脚なら作ればいい
第2部 第40話 脚なら作ればいい
――カサカサッ!
街道脇の草むらから、慌ただしい振動が伝わってきた。
小さな足音が3つ。
いや、4つか?
どれもかなり速い。何かから逃げているように、地面を蹴る振動が不規則に続いている。
その後ろから、明らかに大きな足音が追いかけていた。
「……ノア、下がれ」
ルナの声が変わった。
「何かおる。しかも、あまり機嫌がよくなさそうだ」
……機嫌?
魔物の機嫌なんて分かるのか?
「裂尾蜥蜴だ。尾の先が刃のように硬くなっておる。大きさは……そうだな、人間の飼う犬ほどか」
おお。
久しぶりの魔物だ。
俺は思わず身体を持ち上げた。
「貴様、何を喜んでおる」
……いや、別に。
ちょっと懐かしいなと思っただけです。
「言っておくが、我はまだ満足に走れぬぞ」
その言葉で、俺も現実に引き戻された。
そうだった。
ルナの右後ろ脚は、まだ治りきっていない。
歩くことはできるようになったが、急に走ったり、戦闘で踏ん張ったりするのは難しい。
ここで襲われたら、逃げるのにも時間がかかる。
……よし。
まずは距離を取ろう。
俺は触手を伸ばし、ルナの身体を支えながら街道の反対側へ移動した。
ところが。
――ザザッ!
大きな足音が、突然こちらへ向きを変えた。
……ん?
おい。
なんでこっちに来るんだ?
「ちっ、こちらに気づいたか!」
ルナが低く唸る。
「ノア、右だ!」
俺は反射的に身体を右へ広げた。
次の瞬間。
――バシンッ!
何かが地面を叩く激しい振動。
俺がさっきまでいた場所だ。
……危なっ!
「尾だ! まともに受けるでないぞ!」
いやいや。
受けるつもりなんてありませんよ!
俺は身体を縮め、地面に密着した。
裂尾蜥蜴は、どうやら俺たちを新しい獲物だと判断したらしい。
さっきまで追いかけていた小さな生き物たちの足音は、すでに遠ざかっていた。
……おい。
逃げた連中。
せめてお礼くらい言っていけよ。
いや、助けたつもりはないんだけどさ。
「ノア、逃げるぞ!」
ルナが言った。
俺も賛成だ。
だが、裂尾蜥蜴は簡単に逃がしてくれそうになかった。
――ダダッ!
地面を強く蹴る振動。
速い。
ルナが動き出そうとしたが、右後ろ脚をかばうように歩幅が乱れた。
「……くっ!」
まずい。
このままじゃ追いつかれる。
俺は咄嗟に身体を伸ばし、裂尾蜥蜴の進路へ滑り込んだ。
「ノア!」
ルナの声が響く。
俺は《構造形成》で身体の前面を厚くし、《硬質外皮》を集中させた。
直後、重い衝撃が走る。
――ゴンッ!
うおっ!?
強い!
身体が地面を滑り、細かな石を巻き込みながら後ろへ押し戻された。
だが、止めた。
少なくとも、ルナへ向かっていた突進は止まったはずだ。
「貴様、無茶をするな!」
……分かってる。
でも、今のルナを走らせるわけにはいかないだろ。
俺は身体を立て直し、地面を伝わる振動へ意識を集中した。
裂尾蜥蜴が少し離れた位置で足を踏み替えている。
次の攻撃を狙っているらしい。
……さて。
どうしたものか。
逃げるには、相手が速すぎる。
ルナを置いていくわけにもいかない。
となれば。
……戦うしかないか。
俺は身体を持ち上げた。
洞窟にいた頃は、魔物と戦うたびに逃げ回っていた。
もちろん、今でも無茶はしたくない。
でも、あの頃とは違う。
俺には《構造形成》がある。
《粘着性》も《硬質外皮》もある。
そして、初変異で得た《万能適応型》という身体。
……そうだ。
そもそも、俺はどうしていつも触手ばかり使っているんだ?
《構造形成》なら、もっといろんな形を作れるはずだろ。
例えば。
……脚とか。
俺は身体の下側へ意識を集中した。
まず、短い突起を1本。
次に、反対側へもう1本。
最後に、後方へ支えを作る。
……お。
できた。
ただし、ものすごく不安定だ。
試しに身体を持ち上げてみる。
――ぐにゃ。
……あ。
潰れた。
いやいや。
早すぎるだろ!
