第3部 第3話 水路の大物
「……魚がいない?」
朝食の席で、ルナが聞き捨てならない言葉を拾った。
宿の食堂。
隣の卓では、港で働いているらしい男たちが話していた。
「そうなんだよ。西の水門に仕掛けた網が、また破られてたらしい」
「昨日もだろ? 何がいるんだ、あそこ」
「知らねえよ。魚は逃げるし、網は壊れるし、困ったもんだ」
ルナの耳が、ぴくりと動く。
俺は何となく嫌な予感がした。
「……ノア」
ほら来た。
「西の水門といえば、昨日の入り江の近くではないか?」
俺は頷いた。
「魚が逃げておるらしいぞ」
……そうみたいだな。
「見に行こう」
……早いな!
まだ朝飯も終わってないんだけど。
いや、俺はほとんど食べ終わってるけどさ。
俺の前には空になった木皿がある。
身体の回復を優先して、最近は意識して多めに食事を取っていた。失った部分が一気に戻るわけではないが、今朝は昨日より少しだけ身体の輪郭が厚くなっている。
4本脚も作れそうだ。
ただ、まだ長時間の維持は難しい。
今日は短い脚を2本だけ作り、残りを地面へ広げる形にしていた。
……うん。
無理は禁物だ。
「ノア、聞いておるか?」
「……きいてる」
「ならば、行くぞ」
……結局そうなるのね。
俺は食堂の男たちへ目を向けた。
網を破る何か。
昨日、入り江で出会った針鰭魚とは違うのだろうか。
少し気になる。
それに、新しく得た《水流感知》も、もっと使いこなしたい。
……よし。
行ってみるか。
◇
西の水門には、すでに人だかりができていた。
石造りの水路が町の外へ伸び、その途中に大きな木製の水門が設けられている。
水門の横では、男たちが破れた網を引き上げていた。
「だから、網を下ろすなって言っただろ!」
「下ろさなきゃ、魚が全部逃げちまうだろうが!」
「その網を毎日買い直す方が高くつくわ!」
……ああ。
揉めてるな。
俺は少し離れたところで足を止めた。
そのとき、聞き覚えのある声がした。
「おう! 昨日の2人じゃねえか!」
……ん?
振り返ると、ジェドがこちらへ歩いてきていた。
昨日、泳ぎの練習を見てくれた男だ。
「どうした? 今日も泳ぎに来たのか?」
「うむ。だが、その前に妙な話を聞いてな」
ルナが破れた網を指した。
「何かおるのか?」
ジェドは顔をしかめた。
「ああ。どうも大物が入り込んでるらしい」
……大物?
俺は水路を見た。
幅は荷車2台分ほど。
流れはそれほど速くないが、水門の手前だけ水が深くなっている。
「夜になると網を破るんだ。昨日は舟の底まで傷つけられた」
……舟の底?
それは結構まずいんじゃないか?
「魚か?」
ルナが尋ねる。
「さあな。水の中で何か動いてるのは見えるんだが、すぐ隠れちまう」
ジェドは水門の奥を指した。
「しかも、水門を上げ下げする溝に何か詰まってる。あれじゃ今夜の水量調整もできん」
……なるほど。
ただの魚騒ぎじゃないのか。
俺は水面へ目を向けた。
昨日覚えたばかりの《水流感知》。
あれを使えば、何か分かるかもしれない。
俺はジェドへ触手を伸ばした。
「……みる」
「ん?」
俺は水路を指した。
「……なか」
ジェドが俺を見て、少し考える。
「……ああ。水の中を調べられるのか?」
俺は頷いた。
男はすぐには返事をしなかった。
水路を眺め、それから俺を見る。
「昨日の泳ぎを見る限り、まだ慣れてないだろ」
……うっ。
そこは正しい。
「無理に潜らせるわけにはいかねえぞ」
ルナが口を開いた。
「水門の内側なら、深さはどれほどだ?」
「中央は大人の背丈を超える。端なら浅いが、足場は悪い」
「ふむ」
ルナは俺を見た。
「ノア。まずは岸から調べるのだ」
……分かってる。
俺だって、いきなり飛び込むつもりはない。
昨日、散々回転したばかりだからな。
俺は水門の脇へ移動した。
石の縁へ《粘着性》で身体を固定する。
そして、触手を水中へ伸ばした。
《水流感知》。
……。
水が動いている。
水門の隙間から入り込む、細い流れ。
石壁にぶつかって戻る、弱い渦。
底の方では、別の流れがゆっくり回っていた。
……なるほど。
昨日より、少し分かりやすい。
俺は触手をもう少し深く沈めた。
そのとき。
……ん?
