地面にいない敵
「……ノア、そちらではない」
……ん?
俺は身体を止めた。
「道は右だ。貴様、さっきから少しずつ左へ寄っておるぞ」
……あ。
またやった。
エルデ村を出発してから、俺は新しい目の練習を続けていた。
昨日は初めて自分の姿を見て、さらに《弾性組織》まで獲得した。
おかげで、今の俺にはいろいろと試したいことがある。
ただ、問題もあった。
目を使うことに集中すると、どうしてもほかの動作がおろそかになるのだ。
……これ、意外と難しいな。
人間だった頃は、歩きながら景色を見るなんて当たり前だった。
でも今は、目を形成するだけでも集中力が必要だし、それを維持しながら移動しようとすると、身体の形が少しずつ崩れてしまう。
その結果。
道を外れかけた。
……うん。
まだまだ練習が必要だ。
「目が使えるようになったのは喜ばしいが、足元をおろそかにして転ぶようでは意味があるまい」
ルナが呆れた声を出す。
……いや、俺の場合は転ぶというより潰れるんだけど。
もっとも、言いたいことは分かる。
俺は目を一度崩し、《微振動感知》へ意識を戻した。
踏み固められた街道の感触。
小石の位置。
隣を歩くルナの足音。
……ああ。
やっぱり、こっちの方が落ち着く。
「ふむ。まずは安全に歩けるようになってから、ほかのことを試すがよい」
……はいはい。
分かりましたよ。
俺たちは街道を南東へ進んでいた。
エルデ村から離れるにつれて、周囲の地形は少しずつ変わっている。
平坦だった道には緩やかな坂が増え、土の下から硬い岩盤が顔を出すようになった。
ルナによれば、この先には低い峠があるらしい。
そこを越えれば、次の町へ向かう街道が続いているそうだ。
「今日中に峠の手前までは進みたいところだな」
ルナが言った。
「ただ、我の脚では少々時間がかかるかもしれぬ」
俺は触手を上下させた。
別に急いでないし、大丈夫だろ。
「……貴様、随分と余裕があるな」
……まあな。
何しろ、昨日は新しい力まで手に入れたからな。
俺は身体の下側へ意識を集中した。
《構造形成》。
短い脚を3本作る。
さらに、その内部へ《弾性組織》を働かせた。
……よし。
今度は跳ばない。
まず、脚を縮める。
それから、ゆっくり元へ戻す。
――ぐっ。
身体が少し持ち上がった。
……おお。
なるほど。
一気に力を解放するから跳ねるんだ。
だったら、少しずつ使えば、身体を支える補助にもなる。
俺はそのまま前へ進もうとした。
右の脚を動かす。
続いて、左。
――ぐらっ。
……あ。
危ない。
慌てて後ろの脚を広げる。
どうにか持ちこたえた。
「……何をしておる?」
ルナが不思議そうに尋ねた。
俺は脚を少し曲げ伸ばししてみせた。
「……ふむ」
しばらくして、ルナが言った。
「跳ぶだけではなく、脚を動かす助けにも使うつもりか」
俺は大きく身体を上下させた。
そう!
それがやりたかった!
「悪くない考えだな」
……おお。
珍しく一発で褒められた。
「もっとも、まだ歩き方は妙だが」
……余計な一言がなければ完璧だったのに。
それでも、練習の成果はあった。
《弾性組織》を使わずに脚を動かすより、少しだけ身体を持ち上げやすい。
ただし、縮めた力を解放する方向を間違えると、身体が思わぬ方向へ傾いてしまう。
……うん。
便利だけど、扱いは難しいな。
俺は脚を崩し、いつもの形へ戻った。
今日のところは、このくらいにしておこう。
まだ旅は続くんだから。
峠へ近づくにつれて、風が強くなってきた。
街道の片側には岩壁が続き、反対側は低い斜面になっているらしい。
地面を伝わる振動も、土の道とは少し違っていた。
……ん?
俺は身体を止めた。
何かが聞こえた気がする。
風の音とは違う。
遠くで、何かが空気を叩くような音。
……鳥?
