第2部 第45話 食べたら報酬ゼロ
冒険者ギルド。
異世界に来た人間なら、誰もが1度は憧れる場所ではないだろうか。
依頼を受けて魔物を倒し、報酬をもらって生活する。実力を認められれば、もっと難しい仕事にも挑戦できる。
……まあ、俺の場合は人間じゃないんだけど。
そんなことを考えながら、俺は目の前の建物を見上げていた。
石造りの大きな建物だ。入口の上には剣と盾を組み合わせたような看板があり、開け放たれた扉からは大勢の人の声が聞こえてくる。
「ここがトルゼの冒険者ギルドだ」
ルナが言った。
「……おお」
思わず声が漏れる。
……ついに来たぞ。
俺の異世界生活にも、ようやく冒険者らしい要素が増えてきた。
問題は、俺が冒険者になれるのかどうかだけど。
「何をしておる。入るぞ」
ルナに促され、俺は形成していた目を崩した。
建物の中へ入ると、足元から伝わる振動が一気に増えた。
人の足音。
椅子を引く音。
金属製の装備がぶつかる音。
それから、何かを焼いたような香ばしい匂い。
……おお。
食堂まであるのか。
人間だった頃の俺なら、まず飯を注文していただろうな。
「……ん?」
近くにいた男が、こちらを見たらしい。
「おい、魔物が入ってきたぞ」
別の声が続く。
「従魔じゃないのか?」
「飼い主はどこだ?」
……またそれか。
俺は触手を小さく揺らした。
別に飼い主なんていませんよ。
「我らだけだ」
ルナが答える。
「……喋った!?」
ざわめきが広がった。
……うん。
もう慣れてきたな、この反応。
それにしても、ルナはもう少し普通に挨拶できないものだろうか。
「……何だ、貴様。その触手は」
……何でもありません。
俺たちは周囲の視線を受けながら、受付へ向かった。
窓口には茶色い髪を後ろで束ねた女性が立っていた。
といっても、俺がその姿を見られたのは、ほんの数秒だけだ。
まだ視覚を維持するには集中力が必要なので、こういう人の多い場所では《微振動感知》を中心に使っている。
「いらっしゃいませ。ご依頼の相談でしょうか?」
受付の女性は、驚くほど普通に話しかけてきた。
……お。
この人、落ち着いてるな。
「うむ。我らはエルデ村から来た。サフィアという調査員の名を伝えれば分かると聞いておる」
「サフィアさんですか?」
紙をめくる音がした。
「少々お待ちくださいね」
しばらくして、女性の声が明るくなる。
「ああ、報告が届いています。銀毛のルナリスと、意思疎通のできる不定形の魔物……」
……おお。
ちゃんと書いてくれてたんだ。
「お名前は、ルナさんとノアさんですね?」
「うむ」
俺も触手を持ち上げた。
「……ノア」
「はい。よろしくお願いします、ノアさん」
……おお。
普通に挨拶してもらえた。
何だろう。
それだけで、ちょっと嬉しい。
「私は受付担当のリゼと申します。お二方については、サフィアさんから簡単な報告をいただいています」
なるほど。
これなら話が早そうだ。
「ただ、冒険者登録については、こちらですぐに判断できないんです」
……あ。
やっぱり。
「魔獣が単独の冒険者として登録する例は、非常に少ないので。ギルド側でも確認が必要になります」
「ふむ。それは構わぬ」
ルナは特に気にしていないようだった。
「我らは急いで登録したいわけではない。旅を続けるため、仕事と情報が欲しいだけだ」
「でしたら、素材の買い取りもできますよ」
……ん?
素材?
「はい。討伐した魔物の指定部位や、採集した薬草などですね。登録前でも、一般の買い取り対象であれば査定できます」
……おお!
そういう方法があるのか!
俺は思わず身体を持ち上げた。
だったら話は早い。
俺たち、村を出てから結構魔物を倒してるじゃないか。
裂尾蜥蜴。
跳鎌虫。
鉤爪鷹。
……よし。
さっそく換金だ!
「貴様、何を喜んでおる?」
ルナが不思議そうに尋ねる。
俺は触手を3本伸ばし、今までの戦闘を伝えようとした。
「……まもの」
「魔物?」
肯定する。
「……たお、した」
「うむ。倒したな」
リゼが興味を示した。
「何を討伐されたんですか?」
「裂尾蜥蜴と跳鎌虫、それから鉤爪鷹だ」
「鉤爪鷹まで?」
少し驚いた声だった。
「それなら、爪や羽根を買い取れます。跳鎌虫の鎌も、状態がよければ素材になりますよ」
……おおお!
やっぱり!
俺、意外と稼げるんじゃないか!?
