第2部 第62話 馬の言い分
「あんたたち、ちょっと離れてくれ!」
朝から馬に嫌われた。
……いや、正確には馬の世話をしている男に、離れてくれと言われた。
俺は関所の中庭で脚を止め、目の前の馬を見上げた。
茶色い毛並み。
大きな身体。
太い首。
人間だった頃にも馬を見たことはあるが、こんなに近くで眺めるのは初めてかもしれない。
……おお。
でっかいな。
俺が興味津々で見ていると、馬が突然、前脚を高く持ち上げた。
「ブルルッ!」
……うわっ!?
俺は慌てて後ろへ下がった。
「ほら、怖がってるじゃないか!」
馬の世話をしている男が、手綱を握り直した。
「悪いけど、魔獣はあっちで待っててくれ!」
……あ。
そうか。
俺たちが怖いのか。
そりゃそうだよな。
見慣れない銀色の魔獣と、脚の生えた謎の生き物。
普通の馬からすれば、怪しいにもほどがある。
俺は素直に身体を引いた。
「……ふん」
隣では、ルナが不満そうに鼻を鳴らしている。
「我らは何もしておらぬぞ」
「分かってるよ。でも、馬には分からないんだ」
男は苦笑した。
「普段は大人しいやつなんだけどね。今日は朝から落ち着きがなくてさ」
……ふむ。
今日は朝から?
それなら、俺たちだけが原因とは限らないんじゃないか?
俺は少し気になったが、とりあえず中庭の端へ移動した。
ルナも渋々ついてくる。
「……まったく。失礼な人間だ」
……まあまあ。
馬を落ち着かせるのが仕事なんだろうし、仕方ないって。
俺は触手を伸ばし、ルナの前脚へ軽く触れた。
トン、トン。
ルナがこちらを見る。
「……何だ?」
俺は身体を左右へ揺らした。
落ち着け、というつもりだった。
ルナは少し目を細めたあと、小さく笑う。
「……ふん。貴様に言われるとはな」
……何だよ。
俺だって、たまには落ち着いて行動するんですよ。
そんなことを考えていると、中庭の向こうから再び声が上がった。
「おい、どうした! 進め!」
……ん?
俺は振り返った。
さっきの馬が、まだ暴れている。
俺たちは十分離れたはずなのに、前脚を踏み鳴らし、しきりに首を振っていた。
……あれ?
おかしいな。
◇
昨日、俺たちは東の関所へ到着した。
坑道へ閉じ込められていたガランとニコを送り届け、事件の事情を説明したのだ。
関所の責任者ダインは、俺たちの話をきちんと聞いてくれた。
しかも、証人として俺の名前まで記録してくれた。
……いやあ。
あれは嬉しかったな。
何しろ、今までの俺は自分の種族すら説明できなかった。
それが今では、名前を伝え、見たことを説明し、事件の証言までできるようになったんだ。
……まあ。
ほとんどルナに助けてもらったんだけど。
それでも、大きな進歩だと思う。
そして今朝。
ダインはガランたちを町へ送るため、関所の馬車を準備していた。
ガランとニコは、昨日よりさらに顔色がよくなっている。
とはいえ、まだ十分に回復したわけじゃない。
町の治療師に診てもらった方がいい、という判断だった。
拘束されているテオと髭面の男も、別の馬車で移送されることになっている。
……うん。
これで、ようやく事件の後始末も進みそうだ。
俺たちも、そろそろ自分たちの旅へ戻れるかな。
そう思っていたのだが。
「駄目だ! 全然進まない!」
馬の世話をしている男が困り果てていた。
馬は首を振り、馬車の前から動こうとしない。
俺とルナは中庭の端にいる。
それなのに、様子が変わらなかった。
……ふむ。
やっぱり変だな。
「……ノア」
ルナが小声で言った。
「貴様も気づいたか?」
俺は身体を上下させた。
「……うん」
「あの馬、何かを嫌がっておる」
……そうだよな。
ただ、何を嫌がっているのか分からない。
俺は小さな目を作り、馬の様子を観察した。
馬は何度も首を振っている。
耳を後ろへ倒し、鼻を鳴らす。
そして、ある方向だけを妙に気にしていた。
……ん?
俺は首を動かした。
馬が見ているのは、中庭の奥にある小さな建物だ。
屋根が低く、窓には鉄格子がついている。
……倉庫かな。
入口では、番兵が2人、何かを運び出そうとしていた。
布に包まれた、細長いもの。
……あれ?
