第2部 第55話 天気予報は牛に聞け
朝、9本目の石柱が消えていた。
……いや、正確には移動していた。
昨日、俺たちが岩陰から眺めていた巨大な柱背亀だ。すっかり石柱に戻ったつもりなのか、今度は池の向こう側でじっと動かなくなっている。
……何というか。
知ってしまうと、もう普通の石には見えないな。
俺は小さな目を動かし、ほかの石柱を順番に眺めた。
あっちの石は?
……動かない。
じゃあ、あれは?
……うん。普通の石だな。
「ノア。いつまで数えておる」
隣からルナの声がした。
俺は触手を伸ばし、遠くの柱背亀を指した。
「……また、いた」
「昨日と同じ個体であろう。今度は見失うでないぞ」
……いや。
見失ったわけじゃないんだけど。
本当に石柱みたいだから、つい気になるんだよ。
俺がもう1度目を向けると、柱背亀はゆっくり頭を持ち上げた。
そして、大きく口を開く。
……お。
あくびか?
そう思った次の瞬間、柱背亀は4本の脚で身体を支え、のっそりと立ち上がった。
――ズン……。
――ズン……。
重い振動が地面を伝わる。
……うわ。
朝から迫力があるな。
「……ふむ」
ルナが小さく鼻を鳴らした。
「妙だな」
……ん?
何が?
「岩甲牛も、すでに移動を始めておる」
俺は池の方へ目を向けた。
確かに、昨日は水場の周囲に集まっていた岩甲牛たちが、今朝はほとんど残っていない。
何匹かは遠くの丘を越えようとしているし、ほかの個体も同じ方向へ進んでいた。
……ああ。
朝だから移動してるんじゃないの?
「それにしては早い」
ルナは空へ顔を向けた。
俺もつられて見上げる。
青空。
薄く伸びた雲。
……うん。
いい天気じゃないか。
「……風が変わったな」
ルナが呟いた。
……風?
俺は身体の表面へ意識を向けた。
確かに、昨日より少し強い気がする。
でも、そこまで大したことはない。
むしろ、朝の草原らしくて気持ちいいくらいだ。
「……先へ進むぞ」
ルナの声が少し硬くなった。
「ここに長居せぬ方がよさそうだ」
……え?
俺は少し不思議に思ったが、反対する理由もなかった。
荷物をまとめ、4本の脚を形成する。
前脚を少し短く。
後ろ脚には《弾性組織》。
首の先には、小さな目を1つ。
……よし。
今日も出発だ。
◇
石柱原の外れは、昨日までの草原とは様子が違っていた。
背の低い草はまばらになり、地面には灰色の砂礫が目立つ。
岩の多い場所では、風が吹くたびに細かな砂が転がっていた。
俺は脚を短くし、足裏を広げて歩いた。
……うん。
こういう地面は、普通に歩くより少し面倒だな。
柔らかい土なら身体を滑らせることもできるけど、砂礫が多いと表面が擦れる。
だからといって脚を細くすると、今度は砂に沈みやすくなる。
……なるほど。
新しい地形には、新しい工夫が必要ってことか。
俺は脚の形を少しずつ変えながら、ルナの隣を進んだ。
すると、突然。
――ザザッ。
横から強い風が吹いた。
……おっと。
俺の身体が少し傾く。
慌てて後ろの触手を伸ばし、地面へ固定した。
……ふう。
危ない。
「……ノア」
ルナがこちらを向いた。
「貴様、身体を高くしすぎだ」
……え?
「風を受ける面が広い。もっと低くせよ」
……ああ。
なるほど。
俺は首を縮め、脚も少し短くした。
すると、さっきより風の影響を受けにくくなった。
……おお。
本当だ。
「ふん。その身体なら、地形だけでなく風にも合わせられるであろう」
……確かに。
俺は感心しながら身体を低くした。
ルナは尻尾を少し下げ、風の吹く方向を確かめている。
「……急ぐぞ」
……ん?
そんなに?
「西の空を見よ」
俺は小さな目を西へ向けた。
……え?
さっきまで青かった空の一部が、妙な色になっていた。
雲じゃない。
黄色というか、茶色というか。
地平線の近くが、薄く煙っている。
……何だ、あれ。
「乾いた風が来る」
ルナが言った。
「この辺りでは、強い風が砂を巻き上げることがある。あれに巻き込まれると厄介だぞ」
……え。
まさか。
砂嵐?