「では、素材をこちらへお願いします」
……。
…………。
……ん?
素材?
俺は身体を止めた。
そして、ゆっくりと考える。
裂尾蜥蜴。
捕食した。
跳鎌虫。
捕食した。
鉤爪鷹。
……全部、捕食した。
……。
…………。
あ。
ない。
何も残ってない。
「……ノア?」
ルナが俺の様子に気づいた。
「どうした?」
俺は触手をゆっくり下げた。
「……た、べた」
「食べた?」
肯定する。
「……ぜんぶ」
沈黙。
そして。
「……ああ」
ルナが何かを理解したように呟いた。
「そうであったな」
……いや。
そこ、忘れてたのかよ!
リゼが少し困ったように声をかけてきた。
「ええと……討伐した魔物を、すべて食べてしまったということですか?」
俺は小さく身体を上下させた。
「そうですか……」
紙を置く音がした。
「申し訳ありません。討伐したというお話だけでは、素材の査定はできないんです」
……ですよね。
分かってました。
今、分かりました。
「……くくっ」
隣から笑い声が聞こえた。
……おい。
ルナ。
笑ってないで助けてくれよ。
「仕方あるまい。貴様にとっては食料なのだからな」
そうなんだけどさ!
俺の成長に必要なんだよ!
ただ、言われてみれば当然だった。
魔物を倒したからといって、何も持ってこなければ証明できない。
そもそも、街道で倒した魔物の話だけでお金がもらえるなら、誰だって適当なことを言える。
……くそっ。
ゲームだったら、討伐した瞬間に報酬が入ることもあるのにな。
現実は厳しい。
「でしたら、こちらのお仕事はどうでしょう?」
リゼが別の紙を取り出した。
「正式な冒険者登録がなくてもお願いできる、ギルド内の作業なんですが」
……ん?
仕事?
「倉庫の床下に、小型の魔物が入り込んでしまいまして。荷物を傷つけずに追い出せる方を探しているんです」
……ほう。
魔物か。
「床板を外そうとしたのですが、奥へ逃げ込んでしまって。隙間が狭く、人間では手が届かないんですよ」
……隙間?
俺は身体を持ち上げた。
それ、もしかして。
俺の出番じゃない?
「……なるほど」
ルナも気づいたらしい。
「ノアなら、そういう場所へ入り込むのは得意だ」
「本当ですか?」
リゼの声が明るくなった。
「でしたら、倉庫の担当者に確認しますね。報酬もお支払いできます」
……おお!
初仕事!
それも、俺の身体にぴったりの仕事じゃないか!
俺は勢いよく身体を上下させた。
「……引き受けるようだな」
ルナが笑う。
……もちろん!
今度こそ、ちゃんと稼いでみせるぞ。
◇
「……こいつが入るのか?」
倉庫の担当者は、俺を見るなりそう言った。
……何だよ。
その不安そうな声は。
「はい。こちらのノアさんは、身体の形を変えられるそうです」
リゼが説明する。
「床下の隙間も通れるかもしれません」
担当者はしばらく俺を見ていたが、やがて頷いた。
「まあ、床を壊さずに済むなら助かる。奥にある薬草の袋まで齧られちゃ困るからな」
……なるほど。
それは急いだ方がよさそうだ。
倉庫の床は、厚い木の板でできていた。
一部だけ点検用の板が外され、その下に狭い空間が続いている。
「入り込んだのは針背鼠だと思う」
担当者が言った。
「背中に硬い棘がある。触るなら気をつけろよ」
……トゲネズミ?
名前からして嫌な予感しかしない。
俺は床の隙間へ触手を伸ばした。
《微振動感知》。
木の板へ伝わる細かな揺れを探る。
……ん。
いるな。
奥の方で、小さな足音がしている。
それに、何かを齧る音も聞こえた。
……おい。
まさか、薬草の袋を食ってるのか?
俺は身体を薄く広げ、点検口へ近づいた。
最初は触手だけを入れる。
その先で、狭い空間の広さを確かめる。
……うん。
これなら、身体を細長くすれば通れそうだ。
俺は《構造形成》で身体の幅を絞り、床下へゆっくり滑り込んだ。
……おお。
入れた。
さすが俺。
人間だった頃には絶対にできなかった芸当だ。
ただし、ここからが問題だった。
床下は狭い。
身体を大きく広げることもできないし、脚を作って立つことも難しい。
目を作ろうにも、そもそも暗くてほとんど意味がない。
……なるほど。
今回は、昔ながらの戦い方だな。
俺は身体を木材と地面へ接触させ、振動を探った。
小さな足音。
……近い。
前方に1匹。
いや、少し離れた場所にもいる。
……2匹か。
俺は触手を細く伸ばした。
相手を刺激しないよう、ゆっくり。
すると。
――カリッ。
硬いものが、触手の先端に当たった。
……ん?
