第2部 第68話 石の値段
「売り先なんか、決まっちゃいねえよ」
グランツは、投げやりにそう言った。
ハルザ南門の衛兵詰所。
夜になった今も、机の上には採石場から回収した帳面や木箱の封印が並んでいる。
グランツは椅子に座らされ、両手を拘束されていた。
俺とルナは少し離れた場所にいる。
本来なら休んでいるべきなのだが、例の金属棒とエルデ村での出来事が気になり、オルカの立ち会いのもとで話を聞かせてもらうことになった。
もっとも、今の俺はあまり動けない。
採石場の崩落で身体の一部を失い、残った部分もかなり消耗している。
水分は補給したが、失った質量まで元に戻ったわけじゃない。
脚を作ることはできる。ただ、今夜は無理をしない方がよさそうだった。
「受取人が空欄だったのは、まだ決まっていなかったからだ」
グランツは続けた。
「鉱石を掘り出してから、一番高く買う相手へ渡すつもりだった。それだけだ」
衛兵長が眉をひそめた。
「だから、運搬の記録を偽ったのか?」
「……ああ」
「測量器具というのも嘘だったな」
「全部が嘘ってわけじゃねえ。あの棒は、実際に地形を調べる仕事でも使われる」
……そうなのか。
俺は少し意外に思った。
グランツは机に置かれた金属棒の図を顎で示す。
「風や振動を拾う道具を、魔獣避けに使えるよう細工したものだ。鉱石を採るには便利なんだよ」
「便利、ねえ」
オルカの声が冷たくなった。
「その便利な道具のおかげで、町の南門が大騒ぎになりましたけど」
グランツは口を閉じた。
衛兵長が机を軽く叩く。
「続きを話せ」
しばらく沈黙してから、グランツは重い口を開いた。
「……最初は、普通に採掘の許可を取るつもりだった」
男の話によれば、響晶石は少量でも高値で取引される鉱石らしい。
微かな振動を伝えたり、増幅したりする性質を持つため、特定の魔道具や精密な器具の材料として使われる。
ただし、どこででも採れるわけではない。
ハルザ南部の古い採石場では、かつて良質なものが見つかっていたという。
「採掘権を申請した。だが、危険だから駄目だと突っぱねられた」
「当然だ。あそこは地盤が崩れて閉鎖された場所だぞ」
衛兵長が言った。
グランツは苦々しく笑った。
「分かってるよ。だが、あれだけの鉱脈を眠らせとくのは惜しいだろ」
……惜しい、か。
俺はその言葉を聞いて、崩れ落ちた坑口を思い出した。
倒れた木材。
逃げ遅れた作業員。
岩に挟まれて、動けなくなっていた脚。
……あれを見ても、同じことが言えるのかな。
「そこで、勝手に掘り始めたわけか」
「ああ。最初は少人数だった。魔獣が多くて作業にならねえから、あの棒を用意した」
「6本だな?」
「そうだ」
グランツが頷いた。
「周囲の魔獣を遠ざければ、採石場へ入れる。そう思ったんだ」
……なるほど。
俺は少し考えた。
あの棒を設置したのは、町へ魔獣を送り込むためではなかったらしい。
少なくとも、グランツ本人はそう主張している。
自分たちの作業場所から魔獣を追い払おうとした。
その結果、逃げた魔獣たちの一部が、ハルザへ向かった。
……目的と結果が違ったわけか。
だからといって、被害が消えるわけじゃないけどな。
◇
「1つ聞いてもよいか?」
ルナが口を開いた。
グランツがこちらへ顔を向ける。
「……何だよ」
「貴様は、採石場が崩れるかもしれぬと知っておったな?」
男の表情が変わった。
「……誰に聞いた?」
「昨日、作業員が話しておった。奥の岩盤が危険だと」
グランツは黙り込んだ。
ルナは続ける。
「それでも、掘るのをやめなかった」
「……もう少しで、まとまった量が採れたんだ」
「だから?」
「だから……!」
グランツが声を荒らげた。
「途中でやめたら、それまでに使った金が全部無駄になるだろうが!」
部屋が静まり返った。
俺はグランツを見た。
男は荒い息をつきながら、机へ目を落としている。
……そうか。
金が惜しかったのか。
俺は少しだけ、昔の仕事を思い出した。
時間がない。
人手が足りない。
今日中に終わらせろ。
そう言われながら、無理な仕事を続けたことが何度もあった。
ただ、今の話はそれとは違う。
危険だと知っていて、人を坑道へ入れた。
しかも、その人間が逃げ遅れた。
「……ノア?」
ルナが小さく呼んだ。
