最後の1個は抜くな!
第2部 第31話 最後の1個は抜くな!
エルデ村に戻ったとき、俺は珍しく、真っ先に炭焼き小屋へ帰りたいと思っていた。
理由は簡単だ。
疲れた。
それも、かなり。
石切り場の調査へ出かけたはずが、地下から出てきた怪しい男たちを発見し、逃げようとした連中を捕まえ、おまけに崖から落ちかけた木箱まで引っ張ることになった。
俺の身体は便利だけど、便利だからといって疲れないわけじゃない。
特に《構造形成》を使いながら重いものを支えるのは、想像以上に消耗する。
人間だった頃なら、間違いなく筋肉痛コースだ。
「ノア、先に小屋へ戻っていいぞ」
村の広場で、ハルドが声をかけてくれた。
「捕まえた連中はこちらで預かる。サフィアさんと証拠品の確認も進めておく」
ありがたい。
俺は身体を上下させたあと、村の外れへ向かった。
途中で何人かの村人に声をかけられたけど、触手を振って挨拶するだけにしておく。
今の俺に長話は無理だ。
そもそも、元気でも長話できないんだけど。
……早く普通に喋れるようになりたいな。
炭焼き小屋へ戻ると、聞き慣れた声が迎えてくれた。
「遅かったではないか」
ルナだ。
声のする方へ身体を向ける。
「随分と時間がかかったようだが、何かあったのか?」
俺は少し考えた。
いろいろあった。
ありすぎた。
どこから説明すればいいのか分からない。
とりあえず発声用の空洞を作り、短く答えてみる。
「……つ、かれ……た」
「……貴様、何をしてきた?」
うん。
そうなるよね。
俺は床に身体を広げた。
もう説明する気力もない。
「おい、返事をせぬか」
ごめん。
ちょっと休ませて。
そのまま動かずにいると、ルナが小さく息を吐いた。
「まったく。どうせ、また余計なことまでしたのであろう」
……何も言い返せない。
「まあよい。今は休んでおけ」
珍しく、それ以上は追及されなかった。
ルナなりに、俺の疲れ具合を察してくれたのかもしれない。
ありがたいことだ。
俺は身体を丸め、静かに休むことにした。
しばらくして。
小屋の扉が開く音がした。
「ノアー! 戻ってきたって聞いたよ!」
エマだ。
元気だなあ。
こっちは今、床と一体化したい気分なんだけど。
「マルタさんから、様子を見てくるように言われたの。今日はずいぶん無理したんでしょ?」
……情報が早い。
俺は身体の端を少し持ち上げた。
「ちょっと待ってね。傷が開いてないか確認するから」
エマの手が、俺の身体へ慎重に触れる。
以前なら、人間に身体を調べられるだけで緊張していた。
今はもう、だいぶ慣れた。
もちろん、誰にでも触らせるわけじゃない。
エマやマルタなら信用できる、という話だ。
「うん。外側に新しい傷はなさそう。でも、今日はもう大きく身体を変えたりしないでね」
俺は素直に触手を上下させた。
「本当かなあ?」
エマが笑う。
「貴様の信用は、随分と低いようだな」
ルナまで余計なことを言ってくる。
いや、否定はできないけどさ。
「それより、ルナ。今日は脚の調子どう?」
エマが話題を変えた。
「昨日よりはよい。痺れも少し軽くなった」
「よかった! でも、まだ勝手に歩いちゃ駄目だからね」
「分かっておる」
「昨日も同じこと言って、寝床から動こうとしてたでしょ?」
「……少し位置を変えようとしただけだ」
「マルタさんに怒られたよね?」
「……あれは大げさなのだ」
おお。
珍しくルナが押されている。
俺は床に身体を広げたまま、こっそり触手を揺らした。
「貴様、笑っておるな?」
……なぜ分かる。
