第2部 第69話 俺の取り分
「報酬は銀貨2枚です。受け取りをお願いします」
俺は机の上に置かれた硬貨を見つめた。
銀貨が2枚。
それだけ聞くと大したことがないように思えるが、俺たちにとっては立派な収入だ。
何しろ、今の俺たちは旅の途中。
宿代も食料代もかかるし、これからどれだけ移動するかも分からない。
……ありがたいな。
俺は触手を伸ばし、銀貨へ触れようとした。
そのとき。
「待て、ノア」
ルナが横から前脚を出した。
……ん?
何だ?
「取り分を決めておらぬぞ」
……取り分?
俺は銀貨を見た。
次に、ルナを見る。
……ああ。
2枚あるんだから、1枚ずつでいいんじゃないか?
俺は銀貨を1枚ずつ左右へ動かした。
「……はんぶん」
ルナは満足そうに頷いた。
「うむ。それがよい」
……よし。
決まりだな。
ところが、目の前の受付係は、少し困ったように笑っていた。
「ずいぶん簡単に決まりましたね」
……え?
そうかな?
「討伐依頼だと、誰が何をしたかで揉める方もいるんですよ。今回は調査依頼ですけど」
……ああ。
なるほど。
確かに、人数が増えればそういうこともあるか。
ルナが胸を張った。
「我らは相棒だからな」
……そうだな。
俺は自分の銀貨を受け取り、荷物の中へしまった。
ハルザでの初仕事。
果樹園から鳥や小動物がいなくなった原因を調べるという依頼だったが、思っていた以上に大きな騒動へ繋がってしまった。
それでも、依頼そのものは無事に完了した。
バロの果樹園では、少しずつ鳥の姿も戻ってきているらしい。
……うん。
ちゃんと仕事になったんだな。
「それと、もう1つ」
受付係のオルカが、別の書類を取り出した。
「南門での協力について、町から正式なお礼の言葉を預かっています」
……お。
俺は顔を上げた。
「今回、魔獣の群れを誘導できたのは、皆さんからの報告があったからだと、衛兵長が話していました」
ルナが小さく頷く。
「実際に門を守ったのは、あの者たちだ」
「ええ。そのことも記録されています」
オルカは笑った。
「ただ、皆さんが最初に知らせてくれなければ、避難が遅れていたのも事実です」
……そうか。
俺は少し照れくさくなった。
別に褒められるためにやったわけじゃない。
でも、こうして言葉にしてもらえると、やっぱり嬉しいものだな。
「なお、採石場の件は引き続き調査中です。皆さんから預かった証言も、東の関所へ送られました」
……なるほど。
グランツのことか。
俺は少しだけ姿勢を正した。
気になることは、まだ残っている。
ただ、今は人間たちが正式に調べている最中だ。
俺たちが勝手に動いて、証拠を探し回る必要はない。
「……ぼう、は?」
俺が尋ねると、オルカはすぐに理解してくれた。
「金属棒ですね。回収されたものは、それぞれ使用できない状態で保管されています」
……おお。
それなら安心だ。
オルカは続けた。
「東の関所で保管している1本、旧坑道に残っていた1本、ハルザ周辺の3本。それから採石場の荷車にあった1本。運搬記録の6本すべてについて、所在が確認されました」
……6本。
俺は頭の中で数を確かめた。
確かに、全部だ。
少なくとも、あの荷運びで動いていた金属棒が、どこかに残されている心配はなくなったらしい。
……よかった。
「ただし、製造元の工房については、まだ照会中です。結果が出れば、関係する関所やギルドにも情報が届くことになります」
……なるほど。
俺は頷いた。
あの音を、エルデ村でも聞いたこと。
それが偶然なのか、何かの繋がりがあるのか。
今は答えが出ない。
でも、調べる手段は残った。
それなら、今すぐ追いかけなくてもいい。
「……さて」
オルカが書類をまとめる。
「お二方は、このあとどうされるんですか?」
ルナは俺を見た。
俺もルナを見る。
……ああ。
そこは、もう決まってるよな。
「南へ向かう」
ルナが答えた。
「明日の朝、町を出るつもりだ」
オルカが微笑んだ。
「でしたら、道中お気をつけて。南の街道はここしばらく平穏ですが、雨のあとは川が増水することがありますから」
……川か。
俺は思わず、以前渡った古い橋を思い出した。
……今度は、まともな橋があるといいな。
◇
ギルドを出たところで、見覚えのない男に声をかけられた。
「……あの、ノアさんですか?」
俺は足を止めた。
目の前にいたのは、若い人間の男だった。
片脚に包帯を巻き、木の杖をついている。
……ん?