せっかく脚を作ったのに、立つ前に折れるってどういうことだよ!
「……貴様、何をしておる?」
ルナの呆れた声が聞こえた。
「今は遊んでおる場合ではないぞ!」
違います!
大真面目です!
俺はもう1度、身体の下側へ意識を集中した。
さっきは脚を細く作りすぎた。
人間の脚みたいな形を真似しても、今の俺には関節や筋肉がない。
だったら、もっと単純でいい。
太く、短く。
地面にしっかり接する形。
俺は身体の一部を3方向へ押し出し、それぞれの先端を少し広げた。
形としては、脚というより短い柱だ。
……うん。
これなら。
ゆっくり身体を持ち上げる。
今度は潰れなかった。
おお!
立てた!
……いや、正確には身体が地面から少し浮いただけなんだけど。
それでも、今までとは違う。
「……ほう?」
ルナの声が変わった。
「貴様、脚を作ったのか?」
俺は得意になって身体を上下させようとした。
――ぐらっ。
うおっ!?
危ない!
慌てて脚を広げ、どうにか踏ん張る。
……調子に乗るのはやめよう。
「くくっ。妙な格好だな」
笑うなよ!
こっちは必死なんだぞ!
だが、次の瞬間。
――ダッ!
裂尾蜥蜴が再び動いた。
……来た!
俺は3本の脚へ力をかけ、地面を押した。
身体が前へ進む。
おお!
動ける!
いつものように地面を流れるのとは、明らかに違う感覚だった。
身体を浮かせたまま、地面を蹴って移動できる。
ただし、まだ速くはない。
それに、3本の脚を順番に動かそうとすると、どうしても集中力を使う。
……難しいな。
でも、面白い。
「ノア、左から来るぞ!」
ルナの声。
俺は左側の脚を強く踏み込み、身体を横へ移動させた。
――バシッ!
裂尾蜥蜴の尾が地面を叩く。
今度は避けられた。
よし!
……いや、ちょっと待て。
これ、意外といけるんじゃないか?
俺は身体の前側に触手を1本作った。
先端を尖らせ、《硬質外皮》を集中させる。
……よし。
即席の槍だ。
もちろん、本物の金属ほど硬くはない。
それでも、何もないよりはマシだろう。
「貴様、今度は何を……」
ルナが何か言いかけた。
その間に、裂尾蜥蜴がこちらへ向かってきた。
――ダダッ!
俺は脚を踏ん張り、硬くした触手を突き出した。
――ガツッ!
硬い感触。
……当たった!
だが。
――ギッ!
触手の先端が、相手の鱗に滑った。
……硬っ!
何だよ、その防御力!
「背中の鱗は硬い! 正面から突いても通らぬぞ!」
先に言ってください!
いや、俺が勝手に突っ込んだんだけど!
俺が慌てて触手を引き戻そうとした、その瞬間。
――ブンッ!
空気を切るような音。
次いで、身体の横側へ鋭い衝撃が走った。
……っ!?
形成していた脚の1本が、途中から切り裂かれた。
身体の一部が小さく飛び散り、地面へ落ちる。
……痛っ!
いや、痛みというより、身体をいきなり削り取られたような嫌な感覚だ。
まずい。
体積が減った。
栄養も消耗している。
脚を作り直すにも、無制限にできるわけじゃない。
「ノア!」
ルナが叫んだ。
「無理に攻めるな! 相手の尾を警戒せよ!」
……分かってる。
分かってるんだけど。
そもそも、俺には相手の姿が見えない。
地面を蹴る足音なら分かる。
身体が接触すれば、位置も確かめられる。
でも、空中を振り回される尾は別だ。
攻撃が来る方向を、完全には読み取れない。
……くそっ。
やっぱり、目が欲しい。
今すぐ欲しい。
というか、こんな状態で今までよく生き残ってきたな、俺。
だが、ないものを嘆いても仕方ない。
今は、使えるものだけで何とかするしかない。
俺は身体を低くし、脚を作り直した。
今度は前側に2本、後ろに1本。
地面を強く踏ん張れる位置へ配置する。
さらに、身体の前面を少し厚くした。
攻撃用の触手は細くし、必要な部分だけを硬くする。
全部を同時に強化するのは無理だ。
だったら、使う場所を絞ればいい。
……よし。
もう1回だ。
「ノア、相手の右側へ回れ!」
ルナの声が響く。
俺は指示どおり、右へ移動した。
裂尾蜥蜴の足音が向きを変える。
追ってきた。
だが、今度は正面からぶつからない。
俺は身体を低くして、相手の横へ滑り込んだ。
――ガッ!