俺は思わず身体を持ち上げた。
……まさか。
あれって。
「……ルナ」
「何だ?」
俺は倉庫の方を指した。
「……ぼう」
ルナがそちらへ顔を向ける。
「棒?」
俺は大きく身体を上下させた。
「……きのう」
少し考えてから、付け加える。
「……きんぞく」
ルナの耳がぴくりと動いた。
「……あの道具か」
……そう。
昨日、ダインへ預けた金属棒。
魔獣が嫌がる振動を出す、あの道具だ。
俺は倉庫へ意識を向けた。
そして、地面へ細い触手を伸ばす。
《微振動感知》。
……ん。
最初は、普通の足音や荷車の振動しか分からなかった。
だが、意識を集中すると。
――……ン。
……え?
俺は動きを止めた。
何かがある。
ごく細かな振動。
それも、一定ではない。
風が吹いたときだけ、わずかに強くなる。
……何だ、これ。
俺は触手を少し広げた。
すると、今度ははっきり感じ取れた。
――……ィン。
……っ。
嫌な感覚。
以前、エルデ村で味わったものとよく似ている。
ただし、今回はずっと弱い。
身体が動かなくなるほどではない。
……でも。
間違いない。
あの棒だ。
俺は慌ててルナへ顔を向けた。
「……おと!」
「む?」
「……ぼう、おと!」
ルナが一瞬黙った。
それから、倉庫の方へ耳を向ける。
「……我には聞こえぬぞ」
……え?
本当か?
ルナは少し目を細めた。
「いや……待て」
再び風が吹いた。
――ヒュウッ。
その瞬間。
「……む」
ルナの耳が伏せられた。
「……かすかに聞こえるな」
……やっぱり!
俺は身体を持ち上げた。
ルナは倉庫を見つめたまま続ける。
「だが、誰も鳴らしておらぬようだぞ」
……そこなんだよ。
俺も、それが気になってる。
◇
「……勝手に鳴っている?」
ダインは俺たちの話を聞くと、眉をひそめた。
「昨日、調べるときに鳴らさないよう指示したはずだが」
「誰かが鳴らしておるとは言っておらぬ」
ルナが答える。
「何もしておらぬのに、音が出ているらしいのだ」
ダインは少し考え込んだ。
「……なるほど」
それから、近くの番兵を呼び止めた。
「今、倉庫から何を運び出している?」
「昨日預かった金属棒です。別の保管場所へ移すよう言われまして」
「先端には触れたか?」
「いえ。布に包んだままです」
……うん。
やっぱり。
誰かが意図的に鳴らしているわけじゃないらしい。
ダインは倉庫へ目を向けた。
「……少し確認しよう」
……お。
俺は思わず身体を動かした。
でも、その直後。
「ただし、棒は鳴らすな。馬からも離しておけ」
……あ。
なるほど。
その方がいいな。
俺たちは倉庫から十分離れた中庭の端へ移動した。
運ばれてきた金属棒は、布に包まれたまま木の台へ置かれた。
俺は少し離れた位置から、細い触手だけを地面へ伸ばす。
……よし。
今のところ、あの嫌な振動は弱い。
ダインが番兵へ指示する。
「布を少しだけ外せ。ただし、先端の金具には触れるな」
番兵は慎重に布を緩めた。
……お。
見えた。
細長い金属棒。
そして、先端に取り付けられた輪のような金具。
俺は目を動かし、そこを観察した。
……ん?
あれ。
よく見ると、輪の内側に細い隙間がある。
しかも、1つじゃない。
小さな切れ込みが、いくつか並んでいる。
……何だろう。
何かを取り付けるための形なのかな。
そのとき。
――ヒュウッ。
中庭へ風が吹き込んだ。
金属棒の先端を、風が通り抜ける。
――……ィィン。
……っ!
俺の身体が小さく震えた。
今度は、はっきり分かった。
音が出ている。
しかも、誰も触れていない。
……そうか!
俺は思わず触手を持ち上げた。
「……かぜ!」
ダインがこちらを見る。
「風?」
俺は金属棒の先端を指した。
「……かぜ、なる!」
ダインは一瞬考えてから、番兵へ言った。
「金具の隙間を布で覆ってみろ」
番兵が慎重に布を巻き直す。
風が通らないよう、先端を包んだ。
すると。
……あ。
消えた。
さっきまで地面へ伝わっていた細かな振動が、ほとんど感じられなくなった。
……おお。
やっぱり!
