第3部 第8話 命綱
「ノア。今日は潜ってもらうけど、探検は禁止よ」
……え?
俺は思わず顔を上げた。
目の前では、水路調査員のネリが太い縄をほどいている。
昨日、あんなに面白そうな場所を見つけたのに?
「その顔。何を考えてるか、大体分かるわ」
……そんなに分かりやすい?
「今日は奥へ進むための準備をするの。帰ってくる方法も決めずに地下へ入るなんて、調査じゃなくて自殺よ」
……。
ごもっともです。
俺は素直に身体を低くした。
◇
翌朝。
俺たちは、再びレムナ南部の古い水路を訪れていた。
同行しているのは、ネリとジェド。
ジェドは以前、俺に水泳を教えてくれた水路管理の男だ。
ギルドから調査への協力を頼まれたらしい。
「ネリに呼ばれたときは何事かと思ったが、地下に水路が見つかったんだって?」
「水路かどうかも、まだ分からないわ」
ネリが訂正する。
「広い空洞があることと、そこを水が流れていることだけ。地下湖の可能性もあるけど、まだ確認できてない」
「なるほどな」
ジェドは石段の下を覗き込んだ。
「それで、今日はこいつの出番か」
視線の先にいるのは、もちろん俺だ。
……どうも。
俺は触手を上げた。
ジェドが笑う。
「頼りにしてるぜ、ノア」
……おう。
任せてくれ。
と言いたいところだけど。
俺はネリの持っている縄を見た。
……何に使うんだ、あれ?
「命綱よ」
ネリはそう答えた。
「あなたの身体に結んで、外から位置を確かめられるようにするの」
……なるほど。
確かに、俺が地下へ入ったら外からは見えなくなる。
しかも、向こうは水中だ。
声も届きにくい。
何かあったときに、引き戻せるようにしておく必要があるんだろう。
「まずは試してみましょう」
ネリが縄の端を差し出した。
俺は身体の中央へ短い輪を作り、そこへ縄を通した。
《構造形成》。
さらに《硬質外皮》で輪の部分を固める。
……よし。
これなら外れないだろう。
ジェドが縄を軽く引いた。
――ぐいっ。
俺の身体が、床の上を滑った。
……お。
いい感じ。
「じゃあ、身体の形を変えてみて」
ネリが言った。
……ん?
俺は言われたとおり、短い脚を4本作った。
続いて、胴体を細くする。
そのまま、触手を伸ばして――。
――すぽん。
縄が抜けた。
……あ。
俺は固まった。
ジェドも、縄の先を見つめている。
「……駄目だな」
……ですね。
形を変えることに集中したせいで、縄を通していた輪まで小さくしてしまったらしい。
ネリが腕を組んだ。
「ほらね。今ので問題が分かったでしょう?」
……うん。
ものすごく。
「あなたは危険なときほど身体を変えるはずよ。そんなときに縄が抜けたら意味がない」
……確かに。
これは考えないといけないな。
俺が首を捻っていると、ルナが近づいてきた。
「ならば、変えぬ部分を決めればよいのではないか?」
……え?
俺は顔を向けた。
ルナは、俺の身体の中央を前脚で示した。
「すべてを変える必要はあるまい。縄を通す場所だけ残し、ほかを動かせばよい」
……あ。
なるほど。
俺は早速試してみた。
身体の中央に、厚みのある輪を作る。
今度は周囲を広く残し、輪だけが細くならないよう意識する。
その状態で、前方へ触手を伸ばした。
さらに脚を作る。
身体を低くする。
そして、もう1度元へ戻す。
……よし。
輪は残っている。
ジェドが縄を引いた。
――ぐいっ。
今度は抜けなかった。
「おっ、いいじゃねえか!」
……おお。
成功!
だが、ネリはまだ頷かなかった。
「少し疲れた状態でも維持できる?」
……あ。
そうか。
元気なときだけできても仕方ない。
俺は何度か身体を変形させ、そのたびに輪が残っているか確認した。
さすがに集中力は必要だったが、思っていたほど難しくはなかった。
《自在形態型》になってから、複数の構造を同時に維持しやすくなっている。
今までは脚や目を安定させるために使っていたが、こういう使い方もあるんだな。
ネリは最後に縄を確かめ、ようやく頷いた。
「いいわ。ただし、限界はある。身体が崩れれば外れる可能性もあるから、縄を過信しないこと」
……了解。
「それから合図を決めるわ。縄を2回引いたら停止。3回なら帰還。こちらからも同じ合図を送る」
俺は触手を2回動かした。
「……に、かい」
「そう。ちゃんと覚えてね」
……はい。
大丈夫です。
多分。
「……ノア」
ルナがじっとこちらを見ている。
「本当に覚えたのであろうな?」
……覚えたって!