裂尾蜥蜴が噛みつこうとしたらしい。
硬い顎が、俺の身体の一部を挟み込む。
……うおっ!
こいつ、噛む力も強い!
俺は噛まれた部分を一時的に硬くし、相手の歯が深く入り込むのを防いだ。
そのまま、別の触手を伸ばす。
狙うのは、後ろ脚。
《粘着性》を強め、相手の足首へ絡みつかせた。
――グッ!
おっ。
引っかかった!
裂尾蜥蜴が身体を振る。
だが、俺は地面に接した脚を広げ、さらに近くの木の根へ触手を固定した。
……どうだ!
動けないだろ!
……いや。
――ズルッ!
動いた。
普通に引きずられた。
……強っ!
俺、まだまだ非力だな!
「馬鹿者! 力比べをするでない!」
ルナの声が飛んできた。
「相手の動きを利用せよ!」
……動きを利用する?
なるほど。
俺は少し考えた。
裂尾蜥蜴は、俺の触手を引きずりながら逃れようとしている。
だったら、無理に止めるんじゃなくて。
……向きを変えればいいのか?
俺は固定していた触手を少し緩めた。
その瞬間、相手の身体が前へ進む。
俺は反対側へ伸ばした触手を、地面の石へ固定した。
すると。
――ガッ!
裂尾蜥蜴の足音が乱れた。
おお!
転んだ!
完全に倒れたわけではないが、少なくとも体勢は崩れたらしい。
「今だ、ノア!」
ルナが叫ぶ。
「腹の下だ! そこは鱗が薄い!」
……よし!
俺は脚を強く踏み込み、相手の身体の下へ滑り込んだ。
触手の先端を尖らせ、《硬質外皮》を集中させる。
そして。
――ズンッ!
柔らかいものを突き破る感触。
……入った!
裂尾蜥蜴が激しく暴れる。
俺は慌てて触手を引き戻した。
直後、硬い尾が地面を叩き、石が跳ねる振動が伝わってきた。
危なっ!
だが、相手の動きは先ほどより鈍くなっている。
足音が乱れ、地面を引っかく振動も弱まっていた。
……効いてる。
今なら、いけるかもしれない。
俺はもう1度、身体を低くした。
今度は相手の動きをよく確かめる。
尾を振るとき、裂尾蜥蜴は後ろ脚へ強く体重をかける。
その直前、地面へ伝わる振動がわずかに変わる。
……なるほど。
完全には読めないけど、少しは予測できる。
俺は相手の足音に合わせて移動した。
右へ。
少し後ろへ。
そして、前へ。
――ブンッ!
尾が空を切る。
今度は、俺に当たらなかった。
よし!
俺は再び相手の下へ入り込んだ。
今度は《微弱毒分泌》を使い、触手の先へ薄く毒をまとわせる。
強い毒じゃない。
これだけで大型の魔物を倒せるとは思っていない。
でも、少しでも動きを鈍らせられれば。
俺は先ほど傷つけた場所へ触手を伸ばした。
――ズッ!
再び手応え。
裂尾蜥蜴が身体を大きく震わせる。
その直後、俺は触手を引き抜き、距離を取った。
……よし。
無理に追いかけない。
相手の様子を確かめる。
これまでの俺なら、勝てそうだと思った瞬間に突っ込んでいたかもしれない。
でも、今は違う。
確実に倒せると分かるまでは、焦らない。
裂尾蜥蜴の足音が、少しずつ弱くなっていく。
毒が効いたのか、傷の影響なのか。
あるいは、その両方か。
やがて、相手は地面へ身体を落とした。
――ドサッ。
それから、ほとんど動かなくなった。
俺はしばらく距離を取っていた。
……倒した?
