第2部 第48話 追いかける側
「……銅貨14枚になります」
……おおっ!
俺は思わず、身体の端を高く持ち上げた。
トルゼの冒険者ギルド。
昨日、森で倒した彩皮蜥蜴の鱗を持ち込んだところ、受付のリゼが査定結果を教えてくれた。
「傷の少ない鱗が多かったので、いい値段がつきましたよ。彩皮蜥蜴の鱗は、装飾品の材料として人気があるんです」
なるほど。
頑張って丁寧に外した甲斐があったな。
俺は差し出された銅貨を確かめた。
14枚。
昨日までの残りが2枚だから、合わせて16枚。
……おお。
ちょっと裕福になった気分だ。
「よかったな、ノア」
ルナも嬉しそうだった。
「今度はきちんと売るものを残せたではないか」
……だから!
いつまでその話をするんだよ!
俺は抗議するように触手を揺らした。
すると、リゼが不思議そうに尋ねてきた。
「何かあったんですか?」
「以前、倒した魔物をすべて食べてしまってな」
「……ああ」
……おい。
リゼまで納得するな。
何だか、俺がものすごい食いしん坊みたいじゃないか。
いや、実際に食べたんだけどさ。
結局、その日は以前断念した宿へ泊まることにした。
1部屋、銅貨8枚。
残りは銅貨8枚。
……半分になった。
財布の中身が減るのって、どうしてこんなに早いんだろうな。
でも、久しぶりのちゃんとした寝床に、ルナは満足していたようだった。
何より、右後ろ脚を休められるのが大きい。
俺も《構造形成》の練習は控えめにして、身体を休ませた。
そして、翌朝。
俺たちはトルゼの南門を出た。
目的地は、さらに南へ続く街道。
今度は途中で引き返すのではなく、そのまま次の土地へ向かうつもりだ。
ギルドで教えてもらった話では、この先には緩やかな丘陵地帯が広がっているらしい。
森と草地が入り交じり、野生の獣や魔物も多いという。
……うん。
なかなか面白そうじゃないか。
「随分と楽しそうだな」
隣からルナが声をかけてきた。
俺は身体を上下させた。
「貴様、もう次の獲物のことを考えておるのであろう?」
……えっ。
何で分かるの?
「昨日も彩皮蜥蜴を捕まえた途端、あれほど喜んでおったからな」
……まあ、そうなんだけど。
だって、捕食すれば新しい性質を手に入れられる可能性があるんだぞ?
しかも、素材を残せばお金まで稼げる。
狩りをしない理由がないじゃないか。
「ふん。だが、獲物を選ぶことも覚えねばならぬぞ」
……選ぶ?
「強すぎる相手に挑めば命を落とす。弱い相手でも、追いかけ回せば余計な体力を使う。狩りは戦うだけではないのだ」
……なるほど。
言われてみれば、そのとおりだな。
俺は今まで、ほとんど襲われた相手と戦ってきた。
洞窟では生き残るため。
エルデ村では誰かを守るため。
村を離れてからも、裂尾蜥蜴や跳鎌虫、鉤爪鷹との戦いは、向こうから襲ってきたのが始まりだった。
昨日の彩皮蜥蜴は、自分から狙った数少ない獲物だ。
……そうか。
今の俺には、狩りの経験がまだ少ないんだな。
「まあ、少しずつ覚えればよい」
ルナはそう言って、街道の先へ顔を向けた。
「我も、久しぶりに獲物を追ってみたいものだ」
俺は思わず身体を持ち上げた。
……おっ。
脚の調子、いいのか?
