第十二話 理由
洞窟の奥は、異様な静けさに包まれていた。
水滴の音すら、どこか遠い。
ただ空気だけが、重い。
濃く、粘りつくような気配を感じた。
「……あいつだな」
グレンが小さく呟く。
その声には、先ほどまでとは違う緊張があった。
みるくは、無意識にラテの背中を追う。
ラテは、いつも通りの小さな足取りで進んでいる。
(……あ、これ)
ほんの少しだけ、目が細くなる。
(ちょっとだけ、やばいかも)
軽い調子の中に、確かな警戒が混じっていた。
やがて、空間が開けた。
ついに洞窟の最奥に着いた。
そこには、不自然な広間があった。
そして、中央に何かが立っていた。
「……来たか」
ひどく掠れた声だった。
人の言葉を話すが、その姿は人ではなかった。
腕は異様に長く、皮膚はまだらに変色し、ところどころが異形の肉へと変質している。
顔はかろうじて人の形を保っているが、片目は濁り、もう片方は獣のように光っていた。
その背後には、壁一面に広がる巨大な転職陣があった。
血で塗り潰された、歪んだ紋様。
エルナが踏み込んだ転職陣とは規模と魔力の大きさが全く違っていた。
「何コレ……さっきの転職陣とは比べ物にならない」
エルナが息を呑む。
その目が、大きく見開かれた。
目の前の魔物を改めてじっと見る。
額に見覚えのある大きな傷があった。
「……そんな……」
震える声。
「……レヴァンなの……?」
その名に、グレンの顔色が変わる。
「……やっぱり、お前か……!」
魔物はゆっくりと笑った。
ぐちゃり、と歪む口元。
「久しぶりだな、グレン、エルナ」
かつての面影は全く無かった。声も変わり、額の傷だけが唯一の判断材料だった。
「……随分と、変わったな」
グレンの言葉に、レヴァンは肩を揺らして笑う。
「進化だよ、人は、あまりにも弱いからな」
そう言って少し身体を動かすだけで、肉が軋む音が響いた。
「だから私は考えた。なぜ魔物は強いのか」
「……やめろ」
グレンがうんざりして言う。
だが、レヴァンの口は止まらない。
「人が強くなる答えは単純だった……魔物を取り込めばいい」
レヴァンは、自分の腕を見下ろす。
異形の肉。
「魔物の力があれば、人は神にだってなれる」
「まだそんな事を言っているの……だから王様に」
エルナが呟く。
「王は愚かだった」
声が、わずかに歪んだ。
「恐れたのだよ。自分を凌駕する力を人々が得ることを」
「だから、研究は封印され、私は捨てられた」
その言葉には憎悪が滲んでいた。
「……追放されたあとも、研究を続けたの?」
レヴァンは頷く。
「もちろんだとも」
そして、背後の転職陣に手をかざす。
「ここで、答えを見つけた」
血の紋様が、どろりと蠢く。
みるくの背筋に、寒気が走る。
(……怨念の気配があそこに渦巻いてる……)
「ここの転職陣は王都のそれとは全く違う。最初は、何も起きなかった」
淡々と語る。
「だが気づいたのさ。転職には対価が必要だとな」
足元に乾いた血の跡がおぞましく残っていた。
「必要なものは、血だ!」
興奮して言い切る。
「多ければ多いほどいい」
にやり、と笑う。
「死にかけの血が最高の媒介になる」
エルナの顔が、強張る。
「……まさか」
震える声。
「村の女の子たちを……」
「使ったさ」
あっさりと、肯定した。
「若い女は生命力が高いからな」
自分の体を、見せつけるように広げる。
「結果、ここまで進化できた」
「……狂ってる」
グレンが吐き捨てるように言う。
「分からないか?」
レヴァンは首を傾げる。
「必要な犠牲だよ」
その目が、ゆっくりとみるくへ向く。
「……なるほど」
興味深そうに眼を細める。
「最高の生贄を連れてきてくれたじゃないか」
「その娘」
指を向ける。
「若く、生命力が高い。そして――」
にやり、と笑う。
「特別な力を持っているな?」
みるくの心臓の鼓動が激しくなる。
(……狙われてる?)
ラテが、みるくを庇うように一歩前に出た。
「きゅん」
小さな声。
でも、その場の空気が変わる。
(みるくは渡さないよ)
レヴァンの視線が、ラテへ移る。
「……犬?」
一瞬の沈黙。
次の瞬間。
「ははははははっ!」
洞窟に、笑い声が響く。
「面白い。実に面白い」
だが、その笑いはすぐに止まる。
腕が、ゆっくりと持ち上がる。
「どれほどのものか、試されてもらおう」
一瞬でレヴァンは視界から消えた。
(来る!!)
「左――!」
みるくが叫ぶ。
同時に、全員が動く。
――ドゴォッ!!
地面が、抉れた。
直撃していれば、即死。
「……速すぎるだろ……!」
グレンが息を呑む。
ラテの目が、すっと細くなる。
(……強いね)
(ちょっと楽しくなってきた)
しっぽが、ふわりと揺れた。
みるくは、呼吸を整える。
怖い。
でも、逃げない。
(……見える……大丈夫!)
ラテは前に出た。
洞窟の最奥で、本当の戦いが、幕を開けた。




