第15話 せっかくのリンゴが苦くなるから難しい話はやめませんか
泥棒に失敗してから一週間。ダリル殿下は一層忙しくしていらっしゃるようです。部下らしき方々がしょっちゅう屋敷を出入りするし、ご本人も頻繁にお出掛けしているみたい。
一方で私のことは危ないからと言って一切お外に出してくれなくなりました。まぁ私としてもダリル殿下の意見に同意せざるを得ませんけど。
メダルを持たないダリル殿下より私の身のほうが危険という可能性までありますし。それに第四皇子の件を鑑みてもネイト殿下は目的のためなら割と手段を選ばないように思いますから。
たまに屋敷内でお会いするととっても疲れた顔をしてて心配です。特に「ウサギ吸いたい」と謎の言葉を残してフラフラと通り過ぎていくところが本当に心配です。部下の人や従者にお医者様をお呼びしたほうがいいと言うと、「じゃあ」とばかりにお菓子を持って彼の部屋を訪問させられるのがさらに謎。
というわけで、今日もクッキーを片手にダリル殿下のお部屋へやって来たわけです。
「殿下……?」
「ミミル! あーちっとそのへん座ってて」
「あ、いえ、お忙しいなら出直します」
「忙しくない出直さなくていいそこにいて!」
顔を上げることもこちらを見ることもないまま机に向かって頭を抱えている様は、決して忙しくないようには見えないのですけれども。
まぁ本人がそう言うならと、クッキーをテーブルに置いてソファーへ。
目の前には窓があって、私の場所からは木のてっぺんと空だけが見えます。風に煽られる緑はとても綺麗でちょっとだけ美味しそう。空の高いところを小鳥の群れが飛んでいます。なんて平和なひと時だろうと思うのだけど、でもその平和が脅かされつつあるんですよね。
か弱いバニール族だけで構成された我がイスター王国が、なぜ他国から侵略されずにいるのかというと……それは地の利に他なりません。
イスター王国は「命の源」という大層な別名を持つ大きな森を国土に抱えているのですが、その森から流れる二つの大河がさらに分岐して周辺諸国へと流れ込んでいます。生きるのに必要な水資源をイスター王国が握っている。それは弱者に与えられた神の加護であり、結果的に各国が牽制し合いながらイスター王国を守るという絶妙なバランスが生まれました。
帝国がバニール族を誘拐し奴隷として扱っている事実が明らかにされれば、イスター王国は制裁を加えざるを得ないわけです。でも帝国が弱って喜ぶのはラガリア共和国であり。
「はぁぁあああ」
「でかいため息だな!」
ダリル殿下が腰を上げ、私の対面へと移動していらっしゃいました。う、やっぱり目の下のクマがひどい。
「世界平和とはかくも実現が難しいものかと考えていたところです」
「なにその永遠の命題みたいな」
部屋の隅に控えていた従者が私と殿下にお茶を淹れてくれます。殿下は私の持って来たクッキーに手を伸ばし、匂いを嗅いでから口に入れました。
「リンゴのクッキーだと聞きましたが」
「だね、角切りリンゴが入ってた」
以前、私の好物がリンゴだと言ってからこの屋敷ではリンゴ尽くしで私を誘惑するんですよね。お屋敷に引きこもっていることもあって体重も増えたような気がします。
でも美味しいから食べちゃうんですけども。私も一枚とって齧りましたら、ソフトクッキーでしたー甘いー美味しいー!
「本来、ミミルは世界平和がどうのと考える立場じゃなかった」
「んん?」
「ガキのために学校作る、それがミミルの夢だろ。それは平和であることが前提の夢だ」
「おっしゃる通りですね」
ダリル殿下が言おうとしていることがわからなくて、食べるのを中断しました。美味しいもの食べてるとそっちに集中しちゃうので。
「いま、アンタを国に帰すための経路と人員を捻出するように掛け合ってる。人身売買や誘拐について今すぐには叩けないから、ミミルのことも大々的に国を挙げて送り届けるってのが難しいんだ」
「え……帰れって言ってます?」
「帰りたいんだろ?」
「まぁ……。でも、メダルの件も終わってないのに。確かに私は泥棒ひとつできませんでしたし、今だって何ができるってわけじゃないですけど」
でも、できることがあるならなんだってしたいと思ってるんです。
それはバニール族を守ることにもつながるだろうし、なにより、ダリル殿下をお手伝いしたい。
「ネイトがミミルを欲しがってる以上、この国にいるべきじゃない」
「でも殿下が彼をどうにかしてくれるって!」
「するよ。するけど、ミミルを守りながら戦えるほど簡単な相手じゃない」
いつも雑で乱暴な物言いをする殿下にしては珍しいと思えるほど優しい声でした。けれど優しい声なのに言葉に含まれた彼の意志は固くて、突き放されたような気分にさせられます。
もちろん、私のために言ってくれてるんだってことは頭では理解できるのですけど。偉そうな顔で乱暴に「取り返して来い」と言ってた彼が恋しくなるくらい、柔らかな笑みを浮かべる目の前の殿下が遠く感じられて。
「そんな顔すんなよ」
ダリル殿下が困ったように眉を下げたとき、ノックとともに彼の部下が部屋へ入って来ました。小声で二言三言の言葉を交わすとすぐに出て行きましたが、殿下は似合わない大人びた笑顔でこちらに向き直りました。
「ミミルを帰す目途がついた。出発は明後日。その日ならネイトはラガリア共和国からの視察を歓待する役目があるし、夜会もあるから一日動けないはずだ」
「なんでそんな勝手に!」
「そもそもアンタは被害者で、俺に協力する義務はない。一方俺はアンタを無事に国に帰す責任がある。それだけのことだろ」
私の足は怒りを表現するべくタシンタシンと床を叩きました。けれど彼は何気ないふうを装って、それとも本当になんとも思っていないのか、クッキーに手を伸ばします。
触れようと思えば簡単に触れられる距離なのに、いえ、以前の彼は実際に私の手を強く握ったのに。そのごつごつして大きな手には、なんだかもう二度と触れられないような気がしたのでした。




