硬い獲物
第5話 硬い獲物
身体の奥で、何かが動いている。
最初は、傷ついた部分が勝手に震えているのかと思った。
だが、違った。
「……これ、治ってるのか?」
俺は岩の隙間に身を潜めたまま、意識を傷口へ集中させた。
引きちぎられた部分へ、周囲の身体がゆっくりと集まっていく。
まるで粘土で穴を塞ぐように、欠けた場所が少しずつ埋まっていった。
痛みも徐々に薄れていく。
「おお……すげえ」
思わず感心してしまった。
普通の人間なら、身体の一部を失ったら大怪我どころでは済まない。
それが、この身体では自然に塞がっていくのだ。
原初種。
ゲームの設定画面で見た、あの種族名を思い出す。
確か、決まった形を持たず、捕食によって様々な性質を取り込める種族だった。
こんな回復能力まであるとは思わなかったが……。
「……ん?」
ふと、妙なことに気づいた。
傷口は塞がっている。
だが、身体全体が小さくなっていないか?
試しに、岩の隙間いっぱいに身体を広げてみる。
さっきまで触れていた岩肌に、端が届かない。
「……なるほど」
どうやら、失った部分が新しく生えているわけではないらしい。
残った身体を移動させて、傷口を塞いでいるのだ。
つまり、怪我は治っても、失った身体そのものは戻らない。
しかも、回復が進むにつれて空腹感が強くなっていた。
「便利だけど、無敵ってわけじゃないのか」
まあ、当然か。
何でも簡単に治るなら、さっきの化け物にだって勝てるかもしれない。
……いや、無理だな。
あの大きさは反則だ。
思い出すだけで身体が縮こまる。
岩を砕く衝撃。
引きちぎられた瞬間の痛み。
そして、何もできずに逃げ回るしかなかった恐怖。
もう2度と、あんな目には遭いたくない。
「……食わないとな」
今の俺に必要なのは食事だ。
身体を維持するためにも、強くなるためにも。
幸い、岩の隙間は奥へ続いている。
あの化け物が入り込めない場所なら、少なくとも少しは安全だろう。
俺は身体を細長く伸ばし、ゆっくりと奥へ進み始めた。
狭い通路は、思った以上に入り組んでいた。
岩の表面には小さな凹凸があり、ときおり身体を引っかけそうになる。
それでも骨のない身体には、それほど大きな障害ではない。
薄く広がれば、わずかな隙間でも通り抜けられる。
「これ、人間だったら絶対無理だよな」
便利な身体だ。
見た目については、あまり考えないことにしよう。
しばらく進んだところで、《微振動感知》が反応した。
……カリ。
……カリカリ。
何かが岩を引っかいている。
しかも、かなり近い。
「……獲物か?」
俺は動きを止め、振動の方向へ意識を向けた。
小さな生物らしい。
大きさまでは正確に分からないが、さっきの化け物とは比べものにならないほど軽い動きだ。
ただ、今まで捕食した虫とは少し違う。
動くたびに、硬いものが岩と擦れるような振動が伝わってくる。
「……何だろうな」
興味はある。
だが、油断はしない。
小さくても、危険な生物かもしれないからだ。
俺は岩肌に身体を密着させ、少しずつ近づいた。
そして、身体の先端を慎重に伸ばす。
……コツン。
何かに触れた。
「……硬っ」
思わず先端を引っ込めた。
触れたものは、まるで小石のように硬かった。
だが、次の瞬間、その小石が動いた。
カリカリカリッ!
細かな振動が一気に広がる。
「うおっ!?」
反射的に身体を縮める。
どうやら、相手も俺に気づいたらしい。
そいつは岩の上を素早く移動し、こちらから距離を取った。
……逃げた?
いや、まだ近くにいる。
細かな振動が途切れない。
「……もしかして、こっちを警戒してる?」
俺は考えた。
このまま追いかけても、今の身体では追いつけそうにない。
それに、あの硬さだ。
仮に捕まえたとしても、うまく捕食できるか分からない。
だったら……。
「待ち伏せしてみるか」
俺は岩の表面に身体を薄く広げた。
《粘着性》を意識し、接触面をしっかり固定する。
そのまま動きを止めた。
以前、人間だった頃に見た、罠を張る虫の動画を思い出す。
あれは獲物が近づくまで、じっと待っていた。
俺も同じことをすればいい。
……まあ、今の俺がどんな姿になっているのかは考えたくないが。
しばらくすると、振動が戻ってきた。
カリ。
カリカリ。
ゆっくりと、慎重に。
硬い身体を持つ何かが、岩の上を歩いている。
俺は動かない。
もう少し。
もう少し近くへ。
……コツ。
身体の端に、硬いものが触れた。
「今だ!」
俺は一気に身体を広げた。
ぐにゃりと伸びた身体が、相手の上へ覆いかぶさる。
同時に《粘着性》を強めた。
カリカリカリカリッ!
