第2部 第56話 道を食うもの
石が、何かに噛み砕かれていた。
――ゴリ、ゴリッ。
……ん?
俺は脚を止めた。
音のする方には、昨日の砂嵐で姿を現した古い敷石道が続いている。
左右には乾いた岩場。人の手で並べられた石は、ところどころ砂に埋もれながらも、ずっと先まで伸びていた。
……でも、おかしいな。
石を砕くような音がするのに、周囲には誰もいない。
「どうした、ノア?」
少し先を歩いていたルナが振り返った。
俺は発声用の構造を整えた。
「……おと」
「音?」
「……いし、した」
ルナの耳が動いた。
俺たちはしばらく、その場で耳を澄ませた。
――ゴリッ。
――ガリ、ガリッ。
……ほら。
また聞こえた。
ルナは足元を見下ろし、小さく鼻を鳴らした。
「……なるほど。石の下か」
……うん。
そうみたいだ。
ただ、俺が音を感じ取ったのは耳だけじゃない。
敷石へ触れている脚の先から、細かな振動も伝わっていた。
何かが、石の裏側を削っている。
……いったい、何がいるんだ?
◇
朝、目を覚ました俺たちは、まず水分を補給することにした。
昨日の砂嵐では、風と砂に晒されたせいで俺の身体の表面が乾き、動きまで鈍くなってしまった。
あのあと、持っていた水を少しずつ取り込んで休んだおかげで、今朝にはかなり回復していた。
ただし、水の残りは心もとない。
……うーん。
人間だった頃も水分補給は大事だったけど、今は文字どおり身体が乾くからな。
笑い事じゃない。
「この辺りに水場があればよいのだが」
ルナも少し気にしているようだった。
「昨日見つけた道を辿れば、何か手がかりがあるやもしれぬ」
……確かに。
昔、人が通っていた道なら、途中に休憩所や井戸があってもおかしくない。
それに、砂嵐のあとで周囲の地形が変わっている。
むやみに岩場へ入るより、道に沿って進んだ方が安全そうだ。
そんなわけで、俺たちは古い敷石道を歩いていた。
俺は4本の脚を作っているが、普段よりかなり低い姿勢だ。
昨日の経験から、風を受ける面積はなるべく小さくした方がいいと学んだ。
身体の外側にも薄い層を作り、乾燥を少しでも抑えるようにしている。
もちろん、完全な防御ではない。
長時間使えば疲れるし、水そのものを生み出せるわけでもない。
……まあ、ないよりはマシだろう。
「ノア」
ルナが声をかけた。
「前を見よ。あそこに道標がある」
……お?
俺は小さな目を形成した。
前方には、低い石柱のようなものが立っている。
昨日見た柱背亀とは違う。
今度は、ちゃんとした石柱だ。
……たぶん。
俺は念のため、少しだけ離れて観察した。
「……貴様、まだ石柱を疑っておるのか」
……いや。
だって、昨日のことがあるだろ。
ルナは楽しそうに笑った。
「安心せよ。あれは動かぬ」
……分かってるって。
たぶん。
近づいてみると、石柱の表面には古い文字と模様が刻まれていた。
文字はかなり摩耗していて、俺にはもちろん読めない。
ルナも首を傾げている。
「古い表記だな。今の文字とは少し違う」
……なるほど。
じゃあ、読めないか。
「だが、こちらの印は分かるぞ」
ルナが模様を指した。
俺は目を近づける。
四角い形。
その下に、波のような線が3本。
……何だ、これ。
「水場か、井戸を示す印だと思うが……」
……おお!
それはいい知らせじゃないか!
俺は思わず身体を持ち上げた。
「ただし、今も水があるとは限らぬぞ」
……あ。
そうか。
古い道だもんな。
井戸があったとしても、もう枯れている可能性はある。
それでも、何も手がかりがないよりはずっといい。
俺たちは道標が示す方向へ進むことにした。
そして、歩き始めてしばらくしたところで。
――ゴリ、ゴリッ。
あの音を聞いたのだった。
◇
俺は敷石へ身体の一部を広げ、《微振動感知》へ意識を集中した。
普通の足音とは違う。
一定の場所で、細かな振動が繰り返されている。
……ん。
何だろう。
地面を掘っているのか?
俺は細い触手を伸ばし、敷石の端へ触れた。
その瞬間。
――パキッ。
……え?
石の下から、小さな破裂音のようなものがした。
続いて。
――ガタンッ!
