第2部 第53話 渡るための形
「……かわ」
俺がそう言うと、ルナは目の前を流れる水へ顔を向けた。
「うむ。川だな」
「……かわ」
「だから、川だと言っておる」
……いや。
別に川が珍しくて連呼してるわけじゃないんだけど。
俺は身体の前側を持ち上げ、発声用の構造へ意識を集中した。
《共鳴膜》。
昨日、写声蜥蜴から獲得したばかりの性質だ。
今までの《摩擦発音》と組み合わせることで、以前より音を安定させやすくなった。
もっとも、まだ練習は必要だけど。
俺はもう1度、ゆっくり声を出した。
「……かわ」
……お。
今の、結構きれいに出たんじゃないか?
「……なるほど」
ルナが何かに気づいたらしい。
「声の練習をしておったのか」
俺は身体を上下させた。
「ふむ。確かに、昨日より聞き取りやすいな」
……だろ?
ちょっと頑張ってるんですよ。
「だが、川に向かって何度も川と言われても、返事はせぬぞ」
……。
……分かってるよ!
俺は抗議するように触手を振った。
すると、ルナが楽しそうに笑う。
「くくっ。まあ、よい。練習は続けるがよい」
……はいはい。
そうさせてもらいます。
俺たちの前には、幅の広い川が流れていた。
水は澄んでいて、底にある石まで見える場所もある。ただし、中央付近は色が濃く、かなり深そうだった。
流れも思った以上に速い。
川の中央では白い泡が立ち、流木の欠片が次々と下流へ運ばれていく。
……うーん。
これは、泳いで渡るのは難しそうだな。
俺は昔、この世界へ来たばかりの頃のことを思い出した。
洞窟の水路を流されたとき。
あの頃は、身体を自由に動かすことさえ難しかった。
流れに逆らうこともできず、ただ運ばれるしかなかったんだ。
……今なら、少しは違うだろうか。
俺は触手を水へ伸ばした。
冷たい。
次の瞬間、流れに触れた先端が下流へ引っ張られた。
……うわ。
結構強いな。
俺は慌てて触手を引っ込めた。
……うん。
やっぱり、泳ぐのはやめておこう。
「どうした?」
ルナが尋ねる。
俺は川を指した。
「……わたる?」
「うむ。この先へ進むなら、いずれ渡らねばならぬ」
……なるほど。
「少し下流に古い橋があるはずだ。まずは、そこを確かめるとしよう」
……お。
橋があるなら話は早いじゃないか。
俺は身体の下側へ4本の脚を形成した。
《自在形態型》になってから、以前よりずっと滑らかに作れるようになった脚だ。
前脚を少し短く。
後ろ脚には《弾性組織》。
身体を持ち上げ、ゆっくり歩き始める。
……うん。
いい感じだ。
最近は、普通に歩く程度なら目を維持したままでも問題なくなってきた。
まだ急な方向転換は苦手だけど。
それでも、少し前の自分から考えれば大進歩だ。
「……ノア」
隣からルナが声をかけてきた。
「何だか、随分と上機嫌だな」
俺は身体を上下させた。
……そりゃそうだろ。
目が見える。
脚で歩ける。
声も少しずつ出せるようになってきた。
しかも、身体の色まで変えられるんだぞ?
人間だった頃には考えもしなかったことが、今の俺にはできる。
……いやあ。
人生、何が起こるか分からないものだな。
もっとも、そもそも人間じゃなくなってるんだけど。
「ふむ。では、その脚で転ばぬよう気をつけるがよい」
……分かってますよ。
もう何回も転んだからな。
さすがに学習しております。
そう思った直後。
――ぐらっ。
……あ。
前脚が石へ引っかかった。
俺は慌てて後ろの触手を伸ばし、地面へ押しつけた。
――ザザッ。
……ふう。
危ない。
「……くくっ」
……笑うな!
今のは転んでないだろ!
