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ゲームだと思ったら原初の生命に転生しました。  作者: くんくん
第2部

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67/121

第2部 第51話 返事をするな

「ノア、止まれ」


森へ踏み込もうとしたところで、ルナに呼び止められた。


……ん?


俺は作ったばかりの前脚を止め、隣へ顔を向ける。


「その先に、何かある」


ルナの耳がぴんと立っていた。


……何か?


俺は目を細めるつもりで、視覚を形成した部分へ意識を集中した。


木々の間を通る細い道。


足元には落ち葉が積もり、少し先からは背の高い草が生えている。


特に変わったものは見えない。


……あ。


いや、待てよ。


道の脇に、何か立ってるな。


俺は脚を動かし、ゆっくり近づいた。


木製の看板だった。


表面には文字が彫られている。


……おお。


ちょうどいい。


せっかくだから、読めるか試してみよう。


俺は首を伸ばし、看板を見つめた。


……。


…………。


……うん。


全然分からん。


いや、待て。


この形、どこかで見たことがある。


確か、エマの練習用の板にあった文字だ。


……何だったっけ。


俺が必死に思い出そうとしていると、ルナが隣から言った。


「『森の声を追うな』と書いてある」


……。


……え?


何それ。


「その下には、『白印の道から外れるな』ともあるな」


……白印?


俺は看板の近くへ目を向けた。


そこには、幹の一部を白く塗られた木が立っていた。


……なるほど。


この印を辿ればいいのか。


でも。


森の声を追うな、って何だよ。


ちょっと怖いんですけど。


「この辺りには、声を真似る魔物が棲んでおると聞いたことがある」


ルナが言った。


……声を真似る?


