初めて選んだ獲物
水たまりの底から、規則正しい振動が伝わってくる。
……とくん。
……とくん。
「……やっぱり気になるな」
俺は岩の端に張りついたまま、振動の発生源へ意識を向けていた。
最初は地下水の流れかと思った。
だが、どうにもおかしい。
水が流れているなら、もっと不規則な振動になるはずだ。
ところが、こいつは一定の間隔で同じような震えを繰り返している。
まるで生き物の鼓動だ。
「……何かいるのか?」
考えてみれば、俺がいるのは見知らぬ世界の洞窟だ。
地球の常識が通用するとは限らない。
岩の中に潜る生物がいたって不思議じゃないだろう。
もっとも、そんなものに出会いたいかと聞かれれば、答えはノーだ。
「……とりあえず、調べるだけなら」
俺は身体を細長く伸ばした。
水たまりの底に沿って、ゆっくりと進む。
《微振動感知》を使い、周囲の動きを慎重に探った。
……とくん。
振動が近くなる。
俺は動きを止めた。
発生源は、水たまりの底にある岩の隙間らしい。
その周囲には、小さな生物が何匹も集まっている。
いや、集まっているというより……。
「……流されてる?」
小さな生物たちが、一定の間隔で同じ方向へ移動している。
水の動きに合わせて、岩の隙間へ引き寄せられているようだった。
……とくん。
再び振動が伝わった。
その瞬間、小さな生物の反応が1つ消えた。
「……ん?」
俺は慎重に意識を集中させた。
また振動。
そして、別の小さな反応が消える。
「……おいおい」
これは、もしかして。
「……食ってるのか?」
そう考えた途端、背筋が寒くなった。
いや、背筋なんてないんだけど。
どうやら岩の奥には、水ごと小さな生物を吸い込んで捕食する何かがいるらしい。
しかも、動かずに餌を集めている。
「……ずいぶん効率のいい食事方法だな」
ちょっと羨ましい。
こっちは虫を1匹捕まえるだけでも苦労しているというのに。
……とくん。
また1匹、小さな反応が消えた。
俺はしばらく様子を探っていた。
そして、あることに気づいた。
「……こいつ、動かないんじゃなくて、動けないのか?」
振動の発生源は、さっきからまったく移動していない。
岩の隙間に身体を固定しているのかもしれない。
それに、水を吸い込む間隔も一定だ。
もし自分で自由に動けるなら、近くにいる俺にも反応するんじゃないだろうか。
「……いや、試すのは危険か」
相手の大きさも分からない。
下手に近づいて、また身体を引きちぎられるのはごめんだ。
俺は引き返そうとした。
そのとき。
……カリッ。
別の振動が届いた。
「……ん?」
水たまりの外側。
乾いた岩の上を、何かが移動している。
さっきの甲殻を持つ虫とは違う。
脚の動きが少なく、身体を引きずるような振動が混じっていた。
しかも、少し大きい。
俺は身体を縮め、岩の陰へ隠れた。
……カリ、カリ。
そいつは水たまりの端までやって来ると、動きを止めた。
「……水を飲みに来たのか?」
俺は様子を探る。
すると、水の表面に小さな波が生まれた。
相手が身体を水へ近づけたらしい。
……とくん。
底から振動が伝わる。
水の流れが、岩の隙間へ向かって動いた。
その直後だった。
バシャッ!
水が大きく跳ねた。
「うおっ!?」
驚いて身体を縮める。
水たまりの端で、何かが激しく暴れていた。
さっきまで岩の上にいた生物だ。
その身体が、水の底へ引っ張られている。
「……何だ!?」
俺は必死に振動を探った。
岩の隙間から、細長い何かが伸びている。
それが獲物に絡みつき、水の中へ引きずり込もうとしていた。
「……触手?」
いや、正確には分からない。
ただ、柔らかく伸びるものが獲物を捕まえていることだけは確かだった。
獲物も必死に抵抗している。
岩を引っかく振動。
水を叩く衝撃。
そして――。
バチッ!