俺は身体の上部に小さな目を形成した。
薄い膜を整え、《視覚》を働かせる。
ぼんやりと景色が広がった。
灰色の岩壁。
茶色い地面。
その向こうには、緑色の木々が見える。
……お。
今日は昨日より、少しだけ早く目を作れたな。
俺は目の向きを上へ変えた。
空は明るい。
ただ、風が強いせいか、雲がかなり速く動いていた。
……ん?
そのとき、視界の端を黒いものが横切った。
俺は慌てて目を向けた。
だが、もう何もない。
……何だったんだ?
「ノア?」
ルナが声をかけてくる。
俺は目を崩し、短く発声した。
「……うえ」
「上?」
触手を空へ向ける。
ルナが顔を上げた気配がした。
しばらくして。
「……まずいな」
その声が低くなった。
「鉤爪鷹だ」
……カギヅメタカ?
聞いたことないな。
「この辺りの岩場に棲む魔物だ。飛んでいる獲物より、地上の小動物を狙うことが多い」
……なるほど。
猛禽類ってやつか。
「翼を広げれば、人間の背丈より大きい。鋭い爪で獲物を掴み、岩場まで運ぶこともある」
……。
……え?
ちょっと待て。
それ、結構危なくない?
「うむ。小柄な魔獣なら、十分に獲物になる」
……小柄な魔獣。
俺は隣にいるルナの気配を確かめた。
……あ。
これ、もしかして。
「我らのことだな」
ですよね!
俺は慌てて周囲を探った。
岩壁。
木の根。
少し先には、岩が張り出した場所がある。
あそこなら、上から飛びかかられても直接は狙われにくいかもしれない。
俺は触手で方向を示した。
「……なるほど。あの岩陰か」
ルナも気づいたらしい。
「よかろう。ひとまず移動するぞ」
俺たちは岩壁に沿って進み始めた。
だが。
――ヒュッ!
風を切るような音。
……ん?
次の瞬間。
「伏せよ!」
ルナの声が響いた。
俺は反射的に身体を広げた。
――ガッ!
硬い爪が、すぐ横の地面をえぐった。
……うおっ!?
危なっ!
地面に突き立った爪が、石を跳ね飛ばす。
そして、重い翼の音とともに、何かが再び上昇していった。
……ちょっと!
いきなり襲ってくるなよ!
「こちらを獲物と決めたようだな」
ルナが低く言った。
……冗談じゃないぞ。
俺たちは、まだ出発したばかりなんだから。
俺は目を作ろうとして、途中でやめた。
まずはルナを岩陰まで移動させる方が先だ。
「……いわ、した」
「分かっておる!」
ルナが走り出そうとする。
しかし、右後ろ脚へ体重をかけた瞬間、わずかに動きが乱れた。
「……くっ」
まずい。
無理に走らせたら、また傷を悪くしかねない。
俺は《構造形成》で身体を横へ広げ、ルナの身体を支えた。
そのまま、岩陰へ向かって進む。
だが、上空から再び翼の音が聞こえてきた。
……また来る!
俺は身体を上へ広げ、《硬質外皮》を働かせた。
ルナを覆うような形を作る。
直後。
――ガギッ!
鋭い爪が硬化した表面を引っかいた。
……っ!
衝撃が身体の奥まで伝わる。
硬くした部分が削られ、小さな欠片のように身体が飛び散った。
……痛っ!
いや、これ、結構まずい!
俺は慌てて身体を縮めた。
鉤爪鷹はそのまま飛び去っていく。
……くそっ。
空を飛ぶ相手って、こんなに厄介なのか。
地面を走る魔物なら、《微振動感知》で動きを予測できる。
でも、空中にいる相手は違う。
飛んでいる間は地面へ振動が伝わらない。
翼の音は聞こえるけど、それだけで正確な位置を掴むのは難しい。
……だからこそ、目が必要なんだ。
俺は身体の上部へ小さな目を作った。
《視覚》を働かせる。
視界が広がる。
空。
岩壁。
そして。
……いた!