「うむ。人間や魔獣の鳴き声を覚え、別の場所から聞こえるように真似るらしい」


……へえ。


何だか、オウムみたいだな。


「その声につられて森の奥へ入り、道に迷う者もおるそうだ」


……。


…………。


……いや。


オウムより、ずっと厄介じゃないか。


俺はもう1度、看板を見た。


森の声を追うな。


……なるほど。


結構重要な注意書きだったらしい。


「まあ、我らが気をつければよい話だ」


ルナはそう言って、森へ視線を向けた。


「貴様も、聞こえた声を何でも信じるでないぞ」


俺は身体を上下させた。


……了解。


それにしても。


異世界の森って、普通に怖いな。


◇


昨日、俺たちは草原で初めて一緒に走った。


結果はルナの圧勝。


……いやあ。


あの速さは反則だと思う。


本人は全力じゃないと言っていたけど、俺から見たら十分速かった。


あれで怪我が完全に治ったら、いったいどれだけ速く走れるんだろうな。


競走のあとは、丘の下にある水場で休み、そのまま夜を明かした。


ルナの右後ろ脚は少し張ったようだったが、今朝には落ち着いていた。


それでも今日は無理に走らないことにしている。


目的地は、丘の向こうに見えていた森。


周辺の地形を調べながら、次に進む道を探すつもりだ。


俺は第2段階の変異を終え、《自在形態型》になったばかり。


おかげで、目を使いながら歩くことにも少しずつ慣れてきた。


ただし、新しい身体で無茶をして、また岩に突っ込むような真似はしたくない。


……うん。


あれは本当に痛かった。


「ノア、行くぞ」


ルナが歩き始めた。


俺は4本の脚を動かし、その後へ続く。


森の中は、思っていたより静かだった。


高い木々が日差しを遮り、地面には柔らかな苔が広がっている。


木の根は複雑に絡まり、ところどころに小さな岩が顔を出していた。


……おお。


こういう場所、初めてだな。


洞窟や村の近くにあった林とは、雰囲気がまるで違う。


俺は目を上へ向けた。


細かな枝葉の隙間から、光が差し込んでいる。


風が吹くと、緑色の影がゆっくり揺れた。


……綺麗だな。


俺はしばらく、その景色を眺めていた。


すると。


――ぐらっ。


……あ。


危ない。


前脚が木の根へ引っかかった。


俺は慌てて身体の後ろ側を伸ばし、地面へ接触させた。


……よし。


何とか耐えた。


「……ノア」


ルナが呆れた声を出す。


「景色を見るのもよいが、足元を見よ」


……はい。


すみません。


俺は少しだけ脚の配置を変えた。


前脚を短く、後ろ脚を少し太くする。


さらに、地面へ接触する部分を広げた。


……うん。


これなら木の根にも引っかかりにくい。


《自在形態型》になってから、こういう細かな調整が随分楽になった。


人間のように決まった身体がないのは不便だけど、逆に地形に合わせて姿を変えられるのは大きな利点だ。


……よし。


森の中では、この形で行こう。


俺たちは白く塗られた木を目印に進んだ。


最初のうちは、道も分かりやすかった。


だが、森の奥へ進むにつれて、木々の間隔が狭くなってきた。


そして、俺は少し妙なことに気づいた。


……ん?


足音が、分かりにくい。


俺は脚を止め、《微振動感知》へ意識を集中した。


地面に触れている部分から、周囲の振動を探る。


……ああ。


そういうことか。


柔らかな苔と、厚く積もった落ち葉。


その下には、細かな根が幾重にも広がっている。


いつもの土の道なら、離れた場所を歩く生き物の足音も伝わってくる。


でも、ここでは振動が途中で弱まってしまうらしい。


……なるほど。


こういう地面は苦手だな。


俺は身体を少し低くし、接触する面積を増やした。


すると、近くの動きだけは多少分かりやすくなった。


……うん。


でも、遠くは駄目だ。


こんなところで大型の魔物に襲われたら、気づくのが遅れるかもしれない。


「どうした?」


ルナが振り返る。


俺は地面を触手で叩いた。


「……わから、ない」


「何がだ?」


「……あし、おと」


少し音が途切れた。


ルナは周囲を見回し、それから地面へ視線を落とした。


「……ああ。苔が厚いからか」


俺は肯定する。


「ならば、今日は目を多く使うとよい。貴様はもう、見えるのであろう?」


……あ。


そうか。


確かに。


今までなら、地面の振動が頼りにならない場所は大きな弱点だった。


でも、今は違う。


目がある。


それも、以前より安定して維持できるようになった。


……よし。


だったら、練習にはちょうどいい。


俺は身体の前側を持ち上げ、首と頭のような構造を作った。


先端へ小さな目を形成する。


……おお。


見える。


木々の間。


草の動き。


少し先を歩くルナの白銀の尻尾。


……うん。


いい感じだ。


俺は視界と足元の感触を交互に確かめながら、ゆっくり歩き始めた。


すると、不思議なことに気づいた。


目で木の根の位置を確かめてから進むと、脚をどこへ置けばいいのか考えやすい。


当然と言えば当然なんだけど、今まではほとんど感覚だけで移動していた。


足元を見ながら歩く。


そんな当たり前の行動が、今の俺には新鮮だった。


……なるほど。


視覚って、戦闘以外でも便利なんだな。


俺は少し嬉しくなって、歩く速度を上げた。


そのときだった。


「ノア、そちらへ行くでない」


ルナの声。


……ん?


俺は脚を止めた。


少し先に、道が2つに分かれている。


俺が進もうとしたのは右側。


ルナは左側に立っていた。


……あ。


白い印は、そっちか。


俺は向きを変えようとした。


そのとき。


「ノア、そちらへ行くでない」


……え?


同じ声が聞こえた。


今度は、右側の森から。


俺は固まった。


……あれ?


ルナ、いつの間に移動したんだ?


俺は視界を左へ向けた。


ルナがいる。


ちゃんといる。


しかも、驚いたように右側の森を見つめていた。


……え?


じゃあ、今の声は?