俺はもう1度、西の空を見た。
茶色い帯が、さっきより広がっている。
しかも、確実にこちらへ近づいていた。
……いやいや。
ちょっと待って。
この世界、天気まで容赦ないのかよ!
「昨日の岩甲牛たちは、風が変わるのを察して移動したのかもしれぬな」
……あ。
なるほど。
それで朝からいなくなってたのか。
あの柱背亀まで移動していたのも、同じ理由かもしれない。
……すげえな。
野生の勘。
俺なんて、いい天気だと思って喜んでたぞ。
「感心しておる場合ではない!」
……はい!
そうでした!
俺は脚を動かす速度を上げた。
◇
しばらく進むと、砂礫の向こうに低い岩山が見えてきた。
その麓には大きな岩がいくつも転がり、ところどころに細い裂け目がある。
「……あそこだ」
ルナが言った。
「あの岩場なら、風を避けられる場所があるやもしれぬ」
……お。
それは助かる。
俺たちは岩場へ向かった。
だが、近づくにつれて風はますます強くなっていく。
――ヒュウウッ!
……うわっ。
強い!
身体の横から押される。
俺は前脚を広げ、重心を下げた。
それでも、砂の上では踏ん張りにくい。
……くそっ。
だったら。
俺は後ろへ細い触手を2本伸ばした。
それぞれの先端を地面へ押しつけ、《粘着性》を働かせる。
……よし。
これなら少し安定する。
俺は4本脚と2本の触手を使い、ゆっくり前へ進んだ。
「……ほう」
ルナが少し驚いたように言った。
「また脚を増やしたのか」
……いや。
増やしたっていうか、支えを追加しただけだけど。
「ふむ。悪くない」
……お。
褒められた。
でも、喜ぶ余裕はなかった。
――ザザザッ!
突然、細かな砂が身体へ叩きつけられた。
……っ!?
何だこれ!
痛いというより、表面を無数の小さな石で擦られるような感覚だ。
しかも、形成していた目にまで砂が当たる。
視界が一気にぼやけた。
……まずい!
俺は反射的に目を崩した。
……うわ。
見えなくなった。
いや、元々《微振動感知》で周囲を確かめられるけど、こんな砂礫の地面では細かな振動が乱れやすい。
おまけに、風の音が大きすぎる。
……これ、結構危険じゃないか?
「ノア!」
ルナの声が聞こえた。
「我の後ろへ来い!」
……え?
俺は振動を探った。
ルナの足音は、すぐ近くにある。
俺は身体を低くし、その隣へ移動した。
すると。
――ドンッ!
前方で、何かが砕けるような音がした。
……っ!?
岩か!?
「飛んできた石だ!」
ルナが叫んだ。
「風に乗っておる! 頭を上げるな!」
……いやいや。
飛んでくるのかよ!
岩まで!
俺は慌てて身体を広げた。
ただし、今度は高く伸ばさない。
ルナの風上側へ回り込み、低い壁のような形を作る。
《硬質外皮》。
表面をできるだけ硬くする。
――パラパラッ!
細かな砂が当たる。
……よし。
これなら、多少は防げる。
だが、風はさらに強まっていた。
――ゴオオオッ!
……うおっ!?
壁の形にした部分が、大きく押される。
……まずい!
俺は慌てて身体の下側を広げ、《粘着性》で地面へ固定した。
それでも、風の力が強い。
……くそっ。
こういうとき、身体が柔らかいのは厄介だな。
しかも、広げれば広げるほど風を受けてしまう。
……だったら。
俺は少し考えた。
壁を作るから駄目なんだ。
風を全部受け止める必要なんてない。
それなら。
……風を逃がせばいい。
俺は身体の形を変えた。
平らな壁から、ゆるく曲がった形へ。
表面を斜めにし、風が横へ流れるようにする。
さらに、硬くした部分の内側へ《弾性組織》を働かせた。
……よし。
これならどうだ?
――ゴオオッ!
風が当たる。
身体が押される。
だが、さっきより衝撃が小さい。
風の一部が、身体の横へ流れていく。
……おお。
いける!
「……ノア!」
ルナが声を上げた。
「前方に岩の裂け目がある! あと少しだ!」
……おう!
