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ゲームだと思ったら原初の生命に転生しました。  作者: くんくん
第2部

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第2部 第57話 水のある井戸を、塞ぐ理由

「その水、飲むんじゃないよ!」


突然、岩場の向こうから声が飛んできた。


……ん?


俺は井戸へ伸ばしていた触手を止めた。


水を汲もうとしていたところだが、まだ口にするどころか、身体へ取り込んでもいない。


隣では、ルナが耳を立てていた。


「誰だ?」


「そっちこそ誰だい。こんなところで、ずいぶん珍しい連れ合いだね」


岩陰から現れたのは、背の低い中年の女性だった。


くすんだ茶色の服に、使い込まれた革の上着。腰には小さな道具袋がいくつも下がっている。


何より目立つのは、鼻の頭についた黒い汚れだ。


……炭?


俺は小さな目を形成し、女性の姿を確かめた。


どうやら、さっき遠くに見えた煙は、この人の焚き火だったらしい。


女性は俺たちを眺め、しばらく黙った。


そして。


「……へえ。銀毛のルナリスに、脚の生えた水袋かい」


……。


…………。


水袋。


いや、確かにさっきまで水を汲むための袋みたいな形を作ってたけど!


第一印象がそれって、どうなのよ。


「失礼な。我らには名前がある」


ルナが堂々と言い返す。


「我はルナ。こちらはノアだ」


「……おや。あんた、喋れるのかい」


「見て分からぬか?」


「見ただけで分かったら苦労しないよ」


……おお。


言い返した。


ルナが一瞬黙る。


俺は思わず身体の端を揺らした。


……何だろう。


ちょっと面白い人だな。


女性は俺の方へ目を向けた。


「それで、ノアっていうのは、あんたかい?」


俺は発声用の構造を整えた。


《共鳴膜》。


「……そう」


以前より少しだけ滑らかな声が出る。


女性は目を丸くした。


だが、すぐに楽しそうに笑った。


「そりゃすごい。こんな旅人は初めて見たよ」


……旅人。


今、旅人って言ったな。


俺たちは人間じゃない。


でも、この人は最初から、俺たちを旅人として見てくれているらしい。


……うん。


悪い気はしない。


「で、その井戸の水だけどね」


女性は俺の触手が向いている方を指した。


「飲まない方がいい。あたしが保証する」


「……なぜだ?」


ルナが尋ねる。


「昔は普通に使えたんだけどね。水脈が変わったのか、何年か前から妙に塩気が強くなったんだよ」


……塩気?


「しかも、地下から染み出す鉱物のせいで、桶や石に変なものがこびりつく。昔の旅人は腹を壊したそうだよ」


……。


……うわ。


危なっ!


俺は慌てて、井戸の中へ伸ばしていた触手を引き戻した。


水を取り込む前でよかった。


「ふむ。匂いだけでは分からぬものだな」


ルナが低く呟く。


「そうさ。だから厄介なんだ」


女性は井戸の縁へ歩み寄ると、内側の石を指した。


「ここ。白っぽくなってるだろう?」


俺は首を伸ばし、視界を向けた。


……あ。


本当だ。


石の内側に、白い筋が何本も残っている。


さっき水を汲んだときには、気づかなかった。


……なるほど。


水があるからって、安心できるわけじゃないんだな。


「おや。あんた、目まで作れるのかい?」


女性が驚いたように言った。


……ん?