流れが変わった。
水門の底から、急に強い水が押し出される。
……何だ?
俺は触手を引こうとした。
しかし、それより早く、水面が盛り上がった。
――バシャアッ!
「うわっ!」
近くにいた男が叫んだ。
水面から現れたのは、大きな甲殻の魔物だった。
丸く平たい身体。
黒緑色の硬そうな殻。
そして、左右に伸びる巨大な鋏。
……カニ!?
しかも、でかい!
胴体だけで大きな樽ほどある。
片方の鋏なんて、俺の今の身体より大きいぞ!
「水鋏蟹だ!」
ジェドが叫んだ。
「全員、離れろ!」
魔物が鋏を振り上げた。
――ガンッ!
石壁にぶつかり、欠けた破片が飛び散る。
……おいおい。
あんなのに挟まれたら、ひとたまりもないだろ。
俺は素早く触手を引き戻した。
水鋏蟹は、こちらを威嚇するように鋏を開閉している。
カチン。
カチン。
分厚い殻の間で、硬い音が響いた。
ルナが俺の隣へ立つ。
「……なかなかの大物だな」
……だな。
俺は水鋏蟹を見つめた。
あいつが網を破っていた犯人か。
しかし。
どうして水門のところから離れないんだ?
◇
「水門を壊される前に追い払うぞ!」
ジェドが叫んだ。
周囲の男たちが長い竿を持ち出す。
だが、水鋏蟹は竿を見た途端、鋏を振り上げた。
――バキッ!
太い木の竿が、あっさり折れた。
……強っ!
「駄目だ、近寄るな!」
ジェドが男たちを下がらせる。
その間にも、水鋏蟹は水門へ身体を押しつけた。
大きな鋏が木材の隙間へ入り込む。
――ギギッ。
水門が軋んだ。
……まずい。
あれ、壊すつもりか?
俺は水中へ触手を伸ばし、流れを確かめた。
水鋏蟹の周囲で、水が複雑に動いている。
大きな鋏を振るたび、水が押し出される。
脚を動かすと、底の泥が巻き上がる。
そして。
……あ。
俺は気づいた。
水鋏蟹は、ただ暴れているわけじゃない。
水門の下側へ、何度も鋏を差し込もうとしていた。
……何かあるのか?
俺は視覚器官を水中へ伸ばした。
濁っていて、よく見えない。
だが、少しだけ奥が見えた。
木材の隙間。
そこに、黒いものが引っかかっている。
……ん?
網?
いや。
太い縄のようなものだ。
俺はさらに目を凝らした。
黒い縄が水門の底へ絡みついている。
そして、その端は。
……あ。
水鋏蟹の片脚へ巻きついていた。
……なるほど!
俺は身体を持ち上げた。
あいつ、水門に引っかかってるのか!
「……ルナ!」
「何だ?」
俺は水鋏蟹の脚を指した。
「……ひも!」
ルナが目を細めた。
「紐?」
「……からまる!」
俺は触手を自分の脚へ巻きつけるように動かした。
ルナがすぐに理解した。
「……あの魔物、何かに脚を取られておるのか?」
俺は頷いた。
ジェドも話を聞いていたらしい。
「……待て。あの黒い縄か?」
俺は水門の底を指した。
「……そこ」
ジェドが顔をしかめた。
「あれ、古い係留縄じゃねえか!」
……係留縄?
「壊れた舟を繋いでた縄だ。昨日の夜に外したはずなんだが……」
男は水面を睨んだ。
「流されて、あそこへ引っかかったのか」
……そういうことか。
つまり、水鋏蟹は水門に潜り込んだとき、縄に脚を絡めてしまった。
暴れて網を破ったのも、そのせいかもしれない。
……だったら。
助ければ、おとなしくなる?
いや。
そんな簡単な話じゃないよな。
あの大きな鋏を見れば分かる。
近づけば、間違いなく攻撃される。
どうするか。
俺が考えていると、ルナが静かに言った。
「……縄を切ればよいのだろう?」
……まあ。
そうなんだけど。
「ならば、我があれの注意を引く」
……え?
俺はルナを見た。
「貴様は水の中から、縄を切れ」
……いや。
待て待て。
あんなでかい鋏を相手に?