目が見えなくても、こういうときのルナの勘の鋭さは恐ろしい。
「まあ、2人とも大人しくしててね。今日は休養日!」
エマがそう言ったところで、再び扉が叩かれた。
「失礼します」
サフィアの声だった。
「ノアさんとルナさんに、少し相談したいことがあるんですが」
エマがすぐに返事をする。
「ノアは今、休んでるところですよ」
「長くはかかりません。先ほど回収した石について、お話を聞きたくて」
石。
俺は身体を持ち上げた。
あれか。
……うん。
ちょっと気になる。
「ノア、休んでなくていいの?」
エマの問いかけに、俺は触手を左右へ動かした。
聞くだけなら大丈夫だろう。
たぶん。
「まったく、貴様というやつは」
ルナが呆れたように言う。
「気になるものがあると、疲れも忘れるのだな」
いや、忘れてはいない。
ちゃんと疲れてる。
でも、それとこれとは別なんだよ。
サフィアが小屋へ入ってきた。
どうやら、回収した石の一部を持ってきたらしい。
「ハルドさんの許可を得て、調査用に借りてきました。ノアさんにも確認していただけますか?」
俺は触手を伸ばした。
「ありがとうございます」
石が床に置かれる。
硬い音が2回。
どうやら、例の破片を2つ持ってきたようだ。
「石切り場の古い記録と照らし合わせているんですが、少し気になることがありまして」
「何だ?」
ルナが尋ねる。
「この石、単なる装飾品ではない可能性があります」
……ほう。
俺は石の表面へ触手を伸ばした。
ざらついた外側。
滑らかに磨かれた部分。
そして、欠けた輪に似た模様。
昨日……いや、今日の朝も触ったばかりだ。
だが、改めて調べてみると、気になる部分があった。
石の裏側だ。
こちらには模様がない。
その代わり、細長い溝が何本か刻まれている。
しかも、ほとんど同じ方向へ伸びていた。
俺は触手の先を細くして、溝をなぞってみる。
……ん?
妙だな。
溝の片側だけ、少し削れている。
反対側は比較的滑らかなのに、こちらには小さな段差がいくつもある。
これって……。
「どうしました?」
サフィアが尋ねた。
俺は溝の部分を軽く叩いた。
「そこですか?」
肯定する。
彼女が指先で確かめる。
「……なるほど。確かに細かい傷がありますね」
「何か分かったのか?」
ルナの問いに、サフィアは少し考えてから答えた。
「この石が、別の構造物と接触していた可能性があります。同じ方向に擦れた跡があるんです」
そう。
俺もそれが気になった。
ただの飾りなら、裏側をこんな形に加工する必要があるんだろうか。
「古い建物の石材にも、組み合わせるための溝が刻まれていることがあります。ただ、これは少し変わっていますね」
サフィアが2つの石を組み合わせる。
――カチッ。
小さな音がした。
「このように繋がります。ですが、まだ端が途切れているんです」
「つまり、残りの部分があるということか」
「はい。おそらく、あと1つ以上は」
……あと1つ。
俺は今朝、捕まえた男が言っていた言葉を思い出した。
『欠けてるのは、最後の1つだけだ』
もしかして、これのことか?
「……ルナ」
俺は小さく声を出した。
「何だ?」
「……い、し……」
「石がどうした?」
言葉が続かない。
発声用の構造が崩れかける。
くそっ。
こういうとき、本当に不便だな。
俺は諦めて触手を使った。
石を軽く叩き、それから床を叩く。
続けて、触手を細く伸ばして何かを引き抜くように動かしてみた。
「……何をしておる?」
分からないか。
まあ、そうだよな。
「何かを引き抜く動作でしょうか?」
サフィアが言った。
おお!
さすが!