俺は身体を持ち上げた。
声を出すには少し集中が必要だったが、どうしても聞きたいことがあった。
「……ひと、いた」
グランツが俺を見る。
俺は言葉を区切った。
「……くずれる。……ひと、いた」
男の眉が寄る。
「……何が言いたい?」
うまく話せないのが、もどかしい。
俺は触手を伸ばし、採石場の図を指した。
坑道。
入口。
その奥。
「……しってた?」
グランツは少し黙った。
やがて、視線を逸らす。
「……ああ。最後に残ってた作業員がいることは知ってた」
……。
それで、荷物を運ぼうとしていたのか。
俺が坑口へ入ったとき、グランツはまだ木箱を手放そうとしなかった。
あの場面が、頭から離れない。
ルナが低い声で言った。
「貴様が守ろうとしたのは、石の方であったな」
グランツは答えなかった。
代わりに、衛兵長が記録へ何かを書き込んだ。
「今の話も、作業員の証言と照らし合わせる」
それから、グランツを見据える。
「無許可の採掘、運搬記録の偽装、荷運びの監禁。さらに危険な坑道で作業を続けさせた件もある」
グランツは椅子へ深く座り直した。
抵抗する気力もなくなったのか、もう言い返さなかった。
◇
その後、採石場から運び出された木箱の確認が行われた。
俺は机の脇で休みながら、オルカと衛兵長のやり取りを聞いていた。
「……こちらが鉱石の取引記録です」
オルカは小さな紙束を広げた。
「売却予定額は書かれていますが、買い手の名前がありません」
「本人の説明と一致するな」
衛兵長が頷く。
「つまり、値段だけ先に決めていたわけか」
……なるほど。
買い手もいないのに、先に値段をつけていたんだ。
グランツは、響晶石が高く売れると信じて採掘を続けていた。
許可が取れなくても。
人を危険に晒しても。
……それだけ欲しかったんだろうな。
ただ、金属棒の方には、別の手がかりが残っていた。
オルカが取り出したのは、小さな金属板だった。
採石場にあった木箱の底へ、梱包材と一緒に入っていたものらしい。
「これは、器具の製造元を示す札だと思います」
……製造元?
俺は目を近づけた。
札の表面には、円を2つ重ねたような模様が刻まれている。
その下には、細かな文字が並んでいた。
ルナが覗き込む。
「……どこの工房だ?」
オルカは記録を確かめた。
「北方の工房組合ですね。商人向けの登録簿に名前があります」
……北方か。
エルデ村で見た棒との関係も、少し気になる。
俺は触手を持ち上げた。
「……エルデ」
ルナがこちらを向いた。
「……ああ」
それから、オルカへ説明する。
「以前、エルデ村の近くでも似た道具を使う者たちに遭遇したのだ」
オルカが顔を上げた。
「同じものだったんですか?」
「そこまでは分からぬ。ただ、形と音はよく似ていた」
「……なるほど」
オルカは製造元の札を眺めた。
「この工房の製品は、いくつかの商会を通して流通しているようです。もし同じ品だったとしても、使っていた者同士が繋がっているとは限りませんね」
……そうか。
俺は少し考えた。
同じ道具を使っているからといって、同じ仲間とは限らない。
人間だった頃だって、同じメーカーの工具を持っている職人が、全員知り合いなわけじゃなかった。
……確かに。
それと同じか。
でも、道具の出所が分かれば、何か手がかりになるかもしれない。
俺がそんなことを考えていると、オルカが言った。
「工房組合の登録と照合してみます。ここから先は、こちらで調べられることもありますから」
……ありがたい。
俺は短く声を出した。
「……おねがい」
オルカが笑った。
「ええ。任せてください」
その言葉を聞いて、ようやく少し肩の力が抜けた。
……肩、作ってないけどな。
◇
翌朝。
グランツたちは、正式な取り調べのため東の関所へ送られることになった。
坑道でガランたちを閉じ込めた件についても、向こうで記録が残っている。
今回の採石場の件と合わせて、詳しく調べられるらしい。
南門の衛兵長は、俺たちにも見送りに来るかと声をかけてくれた。
ただ、俺は断った。
身体がまだ十分に回復していなかったからだ。
それに。
もう、直接グランツへ聞きたいことはなかった。
宿の部屋で休んでいると、扉が軽く叩かれた。
「ノア、ルナ。入ってもいいか?」
……ん?