敷石の一部が、わずかに沈んだ。
……うおっ!?
俺は慌てて身体を引いた。
その直後、石の隙間から黒っぽいものが顔を出した。
硬い甲殻。
短く太い脚。
そして、口元にある大きな顎。
……虫?
いや、虫にしては大きいな。
小型の犬くらいはありそうだぞ。
「……礫喰虫か」
ルナが低く言った。
……レキクイムシ?
「石や土に含まれる鉱物を食べる魔物だ。硬い顎で岩を砕き、少しずつ取り込む」
……え。
石を食べるの?
「うむ。岩場では珍しくないが、普段は地中におることが多い」
……なるほど。
それで石の下から音がしたのか。
礫喰虫は俺たちを見ようともせず、顎を動かし始めた。
――ガリッ。
敷石の端が、少し欠ける。
――ゴリゴリッ。
さらに欠ける。
……うわ。
本当に食べてる。
しかも、結構いい勢いで削ってるな。
俺は思わず見入ってしまった。
石を食べるって、どういう消化器官をしてるんだろう。
俺だって《捕食》でいろいろ取り込めるけど、あんなふうに硬い石を噛み砕くのは難しい。
……ちょっと気になる。
「……ノア」
ルナの声がした。
「食べたそうな顔をするでない」
……いやいや!
まだ何もしてないだろ!
というか、俺に顔なんてないんだけど!
「ふん。考えていることくらい分かる」
……何でだよ。
俺は抗議しようとした。
だが、その前に。
――ゴリッ。
別の場所から、同じ音が聞こえた。
……ん?
俺は振動を探った。
少し先の敷石。
さらに、その隣。
……え?
1匹じゃない?
俺は慎重に身体を広げた。
地面を伝わってくる振動を、1つずつ確かめる。
……1。
……2。
……3。
……おいおい。
少なくとも3匹はいるぞ。
しかも、どれも石の下で動いている。
ルナも気づいたようだった。
「……どうやら、この道の下に巣を作っておるな」
……ええ。
それ、結構まずくない?
礫喰虫は石を食べる。
そして、俺たちが歩いているのは敷石道。
つまり。
……こいつら、道の下を食べてるのか。
俺は足元を確かめた。
さっきまで普通の石だと思っていた部分にも、細かなひびが走っている。
敷石と敷石の間には、不自然に広い隙間もあった。
……なるほど。
長い年月で傷んでいたんじゃなくて、下から削られていた部分もあるのか。
俺はそっと脚を動かした。
――ミシッ。
……。
…………。
……石なのに、今、嫌な音がしたぞ。
「下がれ、ノア」
ルナが静かに言った。
俺たちはいったん、道の端にある岩場へ移動した。
すると、さっきまで俺が立っていた場所で。
――ガラッ!
敷石が崩れた。
……。
…………。
……危なっ!
もう少し遅かったら、下へ落ちてたじゃないか!
しかも、穴の中では礫喰虫が相変わらず石を噛み砕いている。
……いや。
せめて少しは驚けよ。
今、頭の上から石が落ちてきたんだぞ?
「奴らは餌に夢中なのだろう」
ルナが言った。
「我らを獲物とは見ておらぬようだな」
……なるほど。
それなら、無理に戦う必要はないか。
俺は少し安心した。
だが、問題は別にあった。
敷石道は、この先の岩場を抜けるように続いている。
道の外側には、尖った石がいくつも転がっていた。
砂の深い斜面もある。
迂回できないわけじゃない。
ただ、昨日の砂嵐で地形が変わっている上に、俺たちの水は残り少ない。
……なるべく遠回りはしたくないな。
俺が考え込んでいると、ルナが口を開いた。
「道を外れて進むか。それとも、礫喰虫が離れるのを待つか」
……うーん。
待つ、か。
でも、あいつらは石を食べてるんだよな。
満腹になれば移動するかもしれないけど、それがいつになるかは分からない。
それなら。
……ちょっと試してみたいことがある。
俺は身体を低く広げた。
まず、敷石から少し離れた場所にある、大きな岩を確かめる。
その周囲には、砂嵐で転がってきたらしい小石がたくさん積もっていた。
……よし。
あそこなら、崩れても大きな問題はなさそうだ。
俺はルナへ触手を伸ばし、岩の方を指した。
「……あっち」
「む?」
「……よぶ」
ルナが首を傾げた。
「礫喰虫を呼ぶつもりか?」
俺は身体を上下させた。
「……ふむ」
少し考えたあと、ルナは頷いた。
「なるほど。餌のある場所へ誘導するのか」
……そういうこと!