次の瞬間。
――ザリッ!
触手の表面を鋭いものが引っかいた。
……痛っ!
うおっ!?
何だこいつ!
俺は慌てて触手を引き戻した。
触れた部分が少し削れている。
……ああ。
背中の棘か。
これは厄介だな。
無理に包み込んだら、俺の身体の方が穴だらけになりそうだ。
俺は少し考えた。
相手は小さい。
でも棘がある。
だったら、身体を直接押しつける必要はない。
……そうだな。
俺は床下の通路へ、薄い触手を2本伸ばした。
片方は左側。
もう片方は右側。
それぞれを板の裏へ固定し、中央に小さな隙間を残す。
……よし。
あとは、相手が動けば。
――カサッ。
足音が近づく。
針背鼠が、触手の間へ入ってきた。
……今!
俺は2本の触手を交差させ、《粘着性》を働かせた。
――ペタッ。
……おっ。
捕まえた!
ところが。
――ザリザリッ!
相手が激しく暴れ始めた。
棘が触手に擦れ、嫌な感覚が走る。
……うわっ!
待て待て!
そんなに暴れるな!
俺は慌てて《硬質外皮》を働かせた。
ただし、棘に触れている部分だけ。
全身を硬くすると、狭い場所では動きにくくなるからだ。
……よし。
少し耐えられるようになった。
そのまま相手の動きを確かめる。
棘は背中側に集中しているらしい。
腹の方には、比較的柔らかい部分がある。
……なるほど。
だったら。
俺は細い触手を下から回し、足をまとめるように絡ませた。
そのまま《粘着性》で固定する。
――バタバタッ!
……おお。
動きが鈍くなった。
これなら、いける!
俺は相手を包み込みすぎないよう注意しながら、ゆっくり引き寄せた。
……よし。
1匹確保。
問題は、もう1匹だな。
俺は振動を探った。
……ん?
いない?
さっきまで奥にいたはずなのに。
俺は身体を少し伸ばし、床下のさらに奥へ向かった。
すると、突然。
――ガリッ!
今度は別の方向から、硬いものを齧る音が聞こえた。
……あ。
こいつ。
逃げたんじゃなくて、別の袋に移動してたのか。
俺は音のする方へ触手を伸ばした。
しかし、そこには細い木材が何本も組まれていて、簡単には進めなかった。
……むむ。
どうする。
俺の身体なら通れなくはない。
でも、今は1匹を捕まえたままだ。
無理に身体を伸ばせば、先に捕まえた方を逃がしてしまうかもしれない。
……だったら。
まず1匹を外へ出そう。
俺は点検口へ向かって戻り始めた。
狭い床下を、ゆっくり。
途中で相手が何度か暴れたが、《粘着性》と硬化させた触手で何とか押さえ込んだ。
やがて、外からルナの声が聞こえてきた。
「ノア。どうだ?」
俺は捕まえた針背鼠を、点検口から少しだけ押し出した。
「うわっ!?」
担当者の声が響く。
「本当に捕まえてきたのか!」
……おお。
見てくれ。
ちゃんと1匹捕まえたぞ。
「背中に棘があるな。間違いない、針背鼠だ」
「ふむ。よくやったではないか」
ルナの声にも少し感心が混じっていた。
……へへ。
まあな。
俺は触手を使って相手を押さえ、担当者が用意していた丈夫な籠へ移した。
当然、扉を閉める前に俺の触手は全部引き抜いた。
……よし。
これで1匹。
「もう1匹いるのか?」
担当者が尋ねる。
俺は触手を2本立ててから、1本だけ折り曲げた。
「……なるほど。あと1匹だな」
……そういうこと。
俺は再び床下へ戻った。
今度は身体をもう少し細くする。
さっきの経験で、どの部分が狭いのかは分かっている。
無理に目を作る必要もない。
音と振動、それから触れた感触だけで進めばいい。
……よし。
奥へ。
さらに奥へ。
すると、木材の向こうから足音が聞こえた。
……いた。
俺は通路の隙間へ、細い触手を伸ばす。
しかし、相手は素早く逃げてしまった。
……む。
さっきのやつより警戒心が強いな。
だったら、追いかけるのはやめよう。
俺は身体の一部を広げ、通路の出口になりそうな場所へ薄い膜を張った。
残った身体で、反対側の板を軽く叩く。
――トン。
……。
――トントン。
すると。
――カサカサッ!
小さな足音が動いた。
……お。
反応した。
もう1度、板を叩く。
すると針背鼠は、俺が張った膜の方へ走り出した。
……よし。
あと少し。
――ペタッ!
……捕まえた!