「そうだな。転びかけただけだ」
……余計に腹立つな、その言い方。
俺は脚の配置を少し調整し、再び歩き始めた。
◇
川沿いをしばらく進むと、古い木製の橋が見えてきた。
……おお。
あった。
ちゃんと橋だ。
太い木材を組み合わせた橋で、両側には簡単な手すりもついている。
それほど大きくはないが、人間や小さな荷車なら渡れそうな幅があった。
ただし。
「……ふむ」
ルナが足を止めた。
「困ったな」
……ん?
俺は目を向けた。
そして、すぐに理由が分かった。
……あ。
壊れてる。
橋の中央付近で、床板が何枚か抜け落ちていた。
その下には、勢いよく流れる川が見える。
残った木材も古く、一部は黒ずんでいる。
……なるほど。
これは、ちょっと危ないな。
「以前は通れたはずなのだが」
ルナが残念そうに言った。
「増水で傷んだのかもしれぬ」
……そうか。
じゃあ、どうしよう。
俺は周囲を見回した。
川の上流には、細い崖が続いている。
下流側は、だんだん川幅が広がっているようだった。
少なくとも、ここから見える範囲には別の橋はない。
「迂回するなら、上流へ戻ることになるな」
……うーん。
結構歩いてきたんだけどな。
俺は橋の壊れた部分へ目を向けた。
抜け落ちたのは中央の床板だけらしい。
手すりを支える太い柱は残っている。
それに、橋そのものが完全に崩れているわけでもなさそうだ。
……ん?
待てよ。
俺は首を伸ばした。
壊れた部分を、もう少しよく観察する。
床板が抜けた場所。
その下に残る横木。
そして、橋の両側へ続く太い梁。
……あれ?
もしかして。
「……ノア?」
ルナがこちらを向いた。
「どうした?」
俺は触手を伸ばし、壊れた部分を指した。
「……なおす」
「直す?」
肯定する。
ルナはしばらく橋を見つめていた。
「……貴様、この橋を修理するつもりか?」
……いや。
完全に直せるとは思わないけど。
渡れるようにするくらいなら、何とかならないかな。
俺は橋の入口へ移動した。
まず、触手を伸ばして床板へ触れる。
《微振動感知》。
木材を伝わる細かな揺れを確かめる。
……ふむ。
古いけど、思ったよりしっかりしてるな。
少なくとも、入口の板は簡単には崩れそうにない。
俺はさらに触手を伸ばし、床板のつなぎ目を確かめた。
……うん。
なるほど。
木材の組み方も、だんだん分かってきた。
ただ、見た目だけでは内部の腐り具合までは分からない。
俺は慎重に力をかけ、板がどう動くのかを試した。
……よし。
ここは大丈夫そうだ。
「……ノア」
ルナが近づいてきた。
「何をしておる?」
俺は触手を伸ばし、橋の床板を軽く叩いた。
次に、壊れた部分へ向ける。
「……ここ」
「む?」
「……つなぐ」
少し音が乱れた。
でも、伝わったらしい。
「……なるほど」
ルナが小さく頷いた。
「壊れた場所に、貴様の身体で足場を作るつもりか」
……そう!
それだ!
俺は勢いよく身体を上下させた。
「……しかし」
ルナの声が少し低くなる。
「貴様の身体が、我の重さに耐えられるのか?」
……。
……あ。
そこが問題なんだよな。
俺の身体は、自由に形を変えられる。
でも、何でも無限に作れるわけじゃない。
細く伸ばせば、その分だけほかの部分は薄くなる。
《硬質外皮》を使えば強度は上げられるが、それでも限界はある。
まして、川の上に長い橋を作るなんて無理だ。
……うーん。
どうしたものか。
俺は少し考えてから、もう1度橋を観察した。
そこで、あることに気づいた。
……ん?