「……ふん」


ルナが小さく鼻を鳴らす。


「どうやら、出たようだな」


……出た?


何が?


……あ。


まさか。


俺はゆっくり右側の森へ目を向けた。


木々が並んでいる。


その間には、細い枝が何本も伸びている。


だが、何も見えない。


「……ノア」


今度は、ルナが低い声で呼んだ。


「返事をするでないぞ」


……うん。


分かってる。


俺は声を出さず、触手だけを上下させた。


しばらく沈黙が続いた。


風が葉を揺らす。


遠くで鳥の鳴き声がした。


そして。


「ノア、そちらへ行くでない」


また聞こえた。


今度は、さっきより近い。


……うわ。


本当にそっくりだ。


声の高さも、話し方も、ほとんど同じ。


これ、目がなかった頃の俺だったら、簡単に騙されてたんじゃないか?


「……なるほど」


ルナが静かに言った。


「聞いた言葉を、そのまま真似ておるのか」


……そうみたいだな。


俺は身体を低くした。


《微振動感知》へ意識を集中する。


……ん。


やっぱり、地面には何も伝わってこない。


少なくとも、近くを歩く大きな生き物はいない。


俺は目を上へ向けた。


木の枝。


葉の隙間。


その奥。


……ん?


何か動いた?


俺は視界を少し右へ動かした。


茶色い枝の間に、黒っぽいものが見える。


……あ。


いた。


いや、待て。


あれ、生き物か?


俺は目を凝らした。


すると、黒いものがすっと枝の裏へ隠れた。


……おお。


速いな。


「……ノア」


ルナが小さく声をかけた。


「追うなよ」


……はい。


分かってます。


今回は、別に捕まえようとしてるわけじゃない。


ただ、正体が気になるだけだ。


俺たちは左側の道へ進んだ。


しばらく歩くと、白い印のある木が見つかった。


……よし。


こっちで合ってる。


俺は少し安心した。


しかし、その直後。


「……ノア」


また声が聞こえた。


……ん?


今度は、左側。


俺は思わずルナへ目を向けた。


ルナは何も言っていない。


……おいおい。


今度はこっちかよ。


「……ノア」


さらに、前方から。


……え?


「……ノア」


今度は、後ろ。


……。


…………。


ちょっと待て。


何匹いるんだ?


俺は首を動かし、周囲を見回した。


木々の間で、小さな黒い影が動いた。


さらにその反対側でも、何かが枝を揺らした。


……あ。


1匹じゃないのか。


「……ふむ」


ルナも気づいたらしい。


「どうやら、複数おるな」


……うん。


そうみたいだ。


「だが、こちらを襲う気配はない。まだ様子を見ておるだけかもしれぬ」


……なるほど。


そういうことか。


俺は少し考えた。


相手は、声を真似る魔物。


しかも、地面を歩いていない。


枝の上を移動して、別の方向から呼びかけてくる。


……これ、かなり厄介だな。


もし森の中で仲間とはぐれたら、声を頼りに探すのは危険だ。


でも。


俺たちは、まだ離れていない。


しかも、ルナの姿はちゃんと見えている。


……なら、大丈夫だ。


俺はルナの隣へ移動した。


「……いっしょ」


短く声を出す。


ルナがこちらを向いた。


「うむ。離れずに進むぞ」


俺は身体を上下させた。


すると。


「……いっしょ」


……。


…………。


……え?


今度は、俺の声が聞こえた。


少し離れた木の上から。


……おい。


マジか。


「……いっしょ」


別の方向からも。


……うわ。


俺の声まで真似するのかよ!


しかも、結構似てる!


いや、待てよ。


俺って、外から聞くとこんなにぎこちない声なのか?


……。


…………。


ちょっとショックなんですけど。


「……くくっ」


ルナが笑い始めた。


……おい。


何がおかしい。


「いや、貴様の声を真似るのは、なかなか苦労しそうだと思ってな」


……どういう意味だよ!