俺は大きく身体を上下させた。
「石を引き抜く……?」
サフィアがしばらく黙り込む。
やがて、何かに気づいたように声を上げた。
「そうか。取り外したときについた傷……」
彼女が再び石を手に取った。
「この石、何かに差し込まれていたのかもしれません」
「差し込まれていた?」
「はい。溝の摩耗が一方向に偏っています。もし固定されていた石を無理に引き抜いたなら、こういう傷ができてもおかしくありません」
なるほど。
そういうことか。
俺の考えと近い。
ただ、そこでルナが別の疑問を口にした。
「待て。その石は、どこから運び出されたのだ?」
「石切り場の地下からです。詳しい場所までは分かっていませんが」
「そして、地下には開けようとしている扉があるのであろう?」
「はい」
ルナは少し黙った。
それから、静かに言った。
「……妙ではないか」
「何がでしょう?」
「扉を開くための道具ならば、なぜ外へ運び出す?」
……あ。
言われてみれば。
鍵を集めて扉を開くつもりなら、普通は鍵を扉のところへ持っていく。
それなのに、男たちは地下から石を運び出していた。
もちろん、別の場所で組み立てるつもりだった可能性もある。
だが、もしそうじゃなかったら?
「最初から、そこにあった石を取り外しているのではないか?」
ルナが続ける。
「それも、何かを閉じておくための石をな」
小屋の中が静かになった。
……なるほど。
確かに。
扉を開く方法には、鍵を使う以外にもいろいろある。
例えば、扉を固定している留め具を外す。
あるいは、開かないように支えている石を取り除く。
それなら、地下から石を運び出している理由も説明できる。
「……興味深い考えです」
サフィアが慎重に答えた。
「ただ、今の段階では、これが扉の一部だったかどうかも分かっていません」
「無論、我も断定しておらぬ」
ルナが言う。
「だが、我が探していた『閉ざされた道』という言葉には、単に道が塞がれている以上の意味があるのかもしれぬ」
……ん?
俺はルナの方へ身体を向けた。
その言い方。
ちょっと気になるぞ。
「ルナさんは、その道について何かご存じなんですか?」
サフィアが尋ねる。
「古い記録で存在を知っただけだ。詳しい場所も、何のために閉ざされたのかも分からぬ」
「それなのに、北の岩山まで調べに来たんですか?」
「……我なりに確かめたいことがあったのでな」
ルナの返事は、いつもより少し短かった。
サフィアはそれ以上追及しなかった。
俺も、今は聞かないことにする。
いつか話してくれるだろう。
たぶん。
「ともかく、石の用途を決めつけるのは危険ですね」
サフィアが話を戻した。
「古い記録に描かれていたものと照合してみます。模様の形が一致すれば、もう少し手がかりになるかもしれません」
俺は触手を上下させた。
それなら、ぜひお願いしたい。
……俺には文字も読めないし。
こういうとき、知識のある仲間がいるのは本当にありがたい。
その後、サフィアは石を丁寧に布で包んだ。
「ありがとうございました。ノアさんのおかげで、傷の特徴に気づけました」
いやいや。
俺は触っただけだ。
でも、役に立てたなら嬉しい。
「それと、今日の調査はここまでにしましょう」
サフィアが付け加えた。
「ノアさんは休養が必要ですし、石切り場の方も増援が来るまでは大きく動けません」
俺は素直に身体を丸めた。
うん。
今日はもう休もう。
さすがに疲れた。
「そうしておけ」
ルナも同意する。
「貴様が倒れたら、我まで面倒を見る羽目になる」
……いや。
今のところ、どちらかといえば俺が世話をしてるんだけど。
まあ、言わないでおこう。
そもそも言えないし。
サフィアが小屋を出ていくと、エマも薬の準備へ戻っていった。
再び、俺とルナだけになる。
「……ノア」
しばらくして、ルナが声をかけてきた。
俺は身体の端を持ち上げる。
「貴様、あの石についてどう思う?」
……どうって。
そうだな。
俺は少し考えた。
もし、あの石が扉を閉じておくための部品だったとしたら。
男たちは、それを地下から運び出している。
そして、残りは最後の1つ。
つまり。
俺はゆっくり触手を伸ばし、床へ円を描くように動かした。
円の途中で触手を止め、そこから内側へ短く動かす。
欠けた輪の印。
ルナが小さく唸った。
「その印か」
俺は肯定する。
「我も気になっておる。捕獲道具にも石にも同じような印があるのなら、何かしらの関係はあるのであろう」
そうなんだよな。
ただの商会の印にしては、あちこちで出てきすぎる。
しかも、古い遺構の調査記録にも似た形があったらしい。
「……だが、まだ分からぬことが多すぎる」
ルナが静かに言った。
「貴様、焦るなよ」
俺は触手を下げた。
「今の貴様には、我らのように物を見ることも、自由に言葉を交わすことも難しい。だからといって、無理に全部を補おうとするな」
……ん?