壊れた場所の手前に、古い板が1枚引っかかっている。
端が割れているが、中央部分はまだ使えそうだ。
……お。
これ、利用できないかな。
俺は触手を伸ばし、その板を引き寄せた。
――ズズッ。
……重いな。
結構しっかりした木材らしい。
俺は脚を崩して身体を低く広げ、地面へ《粘着性》で固定した。
それから、太い触手を2本作る。
板の両端へ巻きつけ、少しずつ持ち上げる。
……よし。
動いた。
俺は板を橋の中央へ運んだ。
抜けた床板の位置へ、慎重に合わせる。
……うん。
これなら、隙間をかなり埋められる。
ただし。
……駄目だ。
板を置いただけじゃ、重さをかけたときにずれる。
両端を固定するものが必要だ。
俺は少し考えた。
……固定。
固定か。
それなら。
俺には《粘着性》があるじゃないか。
俺は身体の一部を薄く広げ、板の端と残った横木へ押しつけた。
《粘着性》。
さらに、外側へ回した触手を少し硬くする。
……よし。
これなら、少なくとも簡単にはずれないはずだ。
俺は板へ少しずつ力をかけた。
――ミシッ。
……ん。
やっぱり、少し沈む。
俺はさらに触手を伸ばし、板の下側へ回した。
太い梁と横木を利用し、板が下へ落ちないように支える。
……よし。
今度はどうだ?
俺はもう1度、ゆっくり力をかけた。
――ミシ……。
……お。
さっきより、ずっと安定してる。
俺は身体を持ち上げた。
「……ほう」
ルナが感心したように言った。
「なかなか器用なことをするではないか」
……だろ?
今回の俺は、ちょっと違うんですよ。
「だが、まだ安心はできぬな」
……うん。
それは分かってる。
俺は橋の入口へ戻り、今度は自分の身体を使って試すことにした。
4本の脚を作る。
後ろ脚へ《弾性組織》。
そして、ゆっくり板の上へ進む。
……よし。
1歩。
もう1歩。
――ミシッ。
……うわ。
音が怖い。
俺は身体を低くし、できるだけ重さを分散させた。
そのまま、壊れた部分へ少しずつ近づく。
……うん。
今のところ大丈夫だ。
ただし、俺とルナでは身体の形も重さのかかり方も違う。
これで安全だと決めつけるわけにはいかない。
俺は板へ触手を伸ばし、さらに少し強く押してみた。
――ギシッ。
……ん。
なるほど。
端の方が弱いな。
板の中央は残った横木で支えられているが、外側へ体重をかけると少し傾く。
……よし。
だったら、もう少し補強しよう。
俺は身体の一部を板の両側へ回し、太い梁へ固定した。
《硬質外皮》で支えを固くする。
その内部には《弾性組織》。
急な力が加わっても、わずかに伸びて衝撃を逃がせるようにする。
……うん。
こういう組み合わせ、前ならかなり難しかったんだよな。
今は、それぞれの部分を調整しながら維持できる。
《自在形態型》。
改めて考えると、本当に便利な変異だ。
俺はもう1度、板へ力をかけた。
今度は、端へ押しても大きく傾かなかった。
……よし。
これなら。
俺はルナの方へ触手を伸ばした。
「……いけ、る」
「本当か?」
俺は身体を上下させた。
「……ふむ」
ルナはしばらく橋を眺めていた。
そして。
「ならば、我も確かめてみよう」
……おう。
ただし、ゆっくりな。
俺は橋の入口へ戻り、ルナが歩くための場所を空けた。
ルナが慎重に足を踏み出す。
――トン。
木の板が小さく鳴った。
続いて、もう1歩。
……よし。
大丈夫そうだ。
ルナは壊れた部分の手前まで進み、足を止めた。
「……ノア」
……ん?