何で2人とも、そんなに心配そうなんだよ。
ジェドが笑った。
「ははっ。相当信用されてねえな!」
……いや。
信用はされてると思うんですけど。
こういうときだけ、妙に厳しいんだよな。
◇
準備を終え、俺たちは昨日見つけた石枠へ向かった。
水路の底。
砂に半分埋まった、古い四角い構造物だ。
昨日は細い触手を伸ばし、その向こうに広い空間と青い光を見つけた。
ただし、奥までは見ていない。
「今日の目的は、入口付近の流れを調べることよ」
ネリが図面を広げる。
「地下がどれほど広いのかより、まずは水がどちらへ動いているかを知りたいの」
ジェドが縄を持ち直す。
「奥まで入らねえんだな?」
「ええ。深い場所は、調査計画を立ててから」
……なるほど。
今日は予備調査か。
俺は水路へ身体の一部を伸ばした。
《水流感知》。
……うん。
昨日と同じだ。
表面の水は、ゆっくり北へ流れている。
だが、底に近づくほど別の流れが混じり、石枠の周囲で渦を作っていた。
……ん?
いや。
昨日とは少し違う。
俺は触手をさらに伸ばした。
上側の水は、こちらへ流れてくる。
でも、石枠の下側では、水が奥へ引き込まれていた。
……何だ、これ。
入口は1つなのに、行きと帰りで流れが分かれてる?
俺はネリを呼んだ。
「……うえ、くる」
「上?」
俺は水の表面を指した。
続けて、石枠の下側へ触手を向ける。
「……した、いく」
ネリはしばらく考え込んだ。
「……上から水が入ってきて、下から戻っていくの?」
俺は頷いた。
「それって、循環してるってこと?」
……多分。
ただ、どこまで繋がっているのかは分からない。
ジェドが腕を組んだ。
「水が出入りしてるなら、向こう側にも別の水路があるのかもしれねえな」
「ええ。あるいは、水位や圧力の違いで流れが変わっているのかも」
ネリは図面へ何かを書き込んだ。
……なるほど。
俺にはまだ分からないことばかりだ。
でも、こうして測っていけば、少しずつ形が見えてくるのかもしれない。
「ノア。昨日と同じように、入口の内側だけ確認してもらえる?」
俺は身体を持ち上げた。
「……うん」
「合図があったら、すぐ戻って」
……了解。
俺は石壁へ身体を固定し、ゆっくり触手を伸ばした。
◇
水中は、外から見るより暗かった。
石枠の隙間を抜けると、冷たい水が身体の表面を流れていく。
《水流感知》を働かせながら、少しずつ進む。
……よし。
上から水が来る。
下は、奥へ向かっている。
この辺りまでは昨日と同じだ。
俺は触手の先へ小さな目を作った。
視界が開ける。
……おお。
見えた。
石枠の向こうには、古い石の通路が続いていた。
途中から天井が高くなり、その先は暗くて見通せない。
そして。
……あ。
いた。
青い光。
昨日見つけたものだ。
今度は、少し近い。
小さな光がいくつも集まり、水の中を漂っている。
……何だろう。
俺は目を凝らした。
光の1つが、ゆっくり近づいてくる。
青白く光る、小さな丸いもの。
その下には、細い糸のようなものが伸びていた。
……え?
これって。
……クラゲ?
透明な傘のような身体。
細い触手。
ゆっくり縮んだり広がったりしながら、水中を漂っている。
……こんなところに、クラゲがいるのか。
俺は少し驚いた。
人間だった頃、クラゲといえば海の生き物だと思っていた。
でも、この世界には川や湖に棲むものもいるのかもしれない。
俺は静かに観察した。
青い光は、身体の内側から出ているようだった。
小さく縮む。
広がる。
また縮む。
そのたびに、水が押し出されている。
……なるほど。
こうやって泳ぐのか。
俺は興味深く眺めていた。
すると。
――ふわっ。
別のクラゲが、触手の先へ近づいてきた。
……ん?