「普通の生き物とは、声の出し方が違うのであろう?」


……まあ、そうだけど。


俺は摩擦を利用して音を作っている。


そこに《構造形成》で作った発声用の部分を組み合わせ、少しずつ言葉らしい音を出せるようになってきた。


だから、人間の声とは仕組みが違う。


……でも。


今の鳴き真似、結構うまかったぞ?


俺は少し不満になって、身体の端を揺らした。


「……いっしょ」


また聞こえた。


……だから!


そんなに連呼しなくていいって!


俺は思わず声を出そうとして、途中で止めた。


……あ。


そうだった。


返事をしちゃ駄目なんだ。


俺は発声用の構造を崩し、黙って前へ進むことにした。


しかし。


森の中は、思っていた以上に歩きにくかった。


白い印のある木は一定の間隔で並んでいるが、その間の道が分かりにくい。


地面には苔と落ち葉。


木の根が複雑に絡まり、小さな坂や窪みもある。


しかも、さっきから周囲では、俺たちの声が繰り返されている。


……何だこれ。


地味に精神を削られるな。


俺は目を使いながら、白い印を探した。


次の木。


さらに次。


……よし。


こっちだ。


俺は首を伸ばし、少し先の木へ視界を向けた。


そのとき。


……ん?


何かおかしい。


白い印が、見えない。


いや、正確には、少し離れた場所に白っぽいものが見える。


でも、木の幹じゃない。


……あれ?


俺は脚を止めた。


ルナも止まる。


「どうした?」


俺は触手で前方を示した。


「……しろ」


「白い印か?」


肯定する。


「見つからぬのか?」


もう1度、肯定する。


ルナが周囲を見回した。


やがて、小さく息を吐いた。


「……ふむ。道が変わっておるな」


……え?


道が?


「いや。道そのものではない。ここから先は、木々の間が広すぎる」


ルナは少し考えた。


「白印の道から外れた可能性がある」


……ええ!?


いつの間に!?


俺は慌てて後ろを振り返った。


さっきまで辿ってきたはずの木。


その白い印を探す。


……あ。


あった。


でも、少し遠い。


俺たちは、いつの間にか印のある木々から斜めに離れていたらしい。


……まずい。


景色を見ながら歩いているうちに、進む方向がずれたのか?


いや、それだけじゃない。


さっきから木の上で声がしていた。


そのたびに、俺はそちらへ目を向けていた。


……ああ。


なるほど。


声を追うな、って。


こういうことか。


「……戻るぞ」


ルナが言った。


俺は身体を上下させた。


……うん。


そうしよう。


俺たちは来た方向へ戻り始めた。


しかし、そのとき。


「……ルナ」


少し離れた場所から、俺の声が聞こえた。


……ん?


またか。


「……ルナ」


今度は、もっと近い。


俺は無視して歩いた。


すると。


「……こっち」


……え?


俺は脚を止めた。


今の言葉。


俺、言ったっけ?


……いや。


今日、この森に入ってからは言ってない。


でも、以前には何度も使った言葉だ。


……ということは。


あいつら、聞いた声だけじゃなく、覚えた音を組み合わせることもできるのか?


俺は少し不気味になった。


「……ノア」


ルナが小さく呼ぶ。


俺はそちらへ顔を向けた。


「気にするな。相手の目的は、我らを道から外すことかもしれぬ」


……うん。


分かってる。


でも。


……何で、わざわざそんなことをするんだ?


俺たちを食べるため?


それとも、単に縄張りから追い払いたいだけ?


今のところ、襲ってくる気配はない。


だからこそ、余計に不気味だった。


俺は身体を低くし、周囲を確かめた。


木の根。


落ち葉。


苔。


そして、少し離れた場所にある、倒れた木。


……ん?