俺は嬉しくなって触手を振った。
ただし、方法はまだ試していない。
上手くいくかどうかは、やってみないと分からない。
俺は近くの岩へ触手を伸ばした。
《硬質外皮》で先端を硬くする。
そして、小石が積もった場所へ押しつけた。
――ガリッ。
……うん。
こんな感じかな。
もう1度。
――ゴリゴリッ。
今度は少し強く。
すると、小石同士が擦れ、低い振動が広がった。
……よし。
俺は《微振動感知》へ意識を集中する。
敷石の下で動いていた礫喰虫。
その振動が、わずかに変わった。
……お。
気づいた?
俺はもう1度、小石を擦り合わせた。
――ゴリッ。
――ガリガリッ。
すると。
――ザザッ。
……あ。
1匹、動いた。
敷石の下から、こちらへ近づいてくる。
……おお。
本当に来た!
俺は思わず身体を持ち上げそうになった。
……いや。
待て待て。
まだ成功したわけじゃない。
俺は動きを抑え、細い触手だけを残した。
礫喰虫が、道の隙間から姿を現す。
短い脚で地面を押し、こちらへ進んでくる。
……うわ。
近くで見ると、結構気持ち悪いな。
甲殻の隙間に細かい砂が詰まっているし、顎の先は石の粉で白くなっている。
何より、口がでかい。
……あれで噛まれたら、さすがに痛そうだ。
俺は触手をさらに伸ばし、小石を崩した。
――ガラガラッ。
すると、礫喰虫の動きが速くなった。
……おっ。
来る。
あと少し。
礫喰虫は岩の近くまで進み、崩れた小石へ頭を突っ込んだ。
そして。
――ゴリッ!
……食べた。
普通に食べ始めた。
……おお。
なるほど。
砕けた石の方が、食べやすいのかもしれないな。
俺は身体を少し引いた。
礫喰虫は、もう俺の触手には興味を示していない。
夢中になって、小石を噛み砕いている。
……よし。
1匹目、誘導成功。
「……ほう」
ルナが小さく声を上げた。
「なかなか面白い方法だな」
……だろ?
俺もちょっと驚いてる。
ここまで素直に来るとは思わなかった。
「だが、あと2匹おるのであろう?」
……あ。
そうだった。
俺はもう1度、敷石の下へ意識を向けた。
確かに、まだ振動がある。
しかも、さっきより少し近い。
……ん?
あれ?
俺は身体を止めた。
2匹とも、こちらへ向かっている。
……え?
いつの間に?
もしかして、さっきの石を砕く音を聞いていたのか?
いや、正確には振動か。
……ちょっと待て。
それなら。
俺がわざわざ呼ばなくても、もう来てるんじゃないか?
俺は慌てて触手を引き戻した。
直後。
――ガラッ!
敷石の隙間が広がった。
そこから、2匹目の礫喰虫が顔を出す。
続いて、3匹目も。
……うわっ。
本当に来た!
俺は急いで身体を縮めた。
「ノア!」
ルナが声を上げた。
「下がれ!」
……はい!
俺は身体を低くし、岩場の方へ移動した。
だが、礫喰虫たちは俺を追ってこなかった。
代わりに、1匹目が食べている小石の山へ向かっていく。
そして。
――ゴリッ。
――ガリガリッ。
……。
…………。
……食べ始めた。
3匹並んで。
……何だ、これ。
めちゃくちゃ平和じゃないか。
さっきまで道を崩していた連中が、今は小石を食べるのに夢中だ。
……うん。
これなら、通れそうだな。
俺はルナの方へ身体を向けた。
「……いま」
「うむ」
ルナも頷いた。
「今のうちに進むぞ」
俺たちは礫喰虫たちから距離を取り、敷石道へ戻った。
ただし、どの石でも安全というわけではない。
俺は先に細い触手を伸ばし、石の状態を確かめる。
軽く押す。
振動を調べる。
ぐらつく場所は避ける。
その繰り返しだ。
「……ノア」
ルナが声をかけた。
「我が先に進む方がよいか?」
俺は身体を横へ揺らした。
「……まって」
「む?」
俺は触手で、少し先の石を示した。
「……ここ、だめ」
ルナが足を止める。
俺は別の石へ触手を伸ばした。
そちらは、力をかけてもほとんど動かなかった。
……よし。
「……こっち」
「なるほど」
ルナが慎重に足を運ぶ。
俺は地面へ触れながら、次の足場を確かめた。
石の状態を調べるなら、《微振動感知》はかなり役に立つ。
完全に内部まで分かるわけじゃないけど、空洞のある部分と、しっかり地面へ接している部分では、伝わる感触が違うのだ。
……なるほど。
こういう使い方もあるんだな。
俺は少し嬉しくなった。
ただし、油断は禁物だ。
石が丈夫そうでも、下の土が崩れている場合はある。
だから、実際に力をかけながら確かめる。
ルナも急がず、俺が示した場所を慎重に進んでいた。
そして。
……よし。
最後の石だ。
俺は触手を伸ばした。
軽く押す。
さらに、少し強く。
……うん。
問題なさそうだ。
「……ここ」
ルナが石へ足を乗せた。
次に、もう1歩。
そして。
――トンッ。
向こう側の硬い地面へ降りた。
……おお。
渡れた!