「本当に、ここを渡ってよいのだな?」
俺は一瞬、考えた。
……正直。
絶対に安全だとは言えない。
木材は古いし、俺の身体も万能じゃない。
でも、今のところは十分に支えられている。
それに、ルナが無理をする必要はない。
危ないと思ったら、すぐに戻ればいい。
俺は橋の脇へ身体を広げ、細い触手を1本伸ばした。
ルナの前脚へ、そっと触れる。
トン、トン。
「……ふむ」
ルナが小さく笑った。
「本物の貴様だな」
……いや。
ここでその合図を使うのかよ。
俺は思わず身体を揺らした。
すると、ルナは少しだけ力を抜いたようだった。
「よかろう。では、渡るぞ」
……おう。
俺は身体を低くし、板を支える部分へ意識を集中した。
ルナが前脚を伸ばす。
――トン。
板へ足が乗った。
……よし。
次に、もう1本。
――ミシッ。
……っ。
少し沈んだ。
でも、想定した範囲だ。
俺は支えの一部を縮め、板が傾かないようにする。
ルナが慎重に身体を進める。
後ろ脚が板へ乗った。
……あと少し。
「……ノア」
ルナが静かに言った。
「もう少しで渡れるぞ」
俺は身体を上下させた。
……うん。
頑張れ。
その瞬間。
――ギシッ!
……え?
板の端から、嫌な音がした。
俺は慌てて触手へ意識を向けた。
……まずい!
固定していた古い横木が、少し割れた!
板そのものではない。
下で支えていた木材の方だ。
……くそっ。
そこまでは分からなかった!
俺は急いで支えを増やそうとした。
だが、身体を広げるには限界がある。
これ以上薄くすれば、別の部分まで弱くなってしまう。
……どうする!?
ルナは、あと1歩で向こう側へ渡れる位置にいる。
だが、板が大きく傾けば、足を滑らせるかもしれない。
……だったら。
俺は板の下を支える触手へ《弾性組織》を働かせた。
今までは、なるべく動かないように固くしていた。
でも、それじゃ駄目だ。
横木が割れた以上、完全に固定するのは難しい。
だったら、少しだけ動かして衝撃を逃がす。
……よし。
俺は支えをわずかに緩めた。
板が沈む。
その代わり、別の太い梁へ力が伝わった。
……おお。
耐えた!
俺はルナへ声をかけた。
「……まえ!」
「む?」
「……その、まま!」
ルナは一瞬だけこちらを見た。
そして。
――ダッ!
残った距離を、短く跳んだ。
――トンッ!
向こう側の床板へ着地する音。
……おお!
渡った!
「……ふん!」
ルナが振り返った。
「見たか、ノア!」
……見た見た!
ちゃんと見てましたよ!
俺は嬉しくなって身体を持ち上げた。
……よかった。
本当によかった。
ただし。
ここから、もう1つ問題がある。
……俺、どうやって渡ろう。
俺は自分の身体を確かめた。
橋の両側へ伸ばした触手。
板を支える部分。
そして、まだ手前に残っている本体。
……ああ。
そうだった。
俺が固定をやめたら、せっかくの足場が崩れるかもしれない。
でも、俺自身はもう渡らなくちゃいけない。
……うーん。
これは、ちょっと考えてなかったな。
俺は身体を少し縮めた。
その瞬間。
――ミシッ。
……あ。
駄目だ。
まだ無理に動かせない。
「……ノア?」
向こう側からルナの声がした。
「何をしておる?」
俺は身体を上下させようとして、途中で止めた。
……いや。
実はですね。
ちょっと困ってまして。
「……まさか」
ルナが何かに気づいた。
「貴様、自分の渡り方を考えておらなんだのか?」
……。
…………。
……はい。
すみません。
俺はゆっくり触手を垂らした。
ルナがしばらく黙っていた。
そして。
「……くくっ」
……おい。
笑うなって!
こっちは結構真剣なんだぞ!
「ふふっ。まったく、貴様らしいな」
……いやいや。
今は笑ってる場合じゃないんですけど!
俺はもう1度、橋の構造を確かめた。
板を支えている部分。
手すりの柱。
反対側へ伸ばした触手。
……ん?