俺は触手を使い、地面へ身体を固定しながら進んだ。
ルナも俺の陰へ入り、少しずつ前へ進む。
――ザザザッ!
砂が叩きつけられる。
――ゴオオッ!
風が唸る。
……くそっ。
結構きついな!
でも。
……あと少し!
俺は地面の感触を確かめた。
砂礫。
硬い岩盤。
そして。
……ん?
前方に、細い隙間がある。
……あ。
これか!
俺は触手を伸ばし、岩の奥を確かめた。
入口は狭い。
でも、少し奥へ進めば空間が広がっているようだ。
……よし。
ここなら!
俺はルナの前へ回り込み、触手で入口を示した。
「……ここ!」
「うむ!」
ルナが岩の隙間へ身体を滑り込ませる。
続いて、俺も身体を細くした。
《構造形成》。
脚を崩し、触手を縮める。
そして、岩の隙間へ滑り込んだ。
――ズルッ。
……おっ。
入れた!
そのまま少し奥へ進む。
すると、急に風の音が弱くなった。
……。
…………。
……助かった。
俺は思わず身体を広げた。
……はぁ。
危なかった。
「……ふむ」
ルナが小さく息を吐いた。
「どうやら、ここなら風をしのげそうだな」
……うん。
本当に。
俺は岩壁へ身体を預けるように広がった。
外では、まだ猛烈な風が吹いている。
ときどき砂や小石が入口へ飛び込み、硬い音を立てていた。
……いやあ。
恐ろしいな。
砂嵐って。
俺は人間だった頃、テレビで砂嵐の映像を見たことがある。
でも、実際に巻き込まれると、全然違う。
視界は悪い。
足元は不安定。
しかも、身体が風に押される。
……ああ。
自然って、普通に強敵なんだな。
俺は身体の表面を確かめた。
砂が少し付着している。
一部には、細かな傷のようなものもあった。
……うーん。
《硬質外皮》を使っていても、完全には防げなかったか。
まあ、大きな損傷じゃなくてよかった。
それより。
俺はルナの方へ身体を向けた。
「……だい、じょうぶ?」
《共鳴膜》を使い、ゆっくり声を出す。
「うむ」
ルナは静かに答えた。
「少し砂を浴びたが、問題ない」
……よかった。
俺は少し安心した。
「それより、貴様はどうなのだ?」
……俺?
俺は身体を上下させた。
「……へい、き」
少し音が途切れたが、ちゃんと言えた。
ルナが小さく鼻を鳴らす。
「……ふん」
そして、俺の身体へ前脚を伸ばした。
トン、トン。
……ん?
ああ。
あの合図か。
俺も触手で、ルナの前脚へ2回触れた。
トン、トン。
「……ふふっ」
ルナが小さく笑った。
「よし。本物だな」
……いやいや。
今さら確認しなくても分かるだろ。
ここには、俺たちしかいないんだから。
「念のためだ」
……絶対、面白がってるだろ。
俺は少し不満になって触手を揺らした。
すると、ルナが楽しそうに笑った。
……まあ。
元気そうで何よりです。
◇
風は、思った以上に長く続いた。
岩の隙間へ避難してから、どれくらい経っただろう。
外はまだ騒がしい。
俺は身体を低く広げたまま、岩壁の振動を確かめていた。
……ん?
何か変だな。
さっきから、身体の表面が少し重い。
いや、重いというより。
……硬い?
俺は触手を1本伸ばした。
すると、先端の動きが少し鈍かった。
……あれ?
《硬質外皮》は解除しているはずなのに。
俺は意識を集中し、身体の状態を確かめた。
……あ。
分かった。
表面が乾いてる。
さっき風と砂を受け続けたせいか、身体の外側から水分が失われているらしい。
……うわ。
これ、結構まずいんじゃないか?
俺の身体は、元々アメーバみたいなものだ。
水分が少なくなれば、当然動きにくくなる。
……そうか。
今まで、洞窟や森では湿った場所が多かった。
だから、あまり気にしていなかったんだ。
でも、乾いた土地では違う。
強い風に晒されるだけで、身体の状態が変わることもあるのか。
……なるほど。
これは覚えておいた方がいいな。
俺は身体を少し丸め、表面積を減らしてみた。
すると、外側の乾燥がそれ以上進みにくくなった気がした。
……うん。
やっぱり。
身体を広げると、乾きやすいんだ。
だからといって、ずっと小さくなっていたら移動できない。
……困ったな。
俺は少し考えた。
水分を守る方法。
身体の表面を硬くする?