本当に?
「……ふむ」
ルナが慎重に近づいてくる足音がした。
「どうやら、勝ったようだな」
……おお。
やった。
勝った!
俺は思わず身体を持ち上げた。
今度は3本の脚で、しっかりと。
……おおお。
何だろう。
めちゃくちゃ嬉しい。
洞窟にいた頃も、魔物を倒したことはある。
でも、今回は違う。
ただ身体を広げて包み込んだり、相手の隙を突いて捕食したりするだけじゃない。
自分で脚を作り、動き方を変え、戦いながら身体の形を調整した。
そして、ちゃんと勝てた。
……これだよ!
こういうのがやりたかったんだ!
俺は3本の脚で、その場を少し歩いてみた。
右。
左。
後ろ。
――ぐにゃ。
……あ。
転んだ。
「……くくっ」
ルナが笑う。
「勝った途端にそれか」
……うるさいな!
今のは、ちょっと油断しただけだって!
「だが、見事だったぞ」
……ん?
俺は身体を持ち上げた。
「最初は妙な動きだったが、途中からは随分とよくなった。相手の力を利用する判断も悪くない」
……おお。
褒められた。
それも、かなりまともに。
「もっとも、まだ無駄な動きが多い。あの脚も、長く使えばすぐに疲れるであろう」
……ですよね。
実際、今も少しずつ身体が重くなってきている。
脚を維持しながら触手を動かすのは、まだ集中力が必要だ。
でも。
今までできなかったことが、できるようになった。
それだけで十分だ。
「さて」
ルナが声を変えた。
「貴様、そいつをどうするつもりだ?」
……あ。
そうだった。
俺は倒れた裂尾蜥蜴へ身体を向けた。
久しぶりの魔物。
そして、久しぶりの捕食。
……ご飯だ。
いや、言い方は悪いけど。
俺にとって、捕食は生きるための基本だ。
それに、あの魔物の身体には、まだ俺の知らない性質があるかもしれない。
俺はゆっくり近づき、触手で相手の身体に触れた。
……硬いな。
背中には厚い鱗。
脚にはしっかりした筋肉。
尾の先は、確かに刃のように硬くなっている。
俺は触手を動かし、頭の方へ触れてみた。
そこで、少し気になる部分があった。
柔らかな膜のようなもの。
その奥には、丸みを帯びた器官がある。
……ん?
これ、もしかして。
「ルナ」
俺は短く呼びかけた。
「何だ?」
俺は触手で、相手の頭部を軽く叩いた。
「……め?」
「目か?」
肯定する。
「当然あるぞ。裂尾蜥蜴は、獲物の動きを目で捉える魔物だからな」
……そうか。
目。
こいつには、ちゃんと目があるんだ。
俺はしばらく、その部分に触れていた。
洞窟で捕食した虫たちにも、光を感じる器官はあった。
そのうち、灯寄り蛾から獲得できたのが《明暗感知》だった。
おかげで、俺にも光の強さや方向は分かるようになった。
でも、色や形は分からない。
ルナの姿だって、まだ見たことがない。
……もし。
こいつの目から、何か得られたら?
俺は身体を広げた。
《捕食》を使い、裂尾蜥蜴をゆっくり取り込んでいく。
硬い鱗が邪魔で、最初はうまく進まなかった。
無理に一気に飲み込もうとしても、身体に負担がかかるだけだ。
俺は比較的柔らかい部分から取り込み、時間をかけて消化を進めることにした。
……うん。
久しぶりの捕食だな。
村では食料を分けてもらっていたし、危険な魔物をわざわざ狩る必要もなかった。
でも、こうして獲物を取り込んでいると、改めて思う。
俺は人間じゃないんだ。
生き物を捕食し、その性質を取り込む。
それが、今の俺の成長方法だ。
しばらくすると、身体の内部へ栄養が広がるような感覚があった。
戦闘で失った体積が、すぐに全部戻るわけじゃない。
それでも、少しずつ身体が満たされていく。
……ああ。
これこれ。
この感覚だ。
そして。
不意に、意識の中へ文字が浮かび上がった。
《捕食が完了しました》
おっ。
久しぶりの通知だ。
続いて。
《性質吸収の条件を満たしました》
……え?