待てよ。
俺の身体は、全部を同時に動かす必要はない。
今までだって、身体の一部を固定したまま、別の部分を動かしてきた。
だったら。
……少しずつ移せばいいんじゃないか?
俺は身体の後ろ側から、新しい触手を伸ばした。
向こう側の太い柱へ巻きつける。
《粘着性》。
……よし。
固定できた。
次に、手前側へ残した身体を少しだけ縮める。
その分を、向こう側へ移動させる。
……お。
できる。
俺はゆっくり、身体を移していった。
橋の補強に使っている触手は、まだ動かさない。
必要な部分だけを残し、ほかを少しずつ向こう側へ運ぶ。
……よし。
あと少し。
俺は身体の大部分を向こう側へ移した。
そして、最後に。
板の下へ回していた触手を、1本ずつ引き抜いた。
――ミシッ。
……うっ。
また音がした。
でも、もう俺たちは向こう側にいる。
最後の触手を引き戻した瞬間、中央の板が少し傾いた。
――ガタンッ。
……ああ。
やっぱり。
完全に修理できていたわけじゃなかったんだな。
俺は橋を振り返った。
中央の板は、今にも外れそうな状態で引っかかっている。
これを見た旅人が、安全だと思って渡ろうとしたら危険だ。
……うーん。
このまま放置するのはよくないな。
俺は触手を伸ばし、板の端を引っかけた。
反対側の横木を傷つけないよう、ゆっくり力をかける。
――ズズッ。
板がずれる。
そして。
――ガタンッ!
壊れた部分のすぐ横へ、板が落ちた。
……よし。
これなら、穴が塞がっているようには見えない。
ほかの旅人も、無理に渡ろうとはしないだろう。
本当なら、ちゃんと修理できればよかったんだけどな。
……まあ。
今の俺には、これが精一杯だ。
俺は身体を小さくまとめ、ルナの隣へ移動した。
「……ふむ」
ルナが橋を眺める。
「無事に渡れたな」
俺は身体を上下させた。
「それにしても、なかなか器用なことをするものだ」
……おっ。
褒めてくれるのか?
「まさか、自分の身体を使って橋を補強するとは思わなんだ」
……まあな。
ちょっと頑張ったんですよ。
「ただし」
……ん?
「次からは、自分が渡る方法まで考えておくのだぞ」
……。
……はい。
ごもっともです。
俺は少しだけ身体を丸めた。
ルナが楽しそうに笑う。
「くくっ。だが、助かったぞ」
……お。
「我の脚では、あの隙間を無理に跳ぶのは避けたかった。貴様のおかげで、安心して渡れた」
……そっか。
それなら、よかった。
俺は触手を小さく揺らした。
……うん。
それが一番嬉しいな。
◇
川を渡った先には、緩やかな草原が広がっていた。
遠くには低い丘があり、その向こうには大きな岩がいくつも立っている。
俺は身体の上部へ目を形成し、周囲を見回した。
……おお。
景色が変わったな。
さっきまでの森とは、まるで違う。
背の低い草。
広い空。
そして、遠くに見える、奇妙な石の柱。
……ん?
あれ、何だ?
俺は首を少し伸ばした。
石の柱は、1本だけではなかった。
離れた場所に、何本も並んでいる。
自然にできたものなのか、それとも誰かが立てたものなのか。
今の視力では、そこまでは分からない。
「……ほう」
ルナも気づいたらしい。
「石柱原か」
……セキチュウゲン?
何だ、その名前。
「この辺りは、古くから石柱原と呼ばれておる。大きな岩がいくつも立ち並ぶ、不思議な草原だ」
……へえ。
それは面白そうだな。
「魔獣も多いが、水場や休める場所もある。うまく進めば、しばらく人里へ寄らずに旅ができるであろう」
……おお。
なるほど。
それなら、ちょうどいい。
俺は身体の下側へ4本の脚を作った。
前脚を少し短く。
後ろ脚には《弾性組織》。
さらに、身体の後ろ側へ短い触手を伸ばす。
……よし。
今のところ、これが一番動きやすい形だ。
ルナが隣へ並ぶ。
「さて、ノア」
……ん?