俺も身体を細く伸ばし、残った隙間を抜けた。
脚を使うより、今はこの方が安全だ。
……よし。
全員無事。
俺は少し離れたところで、礫喰虫たちの様子を振り返った。
3匹とも、まだ小石を食べ続けていた。
……いやあ。
すごい食欲だな。
……ん?
食欲?
俺は少し考えた。
そして、自分の《捕食》を思い出す。
……。
…………。
……いや。
今回はやめておこう。
石を食べる性質は、確かに面白そうだ。
でも、今の俺に必要なのは、まず水だ。
それに、あいつらを倒す理由もない。
……うん。
今日はこのまま行こう。
「……珍しいな」
ルナが笑った。
……ん?
「貴様が、目の前の魔物を食べずに通り過ぎるとは」
……いやいや。
いつも食べてるわけじゃないだろ。
俺は触手を揺らした。
すると、ルナは楽しそうに笑った。
「くくっ。そうであったな」
……絶対、信用してないな。
まあ、いいけど。
◇
古い道をさらに進むと、周囲の岩が少しずつ低くなってきた。
道幅も広がり、砂の少ない場所では、平らな敷石が続いている。
さっきまでの礫喰虫の気配も、もう伝わってこない。
……ふう。
ようやく一安心だな。
俺は4本の脚を作り直した。
長く使っていなかったせいか、少しだけ身体が重く感じる。
……まあ、今日は結構動いたからな。
俺たちは道標を探しながら進んだ。
途中には、倒れた石柱がいくつもあった。
その中には、昨日見たものと同じように、四角い形と波の模様が刻まれているものもある。
……お。
同じ印だ。
ということは。
やっぱり、この先に水場があるのかもしれない。
俺は少し期待しながら歩く速度を上げた。
「……ノア」
ルナが声をかける。
「急ぐでない。もう少し周囲を確かめながら進むぞ」
……はいはい。
分かってます。
俺は脚を動かす速度を落とした。
そのとき。
――ぽちゃん。
……ん?
俺は身体を止めた。
今、何か聞こえなかったか?
風の音じゃない。
石を削る音でもない。
……水?
俺は《微振動感知》へ意識を集中した。
すると、少し離れた場所から、細かな振動が伝わってきた。
……ん。
何だろう。
一定の間隔で、何かが落ちているような感じだ。
俺はそちらへ目を向けた。
敷石道の端。
大きな岩の陰に、低い石壁のようなものが見える。
……あれ?
建物?
俺は首を伸ばした。
壁の一部は崩れていたが、奥にはまだ屋根が残っている。
それに、入口らしい場所もあった。
……おお。
もしかして。
「……ルナ」
「何だ?」
俺は触手を伸ばし、岩陰の建物を指した。
「……あれ」
ルナがそちらを見た。
しばらくして。
「……ふむ」
少し嬉しそうな声がした。
「古い休憩所かもしれぬな」
……おお!
やっぱり!
俺たちは慎重に建物へ近づいた。
石壁はかなり傷んでいる。
屋根も半分ほど崩れていたが、奥には風を避けられる空間が残っていた。
そして、建物の横には。
……あ。
井戸だ。
石で囲まれた、丸い穴。
その上には木製の枠が残っている。
……おおお!
本当にあった!