あ。


俺の目を見てたのか。


「それ、身体の一部なんだろう? ずいぶん器用だねえ」


……おお。


この人、かなり観察力があるな。


俺は触手を小さく持ち上げた。


「……ありが、と」


「ははっ。礼を言われるようなことじゃないよ」


女性は笑いながら、井戸から離れた。


「ほら、こっちへおいで。飲める水ならあるから」


◇


女性の名前は、イリナといった。


古い街道の標識を直したり、通れなくなった道を調べたりしているらしい。


本人によれば、あちこちの商人から仕事を引き受ける、しがない道案内兼修繕屋なのだそうだ。


「ここらの道は、今じゃ誰もまともに管理しちゃいないからね」


そう言いながら、イリナは焚き火のそばへ腰を下ろした。


「でも、忘れた頃に通る人がいる。そういう人が道標を信じて遭難したら、寝覚めが悪いだろう?」


……なるほど。


俺は焚き火の近くに並んだ道具を見た。


小さな槌。


金属のたがね。


刷毛。


それから、赤と白の顔料が入った容器。


どうやら、石に刻まれた文字を塗り直したり、新しい印をつけたりするための道具らしい。


「煙を見て来たんだろ?」


ルナが頷いた。


「うむ。遠くから見えたのでな」


「なら正解だよ。昼間は煙を目印にしてもらうことがあるんだ。ここで待ち合わせる荷運びもいるからね」


……へえ。


そういう使い方か。


俺は煙の上がる焚き火へ目を向けた。


火の上には鉄の鍋がかけられている。


近くには水を入れた壺が2つ。


イリナはそのうちの1つを指した。


「そっちは北の泉で汲んだ水だよ。旅人に分ける分は煮沸して冷ましてある。好きに使いな」


「……よいのか?」


ルナが尋ねた。


「水くらいで遠慮するんじゃないよ。こんな場所で倒れられる方が困る」


……おお。


太っ腹だな。


もっとも、野宿続きの俺たちにとっては、かなりありがたい申し出だった。


俺は身体の一部へ小さな窪みを作り、水を受け取る。


まずは少量だけ取り込んで、異常がないことを確かめた。


……うん。


問題なさそうだ。


俺は少しずつ水分を補った。


乾き気味だった身体の表面が、だんだん動かしやすくなっていく。


……ああ。


生き返る。


いや、本当に。


昨日の砂嵐は、思っていた以上に身体へ負担をかけていたらしい。


「……ノア」


ルナが不思議そうに俺を眺めている。


「貴様、水を飲むと身体が膨らむのだな」


……え?


俺は自分の身体へ意識を向けた。


……あ。


少しだけ体積が戻ってる。


乾燥で縮んでいた部分が、水分を補ったことで元へ近づいたのかもしれない。


俺は身体の端を動かした。


……うん。


さっきより調子がいい。


「まったく、分かりやすい身体だな」


ルナが小さく笑う。


……まあな。


腹が減っても、喉が渇いても、見た目に出る。


ある意味、健康管理しやすいのかもしれない。


「そっちの子は、本当に面白い身体をしてるねえ」


イリナも感心したようだった。


「水を運ぶ袋にもなるし、脚も生える。さっきは目まで作ってたじゃないか」


……そうなんですよ。


まだまだ練習中ですけどね。


「……ところで」


ルナが話を切り替えた。


「この井戸が使えぬと知っておるなら、なぜ道標を残したままにしておる?」


イリナの表情が少し曇った。


「それが、困りものでね」


女性は立ち上がり、少し離れた場所に置いてあった石板を持ってきた。


「昨日の砂嵐で、古い道が大きく露出したんだ。ついでに昔の道標まで出てきちまった」


……ああ。


そういえば。


俺たちも、波の模様が刻まれた道標を見つけたんだった。


あれを見て、水場があると思って進んできた。


……なるほど。


「今も水があるのが、余計にたちが悪い」


イリナが言った。


「井戸を見つけたら、旅人は安心しちまうだろう? だから、使えないことが分かるようにしておかなきゃならない」


……確かに。


俺たちだって、危うくそのまま水を取り込むところだった。


ルナも静かに頷いた。


「では、井戸を塞ぐのか?」


「簡単に蓋をするだけじゃ足りない。誰かが外しちまえば終わりだからね。水場の印も消して、危険だと分かる標識を立てたいんだ」


……なるほど。


それは大事な仕事だな。


俺は井戸の方へ視線を向けた。


古い石組み。


今も残る水。


それから、昔の旅人を導いてきた道標。


……そうか。


あの道標は、昔はちゃんと役に立っていたんだ。


でも、今は違う。


同じ印が、旅人を危険な水へ案内してしまう。


……何だか、不思議だな。


道案内って、ただ正しい道を教えればいいわけじゃないんだ。


今の状況を知らなければ、昔の正解が間違いになることもある。


「さて、話してばかりもいられないね」


イリナが立ち上がった。


「日が暮れる前に、井戸の前を片づけておきたいんだ」


「我らも手伝おう」


ルナが即答した。


……え?