いや、《硬質外皮》は完全な殻じゃない。
それに、広い範囲を硬化させ続けるのは疲れる。
……だったら。
表面の一部だけ、薄い層を作ればいいんじゃないか?
俺は《構造形成》で身体の外側を少し厚くした。
その下には、柔らかい部分を残す。
さらに、《粘着性》を少し弱めて、外側の膜が簡単に剥がれないように整える。
……よし。
これならどうだ?
俺は触手を動かした。
……お。
動ける。
しかも、さっきより表面が乾きにくい気がする。
もちろん、完全に防げるわけじゃない。
でも、何もしないよりはずっといい。
……なるほど。
同じ性質でも、使い方を変えれば役に立つんだな。
「……ノア?」
ルナが声をかけてきた。
「何をしておる?」
俺は触手を持ち上げた。
「……かわく」
「乾く?」
肯定する。
「……身体が乾いておるのか?」
……うん。
ちょっとね。
ルナは少し考えたあと、入口の方へ顔を向けた。
「ならば、風が弱まるまで無闇に外へ出ぬ方がよいな」
……そうだな。
本当に。
俺は身体を小さくまとめた。
しかし、まだ少し不安があった。
もし、もっと乾いた土地へ進んだら。
もし、水場のない場所で長く活動することになったら。
今のままでは、危険かもしれない。
……うーん。
また、新しい課題が増えたな。
でも、悪いことばかりじゃない。
今日の経験で、風を受け流す形も考えられた。
乾燥への対処も、少しだけ分かった。
……そうか。
強くなるって、魔物を倒すことだけじゃないんだな。
こういう環境でも生き残れるようになること。
それも、大事な成長なんだ。
俺は少し考えてから、身体の外側をもう1度調整した。
薄い膜。
柔らかい内部。
必要な部分だけを硬くする。
……よし。
今のところは、これでいい。
俺は身体を休ませた。
ルナも隣へ伏せ、静かに目を閉じている。
外では、まだ風が唸っていた。
……早く収まってくれないかな。
そう思いながら、俺はゆっくり意識を沈めた。
◇
風が弱まり始めたのは、夕方近くだった。
最初に気づいたのは、ルナだった。
「……ノア」
……ん?
俺は身体を持ち上げた。
「外が静かになってきたぞ」
……お。
本当か?
俺は細い触手を入口へ伸ばした。
さっきまで猛烈に吹き込んでいた風が、今はかなり弱くなっている。
……よし。
これなら、少し外を見られそうだな。
俺は身体をゆっくり伸ばし、入口へ移動した。
《構造形成》で小さな目を作る。
……おお。
見える。
ただ、外の景色はかなり変わっていた。
地面には、さっきまでなかった砂の山ができている。
岩の隙間にも砂がたまり、小さな石があちこちに転がっていた。
そして。
……ん?
俺は少し首を伸ばした。
岩場の向こう側。
さっきまで砂に隠れていた場所に、何かが見える。
……あれ?
道?
いや、ちょっと違うな。
細長い石が、地面へ何本も並んでいる。
その間には、周囲とは色の違う平らな地面が続いていた。
……何だ、あれ。
「……ノア?」
ルナが近づいてきた。
俺は触手を伸ばし、そちらを指した。
「……みち」
「道?」
肯定する。
ルナも岩場の外へ顔を向けた。
しばらくして。
「……ふむ」
少し驚いた声がした。
「古い敷石道か」
……シキイシミチ?
「人間が造った道であろう。砂に埋もれて、見えなくなっておったのかもしれぬ」
……おお。
なるほど。
砂嵐で、上に積もっていた砂が吹き飛ばされたのか。
俺はもう1度、道へ目を向けた。
確かに、自然にできたものとは思えない。
細長い石が、ほぼ一定の間隔で並んでいる。
その間には、平らに加工されたような石もあった。
……へえ。
こんなところに、古い道があったのか。
「……面白いな」
ルナが小さく呟いた。
「この辺りは、今ではあまり人が通らぬ場所だ。古い道が残っていても不思議ではないが……」
……うん。
確かに。
俺たちは岩陰からゆっくり外へ出た。
砂はまだ少し舞っているが、歩けないほどではない。
俺は脚を作らず、いつもの不定形の身体で地面を進んだ。
……うん。
まだ少し乾いてるし、無理に形を維持するのはやめておこう。
やがて、敷石道の端へ到着した。
近くで見ると、石の表面には細かな傷がいくつもあった。
長い年月を経たものらしい。
一部は割れ、ほかの部分は砂に埋もれている。
……なるほど。
昔は、ここを荷車や旅人が通っていたのかもしれないな。
俺は触手を伸ばし、石の表面へ触れた。
冷たい。
少しざらついている。
そして、石の端には何かが彫られていた。
……ん?