「まだ全力では走れぬぞ」
先回りされた。
「だが、歩く分には随分楽になった。昨日は久しぶりに、右後ろ脚へもしっかり体重をかけられたのだ」
……おお。
それは嬉しい知らせだ。
俺は触手を伸ばし、ルナの前脚へ軽く触れた。
「……よかった」
「うむ」
その声には、いつもの強がりとは違う明るさがあった。
「次にマルタと会うときには、完全に治った姿を見せてやりたいものだな」
……いいな、それ。
俺も、もっと立派な姿になって帰りたい。
せめて、荷物と間違えられないくらいには。
◇
昼前。
俺たちは街道沿いの小さな草地で休憩していた。
丘の斜面には背の低い草が広がり、ところどころに木や大きな岩がある。
俺は身体の上部へ小さな目を形成し、周囲を眺めていた。
……おお。
本当に緑がいっぱいだ。
昨日獲得した《体表変色》を使えば、ここなら結構うまく隠れられそうだな。
そんなことを考えていたときだった。
――ドッ、ドッ。
地面を伝わる振動。
……ん?
俺は身体を低く広げた。
少し離れた場所で、何かが歩いている。
4本脚。
それなりの重さがありそうだ。
しかも、足音はゆっくりしている。
……お?
何かいるな。
俺は目を維持したまま、振動の方向へ身体を向けた。
草の向こう。
大きな岩の近くに、茶色い塊が見えた。
……あ。
あれは。
「森猪だな」
ルナが小さく言った。
……おお!
昨日、トルゼの市場で干し肉が売られていたやつか!
「まだ若い個体だ。成獣ほど大きくはないが、牙と突進には気をつけねばならぬ」
俺はじっと相手を観察した。
大きさは、人間の腰くらいだろうか。
ずんぐりした身体。
短く太い脚。
鼻先からは、少し曲がった牙が伸びている。
……なるほど。
見た目はイノシシだな。
かなり迫力があるけど。
「どうする?」
ルナが尋ねてきた。
……ん?
どうするって。
もちろん。
俺は触手を伸ばし、森猪の方を指した。
「……かる」
「狩るつもりか?」
大きく肯定する。
ルナは少し考えたあと、頷いた。
「よかろう。だが、我はあまり追いかけられぬ。貴様が中心になって動くのだぞ」
……任せろ。
「それと、正面から突進を受けるでない。あの牙は、硬化した貴様の身体でも傷つけるであろう」
……了解。
俺は身体を低くした。
さて。
今回は、最初から戦いを仕掛けるわけだ。
焦らず、相手をよく観察しよう。
森猪は、地面へ鼻を近づけている。
どうやら、何か食べ物を探しているらしい。
こちらには気づいていないようだ。
……よし。
今のうちに近づこう。
俺は《体表変色》を働かせた。
身体の表面を、草に近い緑色へ変えていく。
……お。
できた。
昨日より少し早い。
ただ、目を維持したまま全身を変色させると、やっぱり負担が大きい。
俺は目を崩し、《微振動感知》へ意識を切り替えた。
周囲の足音は分かる。
草の位置は、触れれば確かめられる。
……これなら十分だ。
俺は身体を薄く広げ、ゆっくり前へ進んだ。
少しずつ。
なるべく草を揺らさないように。
……よし。
あと少し。
森猪の足音が近づく。
……いける。
今なら背後へ回れるかもしれない。
俺は細い触手を伸ばした。
――ブフッ!
……ん?
突然、森猪が鼻を鳴らした。
次の瞬間。
――ドドッ!
足音がこちらへ向きを変えた。
……え?
ちょっと待て。
気づかれた?
俺は慌てて身体を止めた。
すると。
――ドンッ!
目の前の地面へ、重い足音が響いた。
……うおっ!
近い!
俺は反射的に身体を横へ滑らせた。
直後、森猪がものすごい勢いで駆け抜けていく。
……危なっ!
何で分かったんだ!?
俺、ちゃんと色を変えてたのに!
「ノア!」
ルナの声が飛んでくる。
「森猪は鼻が利く! 姿を隠しても、匂いで気づかれるぞ!」
……先に言ってください!
いや。
そもそも、俺が何も考えず近づいたのが悪いのか。
……なるほど。
目だけじゃなく、匂いも重要なんだな。
俺にはまだ嗅覚がない。
つまり、相手が何を感じているのか、全部は分からないってことだ。
……勉強になるな。
できれば、命の危険がないところで学びたかったけど!
