第2部 第52話 声を借りるな
「ノア、そちらへ行くでない」
……またか。
朝の森に、聞き覚えのある声が響いた。
間違いなくルナの声だ。いつもの偉そうな口調も、語尾の微妙な上がり方もそっくりである。
ただし、本物のルナは俺の隣にいた。
「……まったく。昨日の言葉を、まだ覚えておるのか」
ルナが呆れたように鼻を鳴らす。
「ノア、そちらへ行くでない」
今度は少し遠くから。
「ノア、そちらへ行くでない」
さらに、別の木の上から。
……うるさいな!
そもそも、今日はまだどこにも行ってないだろ!
俺は身体の上部に作った目を動かし、声のする方を探した。
木々の間には、朝の光が細く差し込んでいる。
枝葉の影が揺れるたびに、茶色い小さなものが動いたように見えた。
……ん。
いた。
細長い尾。
小さな四肢。
木の幹へ張りつく、黒褐色の身体。
昨日、俺たちの声を真似していた魔物だ。
「写声蜥蜴だな」
ルナが言った。
……シャセイトカゲ?
「名のとおり、聞いた声を写し取るように真似る魔物だ。森の小動物の鳴き声だけでなく、人間の言葉まで覚えることがある」
……なるほど。
名前まで、そのまんまだな。
「ただし、言葉の意味を理解しておるわけではない。聞いた音を覚え、繰り返しておるだけだ」
……ふむ。
それなら、昨日の妙な受け答えにも納得できる。
俺たちが喋った言葉を、適当に組み合わせていたんだろう。
もっとも、それだけで道に迷わせるほど似せられるのだから、相当厄介な能力だ。
俺は昨日見た、喉の薄い膜を思い出した。
あれが声の秘密なんだろうか。
……気になる。
ものすごく気になる。
「……ノア」
ルナがこちらを向いた。
「言っておくが、今日も白い印の道から大きく外れるつもりはないぞ」
俺は身体を上下させた。
……分かってる。
昨日は声を追って迷いかけた上に、ダリオという薬草採りの男まで助けることになった。
同じ失敗を繰り返すつもりはない。
それに、今日は最初から考えてきたことがある。
俺はルナの前へ触手を2本伸ばした。
そして、前脚へ軽く触れる。
トン、トン。
「……む?」
ルナが首を傾げた。
俺はもう1度、同じように2回触れた。
「何だ? 遊んでおるのか?」
……違う違う。
俺は発声用の構造を整えた。
「……ほん、もの」
「本物?」
俺は触手でルナを指し、もう1度2回叩く。
次に木の上を指して、首を横へ振るように身体を動かした。
ルナは少し考えてから、納得したように頷いた。
「なるほど。我らが本当に話しておることを確かめる合図か」
……そう!
さすが相棒。
こういうときは話が早い。
声だけなら、あいつらにも真似できる。
でも、すぐ隣にいる相手へ触れて合図することまではできない。
これなら、もし声に惑わされても落ち着いて確認できるはずだ。
「ふむ。悪くない考えだ」
ルナが前脚を持ち上げ、俺の身体へ軽く2回触れた。
トン、トン。
……おお。
そうそう。
それだよ。
「だが、離れた場所におったら使えぬな」
……。
……あ。
確かに。
俺は少し考えてから、身体を上下させた。
……まあ、離れなければいいか。
ルナは小さく笑った。
「結局、そこへ戻るのだな」
……仕方ないだろ。
万能な方法なんて、そう簡単に思いつかないんだから。
◇
森へ入る前に、俺たちは周囲の地形を確かめた。
入口の看板。
白い印のある木。
その先に続く細い道。
そして、少し離れた場所に横たわる倒木。
昨日とは違い、今日は最初から写声蜥蜴の居場所を探すつもりだ。
ただし、むやみに追い回すわけじゃない。
相手がどこへ移動し、何を食べ、どんなときに声を出すのか。
まずは、それを観察する。
……うん。
我ながら、少しは狩りらしいことを考えられるようになってきたな。
俺は身体の下側へ短い脚を4本作った。
前脚は低く、後ろ脚は少し太く。
足裏に当たる部分を広げ、柔らかな地面でも安定するようにする。
《自在形態型》になってから、こうした調整は随分やりやすくなった。
首のように伸ばした部分には、小さな目が1つ。
ただ、まだ視界は広くない。
遠くの細かな動きを見るには、首を向け直す必要がある。
……まあ、今は十分だ。
「ノア、あちらを見よ」
ルナが低い枝を指した。
俺は首を動かす。
……ん?