「うおおっ! 暴れるな!」
獲物が激しく抵抗する。
硬い脚のようなものが、身体の内側を何度も引っかいた。
痛い。
だが、さっきの化け物に引きちぎられたときほどではない。
俺は必死に身体を押しつけた。
逃がすわけにはいかない。
今度こそ、俺が食う側だ。
「よし……捕まえた!」
何とか相手の動きを封じることには成功した。
しかし。
「……あれ?」
捕食が進まない。
いつもなら、獲物を包み込むと少しずつ身体が溶けるように取り込まれていく。
だが、今回は違った。
硬い表面が邪魔をして、なかなか内側まで届かないのだ。
「ちょっと待て。これ、食えないのか?」
せっかく捕まえたのに?
いやいや、それは困る。
俺は身体の内側で、必死に獲物の表面を探った。
硬い。
とにかく硬い。
小石のような部分がいくつも重なっている。
どうやら、甲殻のようなものに全身を覆われているらしい。
「……甲虫みたいなやつか?」
もちろん、姿は見えない。
だが、触れた感覚から何となく想像できた。
硬い外側。
複数の脚。
細かく動く身体。
少なくとも、今まで食べた柔らかい虫とは別物だ。
「どっかに柔らかいところ、ないのか……?」
俺は身体をさらに薄く伸ばし、甲殻の隙間を探った。
すると。
「……お?」
硬い板と板の間に、わずかな段差があった。
そこへ身体の先端を差し込んでみる。
……入った。
「よし!」
わずかな隙間の奥には、柔らかい部分がある。
俺はそこへ意識を集中させた。
包み込む。
密着する。
ゆっくりと取り込む。
すると、今まで反応しなかった捕食が、ようやく始まった。
カリカリカリッ!
獲物が再び暴れる。
だが、もう遅い。
柔らかい部分から少しずつ取り込まれ、動きが弱まっていく。
そして、ついに。
……。
……静かになった。
「……ふぅ」
息なんてしていないのに、思わずため息をつく。
かなり苦労した。
小さな虫1匹に、ここまで手こずるとは思わなかった。
しかし、苦労しただけのことはあった。
身体の奥へ、今までとは違う感覚が流れ込んできたのだ。
熱い。
いや、熱いというより……重い?
何かが身体の表面へ集まろうとしている。
その感覚に意識を向けた瞬間、頭の中に情報が浮かび上がった。
《性質吸収》
新たな性質を獲得しました。
《硬質外皮》
「……きた!」
思わず興奮した。
硬質外皮。
名前からして、かなり役に立ちそうだ。
さっきの獲物が持っていた、あの硬い甲殻。
つまり、俺も身体を硬くできるようになったということか?
「試してみるか」
俺は身体の一部を岩の上へ伸ばした。
そして、《硬質外皮》を意識する。
……。
……ん?
何も変わらない。
「……あれ?」
もう1度。
今度は、身体の表面へ硬い殻を作るイメージで。
すると。
ぐぐっ……。
身体の先端に、妙な抵抗が生まれた。
普段なら自由に曲がる部分が、少しずつ動かしにくくなる。
「お……おお?」
俺はその部分を岩へ押しつけてみた。
コツ。
小さな硬い感触が返ってきた。
「できた!」
本当に硬くなっている!
