第五話 震える勇気
ぼくの名前は、ラテ。
チワワで、みるくの唯一の家族。
そして、みるくを幸せにするために存在している。
みるくは、やさしい。
やさしすぎるくらいに、やさしい。
だから利用される。
さっきの女性たちみたいに。
笑って、近づいてきて、やさしい言葉を使って、気づかないうちに、奪おうとする。
(……ああいうの、いっぱい見てきたよ)
世界がどうとか、時代がどうとか、関係ない。
やさしい人が損をする構造は、どこにでもある。
だから、ぼくがいる。
⸻
村長の家の中は、静かだった。
木の香りと、薄い灯り。
外の風の音。
みるくは、湯気の立つお茶を両手で包みながら、小さく息をついている。
少しだけ、安心した顔。
それを壊したくない。
ぼくは床に座ったまま、ゆっくりと鼻を動かす。
においを探る。
人のにおい。
恐怖のにおい。
そして――
(……まだあるね)
消えきっていない“黒いにおい”。
さっき倒れた二人とは別。
もっと粗くて、隠す気もない悪意。
静寂を破るように、外から、乱暴な足音。
次いで――
「おい!! いるんだろう!!」
怒鳴り声。
空気が、一瞬で変わる。
みるくの肩が、小さく震えた。
扉が乱暴に開かれ、入ってきたのは、三人の男たちだった。
粗末な鎧に、剥き出しの敵意。
「約束が違うじゃねぇか、村長」
苛立った声。
「女を渡すって話だったろうが」
みるくの視線が、ゆっくりと村長へ向く。
ぼくも、同じ方向を見る。
「なんでこの二人は逃がそうとしてたんだ!」
そう言って、扉の前で倒れている夫婦を示した。
村長は、一瞬だけ言葉に詰まった。
(あれ?その二人は何か企んでたんじゃないの?)
「……その話は、もうやめました」
村長が、静かに言った。
男の眉が、ぴくりと動く。
「はぁ?」
「この人は、関係のない人です。巻き込むべきではありません」
言葉は落ち着いている。
でも、その手は、わずかに震えていた。
恐れている。
みるくが、戸惑った声を出す。
「……どういう、ことですか……?」
誰もすぐには答えなかった。
空気が重い。
沈黙を破ったのは村長だった。
「……話すわ」
覚悟を決めた声だった。
「この村の北には、魔物の巣があるの」
みるくの瞳が揺れる。
「定期的に、村に降りてきて、若い娘を攫っていくの」
息を呑む音。
「抵抗したわ。何度も。だけど……無理だった」
村人の一人が、拳を握る。
「だから……あるときから、差し出すようになったの」
静かに、残酷な言葉が落ちる。
「一人、差し出せば……しばらくは襲われない」
みるくの呼吸が、止まる。
「そんな……」
「最低だと思うよね?」
村長が、真っ直ぐにみるくを見る。
「え……」
「思ってよ。それが正しいから」
でも、と続ける。
「この村の人々を守るためには、それしかなかった」
その言葉に、誰も反論しなかった。
できなかった。
「……だから、私を……?」
みるくの声は、小さかった。
責めるでもなく、ただ確認するような声音。
村長は目を伏せた。
「……最初は、そのつもりだった」
はっきりと、認めた。
「外から来た、身寄りのない人。いなくなっても問題にならない」
自分たちの村が優先。
村民を守る為の、その言葉は正しいのかもしれない。
だからこその葛藤。
「でも」
村長は、もう一度みるくを見る。
「あなたの顔を見て……やめた」
その声は、かすかに震えていた。
「あなた、まだ若いのに、きっと……人の犠牲になってばかりだったでしょ」
みるくは驚いて村長の顔を見た。
(若くは……ないですけど……)
「分かるの……あなたは優しい目をしている。さっきの病人の世話の話をした時に分かったわ」
「そんな人を犠牲にしたら、この村は……もう終わってしまうと思った」
「人として、完全に」
重く、長い沈黙があった。
(……ああ)
ぼくは、少しだけ思う。
(この村長は、完全な悪じゃないんだね)
だから厄介だ。
だから、救う必要がある。
みるくが、一歩前に出た。
震えている。
でも、勇気を振り絞っている。
「……その人」
ぽつりと、呟く。
「右足……大丈夫ですか?」
「は?」
男が顔をしかめる。
みるくの目は、まっすぐだった。
「さっき、裏で転んだときに……強く打ってるはずです」
空気が変わる。
ざわ、と揺れる。
「だから、私に近づくと、転びます」
男が、苛立ったように踏み出す。
一歩。
二歩。
そして三歩目で、派手に転んだ。
「なっ――!?」
みるくは、怖いはずなのに続ける。
「あと……」
視線が別の男に向く。
「あなたは、左に注意したほうがいいです」
男が、咄嗟に構える。
次の瞬間、背後で誰かが動き、男の左からぶつかった。
体勢が崩れて床に倒れ込む。
男たちは、顔を引きつらせた。
「……なんだ、こいつ……」
理解できないものへの恐怖が全身を支配する。
「……くそっ!」
男たちは捨て台詞を吐いて、逃げ出していった。
「……え……?」
みるくが、自分の手を見る。
「……なに、いまの……」
自分のした事が理解できていない。
ぼくは、そっと近づく。
「きゅん」
みるくが、はっとしてぼくを見る。
「……ラテ……」
その顔が、少しだけ安心する。
(うん、みるくも何かの能力をもらったんだね)
やさしい人が、損をする世界。
でも、その“やさしさ”が、最適解になるなら。
(みるくは、もう負けない)
だって……みるくは、震えながらも一歩前に踏み出す事ができたから。
ぼくは、その隣で全力で守るよ。
それが、ぼくの、しあわせのつくり方だから。