森猪が向きを変えた。
――ドドドッ!
また来る!
俺は身体を低く広げ、横へ滑った。
牙がすぐ横を通り過ぎる。
……速い!
しかも、重い!
これ、まともにぶつかったら吹き飛ばされるぞ。
俺は森猪の足音を追いながら、少しずつ距離を取った。
……どうする。
相手は走るのが速い。
俺も地面を這えば、それなりに動ける。
でも、急な方向転換では森猪の方が有利そうだ。
……いや。
待てよ。
俺には脚があるじゃないか。
今まで練習してきた、あの脚。
それに、《弾性組織》だってある。
……よし。
試してみよう。
俺は身体の下側へ4本の脚を形成した。
ただし、昨日までとは少し違う。
前の2本を短く。
後ろの2本を太く。
さらに、脚の内部へ《弾性組織》を働かせる。
……よし。
今度は、ただ立つためじゃない。
走るための形だ。
森猪が近づいてくる。
俺は身体を低くした。
後ろ脚へ力をためる。
……今!
――グッ!
身体が前へ押し出された。
……おお!
進んだ!
しかも、いつもより速い!
俺は前脚で地面を支え、後ろ脚を引き寄せた。
そして、もう1度。
――グッ!
……おおお!
これ、いける!
今までの俺は、脚を1本ずつ動かそうとしていた。
でも、今は違う。
後ろ脚で身体を押し出し、前脚で受け止める。
その繰り返しだ。
人間の歩き方とは違う。
普通の獣とも、少し違うかもしれない。
でも。
……俺には、この動き方が合ってる!
「……ほう!」
ルナの声が響いた。
「随分とましになったではないか!」
……だろ!?
ようやく、それっぽく走れてるんだよ!
俺は調子に乗って、さらに速度を上げた。
――グッ!
――グッ!
――ぐらっ。
……あ。
ちょっと待て。
速すぎる。
前脚が追いつかない!
――ベチャッ!
……。
…………。
転んだ。
というか、潰れた。
……くそっ!
やっぱり、まだ難しいな!
「ノア! 遊んでおる場合ではないぞ!」
……遊んでません!
大真面目です!
俺は身体を元へ戻し、森猪の位置を確かめた。
相手は少し離れた場所で、地面を強く蹴っている。
……ん?
足音が不規則だ。
さっきまでとは違う。
俺は《微振動感知》へ集中した。
……あ。
分かった。
森猪は突進したあと、すぐには曲がれないんだ。
身体が重いせいか、走っている途中で方向を変えるのが苦手らしい。
……なるほど。
だったら。
俺は周囲の地形を探った。
草地。
大きな岩。
その少し先には、太い木の根が張り出している。
……よし。
あれを使おう。
俺は森猪の正面へ身体を広げた。
わざと、少しだけ目立つ位置へ移動する。
――ブフッ!
森猪がこちらを向いた。
……来い。
もう1回。
突っ込んでこい。
森猪が地面を蹴った。
――ドドドッ!
……よし。
俺は身体の下側へ短い脚を4本作った。
ただし、今度は最初から全力で走らない。
後ろ脚へ力をためる。
相手が近づいてくる。
……まだ。
もう少し。
――ドドドッ!
近い!
……今!
俺は《弾性組織》にためた力を解放した。
――グッ!
身体が横へ跳ねる。
……おお!
避けた!
森猪はそのまま突っ込んでいく。
だが、俺の目の前には、さっき確かめた大きな岩がある。
……よし。
そのまま!
――ガンッ!
……うわっ。
すごい音がした。
森猪が岩へぶつかったらしい。
……大丈夫か、あいつ。
いや、狩ってる相手に心配するのも変なんだけど。
俺は慌てて目を形成した。
ぼんやりした視界の中で、森猪が頭を振っている。
どうやら、完全に倒れたわけではないらしい。
……丈夫だな。
でも、今なら隙がある。
俺は身体を地面へ広げ、ゆっくり近づいた。
そのとき。
森猪が突然、身体を起こした。
……え?