鋭い振動が走った。
直後、絡みついていたものが引っ込んだ。
獲物が岩の上へ転がる。
「……逃げた?」
どうやら、捕まっていた生物が反撃したらしい。
そいつはしばらく動かなかったが、やがてゆっくりと移動を始めた。
ただし、最初に現れたときよりも明らかに動きが鈍い。
脚を引きずるように、少しずつ進んでいる。
「……怪我したのか?」
俺は考えた。
今なら、あいつを捕まえられるかもしれない。
最初に感じた大きさからすると、さっきの甲殻を持つ虫より少し大きい程度だ。
もちろん、危険はある。
だが、動きは遅い。
しかも、何かに襲われたばかりで弱っている。
「……どうする?」
俺は岩の陰で迷った。
今までは、目の前に現れた小さな獲物を捕食してきた。
危険な相手からは逃げた。
それだけだ。
けれど、これから強くなるためには、いつまでも小さな虫ばかり食べているわけにはいかない。
新しい性質を手に入れるには、違う生物を捕食する必要がある。
「……よし」
俺は身体をゆっくりと伸ばした。
今度は逃げるためじゃない。
自分から獲物を捕まえに行くためだ。
もちろん、無茶はしない。
勝てないと思ったら、すぐに撤退する。
そのつもりで、俺は獲物の振動を追い始めた。
⸻
相手は予想以上に警戒していた。
俺が少し近づくと、すぐに動きを止める。
こちらの振動に気づいているらしい。
「……やっぱり、簡単にはいかないか」
俺は岩肌へ身体を薄く広げた。
動きを止める。
相手も動かない。
しばらく待つ。
すると、再びカリカリと岩を引っかく振動が始まった。
「……よし」
俺は慎重に距離を詰めた。
あと少し。
もう少し近づけば、身体を伸ばして届く。
……その瞬間だった。
カッ!
硬いものが岩を叩いた。
「……っ!?」
次の瞬間、鋭い何かが俺の身体へ突き刺さった。
「ぐあっ!?」
痛い!
さっきまで傷ついていなかった部分に、強烈な痛みが走る。
慌てて身体を引っ込めようとした。
だが、相手は離れない。
硬い先端が身体に食い込んだまま、ぐいぐいと押しつけられてくる。
「この……!」
俺は反射的に《硬質外皮》を発動した。
攻撃を受けている部分を硬くする。
……しかし。
「……あれ?」
身体の動きがおかしい。
硬質化しようとしているのに、うまく力が入らない。
それどころか、攻撃された場所から奇妙な感覚が広がっていく。
じんじんと痺れるような、嫌な感覚だ。
「……まさか、毒!?」
そう考えた途端、全身が強張った。
まずい。
本当にまずい。
俺は慌てて身体を縮めた。
すると、突き刺さっていたものが抜ける。
相手は一瞬だけ動きを止めた。
どうやら、攻撃が通ったことで警戒を緩めたらしい。
「……くそっ」
俺は岩の陰へ逃げ込んだ。
身体の一部が、思うように動かない。
毒なのか、それとも別の何かなのか。
正確には分からないが、明らかに異常だ。
「……危なかった」
あと少し遅れていたら、もっと深く刺されていたかもしれない。
やっぱり、知らない相手に不用意に近づくのは危険だ。
俺は身体を小さくまとめ、状態を確かめた。
刺された部分は、ゆっくりと塞がり始めている。
だが、痺れは残っていた。
「……これ、どうすりゃいいんだ?」
身体の内部を意識する。
すると、傷口の周囲だけが妙に動きにくいことに気づいた。
他の部分は問題なく動いている。
どうやら、何かが全身へ広がっているわけではなさそうだ。
「……だったら」
俺は傷ついた部分を身体の端へ集めた。
そして、その部分だけを薄く伸ばす。
ぐにゃり。
身体の表面が変形する。
痺れのある部分を、できるだけ小さくまとめる。
すると、他の部分が少し動かしやすくなった。
「……おお?」
完全に治ったわけじゃない。
だが、これならまだ動ける。
「……そうか」
今の俺は、決まった形を持たない。
身体のどこを使うかも、ある程度は自分で決められる。
だったら、動きにくい部分を無理に使わなければいい。
もちろん、根本的な解決ではない。
それでも、今は十分だった。
俺は改めて、獲物の振動を探った。
……カリ。
……カリカリ。
まだ近くにいる。
どうやら、逃げた俺を追いかけてくるつもりはないらしい。
「……どうするかな」
このまま逃げるのが正解かもしれない。
相手は毒らしき攻撃を持っている。
こちらはすでに傷ついている。
危険を冒してまで戦う理由はない。
……だが。
俺は自分の身体を意識した。
《粘着性》。
《硬質外皮》。
《微振動感知》。
せっかく手に入れた性質を、まだ十分に使いこなせていない。
今回の相手だって、何もできずに負けたわけじゃない。
こちらの攻撃が届く前に、相手の方が速く動いただけだ。
だったら。
「……もう1回だけ、試してみるか」
俺は慎重に身体を伸ばした。
今度は、正面から近づかない。
まずは相手の動きを確かめる。
……カリ、カリ。
獲物は岩の上をゆっくりと移動していた。
ときおり立ち止まり、何かを探るように身体を動かしている。
さっき俺を攻撃した硬いものは、今は岩に触れていない。
「……なるほど」
攻撃するときだけ、あれを使うのかもしれない。
だったら、その瞬間を狙えばいい。
俺は身体の先端を細く伸ばした。
そして、先ほどと同じように岩の表面へ触れる。
カリッ。
わざと小さな振動を起こす。
……ぴくっ。
獲物が反応した。
「……よし」
もう1度。
カリッ。
相手がこちらへ向きを変える。
どうやら、振動の発生源を探っているらしい。
俺は身体の大部分を岩陰に隠したまま、先端だけを少しずつ動かした。
近づいてくる。
……カリ。
……カリ。
あと少し。
その瞬間。
カッ!