俺は大きく身体を上下させた。
ダインは馬の方へ視線を向ける。
少し離れた場所では、馬がまだ落ち着かない様子で首を振っていた。
だが、しばらくすると。
「……あれ?」
馬の世話をしていた男が声を上げた。
「少し落ち着いたぞ」
……お。
本当か?
男は手綱を緩め、ゆっくり馬を歩かせた。
今度は素直に前脚を踏み出す。
1歩。
もう1歩。
馬車が動いた。
……おお!
動いた!
俺は思わず身体を持ち上げた。
「……ふむ」
ルナが小さく息を吐いた。
「やはり、あの音を嫌がっておったのかもしれぬな」
……うん。
ただ、まだ完全に証明できたわけじゃない。
馬がたまたま落ち着いただけかもしれないし、別の理由もあるだろう。
それでも。
棒の先端を覆ったら、俺が感じていた振動が消えた。
そのあとで馬も落ち着いた。
……十分、気になる結果だよな。
ダインも同じことを考えたらしい。
「……なるほど。鳴らさなくても、風で音が出る場合があるのか」
男は金属棒を眺めた。
「馬が嫌がっていた理由も、それかもしれん」
……そうだな。
俺は布に包まれた棒へ目を向けた。
今は静かだ。
さっきまでの嫌な感覚も、ほとんどない。
……なるほど。
これ。
思っていた以上に厄介な道具なんじゃないか?
◇
「つまり、あの棒は魔獣を追い払うためのものではないかもしれぬ、ということか?」
関所の小さな部屋へ戻ったあと、ルナがそう尋ねた。
ダインは机へ置いた記録を眺めながら答える。
「まだ分からん。だが、単に鳴らして使う道具ではなさそうだ」
……うん。
それは確かだと思う。
俺は机の端へ身体を寄せた。
金属棒は、今は別の建物へ移されている。
馬小屋から離れた、風の入りにくい場所だ。
先端も布で覆ったままにしてあるらしい。
……よかった。
少なくとも、また馬が怯えることは減るだろう。
「……しかし」
ダインが口を開いた。
「もし、風だけで音が出せるとしたら、妙な使い方もできるな」
……ん?
妙な使い方?
「例えば、あれを複数並べて置く。風が吹けば、そこへ近づく魔獣を追い払えるかもしれない」
……あ。
なるほど。
それなら、人間がずっと見張っている必要もない。
「あるいは、特定の場所へ魔獣を近づけないようにすることもできるだろう」
ルナの目が細くなった。
「……つまり、道を塞ぐような使い方か」
「そうだ」
……ふむ。
俺は少し考えた。
魔獣が嫌がる音。
その音を出す棒。
そして、荷運びの帳面に書かれていた6本という数。
……もし。
もし、あの棒を何本も使ったら。
広い範囲から魔獣を追い出すこともできるのか?
いや。
待てよ。
追い出すだけじゃない。
……移動する方向を、ある程度誘導することもできるんじゃないか?
例えば、行ってほしくない方向に棒を置く。
魔獣がその音を嫌がって、別の方向へ移動する。
そこにも棒があれば、さらに別の方向へ。
……そう考えると。
6本という数にも、何か意味があるのかもしれない。
俺は机の上へ触手を伸ばした。
近くに置かれた小石を3つ集める。
そして、少し間隔を空けて並べた。
「……ノア?」
ルナがこちらを見る。
俺は小さな石を1つ、少し離れた場所へ置いた。
次に、3つの石へ向かって細い触手を伸ばす。
中央から、左右へ。
そして、空いている方向へ。
……こんな感じかな。
「……なるほど」
ルナが呟いた。
「石を置いた場所へ近づけぬようにすれば、別の道を通らせられる、ということか?」
俺は勢いよく身体を上下させた。
……そう!
それ!
ダインも小石を眺めた。
「……魔獣の移動先を誘導する、か」
男は少し考え込んだ。
「確かに、理屈としてはあり得る」
……おお。
やっぱり?