俺は動きを止めた。


倒木の近くに、何か落ちている。


布のようなものだ。


しかも、結構大きい。


……何だ、あれ。


俺は目を凝らした。


赤茶色の布。


その下には、革のようなものが見える。


……あ。


鞄だ。


人間が使う、肩掛けの鞄。


俺は触手を伸ばし、ルナへ示した。


「……あれ」


「む?」


「……かばん」


ルナがそちらを見た。


少しの沈黙。


それから、低く言った。


「……なるほど。以前にも誰かが入り込んだようだな」


……そうか。


この森で、俺たちと同じように声を追ってしまった人間がいたのかもしれない。


俺は少し考えた。


鞄の周囲には、ほかに何も見えない。


人間の姿もない。


ただ、木の根元に引っかかっているだけだ。


……でも。


もし持ち主が、まだ近くにいるとしたら?


俺は《微振動感知》へ意識を集中した。


地面を伝わる細かな揺れを探る。


……。


…………。


……ん。


何かある。


すぐ近くではない。


倒木の向こう側。


弱く、不規則な振動が伝わってくる。


……足音?


いや。


これは、何かが地面を叩いているような……。


――トン。


……ん?


――トン、トン。


……あ。


分かった。


木を叩く音だ。


俺はルナの方へ身体を向けた。


「……いる」


「何がだ?」


俺は倒木の向こうを指した。


「……だれ、か」


ルナの耳が動いた。


「……人間か?」


……分からない。


でも、何かがいる。


俺はもう1度、振動を確かめた。


――トン、トン。


同じ場所から。


規則的ではないが、何度も繰り返されている。


……うん。


これは、ただの落石や風じゃない。


何かが意図的に叩いている。


俺は少し考えた。


声を追うな。


でも、これは声じゃない。


地面から伝わる振動だ。


……だったら。


確かめる価値はあるかもしれない。


「……ノア」


ルナが静かに言った。


「我らが道を外れておることは忘れるなよ」


……うん。


分かってる。


俺は近くの木の幹へ触手を伸ばした。


《硬質外皮》で先端を細く固め、目印になるよう小さな傷をつける。


次に、その木の根元へ落ちていた石を3つ並べた。


……よし。


これなら、戻る場所を間違えにくい。


「……ふむ」


ルナが感心したように言った。


「戻るための印か」


俺は身体を上下させた。


「悪くない。では、少しだけ確かめてみるとしよう」


……おう。


俺たちは倒木の方へ進んだ。


足元には柔らかな苔が広がっている。


俺は目と《微振動感知》を交互に使いながら、慎重に進んだ。


……近い。


振動が少しずつ強くなっている。


――トン。


――トン、トン。


……ああ。


やっぱり、誰かが叩いてる。


倒木の向こう側へ近づくと、地面に浅い窪みがあった。


その底には、落ち葉と折れた枝が積もっている。


……ん?


俺は目を向けた。


すると。


……あ。


いた。


窪みの底に、誰かが座っている。


人間だ。


茶色い服を着た、若い男。


片手には短い棒を持っていて、それで近くの木の根を叩いていた。


……おお。


やっぱり!


本物の人間がいた!


「……誰かいるのか!?」


男がこちらに気づいたらしい。


……ん?


あれ?


何だか、声が変だ。


いや。


声は普通なんだけど、かなり疲れているように聞こえる。


「助かった……! 道が分からなくなって、ずっとここに……!」


……なるほど。


やっぱり迷ってたのか。


俺は窪みの縁へ近づいた。


すると、男の声が止まった。


「……え?」


……ん?


「ま、魔物……?」


……あ。


そうだった。


俺、魔物だったわ。


男が慌てて後ずさる。


「ひっ……! 来るな!」


……いやいや。


落ち着いて!


襲うつもりはないから!