バロの声だ。
ルナが返事をすると、男が部屋へ入ってきた。
手には、小さな籠を持っている。
「昨日は、ろくに礼も言えなかったからな」
そう言って、机の上へ籠を置いた。
中には、赤く色づいた果実がいくつも入っていた。
「うちの果樹園で採れたものだ」
……お。
立派な果物だな。
ルナの耳が、ぴんと立った。
「……ほう」
……いや。
その反応、分かりやすすぎるだろ。
バロが笑った。
「遠慮せず食ってくれ。売り物にしてもいいくらい、よく熟れてる」
「よいのか?」
「ああ。世話になった礼だ」
ルナは俺を見た。
俺は触手を振った。
……どうぞ。
ルナは果実を1つ受け取り、さっそく口をつけた。
――しゃくっ。
一瞬、目を丸くする。
「……甘いな」
バロの顔がほころんだ。
「そうだろう?」
「うむ。これはよい」
……おお。
果樹園の持ち主にとっては、嬉しい感想なんだろうな。
俺も果実を1つ受け取った。
表面は滑らかで、少し弾力がある。
俺にはまだ味の違いは分からないけれど、取り込むことはできる。
今は、身体を回復させるための栄養も必要だった。
《捕食》。
果実を少しずつ取り込む。
……うん。
水分が多いな。
乾いた旅の途中だったら、かなりありがたい食べ物だ。
「……そういえば」
ルナが果実を食べながら尋ねた。
「鳥は戻ってきたのか?」
バロは頷いた。
「少しずつな。今朝は、久しぶりに実を突かれたよ」
……お。
それはよかった。
「まあ、鳥に食われるのは困るんだが……」
バロは少し照れくさそうに笑った。
「まったく来なくなるよりは、ましだな」
ルナが小さく鼻を鳴らす。
「ふん。では、鳥の分も残してやるがよい」
「そこは勘弁してくれよ。俺だって商売なんだ」
……はは。
そりゃそうだ。
俺は思わず身体の端を揺らした。
バロはしばらく笑っていたが、やがて表情を改めた。
「……なあ、ノア」
俺は顔を向けた。
「昨日、採石場で人を助けたんだってな」
……あ。
そうか。
バロは崩落のあと、衛兵たちと一緒に荷物の回収を手伝っていた。
俺が坑道へ入ったところまでは見ていなかったのかもしれない。
俺は身体を上下させた。
「助けられた作業員から聞いたよ。あんたがいなかったら、外へ出られなかったって」
……まあ。
縄を引いてくれた衛兵たちがいなければ、俺にも無理だったけどな。
俺は触手を伸ばし、人を引くような動きをした。
「……みんな」
バロは一瞬首を傾げたあと、頷いた。
「ああ。そうだな」
そして、少しだけ笑った。
「でも、あんたが最初に中へ入ったんだろ?」
……。
そこは、そうだな。
俺は小さく頷いた。
バロは静かに言った。
「……ありがとな」
いつもの大きな声とは違う、落ち着いた声だった。
俺は少し照れくさくなって、目を逸らした。
……いや。
別に、そんな大したことじゃない。
助けられそうだったから、助けただけだ。
それに、正直かなり怖かった。
岩が崩れたときなんて、本当に終わったかと思ったし。
……もう、同じことはやりたくないな。
俺がそんなことを考えていると、ルナが言った。
「ノアは、あまり自分のことを考えずに動くからな」
……おい。
それは、ちょっと違うだろ。
俺だって考えてるぞ。
「考えてはおる。だが、危険が迫ると、まず身体が動いておる」