鋭い攻撃が飛んできた。
「……今だ!」
俺は伸ばしていた先端を引っ込めた。
攻撃が岩を叩く。
硬いものが岩へ突き刺さるような振動。
そして、一瞬だけ相手の動きが止まった。
俺はすかさず身体を広げた。
ぐにゃりと伸びた身体が、相手の側面へ回り込む。
《粘着性》を発動。
「……捕まえた!」
相手が激しく暴れる。
身体を捻り、硬い脚で俺を引き剥がそうとする。
だが、今回は逃がさない。
俺は身体をさらに広げ、相手の周囲へ巻きついた。
そして、攻撃してきた硬い部分へ意識を集中させる。
《硬質外皮》。
ぐぐっ……。
身体の一部が硬くなる。
次の瞬間、鋭い攻撃が再び飛んできた。
カツン!
「……よし!」
完全には防げない。
だが、さっきほど深く刺さらなかった。
しかも、今回は相手の動きが分かっている。
俺は硬くした部分で攻撃を受け止めながら、別の方向から身体を伸ばした。
柔らかい部分を探す。
硬い殻の継ぎ目。
脚の付け根。
「……そこだ!」
身体の先端が、柔らかい部分へ入り込んだ。
相手が暴れる。
だが、もう遅い。
《粘着性》で動きを封じたまま、捕食を始める。
じわじわと、身体の奥へ栄養が流れ込んでくる。
「……くっ、暴れるなって!」
相手は最後まで抵抗した。
何度も硬い部分を動かし、俺の身体を引き剥がそうとする。
しかし、動きは次第に弱くなっていった。
そして。
……。
ついに、振動が止まった。
「……勝った?」
俺はしばらく動かなかった。
相手がまだ生きている可能性もある。
不用意に身体を緩めて、最後の反撃を受けるのは嫌だった。
だが、どれだけ待っても動きは戻らない。
やがて、残っていた身体も少しずつ取り込まれていく。
「……よし!」
今度こそ勝った。
しかも、自分から挑んで。
相手の攻撃を観察して。
《粘着性》と《硬質外皮》を組み合わせて。
……いや、正直かなり危なかったけど。
「……でも、やれるもんだな」
俺は身体をゆっくりと縮めた。
さっきまでの痺れは、まだ少し残っている。
それでも、自分の身体を思いどおりに動かせる。
何より、獲物を捕食したことで空腹感が和らいでいた。
「……さて」
俺は身体の奥へ意識を向けた。
今までとは少し違う感覚が生まれている。
じんわりと熱い。
そして、何かが身体の表面へ集まろうとしていた。
「……お?」
その瞬間。
頭の中に、情報が浮かび上がった。
《性質吸収》
新たな性質を獲得しました。
《微弱毒分泌》
「……毒!?」
思わず身体を震わせた。
まさか、そんなものまで手に入るとは。
俺は慎重に、新しい性質へ意識を向けた。
すると、身体の先端に微かな変化が起きた。
表面から、ほんの少しだけ液体のようなものが滲み出してくる。
「……これが毒なのか?」
見た目は分からない。
だが、普通の身体の一部とは違うものが分泌されている感覚がある。
試しに岩へ触れてみた。
……何も起きない。
まあ、当然か。
岩に毒が効くわけないよな。
「……使い道はありそうだな」
相手を捕まえたとき、毒で動きを鈍らせることができれば、捕食がずっと楽になるかもしれない。
もっとも、《微弱》とついている以上、それほど強力な毒ではないのだろう。
どんな相手に効くのかも分からない。
それでも、今までの俺にはなかった攻撃手段だ。
「……いいじゃん」
俺は少しだけ身体を揺らした。
捕食によって、新しい性質を手に入れる。
その性質を使いこなし、さらに強い獲物に挑む。
改めて考えると、原初種というのは本当に面白い。
……まあ、失敗したら死ぬんだけど。
「……調子に乗らないようにしよう」
俺はそう自分に言い聞かせた。
そのとき。
……とくん。
水たまりの底から、再び振動が伝わってきた。
「あ……」
そういえば、あっちにも何かいたんだった。
さっきの獲物を襲った、岩の奥の生物。
あいつが何なのか、まだ分かっていない。
ただ、細長い何かを伸ばして獲物を捕まえていたことは確かだ。