俺は慌てて触手を振った。
「……あぶない!」
ルナは鼻を鳴らした。
「我とて、真正面から挟まれに行くつもりはない」
……それはそうだろうけど。
「貴様が水中から近づくなら、注意を引く者が必要であろう?」
……。
……確かに。
俺は少し考えた。
ルナは俺より素早く動ける。
《衝撃》を使えば、離れたところから相手を怯ませることもできる。
ただし、右後ろ脚への負担は心配だ。
俺はルナの脚を見た。
ルナはすぐに気づいたらしい。
「ふん。分かっておる。長く走り回ったりはせぬ」
……なら、いいか。
俺は水門の位置を確かめた。
水鋏蟹の脚へ絡んだ縄。
あれを切るには、かなり近づく必要がある。
でも、今の俺なら。
《水流感知》を使えば、水中での動きを少しは読み取れる。
それに、《構造形成》で細い触手を作れば、狭い場所にも入れる。
……よし。
試してみよう。
◇
「ジェド!」
ルナが声を張った。
「我が注意を引く。その間、ノアが縄を外す!」
ジェドは一瞬驚いたが、すぐに頷いた。
「分かった! 周りの連中は下がらせる!」
男たちが水門から離れていく。
俺は石の縁へ身体を固定した。
《粘着性》。
次に、身体の一部を細く伸ばす。
残りは岸に置いたままにする。
……よし。
これなら、何かあってもすぐ引き戻せる。
ルナが水門の反対側へ移動した。
そして、水鋏蟹へ向かって叫ぶ。
「おい、そこの大鋏!」
……おい。
普通に呼びかけるのかよ!
水鋏蟹が鋏を持ち上げた。
「こちらを向け!」
ルナが前脚を振り下ろす。
《衝撃》。
――ドンッ!
水門の脇にある石畳が弾けた。
水鋏蟹が大きく身体を揺らす。
そのまま、ルナの方へ鋏を向けた。
……よし。
今だ!
俺は水中へ細い触手を伸ばした。
《水流感知》。
流れを確かめながら進む。
水鋏蟹の脚が動く。
それに合わせて、水が押し出される。
……右!
俺は触手を曲げた。
直後、巨大な鋏が水中を横切る。
――ゴボッ!
……っ!
危ない!
だが、見えなくても、水の動きで少し早く気づけた。
俺はそのまま水門の底へ回り込んだ。
縄が見える。
黒く太い縄。
その一部が、水鋏蟹の脚へきつく巻きついている。
……なるほど。
これは痛そうだ。
俺は触手の先端を細くし、《硬質外皮》を集中させた。
尖った刃のような形。
もちろん、本物の金属ほど硬いわけじゃない。
でも、縄の繊維を裂くくらいならできるかもしれない。
俺は先端を縄へ押し当てた。
……よし。
少しずつ。
繊維を引っかける。
《粘着性》で固定し、横へ引く。
……切れない。
結構丈夫だな、これ!
俺はもう少し力を込めた。
――ブチッ。
……お。
少し切れた!
だが、その瞬間。
水鋏蟹が大きく暴れた。
――バシャアッ!
……っ!
水が一気に押し寄せる。
俺の触手が横へ引っ張られた。
……まずい!
《水流感知》で流れを読んでも、力そのものを消せるわけじゃない。
俺は急いで触手を細くし、抵抗を減らした。
しかし、次の瞬間。
水鋏蟹の鋏が、こちらへ迫ってきた。
……っ!
俺は反射的に触手を引いた。
――ガチンッ!
目の前で巨大な鋏が閉じる。
……危なかった!
あと少し遅かったら、完全に切られてたぞ!
「ノア!」
ルナが叫ぶ。
俺は岸へ声を返した。
「……へいき!」
……いや。
心臓があったら、今頃すごい速さで動いてただろうな。
俺は少し身体を縮めた。
だが、縄はまだ切れていない。
……どうする。
このまま同じことを繰り返しても、いつか捕まる。
何か別の方法が必要だ。
俺は水門の構造を見た。
黒い縄は、水門の底へ引っかかっている。
水鋏蟹の脚にも巻きついているが、強く引っ張られているのは水門側だ。
……待てよ。
縄を切らなくても。
水門から外せれば、いいんじゃないか?
俺は細い触手を別の方向へ伸ばした。
縄が引っかかっている木の角。
そこへ触れる。
……あ。
隙間がある。
ほんの少しだが、縄の下へ触手が入る。
俺はその隙間へ身体を押し込んだ。
《構造形成》。
先端を薄く。
そのまま、幅を少し広げる。
……よし。
縄が、わずかに浮いた。
俺は《弾性組織》を働かせた。
押し潰されても戻ろうとする力を利用する。
ぐっ。
……重い。
だが、さっきより動く。
もう少し。
……あと少し!
そのとき、ルナがもう1度《衝撃》を放った。
――ドンッ!
水鋏蟹が驚いて、反対側へ身体をひねる。
縄が強く引かれた。
――ズルッ。
……あ。
外れた!