黒っぽい大きな影が、空を旋回していた。
距離があるため、細かい形までは分からない。
でも、どこにいるのかは分かる。
……よし。
少なくとも、突然攻撃されるよりはマシだ。
「ノア!」
ルナが声を上げた。
「我に構わず、貴様だけでも岩陰へ入れ!」
……何言ってんだよ。
そんなことできるわけないだろ。
俺は触手を伸ばし、ルナの前脚へ軽く触れた。
「……いっしょ」
少し音が乱れた。
同時に、視界が一瞬ぼやける。
……うっ。
やっぱり、目と声を同時に使うのはまだ難しい。
「……まったく」
ルナが小さく鼻を鳴らした。
「頑固なやつだ」
……お互い様だろ。
俺は目を維持したまま、空へ意識を戻した。
鉤爪鷹が旋回している。
大きな翼。
長い尾。
そして、身体の下側に折り畳まれた脚。
……なるほど。
飛びかかる直前には、脚を前へ出すんだな。
俺はその動きを注意深く観察した。
しばらくすると、鉤爪鷹が高度を下げ始めた。
……来る!
俺は触手でルナを軽く押し、岩壁の方へ移動させた。
そして、自分は少しだけ外側へ出る。
……よし。
次は俺が相手だ。
鉤爪鷹がさらに高度を下げる。
脚が前へ伸びた。
……今!
俺は地面へ身体を広げた。
――ザシュッ!
爪がすぐ上を通り過ぎる。
……よし!
避けられた!
だが、鉤爪鷹はそのまま上昇した。
……あれ?
攻撃する隙がない。
地面へ降りてきてくれれば、触手を伸ばせるのに。
……そうか。
こいつ、獲物を掴めなかったら、そのまま飛び去るんだ。
地面で戦う気なんて、最初からない。
……厄介すぎる。
俺は視界を空へ向けた。
鉤爪鷹はまた旋回している。
どうやら、諦めるつもりはないらしい。
……だったら。
こっちも、少し考え方を変えるか。
俺は身体の下側へ短い脚を3本作った。
内部には《弾性組織》。
昨日、跳鎌虫から得たばかりの性質だ。
……よし。
こいつなら、少しだけ地面から跳べる。
問題は、着地が下手なこと。
でも。
今回は、着地より大事なことがある。
俺は身体の後ろ側から太い触手を伸ばし、岩の突起へ巻きつけた。
さらに《粘着性》で固定する。
……うん。
これなら、身体が少し引っ張られても簡単には離れないはずだ。
「……ノア?」
ルナが声をかけてきた。
俺は目を崩し、短く伝えた。
「……ここ、で」
「何?」
空へ触手を向け、次に岩の突起を示す。
「……貴様、まさか」
ルナが何かに気づいたらしい。
「飛びつくつもりか?」
俺は身体を上下させた。
「馬鹿者! 相手は空を飛ぶ魔物だぞ!」
……知ってる。
でも、こっちにはこっちの方法がある。
俺はもう1度、身体の上部に目を形成した。
視界が広がる。
鉤爪鷹がこちらへ向きを変えていた。
……よし。
今度こそ。
俺は脚を縮めた。
《弾性組織》に力をためる。
ただし、一気には解放しない。
相手が近づいてくるまで待つ。
鉤爪鷹が高度を下げる。
翼の音が大きくなる。
脚が前へ伸びた。
……まだ。
もう少し。
視界の中で、大きな爪が迫ってくる。
……今だ!
俺は脚にためた力を解放した。
――ビョンッ!
身体が地面から跳ね上がる。
……おお!
今度は、狙った方向へ跳べた!
だが。
……あ。
ちょっと高い。
思ったより高く跳んでしまった。
しかも、鉤爪鷹の身体はすでに俺の横を通り過ぎかけている。
……まずい!
俺は慌てて触手を伸ばした。
《粘着性》を働かせ、相手の脚へ絡みつかせる。
――グッ!