茶色い枝。
緑の葉。
その間に、小さな黒い影がいる。
……あ。
写声蜥蜴だ。
しかも、何かを口にくわえている。
「虫を捕らえたようだな」
……虫?
俺は目を凝らした。
確かに、脚のようなものが動いている。
大きな甲虫の仲間だろうか。
写声蜥蜴は獲物を枝へ押しつけると、何度か頭を振ってから飲み込んだ。
……なるほど。
肉食、というより虫を食べるのか。
それから、写声蜥蜴は喉を大きく膨らませた。
薄い膜が、朝日に照らされてわずかに透ける。
次の瞬間。
「……こっち」
……おお!
出た!
俺の声だ!
いや、感心してる場合じゃないんだけど。
今、はっきり見えたぞ。
喉の膜が細かく震えていた。
口の開き方だけじゃなく、膜の形そのものが変わっていたように見える。
……あれか。
あれが、音を作っているのか。
俺は自分の身体へ意識を向けた。
《摩擦発音》。
俺が初めて音を作れるようになった性質だ。
そこへ《構造形成》で作った発声用の部分を組み合わせ、ようやく短い言葉を出せるようになってきた。
でも、まだ音は途切れやすい。
目や脚を使いながら喋ろうとすると、特に難しい。
それに、人間だった頃のような声を出すこともできない。
……あの膜。
もし取り込めたら、もっと自然に音を出せるようになるんじゃないか?
俺は期待しながら、写声蜥蜴を観察し続けた。
すると、相手が急に枝を移動した。
……ん?
何だ?
写声蜥蜴は木の幹を下り、少し離れた場所で動きを止めた。
そして、また喉を膨らませる。
「……こっち」
その直後。
――カサッ。
落ち葉の下から、小さな虫が飛び出した。
……あ。
写声蜥蜴が一気に飛びつく。
――パクッ。
……おお。
捕まえた。
俺は少し驚いた。
……まさか。
さっきの声で、虫を誘い出したのか?
いや、声そのものに反応したとは限らない。
音に驚いて動いたところを狙っただけかもしれない。
どちらにしても、相手は声をただ真似して遊んでいるわけじゃなさそうだ。
音を出し、相手が動いたところを捕まえる。
……なるほど。
あいつも、ちゃんと狩りをしているんだな。
「……ノア」
ルナが小声で尋ねた。
「何か分かったか?」
俺は身体を上下させた。
それから、少し考えた。
もし写声蜥蜴が音で虫を動かしているなら、逆に虫のいるような音にも反応するかもしれない。
……よし。
試してみよう。
俺は身体を低く広げ、近くの倒木へ触手を伸ばした。
表面は乾いている。
樹皮の一部が浮き、細かな隙間ができていた。
俺はその隙間へ、硬くした触手の先端を差し込んだ。
そして、軽く擦る。
――カリ、カリ。
……うん。
こんな感じかな。
もう1度。
――カリカリ。
乾いた木を、何かが齧っているような音。
さっき虫が動いたときの音を思い出しながら、間隔を調整する。
ルナが不思議そうに俺を見た。
「……貴様、何をしておる?」
俺は発声用の構造を使わず、触手だけで小さく合図した。
……見てて。
俺は《体表変色》を働かせ、倒木に接している部分を暗い茶色へ変えた。
次に、細い触手を樹皮の裏へ沿わせる。
そこへ《粘着性》を働かせ、薄い帯状の部分を作った。
……よし。
準備完了。
問題は、相手が来るかどうかだ。
俺は再び、木の表面を擦った。
――カリ、カリ。
少し間を置く。
――カリカリッ。
……。
…………。
……来ない。
うーん。
駄目か。
俺はもう1度やろうとして、途中で止まった。
枝の上で、小さな振動がした。
……ん?
俺はそちらへ目を向けた。
写声蜥蜴が、頭を傾けている。
……お。
気づいた?