俺は身体を止め、触手をゆっくり持ち上げた。


「……だい、じょうぶ」


少し掠れた声が出る。


男は固まった。


「……喋った?」


……はい。


喋ります。


一応。


「……ノア」


ルナが隣へ出てきた。


「貴様、少し下がれ。相手が怯えておる」


……あ。


そうだな。


俺はゆっくり身体を引いた。


すると、男はさらに目を見開いた。


「……そっちも喋るのか!?」


……うん。


気持ちは分かる。


結構驚くよな。


「我らは旅の途中だ」


ルナが落ち着いた声で言った。


「貴様、道に迷ったのか?」


「……あ、ああ」


男はしばらく俺たちを見ていたが、やがて小さく頷いた。


「薬草を採りに来たんだ。白い印のある道を歩いていたはずなのに、気づいたら分からなくなって……」


……なるほど。


「誰かの声が聞こえたんだ。こっちだ、って」


……ああ。


やっぱり。


「追いかけたら、どんどん奥へ入っちまって……。気づいた頃には、帰り道が分からなくなってた」


……。


…………。


いやあ。


恐ろしいな。


俺たちも、もう少しで同じことになるところだった。


「それで、棒で木を叩いていたのか?」


ルナが尋ねる。


男が頷く。


「声を出しても、同じ声が別の場所から返ってくるんだ。だから、何か音を鳴らせば誰かが気づくかと思って……」


……おお。


なるほど。


それは正解だったな。


俺は触手を上下させた。


「……よか、った」


男が少し笑った。


「……ありがとう。助かったよ」


……いや。


まだ助けたわけじゃないけど。


とりあえず、道までは案内できそうだ。


俺は触手を伸ばし、来た方向を示した。


「……こっち」


男が頷いた。


「分かった」


俺たちは窪みの縁から少し離れ、男が上がってくるのを待った。


足場は悪かったが、木の根を掴めば登れる程度の深さだったらしい。


男は何とか這い上がり、俺たちの前へ立った。


……よし。


これで3人だ。


あとは、白い印の道へ戻るだけ。


……まあ、簡単にはいかない気もするけどな。


そのときだった。


「……こっち」


……。


…………。


……え?


俺は身体を止めた。


今の声。


俺の声だ。


しかも、さっき言ったばかりの言葉。


「……こっち」


今度は右側の木の上から。


男の顔色が変わった。


「……ま、まただ……!」


……うん。


そうみたいだな。


俺はゆっくり視界を上へ向けた。


木の枝。


揺れる葉。


その間に、黒っぽい小さな影が見える。


……あ。


いた。


さっきから俺たちの声を真似ていたやつだ。


しかも。


……ん?


1匹じゃない。


枝の上に、同じような影がいくつも並んでいる。


……おいおい。


こんなにいたのかよ。


俺は目を凝らした。


すると、そのうちの1匹が、ゆっくりと身体を動かした。


細長い尾。


小さな四肢。


そして、喉の辺りにある、薄い膜のようなもの。


……ん?


あの喉。


何だか、妙な形をしてるな。


俺が観察していると、相手はゆっくり口を開いた。


そして。


「……こっち」


……。


…………。


……うわ。


やっぱり、こいつか!


俺は思わず身体を持ち上げた。


すると、別の影も口を開いた。


「……こっち」


さらに、もう1匹。


「……こっち」


……。


……おい。


何だこれ。


俺の声だらけじゃないか!


男は怯えたように後ずさっていた。


ルナは木の上を見つめたまま、小さく鼻を鳴らす。


「……なるほど」


……ん?


「どうやら、我らの声を覚えてしまったようだな」


……そうみたいだ。


俺は少し考えた。


こいつらは、ただ真似をしているだけなのか?


それとも、何か目的があって俺たちを呼んでいるのか?