……おっ!
掴んだ!
その瞬間。
身体がものすごい勢いで引っ張られた。
……うおおっ!?
飛ぶ!
俺、飛んでる!
いや、違う!
引きずられてる!
鉤爪鷹が激しく翼を羽ばたかせる。
俺の身体は空中で振り回され、固定していた触手が強く伸びた。
――ギギッ!
……まずい!
このままじゃ千切れる!
俺は慌てて固定した触手の内部へ《弾性組織》を働かせた。
すると。
強く引っ張られた触手が、わずかに伸びる。
衝撃が少し和らいだ。
……おお!
そうか!
こういう使い方もできるのか!
鉤爪鷹がさらに高度を上げようとする。
だが、俺の触手は岩へ固定されている。
相手の身体が急に引き戻され、飛ぶ方向が乱れた。
――バサバサッ!
激しい羽ばたき。
俺は必死に身体を縮めた。
……よし!
今なら、地面へ引きずり下ろせるかもしれない!
俺は固定した触手を少しずつ短くしようとした。
しかし。
――ブチッ!
……あ。
固定していた部分の一部が千切れた。
……うそだろ!?
次の瞬間、俺の身体が宙へ放り出される。
……ちょっ!
待って!
これ、どうやって着地するんだ!?
俺は慌てて身体を広げた。
地面が近づいてくる。
……まずい!
――ドサッ!
その瞬間、身体の横から強い衝撃が走った。
……え?
落下する向きが変わった。
俺は岩壁ではなく、少し離れた草地へ落ちた。
――ベチャッ!
……。
…………。
……生きてる。
いや、死んでないとは思ってたけど。
今のは危なかった。
「……まったく!」
ルナの声が響く。
「貴様、何を考えておるのだ!」
……あ。
今の《衝撃》か。
ルナが俺の落ちる方向を変えてくれたんだ。
「下手をすれば、岩壁へ叩きつけられておったぞ!」
……はい。
助かりました。
本当に。
俺は身体を起こした。
視界はすでに消えている。
脚も崩れてしまった。
……くそっ。
惜しかったのにな。
相手の脚を掴むところまでは成功した。
固定した触手も、途中までは耐えていた。
でも、最後に強度が足りなかった。
……いや。
待てよ。
俺は少し考えた。
触手を強くすることばかり考えていたけど、そもそも、相手を無理に引きずり下ろす必要があったのか?
俺の身体は軽い。
鉤爪鷹の方が、ずっと力が強い。
だったら、相手の力を利用すればいい。
昨日の跳鎌虫のときみたいに。
俺は周囲の地形を探った。
岩壁。
草地。
そして、少し先には低い木がある。
……あ。
あれなら。
俺は身体を滑らせ、低い木の根元へ移動した。
幹の根元に触手を巻きつけ、しっかり固定する。
さらに、身体の一部を薄く広げ、《粘着性》を働かせた。
ただし、今回は地面に広げない。
木の幹と、近くの岩の間。
そこへ、短い帯状の膜を張る。
……よし。
大きな網なんて作れないけど、これなら何とか。
俺は身体の一部を低く広げ、相手を待った。
鉤爪鷹はまだ上空を飛んでいる。
さっきの失敗で警戒しているのか、しばらく近づいてこなかった。
……頼むぞ。
もう1回だけ。
今度は、ちゃんと考えてるから。
俺は細い触手を揺らし、相手の注意を引いた。
すると。
――ヒュウッ!
風を切る音が近づいてきた。
……来た!
俺は目を形成しようとしたが、途中でやめた。
今は、網を維持するだけで精一杯だ。
目まで作れば、どちらかの構造が崩れかねない。
……だったら。
音で判断する。
俺は《微振動感知》を地面へ広げながら、翼の音へ集中した。
鉤爪鷹が近づいてくる。
低い位置まで。
……もう少し。
翼の音が大きくなる。
――ヒュッ!
……今!
俺は身体を横へ縮めた。
直後、鉤爪鷹の爪が俺のいた場所を通り過ぎる。
そして、その先で。
――バチンッ!
