知らない荷物は運ぶな
第2部 第30話 知らない荷物は運ぶな
「……追うぞ」
岩陰から、ハルドの低い声が聞こえた。
「ただし、ここでは仕掛けない。地下に何人残っているか分からんからな」
俺は小さく身体を上下させた。
賛成だ。
相手は少なくとも2人。こちらにはハルドとセインがいるし、俺だって多少は戦える。
ただ、地下に仲間が残っているなら話は別だ。
石板を開けて増援がぞろぞろ出てきたら、さすがに面倒なことになる。
「セイン、お前はここに残って出入口を監視しろ。何かあっても単独では追うな」
「了解です」
「サフィアさんは俺と来てください。危険なら無理せず下がってもらいます」
「分かりました」
指示が決まると、俺たちは男たちが向かった斜面を追い始めた。
もっとも、俺には姿が見えない。
《微振動感知》で足音を追いながら、岩や木の根に触れて地形を確かめる。
少し先から、重いものを引きずるような振動が伝わってきた。
どうやら男たちは、何かを運んでいるらしい。
「……箱ですね」
サフィアが小声で教えてくれた。
「木製の長い箱です。金具がついていて、2人で両端を持っています」
ほう。
怪しい地下通路から出てきた男たちが、怪しい木箱を運んでいる。
しかも、さっきの会話では狐や鍵の話までしていた。
いやあ、実に分かりやすい。
これで中身が普通の野菜だったら、逆に驚くぞ。
「重すぎるんだよ、これ」
前方から男の不満そうな声が聞こえた。
「文句を言うな。運べば金がもらえる」
「こんな石ころみたいな重さのもん、何に使うんだ?」
「知らねえよ。余計なことを聞くなって言われただろ」
……ん?
石ころ?
本当に石が入っているのか?
いや、重さの例えかもしれないけど。
「それより、次の連中はちゃんと来るんだろうな?」
「昼前には合流する手はずだ。俺たちは荷物を渡せば終わりだよ」
なるほど。
どうやら、この先に受け取り役がいるらしい。
つまり、今ここで捕まえなければ、荷物は別の人間に渡ってしまう。
ハルドも同じことを考えたのだろう。
足音が止まった。
「……ここで押さえる」
短い指示のあと、ハルドが岩陰から出た。
「エルデ村の警備隊だ! その荷物を下ろせ!」
途端に、前方の足音が乱れた。
「なっ、なんでこんな所に!」
「いいから逃げろ!」
2人が同時に動いた。
木箱が地面へ落ちる。
――ドンッ!
結構な衝撃だ。
いや、ちょっと待て。
その箱、斜面の方へ動いてないか?
「まずい、箱が!」
サフィアの声と同時に、木箱が石の上を滑り始めた。
男たちが慌てて手放したせいで、傾斜のある場所へ落ちたらしい。
そして、どうやらこの先はかなり急な斜面になっている。
俺は反射的に身体を伸ばした。
《構造形成》で細い触手を作り、転がり始めた木箱へ伸ばす。
届いた!
《粘着性》で箱の金具に貼りつき、反対側の触手を近くの岩へ固定する。
よし、これで――
――ぐいっ!
うおっ!?
重っ!
木箱が引っ張る力で、俺の身体が細長く伸びた。
まずい。
これ、無理に支えたら身体がちぎれるんじゃないか?
「ノアさん!」
サフィアが駆け寄ってくる足音がした。
「そのまま少しだけ支えてください!」
いや、できれば早くお願いしたい!
