第十話 洞窟前線と転職陣
洞窟の奥から響く、低い唸り声。
それは、今までの相手とは比べ物にならない大物の気配であり、この場にいる全員の背筋を、無言でなぞるような圧を持っていた。
けれど、まずは目の前だ。
岩陰の向こうで、何かが動いた。
ぬらり、と。
地面を擦るような音。
「……来るぞ」
グレンは小声で囁く。
直後に影が跳ねた。
四足の小動物?
だが、その関節は逆向きに折れ曲がり、筋肉は不自然に膨張している。
口は裂け、牙が外へと剥き出しになっていた。
門番とは別種の魔物。
速い。
「っ!」
エルナが一歩後退りする。
みるくの心臓が跳ねる。
(……速い……!)
でも。
視界が、また揺れた。
魔物の軌道。
踏み込み。
着地点。
(……分かる)
「左に!避けて!」
自分でも驚くほど自然に、声が出た。
その瞬間、全員が動く。
直後。
魔物が、さっきまでいた場所を噛み砕いた。
岩が砕け、破片が飛び散る。
「……おいおい、破壊力ありすぎだろ」
グレンが息を呑む。
「今の……見えてたのか?」
「……はい……たぶん……」
本人が一番信じていない顔だった。
だが、現実は明確だ。
避けれる。
しかも、余裕を持って。
「ラテ!」
「きゅん」
小さな返事。
次の瞬間、ラテの姿が消えた。
――ドンッ!!
鈍い音。
魔物の体が、横へと吹き飛ぶ。
岩壁に叩きつけられ、ひびが走る。
ラテは、着地して小さく首をかしげる。
(さっきよりはちょっと強いね)
しっぽが、ふわりと揺れる。
そのとき。
魔物が、立ち上がった。
骨が軋む音を響かせながら再生する。
「……しぶといな」
グレンが顔をしかめる。
「普通の魔物じゃない」
エルナも頷く。
「巣窟に近いほど、あいつの影響を受けるのね……」
ラテは、じっと見つめる。
(ちょっとだけ、面倒かも)
ほんの少しだけ、考える。
その隙に魔物が消えた。
「っ!?」
次の瞬間、みるくの背後に現れる。
(後ろ!!来る!)
「しゃがんで!」
エルナが叫ぶ前に、自分でしゃがむ。
同時に、ラテが動く。
――バチンッ!!
空気が弾けた。
見えない何かが、魔物の進行を止めていた。
そのまま。
ぎり、と押し返す。
(……危ないなぁ、もう)
ラテが、ほんの少しだけ目を細める。
(みるくに当たったらダメでしょ)
次の瞬間。
魔物の体が、ぐしゃりと押し潰された。
――が。
まだ、動く。
「……え、まだ生きてるの……?」
みるくの声が震える。
(あ、やっぱり)
ラテは、小さくため息をついた。
(手加減するとダメなやつだ)
そのときだった。
「グレン、あれ!」
エルナが指さす。
洞窟の壁。
苔のように見えたそれが、淡く光っていた。
「……魔法陣?」
グレンが眉をひそめる。
古い。
だが、強い魔力を放っていた。
「転職陣……?」
エルナが呟く。
「こんなところに……?」
みるくが振り返る。
「転職……?」
「本来は、王都の神殿にしかないはずのものよ……これがあいつの目的だったのね……」
エルナの声は、明らかに驚いていた。
だが、その瞬間。
魔物が、再び動く。
「来るぞ!」
グレンが叫ぶ。
だが――
次の瞬間、足を滑らせた。
「うおっ!?」
見事に転ぶ。
しかも顔面から。
「グレン!?」
「だ、大丈夫だ……!」
起き上がろうとして、また滑る。
完全にコントだった。
緊張感が、一瞬だけ崩れる。
(……あの人、たまにドジだよね)
ラテが、ちょっとだけ呆れる。
だが、その予期せぬ動きが、魔物を戸惑わせて、逆に時間を生んだ。
みるくの視界が、再び揺れる。
(……今)
魔物の動き。
再生の癖。
わずかな“止まり”。
「ラテ、右!」
「きゅん」
ラテが跳ぶ。
魔物の側面へ。
その瞬間。
みるくの中で、何かが“繋がった”。
(……ここ)
「そこ、止まる!」
ラテが、ぴたりと動きを合わせる。
――ギンッ!!
空間が、硬質な音を立てた。
見えない力が、魔物の“核”を捕らえる。
(見えた)
(そこが、中心)
ラテが、ほんの少しだけ笑う。
(いいね、みるく)
――パキン。
今度こそ。
魔物の体が、崩れた。
再生する間もなく、完全に沈黙した。
「……はぁ……」
みるくが、その場にへたり込む。
手が震えている。
「……怖かった……」
素直な言葉。
でも、その目は、逃げていなかった。
グレンが立ち上がる。
少し土まみれになりながら。
「……今の連携」
ラテを見る。
次に、みるくを見る。
「息ぴったりだったな」
エルナも頷く。
「みるくちゃんの“予測”と、ラテちゃんの力が噛み合ってる」
みるくは、戸惑いながらラテを見る。
「……ラテ、すごいね」
「きゅん」
(まあね)
ドヤ顔っぽい仕草。
でも次の瞬間、ぺろっと舌を出す。
しっぽが、ちょっとだけ控えめに揺れる。
洞窟の奥。
“あいつ”の気配は、さらに濃くなっていた。
グレンが、静かに言う。
「……ここから先が本番だ」
エルナも、頷く。
そして、ちらりと壁の魔法陣を見る。
「……あれ、使えたら」
言いかけて、やめる。
でも、可能性はある。
みるくが、立ち上がる。
足は震えている。
それでも。
「……行きましょう」
一歩、踏み出す。
その背中は、昨日よりも確かに強かった。
ラテが、その隣に並ぶ。
(うん)
(今回は、間違えずに、みんな守るからね)
小さな守護者は、静かに牙を研ぐ。
その奥で待つ“あいつ”へ向けて。