今度は、さっきより簡単だった。
相手の勢いを利用して、先に作った粘着質の膜へ飛び込ませたのである。
……おお。
これ、意外と便利だな。
俺は相手の足を細い触手で固定し、ゆっくり引き戻した。
2匹目を籠へ移す頃には、身体の一部が少し重く感じられた。
やっぱり、狭い場所で形を維持し続けるのは結構疲れる。
でも。
……終わった。
今度こそ、ちゃんと仕事をしたぞ!
「助かった!」
担当者が明るい声を上げた。
「床を壊さずに済んだし、薬草の被害も少なくて済みそうだ!」
……おお。
それはよかった。
「しかも2匹とも生きたままか。こりゃ大したもんだ」
俺は身体を上下させた。
……まあ、今回は食べちゃ駄目だからな。
仕事の証拠がなくなるし。
「……くくっ」
ルナが笑う。
「今度は、きちんと残したようだな」
……当たり前だろ!
さっき学習したばっかりなんだから!
◇
「お疲れさまでした、ノアさん」
受付に戻ると、リゼが報酬を用意してくれていた。
「倉庫の担当者から確認が取れています。今回はギルド内の作業として、銅貨6枚をお支払いします」
……おお。
銅貨6枚。
俺は身体を持ち上げた。
ついに。
ついに、俺にも給料が!
いや、正確には報酬だけど!
リゼが小さな硬貨を並べてくれた。
俺は目を形成し、その姿を確かめる。
丸い金属の板。
表面には何かの模様が刻まれていた。
……これが、この世界のお金か。
初めて自分で稼いだお金だと思うと、何だか妙に嬉しい。
「ノアさん、袋に入れますか?」
俺は身体を上下させた。
小さな袋へ銅貨を入れてもらい、それを《構造形成》で作った荷物入れに固定する。
……よし。
今度は食べないようにしないとな。
「ふむ。これで少しは路銀ができたな」
ルナが言った。
……うん。
まだ大した額じゃないかもしれないけど、ゼロよりずっといい。
「ちなみに、ノアさん」
リゼが少し楽しそうに声をかけてきた。
「今回の作業、担当者から評判がよかったんです」
……ん?
「狭い場所での捕獲や荷物の回収など、ノアさんの身体だからできる仕事もありそうですね」
……おお。
それはありがたい。
「もちろん、冒険者としての登録とは別のお話ですが、今後もご相談いただけますよ」
俺は触手を高く持ち上げた。
……よし!
初仕事、成功!
「ただし」
……ん?
「魔物を討伐したときは、全部食べてしまわないでくださいね。素材の買い取りができなくなりますから」
……。
……はい。
それはもう、十分に理解しました。
隣でルナが吹き出した。
「……くくっ。覚えておくがよい、ノア」
……分かってるって!
俺は抗議するように触手を振った。
でも、悪い気分じゃなかった。
自分の身体を使って仕事をした。
誰かの役に立った。
そして、ちゃんと報酬をもらえた。
……うん。
なかなかいいじゃないか。
冒険者登録は、まだできていない。
これから先、どういう扱いになるのかも分からない。
でも、少なくとも俺には、この世界で自分の力を使って稼ぐ方法がある。
それが分かっただけでも、大きな収穫だった。
「さて、ノア」
ルナが声をかける。
「まずは宿を探すぞ。今夜はきちんと屋根のある場所で休みたい」
俺は身体を上下させた。
……そうだな。
ルナの脚も、まだ完全には治っていない。
野宿ばかりより、ちゃんと休める場所があった方がいい。
「それから、食料も少し買い足しておきたいところだ」
……うんうん。
分かる。
旅には準備が大切だよな。
「薬も、残りを確認せねばならぬ」
……うん。
そうだな。
……ん?
待てよ。
宿。
食料。
薬。
俺は自分の荷物入れへ意識を向けた。
銅貨6枚。
……。
…………。
……足りるのか?
ルナがこちらを見た気配がした。
「どうした?」
俺は触手を小さく揺らした。
「……おかね」
「うむ」
「……たり、る?」
少し間が空いた。
それから、ルナが静かに答えた。
「……宿の値段を聞いてから考えるとしよう」
……。
……ですよね。
俺は小さく身体を丸めた。
ようやく稼いだ、初めての報酬。
できれば、少しくらいは残ってほしい。
……まったく。
魔物になっても、お金の心配をするとは思わなかったぞ。
俺は大切な銅貨6枚を抱えながら、ルナと一緒にギルドを後にした。
### 作者あとがき
初仕事を無事に終えたノア。ようやく報酬を手に入れました。
ただし、魔物を全部食べると素材は売れません。こればかりは、もう覚えてもらうしかありませんね。