サフィアが木箱の横へ回り込み、近くに落ちていた太い枝を差し込む。
次の瞬間、木箱の動きが鈍った。
さらに枝を支点にして箱の向きを変え、斜面から離れる方向へ押し戻していく。
俺も身体を縮めながら、必死に引っ張った。
――ゴトッ。
ようやく木箱が止まる。
助かった。
俺はその場で身体を丸めた。
……重いものを引っ張るのって、思った以上に疲れるんだな。
今の俺には筋肉痛なんてないはずだけど、何となく全身がだるい。
一方、男たちの方では短い争いが起きていた。
「くそっ、離せ!」
「大人しくしろ!」
金属がぶつかる音。
続いて、男のうめき声。
「ぐあっ!」
ハルドが1人を押さえ込んだらしい。
もう1人は斜面を駆け下りようとしていたが、足を滑らせて転倒した。
俺は地面に身体を広げ、その振動を確かめる。
まだ立ち上がっていない。
……よし。
今なら間に合う。
「ハルド!」
俺は短く声を出した。
発音は少し崩れたが、相手には届いたらしい。
「どうした、ノア!」
俺は触手を伸ばし、逃げた男の方角を示した。
「そっちか!」
ハルドがすぐに動く。
男が起き上がる音がしたが、遅かった。
「動くな!」
低い怒声。
そのあと、男が地面へ押さえつけられる振動が伝わってきた。
……さすが警備隊長。
俺なんかより、よっぽど手際がいい。
ただ、最初に押さえられた男を放置して大丈夫なのかと思ったら、サフィアが教えてくれた。
「最初の方は、もう両手を縛られていますよ」
なるほど。
仕事が早いな。
しばらくして、ハルドが2人を連れて戻ってきた。
「全員、怪我はないな?」
「私は大丈夫です。ノアさんも、箱を止めてくれました」
「助かった。だが、無理はするなよ」
俺は身体を上下させた。
いや、本当に。
木箱に引きずられて崖から落ちるところだった。
ルナに知られたら、何を言われるか分からない。
……いや、どうせサフィアが報告するんだろうな。
隠し事はよくない。
うん。
覚悟しておこう。
「さて」
ハルドの声が低くなる。
「お前たち、何を運んでいた?」
「……知らねえ」
「知らない?」
「本当だ! 俺たちは運べって頼まれただけだ!」
片方の男が必死に訴える。
「中身を見たら報酬は払わねえって言われてたんだよ!」
……なんだそれ。
ずいぶん怪しい仕事だな。
普通、そんな条件を出された時点で断らないか?
いや、金額次第では引き受ける人間もいるのかもしれないけど。
「誰に頼まれた?」
「名前なんか知らねえよ。顔を隠した男だ」
「どこで会った?」
「石切り場の下だ。俺たちは荷物を地上へ運んで、指定された場所で渡すだけだった」
ハルドは黙って話を聞いている。
サフィアもすぐには質問せず、男の言葉が終わるのを待っていた。
すると、もう1人が口を開いた。
「俺たち、本当に何も知らねえんだ。狐がどうとか、鍵がどうとか、そんな話もあいつらが勝手にしてただけで……」
おっと。
自分から狐と鍵の話をしてくれたぞ。
ハルドが声を低くする。
「狐について、誰が何を話していた?」
「し、知らねえって!」
「今、自分で聞いたと言っただろう」
「だから、詳しいことは……」
男の言葉が詰まる。
どうやら本当に、事情をあまり知らないらしい。
ただし、怪しい荷物を運んでいたのは事実だ。
サフィアが木箱のそばへ膝をついた。
「この箱、開けても構いませんか?」
「証拠品になる。まずは外側を確認してくれ」
「はい」
サフィアは箱の周囲を調べ始めた。
俺も近づいて、触手で表面を確かめる。
硬い木材。
角には金属の補強。
そして、側面に何かの凹凸があった。
ん?
これは……。
俺は触手をゆっくり動かした。
円形の溝。
途中で途切れた部分。
そこから内側へ伸びる短い線。
……あ。
もしかして。
「サフィア」
呼びかけると、彼女がすぐに反応した。
「はい、どうしました?」
俺は箱の側面を触手で数回叩いた。
「ここですか?」
肯定する。
「……これは」
彼女の声が変わった。
「ハルドさん。例の印があります」
やっぱり。
欠けた輪の印。
捕獲網にも、鉄の檻にも、狐たちの首輪にもついていたものだ。
今度は運搬用の木箱。
もう偶然では片づけられない。
「箱を開けよう」
ハルドが判断した。
ただし、すぐに蓋を外すわけではなかった。
まず箱を平らな場所へ移し、周囲を確認する。
それから金具を調べ、仕掛けがないかを慎重に確かめていく。
俺も手伝おうかと思ったが、サフィアに止められた。
「ノアさんは少し離れていてください。中に何があるか分かりませんから」
……はい。
さっき箱を止めようとして無茶をしたばかりなので、今回は大人しくしておこう。
やがて、金具が外れる音がした。
――ギィ……。
木箱の蓋が開く。
しばらく、誰も喋らなかった。
おいおい。
何が入ってるんだ?
