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「そりゃあドンマイというヤツだなぁ」
目の前の好々爺は呵呵、と大口を開けて笑った。そうやって笑い飛ばされたことに恥ずかしさを覚え、ぼくは祖父から視線を外す。
「笑い事じゃないよ。ぼくにとってはね」
「分かってる。それでどうしようか迷っているんだろう?」
まだまだ若さを感じられる瞳がぼくを捉える。ありとあらゆる時代の流れを見てきたかのような、優しい目だ。
家を出た後、ぼくはそのまま祖父の家を訪れていた。理由は先ほど実家を訪れたのと同じである。
「しかし、シオンももう二十歳か。すっかり大人になったな。ついこの間まで周りをうろちょろしとったのに」
「なにをもってして大人になるかなんて分からないさ。結婚したら一人前の女なのか? そもそも――」
そこまで言って、ぼくは自分の肩を抱く。華奢で丸みのある身体だ。指先につい力が籠る。唇を噛んだ。じわりと血が滲むのが分かる。
「そもそもぼくは、女の子なんかじゃないのに……」
低く漏れた声に、祖父が意外そうに目を丸くした。
「でもな、お爺様。ぼくが抱える矛盾を、母やあなたにどう説明したらいいのか分からないんだ」
俯いて、少し弱音じみた言葉を吐く。祖父は静かに、目を閉じてぼくの声に耳をすませていた。遠くのこだまを聞くような目の閉じ方だった。
「体は女なのに、心は男で、それで好きになった対象が男だ。そうなってしまったのなら仕方のないことだけれど、ぼくの恋人は本当はどう思っているのか? 将来家族になるとき、どんな役割をすればいい? そもそも、ぼくはこれであっているのだろうか。ぼくの中身が女だったら? 体が男だったら? 多分、今歩いている道も違うんだろう。こんな中途半端より、きちんと性別が合っていた方がよかったんだ。きっと、誰にとっても」
「……なるほどなぁ」
祖父は目を開けて、納得するように頷く。それから彼は顎に蓄えた立派な髭を指でいじり始めた。なにか考え事をする時の癖だった。
「シオンは、女の子に興味はないのかね?」
今までに何回も、大輔にも訊ねられた疑問が祖父の口から飛び出た。
「ない」
祖父の質問に素っ気なく答える。
生まれて初めて見た女が、あの「母親」である。だからなのかは知らないが、女といる時はいつもその影がちらつくのだ。身勝手で傲慢で、周りの視線とはりぼての見た目ばかりを気にして、そのうえ守られて当然だと言わんばかりに振る舞う存在。そんなことを考えていると、半ば苛立ちのような感情が湧いてくる。親友の遥でさえも。――彼女に至っては、なにも悪くはないのに。
もしかしたら、自分は軽い女性恐怖症なのかもしれない。ぼくは自分の手で顔を覆った。
この手でさえ、ぼくが嫌う女の物なのだ。自己嫌悪に唇を噛む。が、目の前の爺はそれを気にするような素振りもなく、「ははぁ」と感嘆していた。見上げると彼は笑みを湛えていた。
「難しい問題だなぁ。だがな、シオン。お前はお前のままでいいと、誰か肯定してくれる人はいないのか?」
ぼくを見るその瞳に、諭すような輝きが宿る。
自分は、自分のままでいいと肯定してくれる人。
頭の中で恋人の姿を思い描く。大輔は、ぼくの中身が完全に女の子だったら良かったと言ったことがあるだろうか。いや、そんな素振りはなかった。大輔は、ぼくの体が完全に男だったら付き合わなかったと言ったことがあるだろうか。いや、そんな言葉もなかった。
「……いる。ちゃんといるよ」
祖父の言葉に、たどたどしく言葉を返す。それを聞いて、祖父は破顔した。
「じゃあそれでいいじゃないか。たくさんの支持者よりも、ほんの数人の理解者がいれば十分だ。お前はお前のままでいい」
そう言った祖父の表情は、戦後、一度は崩れた財閥をまた初めから作り上げた者とは思えないほど、柔和な笑みだった。けれどそんな彼の自由主義的な気質と格言めいた言葉に、ぼくは何度救われたことだろうか。
「お見合いの件はお前の好きなようにやれ。ただし、やったことの後悔はするでないよ」
その言葉を噛み締めるように、しっかりと頷く。
「うん。……でも、ぼくひとりじゃどうしようもないから、彼に相談してみるよ。なにせこっちは生活が掛かっているんだから」
少しばかり楽になったような気がして、祖父に微笑みかけてみる。祖父も満足げだった。
「ありがとう、お爺様」
ぺこりと一礼してから踵を返す。また来いよー、という朗らかな声に適当に返事をして、ぼくは祖父の邸宅を後にした。
祖父の言葉を頭の中で、まるでおもちゃ箱の宝石を扱うようにごろごろ転がしながら駅へと続く道を行く。そんなぼくの足取りは、存外軽いものだった。