俺は思わず顔を向けた。


「水を分けてもらった礼だ。それくらいは構わぬであろう」


……ああ。


そうだな。


俺も手伝おう。


どうせ、今日はもう長く移動するつもりはなかったんだ。


俺は触手を高く持ち上げた。


「……やる」


イリナが笑う。


「そりゃ助かる。じゃあ、頼もうかね」


◇


最初の仕事は、井戸の周囲に散らばった石を片づけることだった。


砂嵐で崩れた石や、割れた木材があちこちに落ちている。


イリナは使えるものと使えないものを分けながら、手際よく運んでいた。


ルナも小さな枝や木片をまとめている。


俺はというと。


……ふむ。


なるほど。


こういうときこそ、この身体の出番だな。


俺は《構造形成》で触手を4本作った。


それぞれの先端を少し広げ、石を掴みやすい形へ整える。


……よし。


まずは、小さな石から。


触手を伸ばす。


掴む。


持ち上げる。


そして、少し離れた場所へ運ぶ。


……うん。


いい感じだ。


以前なら、4本もの触手を別々に動かすのはかなり大変だった。


でも、《自在形態型》になってからは、動きの切り替えがずっと滑らかになっている。


もちろん、一度に持てる重さには限界がある。


大きな石を無理に持ち上げようとすれば、触手が伸びたり、身体の方が引っ張られたりする。


だから、重いものは無理に運ばない。


細かな石をまとめて動かす方が、ずっと効率がいい。


……うん。


俺には俺のやり方があるってことだな。


「……へえ」


イリナが目を丸くした。


「本当に器用だねえ」


俺は少し得意になって、触手を持ち上げた。


「……まあ、ね」


……お。


今の、結構自然に言えたな。


《共鳴膜》のおかげだろうか。


もちろん、まだ長く話すのは難しい。


でも、最近は短い返事なら以前より楽になってきた。


「それで、次はこっちを頼めるかい?」


イリナが指したのは、井戸の横に倒れた古い木材だった。


……お。


任せとけ。


俺は触手を伸ばした。


しかし。


――ぐっ。


……ん?


動かない。


……あれ?


俺はもう1度、力を込めた。


――ぐぐっ。


……おい。


重いな、これ。


見た目はそれほどでもないのに。


「それは無理に持ち上げなくていいよ」


イリナが言った。


「下の石へ引っかかってるんだ。引っ張れば、石組みまで崩れるかもしれない」


……あ。


そういうことか。


俺は力を緩めた。


危ない危ない。


無理に動かして、井戸の縁を壊したら大変だ。


……だったら。


俺は触手を細くし、木材の下へ滑り込ませた。


引っかかっている部分を確かめる。


……ん。


なるほど。


木材の端が、石の割れ目へ入り込んでいる。


俺は木材を持ち上げるのではなく、少しだけ横へ動かした。


すると。


――コトッ。


引っかかっていた部分が外れた。


……お。


いけた。


そのまま木材をゆっくり引きずり、安全な場所へ移動させる。


「……おや」


イリナが感心したように声を上げた。


「力任せにやらないとは、見かけによらず考えてるね」


……見かけによらず、って。


一言余計じゃない?


