第九話 グレンとエルナ
朝は、静かに始まった。
昨夜の出来事が嘘のように、村には穏やかな空気が戻っている。
けれど、それは“嵐の前の静けさ”に過ぎないと、誰もがどこかで理解していた。
テーブルには、エルナの用意した朝食が並ぶ。
焼きたてのパン。
温かいスープ。
少しだけ塩気の効いた肉。
「たくさん食べなさいね」
柔らかい、母親のような温かい声。
「……はい」
みるくは小さく頷く。
その仕草は、どこか年相応の少女のものであり、エルナの本当の子どものようでもあった。
けれど、その内側には、確かに“それ以上の時間”を生きてきた感覚が残っている。
(……不思議だな)
パンをちぎりながら、思う。
(体は違うのに……心は、ちゃんと覚えてる)
仕事に追われていた日々。
人に気を使い続けた時間。
報われなかった努力。
全部、消えたわけじゃない。
(だから、今度は……)
そっと顔を上げる。
グレンとエルナが、当たり前のようにそこにいる。
ラテは、足元でパンくずを狙っている。
(……やり直しの人生を大事にしたい)
そう思えた。
⸻
「……本当に行くのか?」
食後、グレンが静かに口を開いた。
みるくは、少しだけ迷ってから頷く。
「はい」
視線は、村の北へ。
魔物の巣窟がある方向。
「あのままじゃ……また誰かが」
言い切る前に、言葉が止まる。
怖くないわけじゃない。
むしろ、怖い。
でも、誰かが行動しないと、この村の犠牲の連鎖は断ち切れない。
「放っておけないです」
その声は、小さいけれど、確かだった。
前の人生ではいつも一歩引いて従うだけだった。
だから……社畜として流れに任せて生きるだけだった。
でも、今度の人生は変えてみたい。
もっと、勇気を持って自分の殻を打ち破りたい。
グレンは、腕組みして思案していた。
そして、少しだけ目を細めて言った。
「……無茶だ、巣窟はこの前来た魔物とはレベルが違う」
「分かってます」
「村人は怯えて戦えない」
「……ラテと二人で戦います」
それでも、みるくは引かなかった。
その様子を見て、エルナがふっと微笑む。
「ほんと、似てるわね」
「……え?」
「昔の、あの方に」
それ以上は言わなかった。
でも、その言葉には、どこか特別な響きがあった。
「どうしても行くのね……」
エルナはグレンの顔を見た。
グレンは黙って頷く。
「せめて……私たちも一緒に行くわ」
⸻
食事の後、身支度を整えて村を出る事にした。
三人と一匹は北を目指す。
ラテは、先頭をちょこちょこと歩く。
(……今回は、間違えないからね)
小さく決意。
前回の“早合点”は、さすがに反省している。
(みんなの事は、ぼくが守ってあげるよ)
その横で、みるくの視界が、わずかに揺れていた。
(……あれ?)
木々の隙間。
風の流れ。
葉の揺れ。
それらが、何故か先に分かる。
(あっ!隠れてる……)
「……止まって」
思わず、声が出た。
グレンが足を止める。
「どうした?」
「……います」
次の瞬間。
草むらを裂いて、みるくの前に魔物が飛び出してきた。
エルナが息を呑み必死に叫ぶ。
「みるくちゃん、逃げて!!」
だが、みるくはすでに動いていた。
さっと右に移動した直後。
魔物の爪が、さっきまでいた場所をえぐった。
「……今のは?……動きが見えるのか?」
グレンが息を飲む。
それは、武の心得ある者が攻撃をよけるのとは次元が違っていた。
みるくには、魔物がどう動くかが先読みできて、それを避けるべく動いているだけだった。
みるく自身も、驚いていた。
(……なんで……私、分かるの……?)
考える余裕はない。
次が来る。
「ラテ!」
「きゅん」
小さな返事。
その瞬間、魔物が弾き飛ばされていた。
ラテは、あくびをする。
(下っ端だね)
何事もなかったように歩き出す。
だが、しばらく進むと、空気が変わった。
重く淀んでいる。
「……ここか」
グレンが呟く。
目の前には洞窟があり、誘うように口を大きく開けていた。
その前に、門番のように、魔物が立っていた。
さっきよりも、大きく強そうだ。
「……どうする」
グレンが身を隠しながら声を落として言う。
相手の戦力は不明。
危険は犯したくない。
正面突破は避けたい。
そのとき。
みるくの視界が、また揺れた。
(……見える)
魔物の呼吸。
筋肉の動き。
「……次、右向きます」
「は?」
「そのあと、前に動きます」
言いながら、自分でも驚いている。
でも、分かる。
「左から通っても気付かないはずです」
グレンとエルナが顔を見合わせる。
賭けだ。
だが――
「……乗るか」
グレンが決めた。
そして、魔物が動く。
本当に右を向いた。
「今!」
走る。
左側へ。
次の瞬間、魔物が前に踏み出した。
みるくたちは、その横をすり抜けていた。
「……通れた……」
エルナが呟く。
信じられないという顔。
みるくも、息を切らしながら立ち止まる。
(……私……)
怖い。
でも。
どこかで分かっている。
(これ……能力……?)
ラテが、ちらっと見上げる。
(いいね、それ)
小さくしっぽを振る。
⸻
洞窟の中は、暗かった。
湿った空気。
奥から漂う、濃い“気配”。
「……ここに、あいつがいる」
グレンが低く言う。
その声には、確信があった。
みるくが振り返る。
「……あいつ?何か知っているんですか?」
一瞬の沈黙。
そして。
エルナが、静かに口を開いた。
「……隠しても仕方ないわね」
その声は、これまでとは少し違っていた。
柔らかさの中に、芯がある。
「私たち、ただの村人じゃないの」
「……え?」
「王宮に仕えていたの」
みるくの目が見開かれる。
「それも……そこそこ偉い立場でな」
グレンが苦笑する。
「文官だ。戦う力はないが……情報は持ってる」
そして。
二人は、視線を交わした。
「この村に来たのも、理由があるの」
「……理由?」
エルナが、静かに続ける。
「ある人を、守るため」
洞窟の奥から、低い唸り声が響く。
空気が、張り詰める。
「その人は……」
わずかな間。
そして――
「この村の村長よ」
みるくの呼吸が止まる。
「……え……?」
「正確には――」
グレンが言葉を引き取る。
「第三王妃だ」
洞窟の奥で、何かが蠢いた。