水門の角から、黒い縄が滑り落ちた。
同時に、水鋏蟹の身体が大きく動く。
……まずい!
俺は反射的に触手を引き戻した。
巨大な鋏が、さっきまで俺のいた場所を通り過ぎる。
――ガンッ!
石壁が欠けた。
……危っぶな!
俺は岸へ身体を引き寄せた。
縄は、水鋏蟹の脚へ絡んだままだ。
だが、水門にはもう繋がっていない。
……よし。
これなら、動けるはずだ。
水鋏蟹はしばらく水面で暴れていた。
大きな鋏を開閉し、周囲の水を跳ね上げる。
しかし、やがて。
……あ。
動きが変わった。
水門へ戻ろうとしない。
水中で身体の向きを変え、ゆっくり深い方へ進み始めた。
……お。
行くのか?
水鋏蟹は一度だけ水面へ顔を出した。
俺たちの方を向いたようにも見える。
そして。
――ざぶん。
深い水の中へ潜っていった。
……。
…………。
……行った。
俺は思わず力を抜いた。
「……ふむ」
ルナが隣へ来た。
「逃げたな」
……ああ。
そうだな。
俺は水門の底を確かめた。
さっきまで引っかかっていた縄は、もうない。
水鋏蟹が暴れたせいで水は濁っているが、水門自体は大きく壊れていないようだった。
……よかった。
これなら、何とかなったんじゃないか?
◇
「……すげえな、お前ら」
ジェドが呆れたように言った。
俺たちは水門の脇で、しばらく休んでいた。
周囲の男たちは、残された網や道具を片づけている。
「まさか、あいつを追い払っちまうとはな」
ルナが胸を張った。
「当然だ」
……いや。
そこは、ちょっと違う気がする。
俺は身体を持ち上げた。
「……ひも」
ジェドが頷く。
「ああ。縄に引っかかってたんだな」
……そう。
別に、あの魔物を倒したわけじゃない。
動けなくなっていた原因を取り除いただけだ。
「それでも、大したもんだよ」
ジェドは笑った。
「俺たちじゃ、あんな近くまで潜れねえからな」
……まあ。
それはそうかもしれない。
俺には、細い隙間へ入れる身体がある。
それに、《水流感知》も手に入れた。
以前なら、あの鋏を避けることさえ難しかっただろう。
……うん。
新しい性質、ちゃんと役に立ったな。
「さて」
ジェドが腰へ手を当てた。
「仕事を手伝ってもらったんだ。礼をしねえとな」
……え?
俺は顔を上げた。
「金でもいいが、どうする?」
……お。
報酬?
それはありがたい。
俺はルナを見た。
ルナもこちらを見ていた。
そして。
「……魚」
……。
……ですよね。
俺は思わず身体を揺らした。
ジェドが笑う。
「ははっ! 魚がいいのか!」
ルナは堂々と頷いた。
「うむ。新鮮なものがよい」
……注文まであるのかよ。
「いいぞ。ちょうど今朝、いいのが揚がったんだ」
ジェドは近くの小屋へ向かった。
しばらくすると、大きな魚を数匹持って戻ってきた。
銀色の鱗。
丸々と太った身体。
見るからに、立派な魚だ。
……おお。
これは。
ルナの尻尾が大きく揺れた。
「……見事だな」
「だろ?」
ジェドは笑った。
「こいつを持っていきな。料理屋へ持ち込めば、焼いてくれるところもあるぞ」
……へえ。
俺は魚を見た。
確かに、おいしそうだ。
味はまだ分からないけど、見た目は分かる。
ルナは満足そうに頷いた。
「うむ。よい仕事だった」
……そこかよ。
俺は呆れながらも、少し笑ってしまった。
◇
宿へ戻る途中。
俺は水路を眺めながら、今日の出来事を思い返していた。
水鋏蟹。
あの巨大な鋏。
真正面から戦っていたら、今の俺では勝てなかっただろう。
《硬質外皮》を使っても、あの力を受け止められるとは思えない。
でも。
水の流れを読んで。
細い隙間へ入り。
身体の形を変えて、縄を外した。
……うん。
俺の強さって、こういうところなのかもしれない。
ただ硬くなるだけじゃない。
速く動くだけでもない。
相手や場所に合わせて、形を変える。
それが、俺の身体の一番面白いところだ。
……いや。
だからといって、戦闘力が要らないわけじゃない。
今日だって、鋏に挟まれそうになった。
もし逃げ道がなかったら、危なかった。
もっと速く。
もっと強く。
そして、もっと自由に。
……そうなりたい。
俺は水路へ目を向けた。
流れの中には、まだ知らない生き物がいる。
あの針鰭魚のように、新しい性質を持つ魔物だっているはずだ。
……よし。
これからも、いろいろ試していこう。
そう考えていると、ルナが隣から声をかけてきた。
「……ノア」
……ん?