こっちは見えないんだから、何か言ってくれよ。
「……石?」
最初に口を開いたのはハルドだった。
「本当に石が入っているのか」
えっ。
マジで?
さっきの男、石ころみたいに重いって言ってたけど。
本当に石なの?
「ただの石ではありません」
サフィアが答える。
「加工されています。それも、かなり丁寧に」
「何に使うものだ?」
「まだ分かりません。ただ、表面に何かの模様があります」
サフィアが中身を1つ取り出した。
硬いものが布の上に置かれる音がする。
「ノアさん、触ってみますか?」
俺はすぐに近づいた。
石の表面へ、細い触手を伸ばす。
ざらついた感触。
一部は滑らかに磨かれている。
形は細長く、片側が斜めに削られていた。
そして、表面には複数の溝がある。
俺はその溝を1つずつなぞっていった。
曲線。
直線。
途中で途切れる細い溝。
……何だろう。
模様というより、何かの部品みたいだ。
「もう1つ、同じような石がありますね」
サフィアが別の石を取り出す。
2つを並べ、向きを変えながら確かめているらしい。
「……あら?」
その声に、ハルドが反応した。
「どうした?」
「少し待ってください」
石同士が擦れる音がする。
やがて、小さく乾いた音がした。
――カチッ。
「……合いました」
「何がだ?」
「この2つの石です。切断面がぴったり重なります。元は1つの石だったようです」
なるほど。
つまり、割れた石を運んでいたわけか。
「ですが、気になることがあります」
サフィアが続ける。
「この模様……欠けた輪の印に似ています」
俺は思わず身体を伸ばした。
サフィアが石を手元へ寄せてくれる。
「ノアさん、この部分を触ってみてください」
触手を伸ばす。
曲線の溝。
そこから内側へ向かう短い線。
そして、曲線の一部が途切れている。
……あれ?
この形、さっき箱で触ったものと似ている。
いや、ほとんど同じだ。
ただし、こっちはずっと大きい。
「同じ印なのか?」
ハルドが尋ねる。
「形は非常によく似ています。ただ、まだ断定はできません」
サフィアはそう答えたあと、少し考え込んだ。
「箱の印は小さく刻まれています。でも、この石の模様は、元々もっと大きな図柄の一部だったように見えるんです」
「どういう意味だ?」
「この石だけでは模様が完結していません。ほかにも組み合わさる部分があった可能性があります」
……なるほど。
つまり、箱や首輪に刻まれていた印には、元になった大きな模様があるのかもしれない。
それが本当なら、この石はかなり重要な証拠だ。
「石の切断面も新しいですね」
サフィアが言った。
「外側はかなり古い石材なのに、割れた部分にはほとんど汚れがありません。最近になって切り離されたものだと思います」
ハルドが低く唸った。
「石切り場の地下から運び出したということか」
「可能性は高いです。ただし、どの場所から持ち出したものなのかは、現場と照合する必要があります」
なるほど。
石切り場で最近削られたような穴が見つかっている。
その近くから、古い模様の刻まれた石が運び出されてきた。
しかも、運んでいた人間は狐と鍵の話を知っている。
……うん。
ますます怪しい。
「おい」
ハルドが捕まえた男たちへ向き直った。
「この石をどこへ運ぶ予定だった?」
「北の古い荷下ろし場だよ。そこで別の連中に渡す約束だった」
「誰が受け取る?」
「知らねえ。向こうから声をかける手はずだった」
「何時だ?」
「昼前だって言われただけだ!」
男は半ば叫ぶように答えた。
どうやら、かなり怖がっているらしい。
無理もないか。
荷物を運ぶだけのつもりが、村の警備隊に捕まったんだからな。
とはいえ、怪しい仕事に手を出したのは本人たちだ。
そこは仕方ない。
「隊長!」
離れた場所から、セインの声がした。
石板の監視を終えて戻ってきたらしい。
「出入口に動きがありました!」
ハルドがすぐに振り返る。
「何があった?」
「石板が内側から閉じられました。そのあと、何かを打ちつけるような音が続いています」
……ん?
打ちつける?
