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これ以上ここにいることが無為だと感じ、冷たいフローリングを踏み付けるようにして踵を返す。廊下を歩き始めて母がぼくを呼び止めた瞬間、玄関からドアが開く音がした。
「ただいま」
疲れたような声が響く。現れた彼はぼくの姿を認めると、はたと足を止めた。
「……なんで、ここに姉貴がいるの」
ドアが閉まって、外からの光を遮断した。家の中はまたすぐに暗くなり、その中央で鳶色の瞳がすいと細まる。壁を穿つような、母親に似た目の動きだった。
ぼくは弟へと、にこりともせずに放つ。
「ちょっとした荷物を取りに来た」
学校からの帰りなのか、制服姿で重そうな鞄を持つ弟の夏樹はどこか不機嫌だった。今年は大学受験ということと関係しているのだろうか。ぼくは彼に声をかける。
「お疲れ」
弟はぼくのそばをすり抜けて行った。そこにぼくがいないみたいな避け方だった。
「帰ってよ」
ひんやりした声は、廊下にいるぼくを中心にして朗、と響く。
「家にオカマがいるなんて噂されたくないんだけど。それに家にいられると勉強の邪魔だし」
二階へ続く階段を登る音に、はっきりした声が交じる。ぼくは二の句が告げなくなった。母が弟の部屋に向かおうと、弟の後を追う。
「……うん。もう帰るよ」
一人残された廊下で、ぼくは誰に言うともなく呟いた。
ふらふらと、履いてきた靴に足を入れる。それから立ち上がる際、弟のばらばらに脱ぎ散らかされた靴を綺麗にそろえて、ドアを開けた。
解放されたような夏風が、ぼくのありとあらゆる隙間を吹き抜ける。
お見合いか……。
母が口にした言葉が蘇った瞬間、漠然とした、目に見えない不安が重くのしかかる。もしこれが目に見えてぼくの背中や足にまとわりついているのなら、ためらいもなく振り払えるのに。
どうしようどうしようと考えてみるが、胸に巣食う蟠りはいつまでも硬くしこったままだった。
仕方なくぼくは助けを求めるように、遠い記憶に想いを馳せるように、熱をあげ始める初夏の空を仰いだ。
晴れ渡る透き通った青天井の中をたった一つ、飛行機が飛んでいる。その後に続く跡形は、真っさらな空に白い線を残していく。
降り積もった雪に足跡をつけるみたいに、無垢な心を裂くように。
遠くから聞こえる飛行機の鋭い音と鈍い振動に揺さぶられながら、ぼくは空に描かれるそれを静かに見送った。