「今日の貴様は、なかなか見事だったぞ」
俺は顔を上げた。
……え?
珍しいな。
そんなに素直に褒めるなんて。
ルナは少しだけ目を逸らした。
「……別に、普段が駄目だと言っておるわけではない」
……分かってるって。
俺は触手を小さく揺らした。
すると、ルナは続けた。
「我が注意を引いている間、貴様はきちんと役目を果たした」
……ああ。
そうだな。
「以前より、ずっと動きがよくなっておる」
……。
……そっか。
俺は少し嬉しくなった。
自分でも成長しているつもりだった。
でも、こうしてルナから言われると、何だか違う。
ずっと一緒に旅をしてきた相棒だからこそ、分かることもあるのかもしれない。
俺は触手を伸ばした。
ルナの前脚へ、軽く触れる。
「……ルナ、も」
ルナがこちらを見る。
「……む?」
「……つよい」
少し間があった。
それから、ルナの耳がわずかに動いた。
「……ふん」
……あ。
照れてる?
俺は思わず身体を揺らした。
ルナはすぐに顔を逸らした。
「当然であろう」
……はいはい。
そうでしたね。
俺は笑いながら、隣へ並んだ。
すると、ルナが小さく言った。
「……それでも、悪い気はせぬ」
……。
……そっか。
俺は何も言わず、触手をもう1度だけ揺らした。
◇
その日の夕方。
俺たちは宿の食堂で、ジェドからもらった魚を焼いてもらった。
香草を使って焼かれたらしく、ルナは最初の1口で目を輝かせた。
「……これは、よい」
……お。
気に入ったか。
「うむ。身が柔らかい。脂も十分だ」
……なるほど。
俺は自分の分を少し取り込みながら、ルナの様子を眺めた。
楽しそうだな。
本当に。
そういえば。
今まで、ルナと一緒にいろんなものを食べてきた。
肉。
果物。
魚。
でも、俺はまだ、その味を知らない。
……いつか。
ちゃんと味を感じられるようになったら。
そのときは、こうして同じ料理を食べながら、感想を言い合えるんだろうか。
俺は少しだけ、そんな光景を想像した。
「……ノア」
ルナが顔を上げた。
……ん?
「貴様、また何か考えておるな」
……あ。
ばれた。
俺は触手を揺らした。
「……ないしょ」
ルナが目を細める。
「……ほう?」
……お。
珍しく、少し意地悪な顔だ。
「我に隠し事とは、よい度胸だな」
……いやいや。
そんな大したことじゃないって。
俺は慌てて触手を振った。
ルナはしばらく俺を見つめていたが、やがて小さく笑った。
「ふん。まあよい」
そして、残っていた魚へ口をつける。
俺は少し安心した。
……危ない。
何を考えていたのか聞かれたら、今の俺には上手く説明できないところだった。
俺は小さく身体を丸めた。
すると、ルナが何気なく言った。
「……ノア」
……ん?
「明日も、どこかへ行くのであろう?」
俺は頷いた。
「……うん」
「ならば、我も付き合おう」
……え?
俺は顔を上げた。
ルナは当たり前のように続ける。
「貴様1人では、また妙なものに噛みつかれるかもしれぬからな」
……。
……それは、昨日の魚のことか?
俺は思わず触手を揺らした。
ルナが笑う。
「ふふっ。冗談だ」
……まったく。
俺は少し呆れた。
でも。
明日も、一緒に出かける。
それだけで、何だか楽しみになった。
俺はルナへ目を向けた。
「……いっしょ」
ルナが頷く。
「うむ」
そして、静かに付け加えた。
「我らは、いつも一緒であろう?」
……。
…………。
……ああ。
そうだな。
俺は小さく身体を上下させた。
まだまだ、知らないことはたくさんある。
強くなるために必要なことも。
この世界のことも。
そして、ルナのことも。
……でも。
今は、こうして一緒にいられる。
それが、何より嬉しかった。
俺は目の前の魚を、もう少しだけ取り込んだ。
明日は、どんなことをしようか。
水の中をもっと調べてもいい。
町の外へ出てみるのも面白そうだ。
……まあ。
ルナが何を食べたがるかにもよるけど。
俺は少しだけ笑った。
隣では、白銀の相棒が満足そうに魚を食べている。
レムナでの生活は、まだ始まったばかりだった。