ちょっと待て。
まさか。
俺は意識を集中した。
次の瞬間。
《新たな性質を獲得しました》
《視覚》
……。
…………。
……は?
俺は固まった。
視覚?
今、視覚って出た?
俺は慌てて確認した。
間違いない。
《視覚》。
確かに、そう表示されている。
……おおおおお!
きた!
ついにきた!
俺は思わず身体を大きく持ち上げた。
「……どうした、ノア?」
ルナが驚いた声を出す。
いやいや!
それどころじゃない!
ついに目が!
俺にも目が!
……いや。
待て。
俺は周囲へ意識を向けた。
……暗い。
というか、今までと何も変わらない。
《明暗感知》による光の強さは分かる。
でも、色も形も分からない。
……あれ?
おかしいな。
《視覚》を獲得したんだよな?
俺はもう1度、意識の中の表示を確かめた。
ちゃんとある。
《視覚》。
……なるほど。
つまり。
性質を獲得しただけでは、まだ使えないのか?
俺は自分の身体に意識を向けた。
今の俺には、目がない。
光を感じる性質は持っていても、映像を受け取るための器官が存在しない。
だったら。
……作ればいいんじゃないか?
俺には《構造形成》がある。
今日だって、脚を作れた。
だったら、目だって。
俺は身体の一部を持ち上げ、意識を集中した。
丸い器官。
光を取り込む部分。
その奥で、受け取った情報を感じ取るための構造。
さっき取り込んだ裂尾蜥蜴の目を思い出す。
触れた感触。
膜の厚さ。
丸み。
……よし。
試してみよう。
俺は身体の表面へ、小さな突起を作り始めた。
「……ノア?」
ルナが呼びかける。
「貴様、今度は何をしておる?」
……ちょっと待って。
今、すごく大事なところなんだ。
俺は集中を続けた。
身体の表面に、小さな丸い膨らみができる。
その先端を薄くし、内部へ細かな構造を作ろうとする。
……難しい。
脚とは比べものにならない。
脚なら、単純に身体を支えられればよかった。
でも、目は違う。
ただ丸いものを作ればいいわけじゃない。
光を通し、それを感じ取れる形にしなければならない。
少しでも形を崩すと、内部の構造が維持できなくなる。
……くそっ。
集中力が足りない。
俺は一度、形成を止めた。
身体の表面に作った膨らみが、ゆっくりと崩れていく。
……はぁ。
やっぱり、いきなりは無理か。
「……貴様、何を作ろうとしていた?」
ルナが尋ねた。
俺は少し考えた。
どう伝えよう。
今の俺の発声能力では、説明するのが難しい。
それでも、何とか短い言葉を作る。
「……め」
「目?」
俺は身体を上下させた。
「……つく、る」
ルナの気配が変わった。
「……何?」
俺はもう1度、身体を上下させる。
「貴様……目を作ろうとしておるのか?」
肯定する。
しばらく、ルナは何も言わなかった。
やがて。
「……なるほど」
その声には、いつもの皮肉がなかった。
「何か、新しい性質を得たのだな?」
俺は大きく身体を上下させた。
「ふむ……」
ルナが少し考え込む。
「ならば、焦る必要はあるまい」
……え?
いや、焦るでしょ。
だって、ついに目が見えるかもしれないんだぞ?
「貴様は、脚を作るのにも苦労していたではないか」
……うっ。
それはそうだけど。
「目のような複雑な器官なら、なおさらだ。少しずつ試せばよい」
……まあ。
確かに。
それは正論だ。
俺は身体を丸めた。
今すぐ見えるようになると思ったのに、ちょっと残念だ。
でも。
性質は手に入った。
あとは、使いこなすだけだ。
そう考えると、急に嬉しくなってきた。
俺はもう1度、身体の下側へ意識を集中した。
3本の短い脚を作る。
今度は、さっきより少し安定している。
……おお。
やっぱり慣れって大事だな。
「……くくっ」
ルナが笑った。
「貴様、随分と妙な姿になったものだ」
……そう?
「丸い身体の下に太い脚が3本。しかも、前には細い触手が伸びておる」
……。
……え?
そんなに変なの?