俺は思わず身体を持ち上げた。
「……落ち着け、ノア」
ルナが小さく笑った。
「まだ水があるとは限らぬぞ」
……あ。
そうだった。
俺は慌てて近づき、井戸の中を覗いた。
暗い。
底まではよく見えない。
……うーん。
俺の目じゃ、ちょっと厳しいな。
俺は目を崩し、細い触手を下へ伸ばした。
《構造形成》。
ただし、無理に長く伸ばさない。
身体の大部分は井戸の外へ残し、近くの石へ《粘着性》で固定する。
……よし。
少しずつ。
触手を下ろしていく。
石の内側はひんやりしていた。
……お。
何だか、少し湿ってるな。
さらに下へ。
すると。
――ちゃぷん。
……!
水だ!
本当に水がある!
俺は思わず触手を持ち上げそうになった。
……いやいや。
落ち着け。
まだ、飲めるかどうかは分からない。
俺は触手の先端を少しだけ水へ触れさせた。
冷たい。
底には、ある程度まとまった水がたまっているらしい。
……おお。
やった。
これなら、何とか補給できそうだ。
ただ、井戸の水は見た目だけでは安全か分からない。
俺は触手を引き戻し、ルナへ報告した。
「……みず、ある」
「本当か?」
俺は大きく身体を上下させた。
ルナが少し嬉しそうに声を上げる。
「ふむ。では、水の状態を確かめよう」
井戸の脇には、古い木桶が置かれていた。
しかし、底が割れている。
……あ。
これは使えないな。
俺は少し考えた。
水を汲む道具。
何かないかな。
……そうだ。
俺は身体の一部を伸ばした。
《構造形成》。
先端を少し広げ、内側へ窪みを作る。
そのまま、袋のような形へ整える。
……うん。
これなら。
俺は窪みの入口を閉じられるよう、細い部分を2つ作った。
……よし。
簡単な水袋だ。
もちろん、俺の身体そのものだから、外へ取り出して使えるわけじゃない。
でも、水を汲んで運ぶことならできるはずだ。
俺は井戸の中へ触手を伸ばした。
先端の窪みへ水を入れ、入口を閉じる。
それから、ゆっくり引き上げた。
……お。
できた。
俺は慎重に水を外へ運んだ。
途中で少しこぼれたが、それでも十分な量が残っている。
「……ほう」
ルナが感心したように言った。
「貴様、今度は水桶になったのか」
……おい。
もう少しかっこいい言い方ないのかよ。
せめて、水を運べる便利な身体とかさ。
俺は触手を揺らした。
ルナが楽しそうに笑う。
「ふふっ。だが、助かるぞ」
……まあな。
役に立つなら、水桶でもいいか。
俺たちは水を少しずつ汲み上げた。
ルナは匂いや濁りを確かめ、すぐに飲まずに様子を見ている。
俺も井戸の壁や水の感触を調べた。
古い井戸だが、少なくとも腐った臭いはしないらしい。
それでも、十分に安全だと確かめられたわけではない。
水を使う前に、もう少し調べる必要がありそうだ。
……でも。
水が見つかった。
それだけでも、大きな収穫だ。
俺は井戸の縁へ身体を寄せ、少し安心した。
「……ノア」
ルナが静かに言った。
……ん?
「よい道を見つけたな」
……お。
俺は身体を上下させた。
「砂嵐には散々な目に遭ったが、こうして水場まで見つけられたのだから、悪いことばかりではなかったようだ」
……そうだな。
本当に。
俺は建物の周囲を見回した。
古い石壁。
崩れかけた屋根。
そして、今も水の残る井戸。
……なるほど。
昔、この道を通った人たちも、ここで休んでいたのかもしれない。
俺は少しだけ想像してみた。
荷車を止める商人。
水を汲む旅人。
焚き火を囲んで話す人たち。
……何だか、いいな。
人がいなくなったあとも、道と井戸だけは残っていたんだ。
俺は何となく、建物の入口へ目を向けた。
すると。
……ん?
床の隅に、何か落ちている。
俺は近づいてみた。
小さな木片。
いや、違う。
短い棒のようなものが、何本も並んでいた。
……何だ、これ。
俺は触手で軽く触れた。
すると、木片の1つが動いた。
その下から、黒いものが現れる。
……ん?
炭?
俺はさらに周囲を確かめた。
石で囲まれた、小さな窪み。
その中に、黒い炭の欠片がいくつも残っている。
……あ。
これ、焚き火の跡か。
俺は少し考えた。
古い休憩所なんだから、焚き火の跡があってもおかしくない。
でも。
……ん?
俺は触手を近づけた。
炭の下。
そこにある灰が、少しだけ湿っている。
……あれ?