「だが、今のところ推測にすぎないな」
……あ。
そうか。
確かに。
俺たちは、馬が嫌がる音を確認しただけだ。
あの棒がどれくらい遠くまで影響するのか。
すべての魔獣に効くのか。
特定の種類にだけ効くのか。
それすら、まだ分からない。
……うん。
決めつけるのは早いな。
俺は小石を元の場所へ戻した。
ダインは紙へ何かを書き込んだ。
「だが、有益な見方だ。調べる価値はある」
……お。
それならよかった。
「専門の者へ渡すときにも、今日のことを伝えておこう」
……うん。
そうしてくれると助かる。
俺は少し安心した。
しかし。
考えれば考えるほど、あの棒が気になってくる。
魔獣を嫌がらせる音。
風でも鳴る仕組み。
そして、受取人の分からない6本の荷物。
……ただの測量器具じゃない。
そこだけは、もう間違いなさそうだった。
◇
昼を過ぎる頃、ガランたちを乗せた馬車は無事に関所を出発した。
馬は落ち着いていて、今度は嫌がる様子もない。
見送りに来たガランが、荷台から手を振った。
「ノア! ルナ! 本当にありがとう!」
……お。
俺は触手を高く持ち上げた。
「……きを、つけて!」
少し音が途切れた。
でも、ちゃんと伝わったらしい。
ガランが笑う。
「ああ! そっちもな!」
ニコも隣から手を振っている。
……うん。
元気そうでよかった。
俺は馬車が見えなくなるまで、その背中を眺めていた。
やがて、隣からルナの声がした。
「……さて、ノア」
……ん?
「そろそろ、我らも行き先を決めるか」
……ああ。
そうだったな。
俺たちは、いつまでも関所にいるわけにはいかない。
元々は、南へ旅を続けるつもりだった。
岩山を越えた先には、まだ知らない土地が広がっているはずだ。
でも、今は少し状況が変わっている。
古い坑道で事件が起きた。
グランツという男が逃げた。
それに、金属棒のことも気になる。
……どうしようかな。
俺が考え込んでいると、ダインが近づいてきた。
「まだ、出発していなかったか」
……お。
俺は身体を向けた。
「……うん」
「ちょうどよかった。少し話がある」
……ん?
何だろう。
ダインは小さな地図を広げた。
関所の周辺を示したものらしい。
俺は目を近づける。
……おお。
これは分かりやすいな。
文字はまだほとんど読めない。
でも、道や川の形なら理解できる。
ダインは地図の中央を指した。
「ここが今いる関所だ」
……なるほど。
「南の旧道は、今は安全を確認できていない。しばらくは通行を控えてもらうことになる」
……あ。
そうなのか。
まあ、仕方ないな。
落石もあるし、危険な連中がまだ近くにいるかもしれない。
「ただ、南へ進む道がなくなったわけじゃない」
ダインは別の線を指した。
「東の街道を少し進めば、南へ向かう公道へ入れる。その先にはハルザという宿場町がある」
……ハルザ。
初めて聞く名前だな。
「大きな町ではないが、旅人向けの宿や店がある。冒険者ギルドの出張所もあるはずだ」
……おお。
ギルド!
それはありがたい。
何しろ、俺たちの手持ちの貨幣も無限じゃない。
トルゼで依頼を受けたときは、ちゃんと報酬をもらえた。
旅を続けるなら、また何か仕事を探した方がいいだろう。
それに、人間の町なら食料や道具も補充できる。
……うん。
悪くないな。
ルナも地図を眺めていた。
「……ふむ。南へ続くなら、我らの行き先にも合っておる」
ダインが頷く。
「ただし、しばらくは公道から大きく外れない方がいい。グランツの行方も分かっていないからな」
……そうだな。
そこは気をつけよう。
俺は身体を上下させた。
「……わかった」
ダインは少し笑った。
「それと、もう1つ」
……ん?
男は机から小さな紙を取り出した。
折り畳まれた紙には、関所の印が押されている。
「これは、昨日の件についての証言協力を記したものだ。もし道中で何か聞かれたら、見せるといい」
……え?
俺は一瞬、固まった。
……俺たちに?
「正式な身分証ではない。通行許可を保証するものでもないが、少なくともここで協力してくれたことは確認できる」
……なるほど。
俺は触手を伸ばし、紙を受け取った。
小さな紙だ。
でも、そこには文字が並んでいる。
俺には、まだ全部は読めない。
ただ。
その中に自分の名前があることは、分かった。
ノア。
……ああ。
また書いてくれたんだな。
俺は紙を荷物の中へ慎重にしまった。
「……ありが、と」
ダインが頷く。
「こちらこそ、助かった」
……うん。
何だか、嬉しいな。
俺は少しだけ身体を持ち上げた。
「……ノア」
ルナが隣から声をかけてきた。
……ん?