強い振動が伝わった。
……おっ!
引っかかった!
鉤爪鷹の片脚が、帯状の膜に絡んだらしい。
そのまま上昇しようとするが、膜は木の幹と岩へ固定されている。
――ギギギッ!
張りつめた膜が伸びる。
俺は《弾性組織》を働かせ、衝撃を逃がした。
……よし。
今度は、ただの力比べじゃない。
相手の勢いを受け止め、進む方向を変える。
鉤爪鷹が激しく羽ばたく。
だが、片脚を引かれたせいで、身体が横へ傾いた。
――ドンッ!
低い木の幹へ、相手の身体がぶつかった。
……今だ!
俺は一気に身体を伸ばした。
狙うのは、木にぶつかって動きが鈍った鉤爪鷹の胴体。
《硬質外皮》を集中させた短い突起を作る。
さらに、別の触手で翼の付け根を押さえた。
鉤爪鷹が鋭い声を上げる。
――ガッ!
爪が俺の身体を引っかいた。
……っ!
痛い!
でも、今度は離さない!
俺は身体を広げ、相手の胴体へ巻きついた。
翼が激しく動く。
風が顔のない俺の身体を叩く。
……くそっ!
強い!
こんなに暴れるのか!
俺は《粘着性》をさらに強めた。
すると、翼の動きが少しずつ鈍くなっていく。
……よし。
あと少し。
俺は硬くした突起を相手の首元へ押し当てた。
そして、思い切り力を込める。
――ズンッ!
鉤爪鷹の身体が大きく震えた。
その後も何度か激しく抵抗したが、やがて動きは弱まり、最後には静かになった。
……。
…………。
……勝った?
俺はしばらく、そのまま身体を固定していた。
相手の動きが完全に止まったことを確かめてから、ようやく触手を緩める。
……はぁ。
疲れた。
めちゃくちゃ疲れた。
でも。
……勝ったぞ。
空を飛ぶ魔物に。
地面にいる俺が!
「……ノア」
ルナが近づいてくる振動がした。
「無事か?」
俺は身体を上下させた。
「……ふむ」
少しの沈黙。
それから、ルナが小さく笑った。
「まさか、空を飛ぶ魔物まで捕まえるとはな」
……だろ?
結構頑張ったんだよ。
「ただし、途中で自分まで飛んでいったのは感心せぬ」
……はい。
そこは反省しております。
「ふふっ。まあ、よい」
ルナが少し近づいてくる。
「貴様、随分と強くなったものだ」
……ん?
俺は身体を持ち上げた。
「洞窟で初めて出会った頃の貴様なら、あのような魔物に狙われれば、逃げることしかできなかったであろう」
……まあ、そうだな。
「だが、今は違う」
ルナは少しだけ声を落とした。
「考え、自分の身体を変え、勝つ方法を見つけられるようになった」
……。
……そっか。
そう言われると、ちょっと嬉しいな。
もちろん、まだまだ弱い。
目だって完全には使えないし、脚もまともに動かせない。
それに、今回だってルナに助けてもらわなければ危なかった。
でも。
確かに、少しずつ変わっている。
俺は倒れた鉤爪鷹へ身体を向けた。
……さて。
それじゃあ、せっかく倒したんだし。
俺は相手の身体へ触手を伸ばし、《捕食》を開始した。
羽毛に覆われた表面。
硬い爪。
大きな翼。
どれも、今まで捕食した魔物とは違う感触だった。
俺は比較的柔らかい部分から少しずつ取り込み、時間をかけて消化を進めていく。
……うん。
やっぱり、空を飛ぶ魔物は身体の構造が違うな。
翼を動かす部分には、強い筋肉が集中している。
骨らしい硬い部分もあるが、見た目ほど重くはない。
……なるほど。
空を飛ぶためには、こういう構造が必要なのか。
俺は興味深く触手を動かしながら、捕食を続けた。
やがて。
《捕食が完了しました》
おっ。
今回も無事に終わった。
しばらく待ってみる。
……。
…………。
……あれ?
