第16話 もしかしてこれが世に言う「うさぎ吸い」ですか
ダリル殿下に「帰れ」と言われてから二日が経過しまして。そうです、私は今日帰らされる予定なのです。荷物は昨夜のうちにメイドがまとめてしまいましたし、外では馬車を用意するような音が聞こえています。
もちろん話し合いをしようと努力はしました。でもそもそも彼はほとんどの時間を屋敷の外で過ごしていて、顔を合わせることさえできなかったんです。
かくなる上は。逃亡するしかありません!
だってあまりに一方的じゃないですか。私は国のため、そして彼のために命がけで倉庫に忍び込んだっていうのに、危ないから帰りなさいってどの口が言うのって感じです。
窓を開けて逃走経路を確保して……先ほど可愛いドレスを着付けてもらったばかりですが、転身してウサギの姿になります。
と、ちょうど扉を叩く音が室内に響きました。間一髪、私はベッドの下へ。
「ミミル様、馬車の用意が……あら、ミミル様?」
メイドさんが床に落ちたドレスを拾い上げました。
「え、これって……きゃーメイド長ーっ!」
ふふふ。作戦成功です。彼女が開け放していった扉からお外へ出ましょう。窓を開けたのはちょっとした目くらましであって、とてもじゃないですがそこから出るのは無理ですからね。
大騒ぎし始めた屋敷の中を、物陰から物陰へと渡り歩いて庭へと出ました。木の上は見つかってしまった過去があるので別の場所に隠れたいのですが、なかなかいい場所が思いつきません。本物のウサギではないので穴掘りスキルは持ってないですし……。虫とか出て来たら失神する自信があります。
などとキョロキョロしながら草陰を歩いていると、前方に物置小屋を発見。近づいてみれば好都合にも壁板が壊れて隙間があり、中に入ることができました。やったー。
中には使われなくなった家具などが所狭しと並べられています。質のいいものばかりで仕舞い込まれているのがもったいないくらいですね。埃避けの布をめくってソファーに飛び乗り、ごろごろしながら時間が過ぎるのを待つことにしましょう。
というのも、今日ならネイト殿下が動けないから襲われないはずって話でしたし、今日という日をどうにかできれば無理に帰されることはないと思うのです。怒られるかもしれないけど、少なくともちゃんと話す時間は作れるんじゃないかしらと。
耳を澄ませば屋敷の喧騒が聞こえてきます。上を下への大騒ぎとはこのこと。ちょっと罪悪感というか良心が痛むのですが、あとでたくさん謝ります。ごめんなさい。庭に人が出て来た気配もありますが、しっかり鍵までかかっているこの物置小屋にいるとは思わないみたいで誰もが素通りしていきますね。
ダリル殿下は早朝に出て行ったそうですが、いつ帰っていらっしゃるのかは知りません。私がいなくなったって報告を受けて、お仕事そっちのけで帰って来たら申し訳ないな。あとで存分に怒られます、ごめんなさい。
そんなふうに周囲の音に耳をそばだてているうち、いつの間にかうとうとと眠ってしまいました。
どれくらいの時間が経過したでしょうか、私の耳がダリル殿下の足音を察知しました。武人の歩き方と言うのでしょうか、言葉で説明するのは難しいけど確かに従者とは違う足音です。
逃げるべきか留まるべきかとモジモジしている間にも、彼の足音はこちらへ真っ直ぐ近づいて来ます。まるで、居場所がわかっているみたいに。
ほどなくしてガタガタと音をさせながら扉が開きました。慌てて埃避けの布の下へと潜り込みます。
「ミミル」
予想に反して優しい声。少しだけホッとしたけれど、出て行くわけにはいきません。馬車に放り込まれたらそれで終わりですもの。
「俺が悪かったよ。アンタの気持ちをないがしろにした……と思う」
予想外の言葉! 絶対叱られると思ったのに。
いえいえ、まだ油断はできません。なんちゃってーとか言って捕獲しそうな空気をお持ちですからね、ダリル殿下は……。
耳をくるっと回して声や足音からダリル殿下の位置を予測しつつ、次の言葉を待ちます。
「さっき、手紙を読んだ。親父さんに宛てたやつだ」
泥棒に入る前日に書いた遺書でしょうか。そういえば捨ててませんでした、やだ恥ずかしい!
彼は入り口のあたりから動かないまま、私に呼び掛け続けています。それはまるで神への懺悔のような響きを含んでいて、知らず知らず聞き入ってしまいました。
「俺さ、物心ついたときにはもう母上は病に臥せってて。見舞いに行くときには必ず母上が好きな花を摘んで持って行った」
え、可愛……。
「母上が亡くなってからも誕生日と命日にはその花を墓に備えることにしてたんだ。さすがにもう自分で摘むんじゃなくて、誰かに用意させたものだけどね。ある時、部屋に置いておいた花束がなくなってた」
静かな物置小屋の中に衣擦れの音が響きました。ダリル殿下がゆっくりとこちらへ近づいて来ます。私が丸くなっているソファーに彼が腰を下ろし、座面が斜めに沈みました。
「盗んだのはネイトだった。自分の母親にプレゼントしたらしい。そりゃあネイトはチビだったけど俺だってまだ子どもだったからさ、それが許せなくて叱ったんだ。でもさ、味方についてくれたのは兄上だけだった」
幼いネイト殿下の悪気のない行為ですしね。ネイト殿下の母君は現皇妃様ですから、周囲の大人たちも窘めるのは難しかったかもしれません。
だけど、それじゃダリル殿下の気持ちは……。
「それ以来、俺は大切な物は隠すことにしてるんだ。特にネイトの目に触れないようにね」
「ぶっ」
突然伸びて来た手が私の身体を抱き上げてしまいました。やっぱり居場所バレてた!
「アイツがミミルに執着してたなんて。やっぱり泥棒なんかさせるべきじゃなかったって後悔してさ、もう誰も手が届かない遠くにやろうと思ったんだよな」
「ぶぶっ」
――スー……はー。
ダリル殿下が私の首筋にお顔を埋めました。なに? 何してんの?
「でも、手紙読んでわかった。ミミルは帝国とイスター王国、両国のためにしっかり覚悟してたんだって。俺はその覚悟を軽んじてしまったわけだ」
――スー……はー。
待って、なに? もしかして吸ってる? 匂い嗅いでます?
最近よく「うさぎ吸いたい」って言ってたのって、つまりそういうこと?
「これからはちゃんとミミルの意見も尊重するから、いきなりいなくならないでくれ。生きた心地がしない」
首元で喋られるのすっごいくすぐったいんですけど!
彼の手から逃れようと手足をバタバタともがいているんですが、全然脱出できません。むしろ拘束が強くなる一方で。
「ダリル。イチャイチャはそのへんにして、そろそろいいかな?」
突然割って入った声はケネス殿下のものです。