どこかで見たような。
俺は小さな目を近づけた。
すると、男が苦笑した。
「採石場で、助けてもらった者です」
……あ。
あのときの!
俺は思わず身体を持ち上げた。
「……あし!」
「はい。まだ少し痛みますけど、歩けるようにはなりました」
……おお。
よかった。
本当に。
男はレントと名乗った。
採石場で木材に脚を挟まれ、俺たちが救助した最後の作業員だ。
今は町の治療師に診てもらいながら、しばらく休養しているらしい。
「どうしても、直接お礼を言いたくて」
レントは杖を持ち直した。
「あのときは、ありがとうございました」
俺は触手を小さく振った。
「……よかった」
それだけしか言えなかった。
でも、レントには十分伝わったらしい。
彼は少し笑い、それから表情を曇らせた。
「……実は、あの坑道が危ないこと、前から分かってたんです」
俺は動きを止めた。
「仕事を始めてすぐ、木の支柱が軋む音を聞きました。奥の壁にも、新しいひびが入っていて」
……そうだったのか。
「作業を止めた方がいいって言ったんです。でも、もう少しで終わるから続けろって」
レントは俯いた。
「嫌なら帰れとも言われました」
……帰れ、か。
俺は黙って続きを待った。
「帰れば、それまでの賃金を払わないって言われたんです」
……。
ああ。
そういうことか。
「家に金を送らなきゃいけなくて……結局、残りました」
レントは苦い顔で笑った。
「馬鹿ですよね。危ないと分かってたのに」
俺はすぐには答えられなかった。
危険だと分かっていた。
それでも、帰れなかった。
……少しだけ、分かる気がした。
人間だった頃、俺はアルバイトを転々としていた。
働かなければ家賃が払えない。
嫌なことがあっても、次の仕事が見つかるとは限らない。
だから、もう少しだけ。
あと1日だけ。
そんなふうに考えながら働いたことがあった。
もちろん、命の危険がある採掘場とは話が違う。
それでも。
目の前の金が必要で、簡単には離れられない気持ちは、少し想像できた。
俺はレントの包帯へ目を向けた。
それから、ゆっくり声を出した。
「……いきてて、よかった」
レントの目が見開かれた。
しばらくして、彼は小さく頷いた。
「……はい」
言葉が少し震えていた。
「本当に、そうですね」
ルナも静かに口を開いた。
「次は、危険だと思ったら逃げるがよい」
レントが頷く。
「……はい」
「金はまた稼げる。だが、失った命は戻らぬ」
……うん。
そこは本当にそうだ。
レントは杖を握り直した。
「今度からは、ちゃんと自分で判断します」
それから、俺たちへもう1度頭を下げた。
「ありがとうございました。どうか、よい旅を」
俺は触手を持ち上げた。
「……そっち、も」
レントは笑った。
そして、ゆっくり通りの向こうへ歩いていった。
俺はその背中を見送りながら、しばらく動かなかった。
……よかったな。
助けられて。
本当に。
◇
「……ノア」
ルナが俺を呼んだ。
……ん?