珍しいな。
ルナがこんなことを言うなんて。
「貴様には貴様の得意なことがある。それだけで十分であろう」
少し照れくさくなる。
いや、今の俺に頬なんてないけど。
「それに、我の脚が治れば、また一緒に動ける」
……そうだな。
俺は身体を伸ばし、ルナの前脚へ軽く触れた。
「……うん」
今度は、比較的きれいに声が出た。
「ふん」
ルナが小さく鼻を鳴らす。
「返事だけは上手くなったな」
それ、褒めてる?
まあ、いいか。
俺はそのまま身体を丸め、ようやく休むことにした。
ところが。
静かな時間は、あまり長く続かなかった。
――ドンドン!
小屋の扉が強く叩かれる。
「ルナ! ノア! いるか!」
ハルドの声だ。
……嫌な予感がする。
俺は身体を持ち上げた。
「どうした?」
ルナが尋ねる。
「石切り場の方で異変があった」
その言葉に、俺の意識が一気に覚めた。
「北の荷下ろし場を見張っていた警備隊員が戻ってきた。待ち合わせの相手は現れなかったが、石切り場の方角から大きな音が聞こえたらしい」
……大きな音?
「崩落か?」
「分からん。ただ、そのあと妙なことが起きた」
ハルドの声が低くなる。
「石切り場から流れてくる水が、急に濁り始めたそうだ」
水が?
俺は身体を伸ばした。
地下には水路がある。
石切り場のさらに奥にも、水が流れている場所があったはずだ。
「それだけじゃない」
ハルドが続ける。
「水量も増えているらしい。普段はほとんど流れない古い水路から、かなりの勢いで水が出てきているそうだ」
……待て待て。
それって、まずくないか?
地下のどこかで、水の流れが変わったということだろう。
何が原因なんだ?
壁が崩れた?
それとも、誰かが水路を開いた?
俺の頭に、さっきの石が浮かぶ。
一方向に削られた溝。
何かから引き抜いたような傷。
そして、最後の1つ。
まさか……。
「サフィアさんも同じことを考えていた」
ハルドが言った。
「もし地下の構造を支えていた石を外しているのなら、通路だけでなく水路にも影響が出るかもしれないとな」
ルナが低く唸る。
「……愚かなことを」
「まだ原因は分からない。だが、村の北側に流れ込む水もある。念のため、警備隊で確認する」
なるほど。
地下の事件が、村の生活にまで影響し始めたわけか。
これは、さすがに放っておけない。
俺は反射的に身体を伸ばした。
「ノア」
ルナの声が飛ぶ。
「貴様、どこへ行くつもりだ?」
……いや。
ちょっと様子を。
「休んでおれ」
はい。
即答だった。
「ハルドも、こやつを連れていくつもりではあるまいな?」
「もちろんだ。今日は十分働いてもらったからな」
……ですよね。
俺は大人しく身体を丸めた。
こういうとき、みんな妙に息が合うんだよな。
ハルドが小屋を出ていくと、再び静かになった。
だが、もう眠る気にはなれなかった。
水路の異変。
地下に残っている何者か。
そして、取り外された石。
もし、あの石が何かを閉じておくためのものだったとしたら。
最後の1つが外されたとき、何が起こる?
「……ノア」
ルナが静かに呼びかけた。
「嫌な予感がするな」
俺も同じだ。
ただ、1つだけはっきりしている。
あの連中が地下で何をしているにせよ。
これ以上、好き勝手にさせるわけにはいかない。
俺は小さく身体を上下させた。
……それにしても。
頼むから、その最後の石だけは抜かないでくれよ。
なんとなくだけど。
絶対、ろくなことにならない気がする。