俺は少し不満になった。


すると、ルナが楽しそうに笑う。


「ふふっ。ノアは、こういうことを考えるのが得意なのだ」


……おお。


珍しく素直に褒めてくれた。


「ただし、時々驚くほど無茶もするがな」


……。


……最後まで褒めてくれよ。


俺は触手を揺らした。


イリナが声を上げて笑う。


「ははっ。いい相棒だねえ」


……まあな。


そこは否定しない。


◇


井戸の周囲が片づくと、次は標識を作ることになった。


イリナが取り出したのは、厚い木の板だった。


表面には、すでにいくつか線が引かれている。


「こっちは、水が飲めないっていう印をつける」


イリナは板の上へ、丸い水場の印を描いた。


その上から、斜めに大きな線を引く。


……なるほど。


使用禁止の印か。


俺は小さな目を作り、描かれた線を眺めた。


文字はまだ読めないけど、こういう記号なら分かりやすいな。


「字の読めない旅人もいるからね。印を見ただけで分かるようにしておくんだよ」


……おお。


それ、助かる。


俺みたいなやつにも優しい仕組みじゃないか。


イリナは板を立て、古い道標の横へ置いた。


「これをしっかり固定したら、次は古い水場の印を消すよ」


……ふむ。


俺は板の位置を確かめた。


地面には小石が多い。


このまま埋めるだけでは、強い風で倒れてしまうかもしれない。


……そうだな。


俺は《構造形成》で細い触手を2本作り、板の下側を支えた。


その間にイリナが石を詰め、槌で地面を固めていく。


……よし。


これなら大丈夫そうだ。


「そっち、もう少し右へ傾けられるかい?」


俺は触手を少し動かした。


「そうそう。その角度だ」


……おお。


何だか、ちゃんと仕事してる感じだな。


俺は少し嬉しくなった。


しばらくして、標識が完成した。


遠くからでも分かる、大きな印。


その下には、イリナが文字で注意書きを加えている。


……うん。


これなら、次に来た旅人も気づくだろう。


「助かったよ」


イリナが額の汗を拭った。


「ひとりだったら、まだ時間がかかってた」


「礼には及ばぬ。我らも水を分けてもらったからな」


ルナが答える。


俺も身体を上下させた。


……うん。


それに、こういう仕事も結構楽しかった。


「ところで、ノア」


イリナが俺を見た。


「さっきから、ずいぶん板を見つめてるね」


……え?


ああ。


文字か。


俺は触手を持ち上げた。


「……よめ、ない」


「字が読めないのかい?」


肯定する。


「なるほど。それなら、ちょうどいいものがあるよ」


……ん?


イリナは道具袋を探り、小さな木板を取り出した。


表面には、何本もの溝が彫られている。


「これは、簡単な道の印さ」


……道の印?


「夜や砂嵐で標識が見えなくなったとき、手で触って確かめられるようにしてあるんだ」


……おお。


俺は興味を引かれ、木板へ触手を伸ばした。


溝が3本。


その先には、丸い窪み。


さらに、反対側へ細い線が続いている。


……なるほど。


触るだけで、線の向きが分かる。


イリナは板の上を指でなぞった。


「まっすぐ伸びた線が道。丸い窪みが水場。線が分かれていれば分かれ道ってわけさ」


……おお。


分かりやすい!


俺は夢中になって溝をなぞった。


エマからもらった文字の練習用の板とは違う。


これは、読めるようになるためのものじゃない。


読めなくても、今すぐ道を確かめられるための道具だ。


……すごいな。


こういう工夫。


俺は少し感動した。


「見えるやつにも、見えないときはあるからね」


イリナが言った。


「夜道では、灯りがなけりゃ文字なんて読めない。だったら、指先でも分かるようにしとけばいい」


……そうか。


そういう考え方もあるんだ。


俺は木板の表面へもう1度触れた。


溝の深さ。


線の向き。


丸い窪み。


……うん。


ちゃんと分かる。


視覚を獲得する前の俺でも、これなら理解できただろう。


「気に入ったかい?」


俺は大きく身体を上下させた。


「なら、持っていきな」


……え?


いいの?


「簡単な印ばかりだけど、道を歩くには便利だよ」


……おお。


ありがたい。


俺は触手を伸ばし、木板を受け取った。


「……ありが、と」


「いいってことさ」


イリナは笑った。


「それに、あんたの身体なら、ほかの旅人より上手く使えそうだしね」


……まあ。


確かに。


目が使えないときでも、触手で確かめられる。


これは、かなり便利そうだ。


俺は木板を荷物の中へ固定した。


……よし。


大切にしよう。


◇


夕方。


俺たちは再び、イリナの焚き火のそばへ戻っていた。


井戸には簡単な蓋がされ、周囲には危険を知らせる標識が立てられている。


古い道標の水場の印も、今は上から別の印がつけられ、使えないことが分かるようになっていた。


……うん。


これなら、もう安心だろう。


俺は小さな目を動かし、遠くの敷石道を眺めた。


砂に埋もれた道は、岩場の向こうへ続いている。


その先には、まだ知らない土地が広がっているはずだ。


「明日は、どちらへ向かうつもりだい?」


イリナが尋ねてきた。


「南へ進むつもりだ」


ルナが答える。


「ただ、まだ目的地は決めておらぬ」


「そうかい。なら、1つ教えておこうか」


……ん?


俺はイリナへ顔を向けた。


「この先で、古い敷石道は2つに分かれてる」


……分かれ道?