俺は動きを止めた。
すると、相手はゆっくり幹を下り始めた。
……よし。
来い。
こっちへ。
写声蜥蜴は途中で何度か止まり、周囲を確かめていた。
やがて、倒木のすぐ近くまで来た。
俺は身体を動かさない。
目も、できるだけ向きを変えない。
……もう少し。
あと少しだけ。
写声蜥蜴が頭を伸ばし、樹皮の隙間を覗き込んだ。
そして。
――カリッ。
俺の触手が、わずかに木を擦った。
その瞬間、写声蜥蜴が飛び込んできた。
……今!
俺は樹皮の裏へ伸ばしていた触手を、一気に縮めた。
薄い帯が跳ね上がり、写声蜥蜴の胴体へ絡みつく。
《粘着性》。
――ペタッ!
……おっ!
捕まえた!
だが、相手はすぐに身体をひねった。
――バタバタッ!
……うおっ。
結構力が強いな!
写声蜥蜴は細い尾を振り、短い四肢で樹皮を蹴った。
俺は慌てて身体の一部を硬くする。
ただし、相手を潰すほど強く締めつけない。
喉の膜が目当てなんだ。
そこを傷つけたら意味がない。
……よし。
落ち着け。
俺は相手の胴体と脚を分けて押さえ、頭が動く範囲を狭めた。
写声蜥蜴が口を開いた。
そして。
「……ノア!」
……っ!?
俺は一瞬、動きを止めた。
ルナの声だった。
しかも、今までより切迫した声。
……おい。
そんな声で呼ぶなよ。
驚くだろ。
写声蜥蜴はさらに身体をひねった。
「ノア!」
もう1度。
……いや。
分かってる。
お前が真似してるんだろ。
俺は触手へ力を戻そうとした。
そのとき。
「ノア!」
今度は、別の方向から聞こえた。
……え?
俺は思わず首を動かした。
枝の上。
もう1匹いた。
さらに、その隣にも。
「ノア!」
「ノア!」
……おいおい。
何だよ、この状況!
俺が捕まえた1匹を見て、ほかの写声蜥蜴たちが騒ぎ始めたらしい。
しかも、全員ルナの声を使っている。
……いや、もう本当にやめてくれ。
紛らわしすぎる。
そのとき、本物のルナが俺の身体へ近づいた。
トン、トン。
前脚が、軽く2回触れる。
「ノア。我はここだ」
……。
……あ。
俺は視線を下げた。
白銀の相棒が、すぐ隣にいる。
……うん。
分かってる。
分かってるよ。
俺は触手で、ルナの前脚へ2回触れ返した。
トン、トン。
「ふん。あの程度で惑わされるとは、まだまだだな」
……いや。
ちょっと驚いただけですけど。
「ならば、さっさと終わらせよ。周囲が騒がしくてかなわぬ」
……はいはい。
分かりましたよ。
俺は意識を捕まえた写声蜥蜴へ戻した。
相手はまだ暴れている。
だが、身体の動きは少しずつ鈍くなっていた。
俺は頭の位置を確かめ、硬くした細い突起で急所を突いた。
写声蜥蜴が一度だけ大きく震える。
それから、動かなくなった。
……。
……よし。
終わった。
俺はしばらく、そのまま身体を動かさなかった。
周囲の木々では、まだ何匹かが声を上げている。
ただ、仲間が動かなくなったことに気づいたのか、少しずつ遠ざかっていった。
……ふう。
ようやく静かになったな。
「……ノア」
ルナが声をかけてきた。
「随分と慎重だったではないか」
俺は身体を上下させた。
今回は、喉の部分を傷つけたくなかったからな。
写声蜥蜴の身体を見つめる。
小さな四肢。
細長い尾。
そして、首の下にある薄い膜。
……ああ。
これだ。
俺が欲しかったのは。
ただし。
捕食したからといって、必ず性質を獲得できるとは限らない。
鉤爪鷹のときも、森猪のときも、新しい通知は来なかった。
……まあ、期待しすぎないようにしよう。
俺は身体の一部を広げ、写声蜥蜴を取り込んだ。
《捕食》。
柔らかい部分から、少しずつ消化を進めていく。
小型の魔物なので、森猪ほど時間はかからなさそうだ。
ただし、今回は喉の構造を確かめながら進めた。
薄い膜。
その周囲を支える、細かな組織。
さらに、空気の通り道に沿った小さな空間。
……なるほど。
俺が今まで作っていた発声用の部分とは、ずいぶん違うな。
人間だった頃の声帯と、まったく同じ仕組みかどうかは分からない。
でも、ただ擦るだけじゃなく、膜を震わせて音を整えているようだった。
……面白い。
これは、本当に面白いぞ。
俺は慎重に捕食を続けた。
やがて。
《捕食が完了しました》
……お。
終わった。
さて。
どうだ?