「次は、どこまで進む?」
俺は遠くの石柱へ目を向けた。
……そうだな。
あそこまで行ってみたい。
どんな場所なんだろう。
どんな生き物がいるんだろう。
俺は触手を伸ばし、石柱の方を指した。
「……あっち」
「ふむ。石柱原か」
肯定する。
ルナは少し考えてから、頷いた。
「よかろう。今日は無理せず、手前の丘まで進むとしよう」
……おう。
それでいい。
俺は脚を動かし、ゆっくり前へ進んだ。
草が足元を揺らす。
風が身体の表面を流れていく。
目の前には、まだ知らない景色が広がっている。
……いいな。
こういうの。
自分で行き先を決めて。
自分の身体で歩いて。
隣には相棒がいる。
人間だった頃、ゲームの中で冒険していたときとは、何もかもが違う。
失敗すれば、本当に危ない。
怪我をすれば、すぐに治るわけじゃない。
お金だって、自分で稼がなきゃいけない。
……まあ、そこはちょっと面倒だけど。
でも。
それでも、俺は今の生活が結構好きだった。
そんなことを考えながら歩いていると、ルナが突然足を止めた。
「……ノア」
……ん?
俺も脚を止めた。
「少し、静かにしておれ」
……え?
俺は発声用の構造を崩し、周囲へ意識を向けた。
すると。
――ドン……。
……ん?
低い振動。
それも、1つじゃない。
――ドン……ドン……。
少しずつ数が増えていく。
……何だ?
俺は《微振動感知》へ意識を集中した。
草地の向こう。
石柱が並ぶ方向。
そこから、大きな足音がいくつも伝わってくる。
……おいおい。
また大型の魔物か?
俺は慌てて目を向けた。
遠くの草原に、黒っぽい影がいくつも見える。
大きい。
しかも、かなりの数だ。
……うわ。
何だ、あれ。
「……ふむ」
ルナが小さく鼻を鳴らした。
「どうやら、群れが移動しておるようだな」
……群れ?
「うむ。石柱原には、群れで暮らす大型の魔獣も多い」
……なるほど。
俺はしばらく、その光景を眺めた。
遠くの草原を、巨大な影がゆっくり移動していく。
地面へ伝わる振動。
風に揺れる草。
そして、石柱の間を進む魔獣たち。
……おお。
すごいな。
今までの俺なら、こんな光景を見ただけで逃げ出していたかもしれない。
でも、今は違う。
もちろん、無茶に近づくつもりはない。
相手がどれほど強いのか、まだ分からないんだから。
……ただ。
あの先に、どんな世界が広がっているのか。
それが、ものすごく気になった。
「……ノア」
ルナがこちらを向いた。
「何を考えておる?」
俺は少し考えた。
それから、発声用の構造を作る。
《共鳴膜》。
息を整えるように、音をゆっくり調整する。
「……いこう」
少し震えた声だった。
でも、ちゃんと聞き取れたはずだ。
ルナが小さく笑った。
「……ふん」
いつもの声。
「当然であろう」
俺たちは再び歩き始めた。
目指すのは、石柱が並ぶ草原。
その先に何があるのか、まだ分からない。
でも、今の俺なら。
必要な姿を考えて、自分の身体を変えられる。
危険な場所でも、工夫すれば道を作れるかもしれない。
……うん。
悪くない。
俺はゆっくり脚を動かした。
その隣を、ルナが歩いている。
川の向こう側へ来たからといって、急に強くなったわけじゃない。
でも、確かに。
俺たちは、また少し先へ進んだんだ。
そして。
今度こそ、ちゃんと自分の足で。