「東へ進めば、今も使われている街道へ戻れる。ただし、少し遠回りになるね」


……なるほど。


「南へ進む道は、岩山の間を抜ける近道さ。昔は荷車も通れたんだけど、今は道の状態がよく分からない」


……ふむ。


つまり、安全そうだけど遠回りな道と、近いけど様子の分からない道か。


俺は少し考えた。


ルナの脚は随分よくなっている。


でも、まだ完全に治ったわけじゃない。


無理な道を選ぶ必要はない。


それに、俺の身体も昨日の砂嵐で少し消耗している。


……うーん。


どうしようかな。


「ただね」


イリナが少し声を落とした。


「南の道について、気になることがあるんだ」


……ん?


「数日前まで、あの道を使う荷運びがいた。けど、ここしばらく戻ってこないんだよ」


……え?


荷運びが?


「単に予定が変わったのかもしれない。別の道を通った可能性もある。だから、何かあったと決めつけるつもりはないけどね」


イリナは焚き火へ薪をくべた。


「それに、あの辺りは岩山が多い。昨日みたいな砂嵐のあとじゃ、落石も心配だ」


……なるほど。


確かに。


ルナも少し考え込んでいる。


「ふむ。ならば、明日の朝に様子を見てから決めるとしよう」


「それがいいね」


イリナは小さく頷いた。


俺も身体を上下させた。


……うん。


急ぐ理由もないしな。


今夜はここで休んで、明日考えよう。


俺は焚き火から少し離れた場所へ移動し、身体を地面へ広げた。


石の隙間には、昼間の熱がまだ残っている。


ルナも隣へ来て、ゆっくり身体を伏せた。


……ああ。


落ち着く。


今日は、思っていたよりいろんなことがあったな。


水を探していたら、飲めない井戸だった。


そのせいでイリナと出会い、道標を直す手伝いまでした。


しかも、便利な木板までもらえた。


……うん。


悪くない1日だ。


俺は荷物の中から、さっきの木板を取り出した。


触手で、表面の溝をなぞる。


まっすぐな線。


分かれ道。


水場。


……お。


今度は、見なくても分かる。


俺は少し得意になった。


「……ノア」


隣からルナの声がした。


「随分と気に入ったようだな」


俺は身体を上下させた。


「ふむ。貴様には、ああいう道具も必要なのかもしれぬな」


……うん。


そうだな。


俺の身体はいろんな形に変えられる。


でも、だからといって、何でも自分だけでできるわけじゃない。


文字を覚えるには練習が必要だし、知らない道を進むには情報がいる。


それに、今日みたいに誰かの経験が役に立つこともある。


……まあ。


自分で何でもできるようになるのもいいけど。


こういう出会いも、悪くないな。


俺は木板を荷物へ戻した。


すると、ルナが小さく声をかけてきた。


「……ノア」


……ん?


「明日、南の道を少し見てみぬか?」


俺は少し驚いた。


……え?


危なくない?


「もちろん、無理に奥まで進むつもりはない。だが、道の様子くらいは確かめておきたい」


……なるほど。


それなら、いいかもしれない。


俺は身体を上下させた。


「ふん。決まりだな」


ルナが少し笑う。


俺も、何だかわくわくしてきた。


次の道。


まだ知らない土地。


そして、帰ってこない荷運び。


……何だろう。


少し気になるな。


俺は小さな目を作り、遠くの岩山を眺めた。


夕焼けの中で、黒い影がいくつも重なっている。


その間へ、細い道が続いているはずだ。


……よし。


明日は、あっちを調べてみよう。


ただし。


今度は、道標を見つけたからって、何でも信じないようにしよう。


俺は今日、新しいことを覚えた。


昔は正しかった道でも、今は危険なことがある。


だったら、最後は自分たちの目と感覚で確かめなきゃいけない。


……うん。


それでいい。


俺は身体をゆっくり丸めた。


焚き火が小さく音を立てる。


隣では、ルナが静かに目を閉じていた。


イリナは少し離れた場所で、明日使う道具を整理している。


……ああ。


こういう夜も、いいな。


旅先で誰かと出会って、一緒に仕事をして、焚き火のそばで休む。


人間だった頃には、ほとんど経験しなかったことだ。


……まあ、今は人間じゃないんだけどさ。


俺はそんなことを考えながら、ゆっくり意識を休めた。


そして、眠りにつく直前。


ふと、イリナの言葉を思い出した。


南へ向かった荷運びが、戻ってきていない。


……。


…………。


……何もなければ、いいんだけどな。

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