俺は少し緊張しながら、意識の中の表示を確かめた。
すると。
《性質吸収の条件を満たしました》
……!
きた!
《新たな性質を獲得しました》
《共鳴膜》
……おお。
おおおっ!
やった!
本当に手に入った!
俺は思わず身体を高く持ち上げた。
「……ノア?」
ルナが驚いた声を出す。
「どうした?」
俺は身体を上下させた。
「……こえ!」
「声?」
俺はもう1度、大きく身体を上下させる。
ルナは少し考えてから、理解したようだった。
「……なるほど。声に関わる性質を得たのか」
……そう!
そのとおり!
俺は急いで《共鳴膜》を試そうとした。
まず、いつもの発声用の部分を作る。
《構造形成》。
その内部へ、新しく獲得した性質を働かせる。
……ん?
何かが変わった。
今まで摩擦だけで音を作っていた部分に、薄い膜が形成されていく。
俺はその膜へ意識を向けた。
試しに、少しだけ震わせる。
――ぶるっ。
……お?
音がした。
でも、何か違う。
もう1度。
――ぶうぅ。
……。
…………。
……何だ、これ。
蚊の羽音を低くしたみたいな音だな。
「……ノア?」
ルナが不思議そうに俺を見た。
「貴様、何を鳴らしておる?」
……いや。
練習です。
ちょっと待って。
俺は膜の張り具合を変えてみた。
少し強く。
次に、少し緩く。
さらに、今まで使っていた《摩擦発音》を組み合わせる。
……よし。
これなら。
俺はゆっくり、声を出そうとした。
「……る」
……お。
出た。
今の音、少し自然じゃなかったか?
俺は続けた。
「……ルナ」
その瞬間。
ルナの耳が、ぴくりと動いた。
「……む?」
俺は身体を持ち上げた。
……おお。
今の、聞こえた?
「ノア。もう1度言ってみよ」
俺は発声用の構造を整えた。
膜が少し震える。
今度は、急いで音を作ろうとせず、ゆっくり。
「……ルナ」
……。
…………。
……おお。
言えた。
しかも、今までより音が途切れにくい。
ただ、まだ人間のように滑らかな声ではない。
膜を維持するだけでも集中力がいるし、音の高さを変えるのも難しい。
それでも、違いははっきり分かった。
今までの声が、硬いものを擦って無理やり音を作っていたものだとすれば。
今の声は、薄い膜を震わせ、響かせている。
……なるほど。
これは、練習する価値があるぞ。
「……ふむ」
ルナが少し不思議そうに首を傾げた。
「貴様、声が変わったな」
俺は嬉しくなって身体を上下させた。
「以前より、少し聞き取りやすい」
……おお!
やっぱり?
「ただし、妙な震えも混じっておるぞ」
……あ。
そこはまだ調整が必要か。
俺はもう1度、声を出そうとした。
「……あ、り……」
……ん?
音が詰まった。
俺は膜の張り具合を調整する。
「……ありが、と」
……。
…………。
……言えた。
けど、まだ難しいな。
「……ふん」
ルナが小さく笑った。
「礼を言われるようなことはしておらぬぞ」
……いや。
そうじゃないんだけど。
まあ、いいか。
俺は何度か短い言葉を試した。
「……ルナ」
これは、かなり安定している。
「……いこう」
これも、以前より言いやすい。
だが、長い言葉になると、途中で音が崩れてしまう。
しかも、首を動かしながら喋ろうとすると、膜の位置がずれて変な音になる。
……うーん。
やっぱり、簡単にはいかないか。
でも、それでいい。
今までだって、何でも少しずつ覚えてきたんだ。
脚を作るのも。
目を使うのも。
身体の色を変えるのも。
最初から上手くできたわけじゃない。
……よし。
声だって、同じだ。
俺は発声用の構造を崩し、身体を少し休ませた。
◇
森を抜ける頃には、昼を少し過ぎていた。
結局、今日の狩りは写声蜥蜴1匹だけで終わった。
売れる素材は残らなかったが、今の俺には十分な収穫だ。
《共鳴膜》。
これがあれば、もっと自然に喋れるようになるかもしれない。
もちろん、言葉そのものを覚える必要はある。
音を出せることと、何をどう話せばいいのか分かることは別だからな。
……まあ、中身は日本人だったんだけどさ。
頭の中では、こんなに普通に喋ってるんだぞ?