何だ?
俺は少しだけ身体を引いた。
だが、相手はそのまま近づいてくる。
細い糸のような触手が、俺の身体へ触れた。
……っ!
妙な刺激が走った。
鋭い痛みではない。
けれど、触れられた部分が、急に動かしにくくなる。
……おい。
ちょっと待て。
俺は反射的に触手を引いた。
すると、クラゲが身体を縮めた。
――ぽんっ。
小さな水流が生まれる。
……っ!?
俺の触手が横へ押された。
……何だ、今の。
俺は目を凝らした。
クラゲは、また身体を広げている。
その透明な傘の内側に、細い膜のようなものが見えた。
水の圧力を受けながら、形を変えている。
……面白いな。
俺は少しだけ、近づき直した。
だが、クラゲは再び触手を伸ばしてきた。
今度は、俺の身体へ巻きつこうとする。
……おいおい。
こっちは見てるだけなんだけど。
俺は触手の表面を硬くした。
《硬質外皮》。
絡みつこうとした細い糸を弾く。
そのまま、別の触手でクラゲの身体を包み込んだ。
《粘着性》。
……よし。
捕まえた。
クラゲは身体を縮め、何度も水を押し出した。
だが、俺の方が大きい。
柔らかい身体を包み込んでしまえば、簡単には逃げられなかった。
……さて。
こいつ、何か面白い性質を持ってそうだな。
俺は少し考えた。
透明な身体。
水の圧力に合わせて変形する膜。
それから、さっきの刺激。
……試してみるか。
俺は《捕食》を実行した。
クラゲの身体が、少しずつ俺の中へ取り込まれていく。
抵抗はすぐに弱まった。
そして。
【捕食完了】
対象:青灯クラゲ
……アオアカリクラゲ?
そんな名前なのか。
分かりやすいな。
俺は続く表示を待った。
【性質吸収】
《緩衝膜》を獲得しました。
……っ!
おお!
新しい性質だ!
俺は思わず、身体を持ち上げかけた。
だが。
――ぐいっ。
外側から、縄が引かれた。
……あ。
2回。
停止の合図だ。
俺は慌てて動きを止めた。
……そうだった。
今は調査中だったな。
少し浮かれてしまった。
俺は外側へ繋がる触手を確かめた。
縄を通している輪は、まだ維持できている。
……よし。
戻ろう。
俺は身体を細くし、石枠の方へ引き返した。
◇
「……ノア!」
外へ戻ると、ルナが真っ先に近づいてきた。
「随分と長かったではないか!」
……え?
そんなに?
俺は少し驚いた。
自分では、ほんの短い時間のつもりだった。
しかし、ネリが持っていた砂時計を見ると、思った以上に砂が落ちている。
……あ。
まずい。
また夢中になってた。
「合図を送っても反応がなかったら、引き戻すつもりだったぞ」
ジェドが言った。
……すみません。
俺は触手を小さく動かした。
ネリはすぐに怒鳴ったりはしなかった。
代わりに、静かに尋ねた。
「中で何かあった?」
……あ。
そうだ。
報告しないと。
俺は砂の上へ触手を伸ばした。
まず、石枠を描く。
その先に、広い通路。
そして、小さな丸いものをいくつも描いた。
「……あおい、いきもの」
ネリが身を乗り出す。
「青い生き物?」
俺は頷いた。
「……くらげ」
「クラゲ?」
「……いっぱい」
ネリが驚いたように目を見開いた。
「……地下に、クラゲの群れがいるの?」
俺はもう1度頷いた。
ジェドも興味深そうに覗き込む。
「へえ。そいつは珍しいな」
「……青灯クラゲかしら」
ネリが呟いた。
……お?
知ってるのか?
「昔の水生魔物の記録にあるの。光を放つ小型のクラゲで、暗い水域に棲むって」
……へえ。
本当にいるんだな。
「ただ、レムナ周辺で見つかったという話は、聞いたことがないわ」
ネリは図面へ目を向けた。
「もし群れがいるなら、地下には安定した水域があるのかもしれない」
……なるほど。
俺はさっき見た光を思い出した。
暗闇の中に、いくつもの青い点が漂っていた。
……あれ、綺麗だったな。
そう考えていると、ルナが俺の身体を覗き込んだ。
「……ところで、貴様」
……ん?