俺としては、結構かっこよく作ったつもりなんだけど。
「まるで、脚の生えた岩のようだな」
おい。
岩って。
もっとほかに例え方あるだろ!
「ふふっ。だが、悪くない」
……ん?
「以前より、ずっと頼もしくなったではないか」
俺は少し動きを止めた。
……そうか。
頼もしくなった、か。
洞窟で初めて出会った頃、俺は本当に弱かった。
まともに戦うこともできず、ルナに助けてもらうばかりだった。
それが今では、脚を作り、魔物と戦い、自分の力で勝てるようになった。
もちろん、まだまだ未熟だ。
さっきだって、ルナが相手の動きを教えてくれなければ危なかった。
でも。
確かに、少しずつ強くなっている。
俺は3本の脚で、ゆっくり前へ進んだ。
1歩。
もう1歩。
そして、ルナのそばで止まる。
「……どうした?」
俺は触手を伸ばし、ルナの前脚へ軽く触れた。
「……ありが、と」
少しぎこちなかったけど、今度はちゃんと伝わった。
ルナが小さく鼻を鳴らす。
「ふん。礼を言うのは、もう少し上手く歩けるようになってからにせよ」
……厳しいなあ。
でも、悪くない。
俺は身体を丸め、少しだけ休むことにした。
今のところ、脚を維持し続けるのはまだ疲れる。
目の形成なんて、もっと大変だろう。
それでも。
今日、俺は新しい可能性を手に入れた。
自分で作った脚で立ち、動き、戦った。
そして、ついに《視覚》を獲得した。
まだ、何も見えていない。
でも、それは今までとは違う。
見えないのではなく。
見えるようになる方法が、ようやく手に入った。
俺はそっと身体の一部を持ち上げた。
次に目を作るときは、もう少しうまくやってみよう。
形を小さくして。
構造を単純にして。
まずは、何か1つでも見えるようになればいい。
……そうだな。
最初に見たいものは、もう決まっている。
俺は隣にいるルナへ身体を向けた。
「……何だ?」
いつもの声が返ってくる。
俺は触手を小さく振った。
……何でもない。
ただ、ちょっと楽しみになっただけだ。
今まで、声と触れた感触でしか知らなかった相棒。
白銀の毛並み。
淡い紫色の瞳。
ルナは、自分の姿をそんなふうに説明してくれたことがある。
でも、俺はまだ見たことがない。
……よし。
最初に見るのは、ルナにしよう。
そう決めた途端、また目を作ってみたくなった。
「ノア」
……ん?
「今日はもう休め。貴様、身体が少し小さくなっておるぞ」
……あ。
そういえば。
戦闘で一部を失ったし、捕食で補給はしたものの、まだ完全には回復していない。
そのうえ、脚だの目だの作ろうとして、結構な集中力を使ってしまった。
……うん。
今日はここまでにしよう。
俺は脚を崩し、いつもの不定形の身体へ戻った。
地面へ広がると、ようやく力が抜ける。
……ああ。
楽だ。
やっぱり、今の俺にはこの形が一番落ち着く。
でも。
いつまでも、このままでいるつもりはない。
次はもっと上手く脚を作ろう。
それから、目だ。
絶対に見えるようになってやる。
俺は《明暗感知》で頭上の光を感じながら、ゆっくり身体を丸めた。
……それにしても。
異世界に来てから、初めて自分で脚を作ったわけだけど。
これって、よく考えたらすごいことじゃないか?
普通の人間なら、脚なんて最初からあるものだ。
なくなったら大変だし、増やすこともできない。
でも、俺は違う。
必要なら作ればいい。
不要なら戻せばいい。
……なんだ。
結構、自由じゃないか。
俺は少し嬉しくなって、身体の端を小さく揺らした。
「……貴様、また笑っておるな?」
ルナの声が聞こえた。
……うん。
今日は、笑ってもいいだろ。
だって。
ようやく、俺の冒険が本当に始まった気がするんだから。
作者あとがき
ようやくノアに脚が生えました!笑
本人はかっこいい戦闘形態のつもりですが、ルナから見ると脚の生えた岩らしいです。ひどい。
そして、ついに《視覚》も獲得!
……目を作るところから始めないといけないのが、ノアらしいですね。
早くルナの顔を見せてあげたいところです。