それなのに、口がないだけでここまで苦労するとは。
改めて考えると、不思議なものだ。
「……ノア」
ルナが声をかけてきた。
俺は首を向ける。
「今日は、もう十分であろう?」
俺は身体を上下させた。
「ならば、先へ進むぞ。森の先には小さな川があるらしい。そこで休むとしよう」
……おう。
川か。
いいな。
俺は4本の脚を動かし、ルナの隣へ並んだ。
森の出口からは、明るい光が差し込んでいる。
木々の影を抜けると、目の前には緩やかな草地が広がっていた。
遠くには、青く細い川が見える。
……おお。
いい景色だな。
俺は少しだけ立ち止まり、首を動かした。
そのとき。
「……ノア」
背後の森から、声が聞こえた。
……ん?
俺は振り返った。
木の枝の上に、黒っぽい小さな影がいる。
写声蜥蜴だ。
「……ノア」
もう1度。
……ああ。
まだ真似してるのか。
俺は少し考えた。
あいつらが真似しているのは、昨日までの俺の声だ。
擦れるような、途切れ途切れの音。
今の俺は、少しだけ違う。
俺は発声用の構造を作った。
《共鳴膜》。
そして、森の方へ向けて声を出す。
「……ノア」
以前より、少しだけ滑らかな音が響いた。
枝の上の写声蜥蜴が、ぴたりと動きを止めた。
……お?
何だ?
俺はもう1度、同じように声を出した。
「……ノア」
写声蜥蜴はしばらく黙っていた。
そして。
「……ノア」
……あ。
今度は、少しだけ違う音になっている。
まだ完全には真似できていない。
俺の声が変わったせいで、相手も調整しているのかもしれない。
……なるほど。
こいつらも、こうして少しずつ音を覚えていくんだな。
俺は思わず、触手を小さく振った。
「……何をしておる?」
ルナが隣から尋ねる。
俺は身体を上下させた。
「……れん、しゅう」
「練習?」
肯定する。
ルナは少し呆れたように息を吐いた。
「まったく。貴様は、あの魔物といつまで話しておるつもりだ」
……いや。
話してるわけじゃないんだけど。
「ふん。まあよい」
ルナは小さく笑った。
「だが、忘れるなよ」
……ん?
「どれほど声を真似されようと、我が間違えることはない」
……え?
俺は少し驚いて、ルナを見た。
「貴様の声は、貴様のものだ」
……。
…………。
……そっか。
そうだな。
俺はゆっくり触手を伸ばし、ルナの前脚へ触れた。
トン、トン。
すると、ルナも同じように2回触れ返してきた。
「……ふふっ」
……うん。
やっぱり、これが一番分かりやすいな。
俺たちは再び歩き始めた。
背後の森では、まだ小さな声が聞こえている。
「……ノア」
「……ノア」
……まったく。
俺の名前、すっかり覚えられちゃったな。
でも、まあいい。
今の俺には、新しい声がある。
まだ上手く使えないけど、練習すればもっと自然に話せるようになるはずだ。
そのときは、まず何を言おうかな。
俺は隣を歩くルナへ目を向けた。
……うん。
決まった。
もっと上手く喋れるようになったら。
まずは、ちゃんと礼を言おう。
今まで何度も助けてもらった相棒に。
途切れ途切れじゃなく。
俺の声で。
……まあ。
その前に、練習で変な音を出して笑われる未来が見えるけどな。
俺はそんなことを考えながら、川へ続く草地を進んだ。
【ステータス更新】
ノア
種族:原初種
変異形態:《自在形態型》
新たに獲得した性質
《共鳴膜》
※《摩擦発音》と組み合わせ、発声の安定性が向上。まだ長い会話は難しい。