「何か変わったな」
……あ。
そうだった。
俺は新しい性質のことを思い出した。
《緩衝膜》。
まだ、どんなものか確かめていない。
俺は身体の一部へ意識を集中した。
すると、表面のすぐ内側に、薄い柔らかな層ができた。
……お。
何だ、これ。
俺は触手で軽く押してみた。
ぐにっ。
……あれ?
押した部分がへこみ、力を抜くとゆっくり元へ戻る。
《弾性組織》とは少し違う。
あちらは、縮めたものを勢いよく戻す感覚が強かった。
でも、こっちは。
……衝撃を受け止める?
そんな感じだ。
俺は小石を拾い、自分の身体へ軽く落としてみた。
――ぽすっ。
……お。
ほとんど響かない。
次に、《緩衝膜》を使っていない部分へ落としてみる。
――こつっ。
……なるほど。
違いが分かる。
同じ石でも、衝撃の伝わり方が違うんだ。
俺が何度も確かめていると、ジェドが笑った。
「何だ、急に丈夫になったのか?」
……いや。
丈夫っていうのとは、ちょっと違うかな。
俺は柔らかい部分を指した。
「……まもる」
ネリが首を傾げた。
「防御用の膜?」
俺は頷いた。
「……あたらしい」
ルナの耳が立った。
「……また性質を得たのか?」
俺は身体を上下させた。
ルナは少し驚いたあと、ふっと笑った。
「ふん。貴様らしいな」
……まあ。
今回は、運もよかったけどな。
ただし、何でも防げるわけじゃない。
試しに《硬質外皮》と同じ場所へ重ねてみると、膜を厚くした分だけ、ほかの構造を維持しにくくなった。
硬い部分と柔らかい部分。
両方を使うなら、配置を考える必要がありそうだ。
……でも。
これ、上手く使えれば結構すごいんじゃないか?
俺は少し興奮した。
殴られたとき。
何かへぶつかったとき。
あるいは、水の強い流れを受けたとき。
硬くなるだけじゃなく、衝撃を和らげられるなら。
……戦い方が変わるぞ。
俺は触手を握るように丸めた。
すると、ネリが言った。
「新しい能力の確認も大切だけど、調査結果をまとめるわよ」
……あ。
はい。
すみません。
俺は慌てて姿勢を戻した。
◇
その後、俺たちは水路の流れをもう1度測った。
ネリは時間を記録し、ジェドは水位の変化を確かめる。
俺は《水流感知》で、石枠付近の水が動く方向を伝えた。
しばらくすると、上側の流れが弱くなった。
代わりに、下側の水が強く引き込まれる。
……あ。
変わった。
俺はネリへ知らせた。
「……した、つよい」
ネリがすぐに時間を記録する。
「流れが切り替わったのね」
ジェドが水面を眺めた。
「こいつは妙だな。川の本流は、さっきからほとんど変わってねえぞ」
……そうなのか。
ネリは図面を広げ、古い水路の位置を確かめた。
「地下側で何かが変わっている可能性が高いわね。ただし、原因はまだ分からない」
……なるほど。
少なくとも、大河の流れがそのまま逆向きになっているわけじゃないらしい。
ネリはしばらく考え、図面の端へ大きな丸を描いた。
「もし地下に大きな水域があるなら、そこから水が押し出されたり、逆に戻ったりしているのかもしれない」
「何かが、水を動かしておるのか?」
ルナが尋ねた。
「自然の水圧変化かもしれないし、昔の水門設備が残っている可能性もある。今は分からないわ」
……うん。
それなら、実際に見に行くしかないな。
俺は図面の丸を見つめた。
昨日、触手の先で見た暗い空間。
青い光。
そして、その奥へ続く水の流れ。
……あそこに何があるのか。
ますます気になってきた。
ただ、今度は勝手に進まない。
ちゃんと準備してからだ。
「今日の調査は、ここまで」
ネリが言った。
「明日、正式な調査計画をギルドへ提出するわ」
……お。
いよいよか。
「通れる範囲を確認して、安全な退路も決める。必要な道具が揃ったら、地下の水域へ入る予定よ」
ジェドが頷いた。
「俺も手を貸すぜ。水のことなら、多少は役に立つだろう」
「助かるわ」
ネリは俺たちへ目を向けた。
「ノアとルナにも、引き続き協力してほしいの」
俺はすぐに頷いた。
「……いく」
ルナも胸を張った。
「当然だ。我らが見つけた場所でもあるからな」
ネリは少し笑った。
「じゃあ、決まりね」
……よし。
これで次の目的が決まった。
地下の水域。
まだ知らない生き物たち。
そして、昨日見た広い空間の正体。
……楽しみだな。
◇
調査を終えた帰り道。
俺たちは、レムナの水路に架かる小さな橋で足を止めた。
夕方の光が水面へ落ち、橋の下を細かな波が通り抜けていく。
ネリとジェドはギルドへ報告に向かい、俺たちは宿へ戻るところだった。
「……ノア」
ルナが橋の上で立ち止まった。
……ん?