――ドッ!
今度は、すぐ近くから突っ込んできた。
……まずい!
避けきれない!
俺は咄嗟に身体の前側を硬くした。
《硬質外皮》。
直後。
――ドンッ!
……っ!?
強い衝撃が走った。
身体が地面を滑り、形成していた目が崩れた。
……うおっ!
重い!
しかも、牙が身体の表面を引っかいている!
俺は慌てて身体を縮めた。
硬化していた部分の一部が削れ、小さな欠片となって地面へ落ちる。
……くそっ。
油断した。
相手が岩にぶつかったからって、すぐに動けなくなるわけじゃないんだ。
「ノア!」
ルナの声。
「大丈夫か!?」
俺は身体を上下させた。
……大丈夫!
まだやれる!
「無理をするな。必要なら我も――」
俺は触手を伸ばし、ルナの言葉を遮った。
「……おれ」
「……む?」
「……やる」
短い言葉だった。
でも、今回ははっきり言えた。
ルナは一瞬黙ったあと、小さく鼻を鳴らした。
「……ふん。ならば、最後までやってみせよ」
……おう。
任せろ。
俺はもう1度、森猪の位置を確かめた。
相手はまだこちらを警戒している。
だが、さっき岩にぶつかった影響か、少し動きが鈍くなっていた。
……よし。
次は、力比べをしない。
俺の方が軽いんだから、正面から受け止めるのは無理だ。
それなら、相手の勢いを利用する。
俺は身体の後ろ側から、長い触手を伸ばした。
近くの太い木の根へ巻きつけ、《粘着性》で固定する。
さらに、触手の内部へ《弾性組織》を働かせた。
……よし。
これなら、引っ張られたときの衝撃を逃がせる。
俺は身体を低くし、もう1本の触手を森猪の方へ伸ばした。
狙うのは、前脚。
ただし、直接引き倒すつもりはない。
一瞬だけ、脚の動きを乱せればいい。
森猪がこちらへ向きを変えた。
――ブフッ!
……来る!
俺は触手を地面に沿わせた。
森猪が走り出す。
――ドドドッ!
速い。
でも、今度は慌てない。
足音を聞く。
地面を蹴るタイミングを確かめる。
そして。
……今!
俺は触手を伸ばし、森猪の前脚へ絡ませた。
《粘着性》を働かせる。
――グッ!
……よし!
引っかかった!
森猪が強く踏み込む。
その瞬間、俺は触手を少し伸ばし、急な衝撃を逃がした。
そして、相手がさらに前へ進もうとしたところで、固定していた触手を縮める。
――ガッ!
森猪の足音が乱れた。
……おっ!
身体が傾いた!
俺はすぐに触手を緩めた。
無理に引っ張り続ければ、俺の方が千切られる。
今欲しいのは、ほんの一瞬の隙だ。
森猪が体勢を立て直そうとする。
だが、前脚の動きが乱れ、身体が横へ傾いた。
――ドサッ!
……よし!
倒れた!
俺は一気に近づいた。
相手の腹側へ回り込む。
背中の皮は厚い。
牙も危険だ。
だったら、狙うのは柔らかい部分。
俺は身体の前側へ短く太い突起を作った。
先端へ《硬質外皮》を集中させる。
……よし。
今度こそ!
――ズンッ!
柔らかい部分を突き破る感触。
森猪が激しく暴れた。
俺は慌てて距離を取った。
……まだだ。
まだ動いてる。
森猪は立ち上がろうとしている。
だが、さっきより明らかに動きが鈍い。
俺はもう1度、地面へ身体を広げた。
無理に近づかない。
焦らず、相手の動きを確かめる。
やがて森猪が立ち上がった。
しかし、足元がふらついている。
……よし。
今なら。
俺は短い脚を4本作った。
後ろ脚に《弾性組織》。
前脚には、身体を支えるための厚い構造。
……いける。
今度は、ちゃんと動ける。
俺は地面を蹴った。
――グッ!