「そろそろ買い物へ行くぞ」
……ああ。
そうだった。
俺たちは明日、ハルザを出発する。
その前に、必要なものを買い揃えるつもりだった。
俺は自分の荷物を確かめた。
銀貨1枚。
今回の報酬だ。
これを何に使おうか、少し考えていた。
食料は必要だ。
水も補給しなければならない。
それから、旅道具の補修もしておきたい。
……うーん。
やっぱり、水かな。
昨日までの砂嵐や乾いた岩場を思い出す。
俺は身体が乾くと、動きが悪くなる。
だから、普通の旅人より水の確保が重要なのかもしれない。
これまでは、見つけた水場や手持ちの容器に頼っていた。
でも、これから先も乾いた土地が続くなら、もう少し余裕を持ちたい。
……よし。
決めた。
俺はルナへ触手を伸ばした。
「……みず、いれ」
「水入れ?」
俺は頷く。
「……かう」
ルナは少し考えてから頷いた。
「ふむ。よい考えだ」
……だろ?
俺は少し得意になった。
俺たちは旅道具を扱う店へ向かった。
◇
「水筒なら、こちらがおすすめですよ」
店主が棚から革製の水筒を取り出した。
人間の腰へ吊るせるくらいの大きさだ。
口にはしっかりした栓がついている。
……おお。
これ、よさそうだな。
俺は触手を伸ばして持ち上げた。
軽い。
思っていたより丈夫そうだ。
しかも、栓の部分には革紐がついていて、落としにくい構造になっている。
……うん。
いいね。
俺は店主へ値段を尋ね、貨幣を取り出した。
報酬の銀貨1枚だけではなく、残しておいた銅貨も少し使うことになった。
でも、必要なものだ。
無駄遣いじゃない。
俺は水筒を受け取り、荷物へ固定した。
……よし。
これで、少し安心だな。
「貴様、随分と嬉しそうだな」
ルナが言った。
俺は身体を上下させた。
……そりゃな。
自分で稼いだ金で、必要なものを買う。
当たり前のことかもしれないけど、何だかいいじゃないか。
俺は水筒を軽く揺らした。
すると、ルナが小さく笑った。
「ふん。ならば、我も買い物をしてくる」
……お?
何を買うんだ?
俺は尋ねようとしたが、ルナは先に歩き出してしまった。
「宿で待っておれ」
……え?
別行動?
珍しいな。
俺は少し首を傾げた。
まあ、ルナにも欲しいものがあるんだろう。
そう思い、先に宿へ戻ることにした。
◇
「……ただいま」
しばらくして、ルナが部屋へ戻ってきた。
俺は床から身体を持ち上げた。
……お。
帰ってきたか。
ルナの口には、小さな筒状の入れ物がくわえられていた。
細長い革の筒。
両端を紐で結べるようになっている。
……ん?
何だ、それ。
俺が見つめていると、ルナは机の上へ筒を置いた。
「開けてみよ」
……え?
俺が?
ルナは頷いた。
俺は触手を伸ばし、革紐をほどいた。
中から出てきたのは、丸められた紙だった。
……お。
俺は慎重に広げた。
すると、そこには細かな線がたくさん描かれていた。
山。
川。
街道。
そして、町を示す小さな印。
……地図?
しかも、かなり広い範囲が描かれている。
ハルザ周辺だけじゃない。
南へ続く道と、その先の土地まで記されていた。
俺は思わず、ルナを見た。
「……これ」
「旅用の地図だ」
……おお。
地図!
