一千。前日の軍議では姫桃花が是非先鋒は自分に、と勢いきって手を上げたのだが、慕容循が長孫隊を指名したのだ。
『長孫隊を先頭に将軍麾下三千で敵陣中央に突破を仕掛けます。姫校尉は後続の七千を率いて、中央で分断された敵軍右翼に攻撃を仕掛けてください。三千と七千で右翼を挟み、』
『え、わたしが七千!? いいの、そんな大役もらっちゃって?』
『はい、陣形が乱れた敵軍を素早く処理してください』
『分かったよ、がんばる!』
このようなやりとりであった。これは敵軍二万を半分前後に分断し、その後各個撃破をはかるという戦術である。分断された敵を相手右翼、つまりこちらの左翼から攻めるのは、会戦予定地の地形が左翼から攻める場合ゆるい下り坂になっているからである。高所から低所へ向かって攻めるのは定石であった。
もし中央が厚く第一波が防がれた場合、包囲されてしまう危険性がある。それでも慕容循は、白涼直属の三千の突破力に、特に長孫覇の隊一千に自信を持っていた。気は荒いが一騎当千の猛者たちであり、装備も一級品を揃えたのだ。ごろつきの集団などには負けぬという自負があった。そしてそれ以降の指揮に関しては、白涼がいる。その戦術眼は、若くして将軍となったことが伊達ではないものであると実感していた。白涼と慕容循、二人は囲碁を何度か指したが、それぞれの傾向として、その場面で押すべきか引くべきかというような判断は慕容循が勝る。しかし実際に場面場面での陣の取り合いでは判断力、そしてその判断速度で白涼に軍配が上がる。今はまだ慕容循の方が勝ち越しているが、そのうち自分の戦略眼を上回られて勝てなくなるのでは、と慕容循は考えていた。
朝の空気が昇っていく太陽とともに払拭されていくころ。二つの軍勢の戦端がついに開かれた。斬馬刀を振り上げ怒号を上げて突き進む長孫覇を先頭にして、その麾下一千が一個の弾丸となる。長孫覇の斬馬刀が一閃すると、そこに血飛沫が舞った。
「賊将馬銀、大人しくその首差し出せい!」
声を張り上げつつ賊兵を薙ぎ払っていく長孫覇。その勢いは止まることなく、馬銀軍の中央に楔のように食い込んでいく。さらに白涼の精兵二千がその楔を深く打ち込むように突撃を開始する。馬銀の軍が、徐々に左右に分断されようとしていた。
「止められねえのか、あの程度の数!!」
ざんばら髪をした馬銀の副官が叫ぶ。怖ろしい勢いで間近に迫ってくる官軍を見て半狂乱の様子だった。
「丁、右翼に行って指揮を取れ」
もう一人の禿頭の副官が、うす、と短く言うと駆けてゆく。完全に分断される前に左右で指揮を分けるのが馬銀の狙いであった。
「た、大将、おれらはどうすんで」
ざんばら髪が馬銀を振り返ったその瞬間、その上半身が吹き飛んだ。長孫孟覇が振るった斬馬刀によるものであった。
「馬銀! その首貰い受ける!」
「お頭に近づけるな!」
さすがに馬銀周囲にいる者達は、他の賊兵達より勇敢であった。
「お頭、ここは任せ」
最後まで言うことなくその兵は長孫隊の兵に槍で貫かれた。馬銀は冷静さを失ってはいなかったが、それでもこの状態は手が出せぬと馬首をめぐらせる。官軍の分断策も完全な半分とは行かず、左翼のほうが多めに残る形となっていた。官軍が追ってくれば、そこで包囲する腹積もりである。
「馬銀、逃げるか!」
声を荒げて追跡しようとする長孫覇。しかし、追いついてきた白涼の制止の声が飛ぶ。
「長孫覇! 目先に釣られるな! 命は『敵陣を貫くこと』だ!」
「目の前に敵将がいてもか!」
興奮に血走った目で反論する長孫覇だが、白涼はその近くまで馬を進めると落ち着いた声音で、そうだ、と答えた。
「今でこそお前たちの力で有利に運んでいるが、今はまだ二万対三千ということを忘れるな」
ぐっ、と言葉を詰まらせる長孫覇。そして兵のほうへ振り返ると、前進の命令を出しつつ再び軍の先頭に立つのであった。
その後はおおむね慕容循の予定通りにことが運んだ。馬銀軍が完全に分断された後、右翼に対し丘から駆け下り姫桃花隊が突進。反転してきた白涼直属三千との挟み撃ちの形となり、右翼を壊滅させた。しかし馬銀も、被害のなかった左翼端の部隊を大きく回りこませて姫隊の背後をつき、幾ばくかの犠牲を出させたのだった。
「手柄たてそこねた」
その夜、官軍陣地ではささやかに最初の戦勝を祝う形で酒が振舞われていた。軍幹部は中央幕舎に集まって、軽い宴のような形になっていたが、そんな中で不貞腐れたように桃花が言う。
「あの禿今度見たら絶対許さないんだから!」
桃花が言っているのは、賊軍右翼を指揮していた禿頭の副官のことである。殲滅できるかと思っていたところをのらりくらりとかわし続け、時間をかけてしまったところに迂回してきた馬銀軍の一撃を食らったのだった。まあまあ、と慕容循が桃花の杯に酒を注ぐ。
「それでも姫校尉は七千を十分指揮できていたそうですね。立派ですよ」
「うー」
それでも自分に納得のいかない桃花である。その様子を見て白涼も声をかける。
「あの状態から先鋒ではなく後詰の背後を狙った馬銀の動きを読めなかった私の責任だ、許せ」
「叔父…将軍がそういうなら」
ぐい、と杯を干す桃花。酒豪の多い血筋であり、桃花も酒には強い。
「もういっぱい」
杯をずい、と差し出す桃花に、笑いながら慕容循が酒を注いだ。慕容循は、席に戻りながら空席となっている長孫覇の席を見やった。はじめの一杯は共にしたものの、すぐに部下たちの様子を見てくると言って出て行ったのだ。
「長孫校尉も不満顔だったな」
慕容循の視線に気付いた白涼が言う。
「ですが、よく堪えてくれました。足を止めての包囲戦を抜け出す形となってしまっては、被害を出す一方になるところですから」
予想より馬銀は冷静だったようですし、と付け加える慕容循。白涼も頷き、遠めに馬銀を見た感想を伝える。
「泰然としていたな。前もって調べていたような、押さえつけてくるものには逆らわずにはいられないという風ではなかった」
「経験を重ねて、抑えることができるようになったのかもしれません」
これは偵察兵を束ねる校尉の曹弁の言だ。馬銀のひととなりまで探れたらよかったのですが、と付け加えるが、流石にそれが難しいことであるのは分かっている皆からは責める言葉はなかった。
「それよりも、相手が明日も野戦を行うつもりなのか、城に篭るのか、それとも山塞へ引くか。しっかり偵察を頼むぞ」
白涼の言葉に、分かりましたと頷く曹弁。慕容循も、頼りにしていますと曹弁へ声をかけるのだった。