俺も振り返る。
ルナは、しばらく俺を見つめていた。
「……地下は、綺麗だったか?」
……え?
俺は少し驚いた。
てっきり、危険だったかとか、何がいたのかとか、そういうことを聞かれると思っていたからだ。
「貴様、戻ってきてから随分と楽しそうだったのでな」
……ああ。
そういうことか。
俺は水路へ目を向けた。
青い光。
暗い水の中で、ゆっくり漂っていたクラゲたち。
あの景色は、確かに綺麗だった。
俺は頷いた。
「……きれい」
「そうか」
ルナは小さく笑った。
「我も見てみたいものだな」
……。
俺は少し考えた。
ルナは泳げる。
でも、今のままでは深い場所を長く潜ることは難しいだろう。
俺だって、ようやく水の中で動けるようになったばかりだ。
だから、すぐに一緒に見に行けるとは思わない。
……でも。
いつかなら。
俺はルナの隣へ近づいた。
そして、短く声を出した。
「……いつか」
ルナが顔を向ける。
「む?」
「……いっしょ、みる」
少しの間、ルナは黙っていた。
やがて、ゆっくり頷く。
「……うむ。約束だ」
俺は触手を持ち上げた。
ルナも前脚を上げる。
軽く触れ合ったところで、荷物についた銀色の鈴が鳴った。
――ちりん。
……あ。
そうだ。
俺は少し笑った。
今日、地下へ潜るとき。
ルナはずっと、外で縄を見張ってくれていた。
途中で戻る合図が来たのも、ルナがネリへ頼んだからだったらしい。
俺がどこへ行ったのか。
何を見ているのか。
分からなくても、ずっと待っていてくれた。
……ありがたいな。
本当に。
「……ルナ」
「何だ?」
俺は触手を伸ばした。
「……ありがと」
ルナは一瞬、目を丸くした。
「……何の礼だ?」
俺は少し考えた。
縄。
合図。
それから、待っていてくれたこと。
……うーん。
言葉にすると、難しいな。
俺は触手を自分の身体へ巻きつけ、それを引っ張るような動きをした。
「……もどる」
ルナは少し黙った。
それから、小さく鼻を鳴らした。
「……当たり前であろう」
……え?
「貴様が帰ってこなければ、我が困る」
……。
……そっか。
俺は身体を持ち上げた。
ルナは水路を見つめながら続ける。
「どれほど面白い場所でも、1人で行ってしまっては意味がなかろう」
……ああ。
そうだな。
俺は、ゆっくり頷いた。
「……ふたり」
ルナの耳が動く。
「……うむ」
少しだけ、柔らかな声だった。
「2人で、だ」
俺たちは橋を渡り、宿へ向かった。
今夜は、しっかり休もう。
明日からは本格的な調査の準備が始まる。
俺の《水流感知》も、新しく得た《緩衝膜》も、もっと使い方を確かめておきたい。
そして、何より。
必ず帰ってこられるようにしておかないとな。
俺は荷物の中で揺れる命綱を確かめた。
次に地下へ入るときは、今日より遠くまで進むことになるかもしれない。
でも、今度は大丈夫だ。
少なくとも、帰る場所だけは、もう分かっている。
隣を歩くルナの荷物から、銀色の鈴が小さく鳴った。