「……あれは、まだ相手にしない方がいいな」
俺は水たまりから少し距離を取った。
今日のところは、もう十分だ。
毒を持つ生物を捕食できた。
新しい性質も手に入れた。
そして何より、初めて自分から獲物を選んで戦い、勝つことができた。
それだけでも、大きな進歩だと思う。
俺は岩の陰へ身体を移動させた。
そこで、もう1度《硬質外皮》を発動してみる。
今度は身体の先端だけではなく、少し離れた場所も同時に硬くしようとした。
ぐぐっ……。
「……お?」
さっきより、少しだけ広い範囲が硬くなった。
完全な鎧には程遠い。
それでも、今までよりは確実に扱いやすい。
「……やっぱり、練習って大事だな」
俺は硬質化を解除した。
続いて、《粘着性》を使って岩へ張りつく。
そのまま身体の一部だけを伸ばし、別の場所を硬くする。
最初はうまくいかなかった。
粘着性を強めると、硬質化の方が弱くなる。
逆に硬質化へ意識を集中させると、張りつく力が弱まった。
「……同時に使うの、結構難しいな」
だが、何度か繰り返しているうちに、少しずつ感覚が掴めてきた。
片方を維持したまま、もう片方へ意識を向ける。
そうすると、わずかではあるが両方を使える。
「……よしよし」
俺は夢中になって練習を続けた。
気づけば、身体の奥にあった栄養がずいぶん減っているような感覚があった。
さっき食べたばかりなのに、また空腹が強くなっている。
「……燃費悪いな、俺」
これでは、強い性質を手に入れても使い放題とはいかない。
食事と練習のバランスを考えなければ。
そんなことを思いながら、俺は身体を丸めた。
そして、ふと気づく。
……あれ?
身体の奥が、さっきから妙に落ち着かない。
痛みではない。
痺れとも違う。
もっと内側。
身体の中心に近い場所で、何かがゆっくりと動いている。
「……何だ?」
俺は意識を集中させた。
すると、これまで取り込んできた性質が、互いに反応しているような感覚があった。
《微振動感知》。
《粘着性》。
《硬質外皮》。
そして、今手に入れた《微弱毒分泌》。
それぞれ別々に使っていたはずの性質が、身体の内側で何かを形作ろうとしている。
「……まさか、また新しい能力か?」
期待しながら意識を向ける。
だが、何も起きなかった。
しばらく待ってみても、変化はない。
「……気のせいか?」
俺は身体を小さく縮めた。
まだ分からないことばかりだ。
それでも、確実に変わってきている。
最初に目覚めたとき、俺は何もできなかった。
ただ地面を這い、周囲を探り、目の前の虫を捕まえるだけ。
それが今では、岩を登り、振動を感じ、身体を硬くし、毒まで扱えるようになった。
「……結構すごくないか、俺」
もちろん、まだまだ弱い。
あの巨大な化け物に襲われたら、今でも逃げるしかないだろう。
だが、少なくとも最初の俺とは違う。
この身体には、まだまだ可能性がある。
そんな確信が、少しずつ強くなっていた。
……とくん。
水たまりの底から、また振動が伝わってくる。
俺はそちらへ意識を向けた。
あの岩の奥にも、まだ知らない生物がいる。
いつか、あいつを捕食できるようになるかもしれない。
そのときには、また新しい性質が手に入るのだろうか。
「……楽しみだな」
そう思ってから、俺は少し驚いた。
ついさっきまで、知らない生物に襲われるのが怖くて仕方なかったのに。
今は、少しだけ違う。
もちろん、怖くなくなったわけじゃない。
でも、それ以上に。
この世界で、自分がどこまで成長できるのか。
それを確かめてみたくなっていた。
「……よし。明日も頑張るか」
……明日がいつなのかは分からないけど。
俺はそんなことを考えながら、静かに身体を休めた。
その中心で、さっき感じた奇妙な動きが、もう1度だけ起こった。
小さく。
けれど、確かに。
まるで、身体そのものが次の形を探しているかのように。




