第十一話 選択と祈りの先に
洞窟の奥へと、足を踏み入れると、湿り気の中に混じる肌にまとわりつくような圧が、じわりと神経を侵してくる。
「……近いな」
グレンが小さく呟いた。
その声は、わずかに緊張を帯びている。
これまでの魔物とは違う。
あいつに近づいている証。
みるくは、無意識にラテの背中を追っていた。
小さな可愛い体。
でも、頼りになる背中。
(……大丈夫)
自分に言い聞かせる。
そのときだった。
――ザッ!!
(来る!)
「右――!」
叫ぶより早く、影が裂けるように飛び出した。
今までの魔物とは、明らかに違う。
速い。
そして、迷いがない。
一直線に、グレンへ。
「っ!」
避けきれない。
ほんの一瞬、みるくの叫ぶのが遅かった。
――ズンッ!!
鈍い音が響き、グレンの体が勢いよく後方へと吹き飛び、魔物は再び闇へと消えた。
「グレン!!」
激しく岩壁に叩きつけられ、首が大きく揺れて、そのまま地面に崩れ落ちる。
「……っ、が……」
胸元が、深く裂かれていた。
血が大きく噴き出し止まらない。
明らかに致命傷だった。
「嘘……でしょ……」
エルナの手が震える。
駆け寄り、必死に傷口を抑えて血を止めようとする。
「グレン、しっかりして……!」
血はどんどん広がり、止血するエルナの顔と手は血だらけとなった。
グレンの反応が薄くなる。
命の灯が今にも消えそうだった。
(……まずいよ)
ラテの目が、わずかに細くなる。
(……このままじゃ死んじゃうよ)
だが、今のラテには癒す術はない。
みるくも同じだった。
「……どうしよう……」
声が震える。
分かっている。
どうにもできないことがあることは。
それでも、見捨てるなんてできない。
エルナは、唇を噛んだ。
(……ダメ)
(このままじゃ……グレンが)
分かっている。
知識としても、経験としても。
これは助からない傷だと。
今の自分では何もできない。
(……いや)
脳裏に、さっきの光景がよぎる。
あの、魔法陣。
転職陣。
(あれなら……)
可能性はある。
だが同時に、危険も分かる。
あんな場所にあるものが、まともなはずがない。
罠かもしれない。
(それでも)
視線を落とす。
グレンの顔を見つめる。
穏やかで、優しくて、ずっと隣にいてくれた人。
(……失いたくない)
答えは、もう出ていた。
「……ごめんね」
ぽつりと呟く。
誰に向けた言葉かも分からないまま、エルナは立ち上がった。
「みるくちゃん」
「……え?」
「少しだけ、任せていい?」
その目は、決意で満ちていた。
みるくは、強く頷きエルナと止血を代わった。
「はい!」
ラテも、小さく一声。
「きゅん」
(行って)
エルナは、振り返らずに走り出した。
洞窟を駆ける。
息が荒く足がもつれて何度も倒れる。
それでも、倒れていられない。
何度も立ち上がり、血だらけの身体でひたすら走る。
(間に合って……!)
やがて、あの場所へ辿り着く。
壁に刻まれた、淡く光る魔法陣。
静かに脈打つそれは、生きているかのようだった。
近づくだけで、大気が震える圧倒的な魔力。
(……これが)
いざ目の前にすると足がすくむ。
(怖い)
本能が拒絶する。
これは人の手に余るものだと、理解している。
(それでも)
エルナは、一歩踏み出した。
「……お願い」
祈るように魔法陣の中心へと、足を踏み入れた。
瞬間、光が弾けた。
視界が白に染まる。
音が消える。
重力が、消える。
自分という存在が、ほどけていく感覚。
過去が、流れ込む。
記憶が、巡る。
選択肢が脳裏に示される。
『今のお主の選べる職業は四つだ』
真っ白な視界の中で、重厚な誰かの声が頭の中に響いた。
戦士。
魔術師。
盗賊。
賢者。
その中で。
エルナの意識は、ただ一つを求めた。
(救いたい)
(守りたい)
(あの人を――)
その願いに応えるように、光が形を変える。
柔らかく、温かい光。
包み込むような力。
気づけば、エルナは転職陣の外に立っていた。
洞窟は静かだった。
だが、自分が自分でない違和感がした。
纏う衣服が変わっていた。
淡い白と金のローブ。
手には、光を宿す紋様。
体の奥に、確かな“力”がある。
「……これ……」
分かる。
使い方が、分かる。
「……いける」
迷いはなかった。
エルナは、再び駆け出した。
⸻
「……っ、ラテ……」
みるくの声が震える。
グレンの呼吸は、さらに浅くなっていた。
今にも、止まりそうなほどに。
(……間に合わない)
ラテの判断も同じだった。
そのとき。
「待たせたわ」
振り返る。
「……エルナさん……?」
だが、先程までと雰囲気が違う。
「少しだけ……力を借りたの」
そして、グレンのもとへ膝をつく。
手をかざす。
目を閉じる。
「――癒しの光よ」
言葉と同時に、柔らかな光が溢れた。
温かい優しい光。
傷口に触れた瞬間、傷口が閉じていく。
血が止まり、呼吸が戻る。
「……っ……は……」
グレンの胸が、大きく上下した。
息を吸う。
確かな呼吸。
「……エルナ……?」
目が開く。
「……よかった……」
エルナの頬を、涙が伝う。
その手は、まだ光を帯びていた。
みるくは、ただ見つめていた。
「……すごい……」
それしか言えなかった。
ラテも、静かに目を細める。
(……やるね)
小さく、しっぽを振る。
(これで、守れるね)
だが。
その安堵を、切り裂くように、洞窟の奥から重い音が響いた。
――ゴン。
空気が、震える。
回復したばかりのグレンが、ゆっくりと起き上がる。
「……どうやら」
視線は、奥へ。
「本当に、本番だな」
エルナが頷く。
みるくも、ラテも。
それぞれの決意を胸に。
三人と一匹は、再び前を向いた。
次に待つのは、この巣窟の“核”。
そして、村の元凶そのものだった。