身体が前へ進む。
もう1度。
――グッ!
……おお!
速い!
しかも、さっきより安定している!
俺は森猪の側面へ回り込んだ。
相手がこちらを向こうとする。
だが、その前に。
俺は脚を縮め、身体を低く滑り込ませた。
そして、再び腹側へ硬くした突起を突き入れる。
――ズンッ!
森猪が大きく震えた。
続いて、重い身体が地面へ崩れる。
――ドサッ。
……。
…………。
俺はすぐには近づかなかった。
もう1度、立ち上がるかもしれない。
だから、しばらく距離を取っていた。
でも、森猪は動かなかった。
足音もない。
地面を蹴る振動もない。
……倒した。
今度こそ。
俺は身体を持ち上げた。
……おお。
勝った!
しかも、今回は自分から狙った相手に!
俺は思わず、4本の脚でその場を歩いてみた。
右。
左。
前へ。
……おお。
歩ける!
ちゃんと歩けるぞ!
……あ。
いや。
ちょっと待て。
俺、今、何気なく歩いてないか?
さっきまで、あんなに苦労してたのに。
俺はもう1度、脚を動かした。
前脚で支える。
後ろ脚で押し出す。
それを繰り返す。
……できる。
しかも、走ろうと思えば、少しだけ速度も上げられる。
……すげえ。
何だこれ。
めちゃくちゃ嬉しいんだけど。
「……ノア」
ルナが近づいてきた。
「終わったか?」
俺は身体を上下させた。
「……ふむ」
少しの沈黙。
それから。
「見事だったぞ」
……おお。
褒められた。
「最初は危なっかしかったが、最後は随分と落ち着いておったな」
……だろ?
頑張ったんだよ。
「それに、その脚もようやく使いこなせるようになってきたようだ」
俺は得意になって、少し歩いてみせた。
ルナの周りを、ゆっくり1周する。
……どうだ!
今度は転ばないぞ!
「……くくっ」
ルナが笑い始めた。
……ん?
何がおかしい?
「いや、以前の貴様を思い出してな」
……以前?
「初めて会った頃は、身体を伸ばすことさえ満足にできなかったというのに」
……まあ、そうだったな。
「それが今では、脚を作って走り回るのだからな」
……うん。
確かに。
自分でも、結構すごいと思う。
「まったく。貴様は、どこまで変わるのであろうな」
その言葉に、俺は少し考えた。
……どこまで、か。
正直、まだ分からない。
でも、今なら思う。
俺の身体は、まだまだ変えられる。
脚。
目。
色。
硬さ。
弾性。
それらを組み合わせれば、もっといろんな姿になれるはずだ。
……そうだな。
いつか、自由に走り回れるようになりたい。
ルナと一緒に。
森でも、草原でも。
どんな場所でも。
俺は触手を伸ばし、ルナの前脚へ軽く触れた。
「……いっしょ」
「む?」
「……はしる」
短い声だった。
でも、伝わったらしい。
ルナが少し黙った。
それから、小さく笑った。
「……ふん」
いつもの声。
「当然であろう」
……うん。
そうだな。
「我の脚が治ったら、貴様に本当の走り方を見せてやろう」
……おお。
それは楽しみだ。
「ただし、我についてこられるかは分からぬがな」
……おい。
そこは、ちょっと手加減してくれよ。
俺は抗議するように触手を振った。
すると、ルナが楽しそうに笑った。
……まったく。
相変わらずだな。
◇
その後。
俺たちは森猪を解体することにした。
といっても、俺には包丁なんてない。
《硬質外皮》で触手の先端を細く固め、少しずつ肉と皮を分けていく。
……うん。
これはこれで、かなり難しい。
戦うときと違って、雑に切ればいいわけじゃない。
特に牙は、できるだけ傷つけずに残したい。
俺は時間をかけて、売れそうな部分を取り外した。
牙が2本。
それから、状態のよさそうな皮の一部。
残った肉からは、ルナが食べる分を確保する。
……よし。