……。
……あ。
言い返せない。
バロが笑った。
「ははっ。そういうところも、いい相棒なんだろうな」
ルナは得意そうに尻尾を揺らした。
「当然だ」
……だから。
何でお前が得意そうなんだよ。
俺は触手を振った。
バロとルナが笑う。
……まあ、いいか。
今は、こうして笑っていられるんだから。
◇
バロが帰ったあと、俺は机の上へ小さな鏡を置いた。
ハルザへ来た日に買ったものだ。
映っているのは、少し縮んだ不定形の身体。
昨日の崩落で失った部分があるため、以前より小さくなっている。
……うーん。
やっぱり、結構減ったな。
俺は身体の端を動かしてみた。
《構造形成》で脚を作ろうとする。
だが、いつもの4本を揃えると、胴体の方が薄くなりすぎた。
……あ。
これは駄目だ。
俺はすぐに形を戻した。
今は無理に4本脚にこだわらない方がいい。
身体の量が戻るまでは、別の移動方法を使えばいいんだから。
俺は鏡を眺めながら、下側へ2本の短い脚を作った。
残った部分は、身体を支えるための幅広い土台にする。
……うん。
これなら、さっきより安定する。
試しに机の上を少し歩いてみた。
トン。
トン。
……お。
悪くない。
速度は遅いけど、今の状態なら十分だ。
「……ノア」
寝台からルナが声をかける。
俺は顔を向けた。
「無理をするなと言ったであろう」
……いや。
ちょっと試してただけだって。
「ふん。ならばよい」
ルナはそれだけ言って、再び身体を丸めた。
……心配してくれてるんだろうな。
俺は鏡を布で包み、荷物へ戻した。
そして、窓の外へ目を向けた。
ハルザの町は、今日も賑やかだった。
荷車が通り、店の呼び込みが聞こえ、通りには旅人が行き交っている。
昨日までの騒ぎが嘘のようだ。
……いや。
実際には、まだ後始末が残っているんだろう。
南門の壊れた木柵。
逃げた森猪たちの行方。
採石場の調査。
グランツたちへの取り調べ。
すべてが片づいたわけじゃない。
ただ、俺たちが直接やらなきゃいけないことは、少なくなってきた。
事件の記録も、証拠も、人間たちへ引き渡した。
……うん。
それでいい。
俺は机から降り、床へ身体を広げた。
すると、ルナが小さく声をかけてきた。
「……ノア」
……ん?
「身体が戻ったら、また南へ行くぞ」
俺は少し考えた。
南。
元々、俺たちが進もうとしていた方向だ。
途中でいろいろあって、ずいぶん寄り道したけど。
……ああ。
そうだったな。
俺たちは、旅をしているんだ。
別に、事件を解決するために生きているわけじゃない。
まだ知らない土地へ行って。
いろんな生き物に出会って。
少しずつ、自分にできることを増やしていく。
……うん。
また、旅を続けよう。
俺は発声用の構造を整えた。
「……いこう」
ルナが笑った。
「うむ」
俺はゆっくり身体を丸めた。
その横には、バロが置いていった果実の籠がある。
ルナが食べた分を除いても、まだいくつか残っていた。
……さて。
今日は、あれを取り込んで身体を休めよう。
そして、もう少し動けるようになったら。
次は、本当に何の事件も起きない旅がしたい。
……いや。
それは、ちょっと退屈かな。
俺はそんなことを考えながら、窓の外の賑やかな声を聞いていた。