「よかったではないか」
俺は身体を上下させた。
……うん。
本当に。
◇
その日の夕方。
俺たちは関所を離れ、東の街道を進んでいた。
イリナはもうしばらく関所へ残るらしい。
例の古い道標のことや、南の旧道の状況をダインへ伝える仕事があるのだそうだ。
別れるときには、いつもの調子で笑っていた。
『今度は、飲めない井戸に騙されるんじゃないよ!』
……いや。
あれは本当に危なかったな。
俺は少し苦笑した。
そして、荷物の中にある木板へ触れる。
イリナからもらった、道の形を指先で確かめられる板。
今でも、ちゃんと持っている。
……うん。
これからも役に立ちそうだ。
「……ノア」
ルナが隣で足を止めた。
「もう少し進んだら、今夜の寝床を探すぞ」
……おう。
俺は脚を動かした。
今度は4本脚だ。
短い前脚。
少し太い後ろ脚。
首の先には、小さな目。
以前よりずっと安定した姿で、街道を歩けるようになっていた。
「……それにしても」
ルナが口を開く。
「今日の馬は、随分と騒がしかったな」
……ああ。
そうだったな。
俺は少し考えた。
あの馬は、何も説明できなかった。
ただ嫌がって、進もうとしなかっただけだ。
でも、その様子を見ていなければ、金属棒が風だけでも鳴ることには気づかなかったかもしれない。
……そうか。
喋れなくても、何かを伝えられることはあるんだな。
俺だって、最初はそうだった。
声が出ない頃は、身体を動かしたり、触手で指したりして意思を伝えていた。
ルナはそれを見て、何度も俺の言いたいことを考えてくれた。
……何だか、少し懐かしい。
俺は隣を歩く白銀の相棒へ目を向けた。
「……ルナ」
「何だ?」
俺は少し考えてから、ゆっくり声を出した。
「……ありが、と」
ルナが足を止めた。
「……む?」
俺はもう1度、同じ言葉を出そうとした。
でも、今度は少し照れくさくなった。
……いや。
何だよ。
別に、変なこと言ってないだろ。
ただ、今までのことを思い出しただけだ。
最初から何でも分かってくれたわけじゃない。
何度も勘違いされたし、笑われたし、からかわれた。
それでも、ルナはずっと隣にいてくれた。
だから。
……まあ。
たまには、ちゃんと礼くらい言いたいじゃないか。
俺が黙っていると、ルナは小さく笑った。
「……ふん」
いつもの声だった。
「礼などいらぬ。我らは相棒であろう?」
……うん。
そうだったな。
俺は少し嬉しくなって身体を上下させた。
そのまま、再び歩き始める。
夕暮れの街道は、思っていたより静かだった。
遠くには、小さな丘がいくつも並んでいる。
その向こうには、ハルザという町があるらしい。
……さて。
次は、どんな場所なんだろう。
俺は少しだけ歩く速度を上げた。
すると、ルナも隣へ並んだ。
「……ノア」
……ん?
「今度は、ちゃんと旅を楽しむぞ」
……え?
俺は少し驚いた。
ルナは前を向いたまま続ける。
「ここ数日は、人間の厄介事ばかりであったからな」
……ああ。
確かに。
荷運びを助けて。
男たちと戦って。
関所で事情を説明して。
金属棒のことまで調べて。
……うん。
結構いろいろあったな。
「次は、我ら自身のために進むのだ」
ルナが小さく笑った。
「新しい土地を見て、知らぬものを食べて、面白いことを探す。それが旅であろう?」
……おお。
いいね。
それ。
俺は思わず身体を持ち上げた。
「……さんせい!」
少し震えたが、ちゃんと声になった。
ルナが楽しそうに笑う。
「ふふっ。では、決まりだな」
俺たちは夕暮れの街道を進んだ。
もちろん、あの金属棒のことを忘れたわけじゃない。
逃げたグランツのことも、まだ気になっている。
でも、今は関所の人たちに任せられることもある。
俺たちが全部を抱え込む必要はない。
……うん。
たまには、こうして普通に旅を楽しもう。
俺は小さな目を動かし、遠くの丘を眺めた。
見知らぬ町。
新しい依頼。
まだ出会ったことのない生き物たち。
……ああ。
楽しみだな。
そう思いながら、俺は脚を動かした。
次に向かうのは、ハルザ。
今度は、どんな冒険が待っているんだろう。