新しい性質の通知が来ない。
俺はもう1度、意識の中の表示を確認した。
変化はない。
……そうか。
今回は、新しい性質を獲得できなかったのか。
まあ、仕方ない。
《性質吸収》は、何でも食べれば必ず新しい能力が手に入るわけじゃない。
それに、今回は十分な収穫があった。
新しい視覚を実戦で使えた。
《弾性組織》を、跳ぶ以外の方法でも使えた。
そして、空を飛ぶ相手への対処も少し分かった。
……うん。
悪くない。
むしろ、かなりいい経験だった。
俺は身体をゆっくり広げた。
捕食で栄養は補えたが、戦闘中に失った体積がすぐに元へ戻るわけではない。
それに、集中力もかなり使ってしまった。
……今日は、もう無茶しない方がよさそうだな。
「……ノア」
ルナが声をかけてきた。
「そろそろ移動するぞ。ここに長居する必要もあるまい」
俺は身体を上下させた。
……そうだな。
それから、少し考えた。
目を作って、周囲を見てみようか。
……いや。
今日はやめておこう。
さっきみたいに、上から魔物が襲ってくるかもしれないし。
それに、今は目を使わなくても、ちゃんと道を進める。
俺は《微振動感知》へ意識を集中し、ルナの足音に合わせて移動した。
しばらく進むと、岩壁が途切れ、再び広い道へ出た。
風の音が変わる。
遠くには、何か大きな空間が広がっているようだった。
「……ふむ」
ルナが声を上げた。
「峠を越えたようだな」
……おっ。
もう?
「この先は下り坂だ。夕方までには、街道沿いの休憩所へ着けるであろう」
なるほど。
じゃあ、今日はそこで休めるのか。
……助かった。
さすがに、もう戦いたくない。
俺はゆっくり身体を前へ進めた。
そのとき。
――カーン……。
遠くから、澄んだ音が聞こえた。
……ん?
鐘?
俺は身体を止めた。
「どうした?」
ルナが尋ねる。
俺は音のした方向へ触手を向けた。
「……ああ」
ルナが少し嬉しそうに言った。
「あれは町の鐘であろうな」
……町?
「うむ。峠の向こうにある交易町だ。街道を進めば、いずれ着く」
……おお。
ついに次の町か。
俺は思わず身体を持ち上げた。
エルデ村を出てから、まだそれほど長い時間が経ったわけじゃない。
でも、すでに新しい魔物と戦い、新しい力を試すことができた。
これから先には、きっともっといろんなものが待っている。
……そうだ。
せっかくだし。
俺は身体の上部へ、小さな目を形成した。
少し疲れていたが、短い時間なら維持できそうだった。
《視覚》を働かせる。
すると、ぼんやりとした景色が広がった。
目の前には、下り坂。
その先には、緑色の森。
さらに遠くには、灰色がかった何かが広がっている。
……あれが町なのかな。
まだ遠すぎて、建物までは見えない。
でも。
その向こうには、今まで知らなかった景色があるんだろう。
俺は少しだけ目を上へ向けた。
青い空。
白い雲。
そして、その下に続く長い街道。
……いいな。
こういうの。
人間だった頃、ゲームの中で新しい町を見つけたときのことを思い出す。
次はどんな場所だろう。
どんな魔物がいるんだろう。
何ができるようになるんだろう。
そんなことを考えながら、俺は視界を閉じた。
……よし。
次の町まで、あと少し。
その前に。
今度こそ、ちゃんと休もう。
さすがに、今日だけで2回も空を飛ぶつもりはないからな。
作者あとがき
今回は初めて、空を飛ぶ魔物との戦いでした。
地面の振動を頼りに生きてきたノアにとって、なかなか厄介な相手だったようです。
それでも、手に入れた能力を組み合わせて勝つことができました。
もっとも、途中で自分まで飛んでいくとは思いませんでしたが。
そろそろ着地の練習も必要かもしれませんね。