文字?
いや、模様か?
俺は小さな目を形成し、近づいてみた。
……あ。
見える。
丸い線が、いくつか重なっている。
その隣には、矢印のような形。
……なるほど。
道しるべかな。
ただ、俺には文字が読めない。
俺はルナへ声をかけた。
「……ルナ」
「何だ?」
俺は石の模様を示した。
「……これ」
ルナが近づいてきた。
しばらく眺めたあと、首を傾げる。
「……ふむ。古い標識のようだな」
……おお。
やっぱり。
「だが、文字はかなり摩耗しておる。これだけでは、どこへ続いておるか分からぬ」
……そっか。
まあ、仕方ない。
俺はもう1度、敷石道の先を眺めた。
道は岩場の間を抜け、さらに遠くへ続いているようだった。
ただし、その先はまた砂に埋もれていて、どこまで繋がっているのか分からない。
……うーん。
気になるな。
ものすごく気になる。
ルナも同じことを考えていたらしい。
「……ノア」
……ん?
「明日は、この道を少し辿ってみるか?」
……おっ。
いいのか?
「うむ。少なくとも、岩の多い場所を無闇に歩くよりは進みやすいかもしれぬ」
……なるほど。
確かに。
それに、古い道があるなら、先に何かある可能性も高い。
昔の宿場。
小さな町。
あるいは、ただの廃墟かもしれないけど。
……まあ、それも面白そうだ。
俺は身体を持ち上げた。
「……いこう」
《共鳴膜》を使い、ゆっくり声を出す。
ルナが小さく笑った。
「ふん。気が早いな。今日はもう休むぞ」
……あ。
そうだった。
まだ夕方だったな。
俺は少し恥ずかしくなって、身体を丸めた。
「……くくっ」
ルナが楽しそうに笑う。
「明日になれば、いくらでも進めるであろう」
……まあな。
それもそうだ。
俺たちは、先ほどの岩陰へ戻ることにした。
幸い、風はすっかり弱まっていた。
空には、夕焼けが広がっている。
赤い光に照らされた岩場。
砂に埋もれた敷石道。
その向こうに続く、まだ知らない土地。
……いいな。
こういうの。
今日は、魔物と戦ったわけじゃない。
新しい性質を獲得したわけでもない。
でも、ちゃんと前へ進んだ気がする。
風を避ける方法を考えた。
身体が乾くという弱点も知った。
そして、偶然だけど新しい道まで見つけた。
……うん。
十分だろ。
俺は小さな目を動かし、遠くの空を見た。
茶色い砂は、もうほとんど舞っていない。
その向こうには、澄んだ夕焼けが広がっていた。
……ああ。
綺麗だな。
俺はしばらく景色を眺めていた。
すると、隣からルナの声がした。
「……ノア」
……ん?
「明日からは、空だけでなく地面もよく見るのだぞ」
……え?
どういう意味だ?
「岩甲牛たちは、風が来る前に移動しておったのであろう」
……ああ。
そうだった。
「つまり、我らより早く異変に気づいていたということだ」
……なるほど。
確かに。
俺は少し考えた。
空の色。
風の向き。
地面を歩く生き物たちの動き。
その全部が、何かの前触れになっているのかもしれない。
……そうか。
この世界では、天気予報なんて簡単に見られないもんな。
だったら、自分で気づけるようにならないと。
俺は身体を上下させた。
「……わか、った」
ルナが満足そうに頷く。
「うむ。それでよい」
俺はもう1度、西の空へ目を向けた。
……よし。
次からは、ちゃんと気をつけよう。
ただ。
……できれば、もう少し早く教えてほしかったな。
あの岩甲牛たち。
せめて1匹くらい、出発前に声をかけてくれればよかったのに。
……いや。
牛が喋ったら、それはそれで驚くか。