……どっちにしても。


今は、相手にしない方がよさそうだ。


俺は視界を前へ戻し、男の方へ触手を伸ばした。


「……いく」


男が頷いた。


「あ、ああ……!」


ルナも静かに歩き始める。


俺たちは、木の上から聞こえる声を無視して、来た道を戻った。


途中で、さっき傷をつけた木を見つける。


根元には、石が3つ。


……よし。


間違いない。


そこから白い印のある道へ戻ると、少しずつ周囲の様子が変わってきた。


道幅が広がる。


足元の苔が薄くなる。


そして、遠くから街道を進む荷車の振動が伝わってきた。


……おお。


戻れた!


俺は思わず身体を持ち上げた。


「……助かった」


男が大きく息を吐いた。


「本当にありがとう。あのままだったら、夜まで森から出られなかったと思う」


……まあ。


そうかもしれないな。


俺は触手を小さく振った。


「俺はダリオ。トルゼで薬草を扱う店の手伝いをしてるんだ」


……おお。


トルゼの人か。


「もし町へ戻ることがあったら、薬草店『青葉亭』へ寄ってくれ。何か礼をしたい」


……お。


それはありがたい。


俺は身体を上下させた。


「ふむ。覚えておこう」


ルナが答えた。


男はもう1度礼を言ってから、街道の方へ歩き出した。


……よし。


これで一安心だな。


俺たちは、その背中をしばらく見送った。


やがて、ルナが口を開いた。


「……ノア」


……ん?


「今日は、思ったより面白いものを見たな」


……ああ。


あの声を真似る魔物か。


「うむ。あれほど器用に声を真似るとは、我も知らなんだ」


……だよな。


俺も驚いた。


しかも、俺の変な声まで真似してたし。


……。


…………。


……ん?


待てよ。


俺は身体を止めた。


声を真似る。


喉の構造。


そして、あの薄い膜。


……あれって。


もしかして。


俺の発声にも、何か参考になるんじゃないか?


今の俺は、摩擦を利用して声を出している。


でも、あいつらは違う。


もっと複雑な音を、自然に出していた。


……なるほど。


俺はゆっくり森へ顔を向けた。


木々の間は、相変わらず薄暗い。


さっきまで聞こえていた声も、今は静かになっている。


でも、あの魔物たちはまだ森の中にいるはずだ。


……面白い。


俺は思わず、触手を持ち上げた。


「……ノア?」


ルナが不思議そうに尋ねる。


「貴様、何を考えておる?」


俺は身体を上下させた。


それから、森の方へ触手を伸ばす。


「……こえ」


「声?」


肯定する。


「……ほしい」


少し音が途切れた。


ルナが一瞬、黙った。


それから。


「……ふん」


小さく笑う。


「やはり、そういうことか」


……え?


「貴様なら、あの魔物の声に興味を持つと思っておった」


……おお。


さすが相棒。


分かってるじゃないか。


「だが、今日は追うでないぞ」


……うん。


分かってる。


「白い印の道を外れれば、また迷うかもしれぬ。それに、あの魔物の能力もまだよく分かっておらぬ」


……そうだな。


いきなり捕まえようとするのは危険だ。


それに、もう日も傾き始めている。


今日は、森の外で休むことにしよう。


俺は身体をゆっくり前へ進めた。


そのとき。


森の奥から、小さな声が聞こえた。


「……こえ」


……ん?


続いて。


「……ほしい」


……。


…………。


……おい。


最後まで聞いてたのかよ!


俺は思わず森を振り返った。


すると、木の枝の隙間で、小さな影がぴょんと跳ねた。


……まったく。


どこまで真似するつもりなんだ。


俺は触手を振ってから、ルナの後を追った。


明日は、もう少し慎重に森を調べてみよう。


声を真似る魔物。


あの喉の仕組み。


……うん。


気になる。


めちゃくちゃ気になるぞ。


もしかしたら、俺も今よりずっと自然に喋れるようになるかもしれない。


そう考えると、何だか少し楽しみになってきた。


……ただし。


次に森へ入るときは、絶対に白い印を見失わないようにしよう。


さすがに、また自分の声に迷わされるのは勘弁だからな。

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