もちろん、さっきの甲殻ほどではない。
それでも、今までの柔らかい身体とは明らかに違っていた。
これなら、攻撃を受けたときにも役立つはずだ。
「すげえな、原初種……!」
捕食した相手の性質を、自分の身体で使える。
改めて考えると、とんでもない能力だ。
これを繰り返していけば、いつかはあの大きな化け物にだって対抗できるかもしれない。
そんな期待が湧き上がった。
……だが。
「……ん?」
突然、身体が重くなった。
硬くした部分だけではない。
全体の動きが鈍くなっている。
「何だ、これ……?」
慌てて身体を縮めようとする。
しかし、先端がうまく曲がらない。
硬くなった部分が邪魔をしているのだ。
それに、妙に疲れる。
今まで感じていた空腹感が、さらに強くなっていた。
「……もしかして、維持するだけで負担がかかるのか?」
俺は《硬質外皮》を解除するように意識した。
すると、硬かった部分がゆっくりと柔らかさを取り戻した。
身体も再び動くようになる。
「なるほど……」
便利な能力だが、使い放題ではないらしい。
硬くすれば、それだけ身体を動かしにくくなる。
維持にも負担がかかる。
しかも、今の俺が硬くできたのは身体のほんの一部だけだ。
全身を覆う鎧なんて、到底作れそうにない。
「……でも、十分だな」
俺は小さく身体を揺らした。
今までの俺には、防御手段がなかった。
攻撃されたら逃げる。
それしかできなかった。
だが、これからは違う。
必要な部分だけ硬くすれば、相手の攻撃を受け止められるかもしれない。
少なくとも、何もできずに身体を引きちぎられるよりは、ずっといい。
「よし。もう少し練習してみるか」
俺は再び身体の先端を硬くした。
今度は、ほんの少しだけ。
コツ。
岩に当てる。
解除する。
もう1度硬くする。
今度は別の場所。
……うん。
できる。
まだ時間はかかるが、硬くする場所は選べるようだ。
ただ、身体の広い範囲を同時に硬くしようとすると、うまくいかなかった。
「欲張るなってことか」
まあ、仕方ない。
手に入れたばかりの能力だ。
少しずつ慣れていけばいい。
俺は練習を切り上げ、残った獲物の甲殻へ意識を向けた。
硬い部分も時間をかければ取り込めるらしく、少しずつ身体の中へ溶けていく。
だが、柔らかい部分に比べると、ずいぶん遅い。
「……食事も楽じゃないな」
それでも、今は貴重な栄養源だ。
残さず取り込むことにした。
身体の奥へ、じんわりと満たされる感覚が広がっていく。
さっきまでの強い空腹感が、少しだけ和らいだ。
そして、もう1つ。
傷ついて小さくなっていた身体が、ほんのわずかに膨らんだ気がした。
「……お?」
試しに身体を伸ばしてみる。
さっきより少しだけ、遠くまで届く。
「もしかして……食えば戻るのか?」
まだ確信は持てない。
ただ、捕食したものが身体の一部になっているのは間違いなさそうだった。
傷を塞ぐために失った分も、食事によって補えるのかもしれない。
「……いいじゃん」
少しずつ、この身体の仕組みが分かってきた。
捕食すれば、栄養を得られる。
相手によっては、新しい性質も手に入る。
そして、その性質を使えば、今までできなかったことができるようになる。
単純な仕組みだ。
だが、可能性は大きい。
「……もっと色々食べてみたいな」
思わず、そんなことを考えてしまった。
いや、もちろん危険な相手はごめんだ。
あんな化け物に襲われるのは、もう勘弁してほしい。
でも、今までとは少し違う。
この世界には、俺の知らない生物がたくさんいる。
そいつらがどんな性質を持っているのか。
捕食すれば、何ができるようになるのか。
そう考えると、恐怖だけではなく、少しばかり好奇心も湧いてくる。
「……ま、まずは生き残ることだな」
俺は身体を小さくまとめた。
そして、岩の隙間の奥へ意識を向ける。
《微振動感知》には、まだ細かな振動がいくつか届いていた。
どうやら、この狭い通路にも小さな生物が生息しているらしい。
今の俺にとっては、ありがたい話だ。
焦らず、確実に。
少しずつ捕食を重ねて、できることを増やしていこう。
そう決めて、俺は再び動き始めた。
……その直後。
カツン。
身体の先端が、何か硬いものにぶつかった。
「……ん?」
岩ではない。
さっき食べた獲物とも、少し感触が違う。
しかも。
カツン、カツン。
同じような振動が、別の方向からも届いてきた。
「……まさか」
俺は身体を縮め、慎重に周囲を探った。
硬いものが岩を叩く振動。
それが、あちこちから伝わってくる。
1つ。
2つ。
3つ……。
「……おいおい」
どうやら、さっきの獲物は1匹だけではなかったらしい。
岩の隙間の奥には、同じような硬い身体を持つ生物が、何匹も潜んでいるようだった。
俺は少し考えた。
逃げるべきか。
それとも、もう少し近づくべきか。
……そして。
「……よし」
俺は身体を薄く広げ、《粘着性》を意識した。
今度は、さっきよりうまくやれる気がする。
もちろん、無理はしない。
危険だと思ったらすぐに逃げる。
だけど。
「……せっかく見つけたんだしな」
俺はゆっくりと、振動のする方向へ進み始めた。
今の俺は、まだ弱い。
それでも。
ただ食われるのを待つだけの生き物で終わるつもりはなかった。