昨日の砂嵐で雨は降っていない。
しかも、ここは屋根の下だ。
俺はもう1度、灰の状態を確かめた。
すっかり固まった古い灰とは違う。
少し崩れやすい。
その近くには、細く折れた枝も落ちていた。
……まさか。
「……ノア?」
ルナが声をかけてきた。
俺は焚き火の跡を指した。
「……これ」
ルナが近づいてくる。
しばらくして。
「……ふむ」
声が少し低くなった。
「比較的新しいな」
……やっぱり?
「この辺りを、最近誰かが使ったのかもしれぬ」
……おお。
そうか。
ということは。
この古い道、完全に忘れられていたわけじゃないのか。
俺は建物の外へ目を向けた。
石畳は、さらに南へ続いている。
途中には砂に埋もれた場所もあるが、道そのものはまだ残っていた。
……なるほど。
誰かが通っているなら。
その先には、人のいる場所があるかもしれない。
俺は少しわくわくしてきた。
すると、ルナが口を開いた。
「ただし、相手が友好的とは限らぬ。用心はしておくぞ」
……あ。
そうだな。
確かに。
旅人かもしれない。
商人かもしれない。
それとも、別の目的でこの道を使っている者かもしれない。
……うん。
気をつけよう。
俺は触手を小さく動かした。
「……わか、った」
《共鳴膜》を使った声は、以前より少し安定していた。
ルナが小さく頷く。
「うむ。それでよい」
俺たちは、今日はこの休憩所で一度身体を休めることにした。
井戸の水を確かめ、使えるようなら補給する。
それから、残った食料も整理しておこう。
先へ進むのは、そのあとだ。
俺は建物の奥へ身体を広げた。
石の床は冷たく、昨日の乾いた岩場よりずっと落ち着く。
……ああ。
いいな。
こういう場所。
ちゃんと屋根があって、水もある。
しかも、昔の人が使っていたらしい休憩所だ。
……何だか、少し得した気分だな。
俺はゆっくり身体を丸めた。
そのとき、ルナが外へ顔を向けた。
「……ノア」
……ん?
「煙だ」
……煙?
俺は目を形成し、ルナの見ている方向へ首を向けた。
すると、遠くの岩の向こうに、細い白いものが立ち上っているのが見えた。
……あ。
本当だ。
煙だ。
しかも、風に流されながらも、同じ場所から上がり続けている。
……ということは。
焚き火?
誰かいるのか?
俺は思わず身体を持ち上げた。
ルナはしばらく煙を眺めていたが、やがて小さく笑った。
「……ふむ。どうやら、この道はまだ使われておるようだな」
……おお。
そうか。
俺はもう1度、遠くの煙を見た。
古い敷石道。
石を食べる魔物。
忘れられたような休憩所。
そして、その先から立ち上る煙。
……いいね。
面白くなってきたじゃないか。
俺は身体の下側へ、短い脚を4本作ってみた。
少し歩く。
向きを変える。
……うん。
問題ない。
今日も、ちゃんと動ける。
ただし、ここから先は知らない相手がいるかもしれない。
俺たちを見て驚くだけならいい。
でも、いきなり襲われる可能性だってある。
……よし。
今のうちに、少し準備しておこう。
俺は脚を崩し、身体を低くした。
周囲の石に合わせて、《体表変色》を働かせる。
薄い灰色。
少し茶色を混ぜる。
……お。
いい感じだ。
そのまま、岩の横へ身体を寄せる。
……どうだ?
「……ノア」
ルナが声をかけてきた。
……ん?
「貴様、今度は何に化けるつもりだ?」
……石です。
見れば分かるだろ。
「……ふふっ」
ルナが笑った。
「それなら、もう少し角張った方がよいな」
……あ。
確かに。
俺は《構造形成》で身体の端を少し尖らせた。
……よし。
今度こそ。
「……ふむ」
ルナが少し考え込む。
そして。
「なかなかよい石になったぞ」
……。
…………。
……おお。
褒められた。
……いや。
待てよ。
俺、異世界へ転生して、何を喜んでるんだ?
石に似てるって言われて嬉しいのか?
……。
…………。
まあ、いいか。
役に立つなら。
俺はそんなことを考えながら、遠くの煙へもう1度目を向けた。
あの先には、いったい誰がいるんだろう。
そして、この古い道はどこまで続いているんだろう。
……うん。
明日が楽しみだ。
ただし。
今日は、まず水を確保しよう。
いくら石に化けられるようになっても、乾いて本物の石みたいに動けなくなったら困るからな。