今回は、ちゃんと全部食べる前に分けたぞ。
俺は得意になって身体を持ち上げた。
「……ふむ」
ルナが少し感心したように言った。
「ようやく覚えたようだな」
……はいはい。
もう同じ失敗はしませんよ。
「だが、悪くない」
ルナは森猪の肉へ顔を近づけた。
「今日の獲物は、貴様が仕留めたものだ。ありがたくいただくとしよう」
……お。
そう言われると、何だか嬉しいな。
俺は身体を上下させた。
「ふん。では、遠慮なく」
ルナは肉を食べ始めた。
その様子を確かめながら、俺も残った部分の捕食を開始する。
《捕食》。
今まで何度も使ってきた能力だ。
今回は大きな獲物なので、消化にはかなり時間がかかりそうだった。
……まあ、急ぐ必要はない。
俺は少しずつ取り込み、身体の消耗を補っていく。
戦闘で失った部分。
脚を動かすために使ったエネルギー。
それらが、ゆっくり満たされていく。
……ああ。
やっぱり、捕食は大事だな。
しばらくして、俺は意識の中の表示を確かめた。
《捕食中》
……うん。
まだ終わらない。
そりゃそうだ。
今まで食べた魔物より、ずっと大きいからな。
俺は無理に取り込もうとせず、少しずつ身体を広げた。
すると、ルナが近くへ来た。
「……ノア」
……ん?
「貴様、今日は随分と楽しそうだったな」
俺は身体を上下させた。
……うん。
楽しかった。
もちろん、危ない場面もあった。
正面から突進を受けたときは、さすがに焦った。
でも。
今までとは違う。
襲われたから戦うんじゃない。
自分で相手を選び、考えて、狩りをした。
そして、ちゃんと獲物を手に入れた。
……これって、結構大きな変化なんじゃないか?
「……ふむ」
ルナが小さく鼻を鳴らす。
「我も、そう思う」
……え?
「貴様の動き方が、少し変わった」
……動き方?
「以前は、危険を感じるたびに身体を縮め、逃げることを考えておった」
……まあ、そうだったな。
「だが、今日は違った。自分で獲物を追い、相手の動きを読んでおった」
俺は少し考えた。
……確かに。
今までより、周囲がよく分かる。
視覚が加わったことも大きい。
でも、それだけじゃない。
戦い方を考える余裕が、少しずつ増えてきたんだ。
……なるほど。
俺、ちゃんと成長してるんだな。
俺は身体を持ち上げた。
「……つよく」
短い声が出る。
ルナがこちらを向いた。
「む?」
「……なる」
少し音が途切れた。
でも、意味は伝わったらしい。
「……そうか」
ルナが静かに答えた。
「ならば、我も負けてはおれぬな」
……おお。
その言葉、頼もしいな。
俺は嬉しくなって、触手を高く持ち上げた。
「ふん。我の脚が治る頃には、貴様と本気で走れるようになっていたいものだ」
……いいな。
それ。
俺も、そうなりたい。
俺たちはしばらく、その場所で休憩を取ることにした。
森猪の捕食を終えるまでには、まだ時間がかかる。
でも、今日は急ぐ必要もない。
草の上を風が通り抜ける。
遠くでは、小さな鳥の鳴き声が聞こえていた。
俺は身体の上部へ小さな目を形成した。
視界が広がる。
青い空。
緑の草。
そして、すぐ隣にいる白銀の相棒。
……ああ。
いい景色だ。
俺はゆっくりと目を閉じた。
……さて。
今日は、かなりいい経験ができた。
次は、もっと上手く走ってみたい。
もっと自由に身体を変えてみたい。
そして、いつか。
俺自身が、どんな姿にでもなれるようになったら。
……そのときは、どうなるんだろうな。
そんなことを考えながら、俺はゆっくり捕食を続けた。
ちなみに。
今日の収穫は森猪の牙2本と、皮の一部。
……よし。
これなら、次の町でちゃんと売れるはずだ。
今度こそ、全部食べて報酬ゼロなんてことにはならない。
……たぶん。