ルナは少し得意そうに胸を張った。
「我らは南へ向かう。ならば、行き先の目安くらいはあった方がよいであろう?」
……確かに。
俺は地図を眺めた。
細かな文字は、まだ読めない。
でも、地形の形は分かる。
川の位置。
山の位置。
街道がどこへ続いているのか。
それだけでも十分ありがたい。
しかも、これまで使っていた簡単な案内図とは違い、かなり遠くまで描かれている。
……すごいな。
俺は触手で、地図の端を軽く押さえた。
「……ありが、と」
ルナが一瞬、目を丸くした。
それから、小さく笑う。
「ふん。別に貴様だけのものではない。我も使うのだからな」
……まあな。
それはそうだけど。
でも。
ルナが自分の報酬で、旅に必要なものを買ってきてくれた。
それが嬉しかった。
俺は地図をもう1度眺めた。
すると、南の街道の先に、大きな川が描かれているのが目に入った。
……お。
結構大きいな。
俺は川の部分を指した。
「……ここ?」
ルナが覗き込む。
「ふむ。ここから先は、川沿いの道になるようだな」
……なるほど。
水場が多そうだ。
それはありがたい。
「ただし、渡れる場所は限られておるようだ」
ルナは橋を示す印を指した。
……ああ。
そうか。
大きな川なら、どこでも渡れるわけじゃないもんな。
俺たちはしばらく地図を眺めながら、次の旅の道筋を考えた。
宿場町。
森。
川。
その先には、まだ知らない土地が広がっている。
……いいね。
こういうの。
どこへ行こうか考えるだけで、少し楽しくなる。
俺は小さな目を動かし、地図の端から端まで眺めた。
すると、ルナが静かに口を開いた。
「……ノア」
……ん?
「我らは、よくここまで来たな」
俺は顔を上げた。
ルナは地図を見つめている。
その表情は、いつもより少し穏やかだった。
……ああ。
そうだな。
洞窟を出て。
村へ行って。
町を歩いて。
川を渡って。
草原を抜けて。
そして、ここまで来た。
最初は、ただ生き延びることで精一杯だった。
ルナも怪我をしていたし、俺はまともに喋ることさえできなかった。
それが今では、こうして2人で地図を広げ、行き先を相談している。
……何だか、不思議だな。
俺は小さく身体を上下させた。
「……うん」
ルナがこちらを見る。
「まだ、知らぬ場所がたくさんあるぞ」
俺は地図へ目を向けた。
……ああ。
本当に。
ここに描かれているだけでも、知らない場所ばかりだ。
しかも、地図の外側には、もっと広い世界があるはずだ。
……楽しみだな。
俺は触手を伸ばし、地図の南側へ軽く触れた。
すると、ルナも同じ場所へ前脚を置いた。
「……次は、こちらだな」
俺は頷いた。
「……いこう」
ルナが笑う。
「うむ」
俺は地図をゆっくり丸め、革の筒へ戻した。
明日の朝、俺たちはハルザを出る。
事件の証拠は、人間たちへ引き渡した。
グランツも捕まった。
果樹園には鳥が戻り始めている。
……うん。
ここでの仕事は、終わったんだ。
俺は新しく買った水筒と、ルナの地図を並べて眺めた。
銀貨を使って手に入れた、小さな旅道具。
どちらも特別な魔道具じゃない。
でも、今の俺たちには必要なものだった。
……よし。
明日は、久しぶりに早く出発しよう。
俺はそう考えながら、床へ身体を広げた。
すると、寝台の上からルナの声がした。
「……ノア」
……ん?
「南の川には、魚がおるだろうか?」
……。
……そこかよ。
俺は思わず身体を揺らした。
ルナは平然と続ける。
「もしおるなら、少し捕ってみたいものだな」
……まあ。
それも悪くないか。
俺は小さく頷いた。
「……さかな」
「うむ」
「……とろう」
ルナの尻尾が嬉しそうに揺れた。
「ふふっ。決まりだな」
……やれやれ。
結局、次の目的地より食べ物の方が楽しみらしい。
俺は呆れながらも、少しだけ笑ってしまった。
明日の旅は、どんなものになるんだろう。
少なくとも、今夜の俺たちは、もう事件のことばかり考えてはいなかった。
机の上には、南へ続く道が描かれた地図が置かれている。
俺はその形を思い浮かべながら、静かに身体を休めた。