「石板を固定しているのかもしれません。こちらからは開けられないようにするつもりでしょうか」
サフィアが呟く。
確かに、それなら納得できる。
運び屋たちが戻らないことを警戒したのか。
あるいは、最初から荷物を運び終えたら出口を塞ぐ予定だったのか。
どちらにしても、連中は地下に残っている。
「これ以上、ここに留まるのは危険だな」
ハルドが判断した。
「セイン、2人を村へ連行する。サフィアさん、証拠品の確認は村に戻ってからお願いします」
「分かりました。石の配置を変えないように運びましょう」
俺も手伝おうと思ったが、今度はハルドに止められた。
「ノア、お前はもう十分働いた。無理するな」
……はい。
さすがに2回も止められたら、大人しくするしかない。
その後、男たちを連れて村へ戻ることになった。
木箱はハルドとセインが運び、サフィアが周囲を警戒する。
俺はその後ろをついていった。
幸い、帰り道で新たな襲撃はなかった。
村が近づいてきた頃、サフィアがふと口を開いた。
「……少し、考えが変わりました」
「何についてだ?」
ハルドが尋ねる。
「彼らの目的です」
サフィアは続けた。
「これまでは、地下の奥にある何かを開こうとしていると考えていました」
それは、俺たちも同じだ。
大きい白狐を捕らえた雇い主が言ったという言葉。
『これで、奥を開けられる』
あれを聞けば、普通はそう思う。
「ですが、今回の石を見ると、別のことも考えられます」
「別のこと?」
「彼らは、奥へ進むために何かを探しているだけではなく……すでに存在する構造物を、少しずつ取り外しているのかもしれません」
……取り外している?
俺はサフィアの言葉を頭の中で繰り返した。
「古い遺構には、扉や通路を塞ぐための仕組みが残されている場合があります。もし、あの石がそうした構造の一部だったとしたら……」
「壊している可能性もある、ということか」
「はい。ただ、何のために取り外しているのかは分かりません。通路を開くためなのか、石そのものが目的なのか、それとも別の理由があるのか」
なるほど。
確かに、扉を開ける方法は鍵を使うだけじゃない。
鍵がなければ、周りの壁を壊すという手もある。
……いや。
待てよ。
そうなると、大きい狐の力を使おうとしていた理由は何なんだ?
あの衝撃なら、頑丈な石壁を壊すこともできるかもしれない。
でも、そこまでして奥へ進もうとする理由は?
それに、男たちが話していた『もう1つの鍵』。
あれは何を指しているんだろう。
考えれば考えるほど、分からないことが増えていく。
「……面白いですね」
サフィアが小さく呟いた。
いやいや。
あなた、楽しそうですね?
こっちは地下で何が起きているのか分からなくて、結構怖いんですけど。
「もちろん、危険な状況なのは理解しています。ただ、これまで別々に見えていた情報に、少しずつ繋がりができてきました」
……なるほど。
研究者って、こういう人のことを言うのか。
俺は何となく、エマが新しい薬草を見つけたときの反応を思い出した。
方向性は違うけど、好奇心の強さは似ている気がする。
そのとき、サフィアが俺へ声をかけた。
「ノアさん。村に戻ったら、もう1度あの石の模様を確認してもらえませんか?」
俺は身体を上下させた。
「ありがとうございます。あなたの触覚なら、表面の細かい溝も正確に確かめられそうです」
そう言われると、ちょっと嬉しい。
今まで、目が見えないことを不便に感じる場面は多かった。
だけど、触って確かめることなら、俺にもできる。
人間には分かりにくい小さな凹凸だって、身体の一部を細くすれば調べられる。
……まあ、細かい作業は集中力を使うんだけど。
それでも、役に立てるなら悪くない。
俺がそんなことを考えていると、捕まった男の1人がぼそりと呟いた。
「……あんたら、あの石を調べるつもりなのか?」
ハルドが足を止めた。
「当然だ。何か問題があるのか?」
「いや……」
男は言いよどんだ。
「何だ。言ってみろ」
「俺たちは中身を知らないって言っただろ。だから、あんたらが開けたとき、初めて石だって分かったんだ」
「ああ」
「けど、あの箱を渡されたとき、1つだけ言われたことがある」
俺も動きを止めた。
男の声が少し震えている。
「石は絶対に捨てるな。全部揃っていないと意味がないって」
……全部?
「それだけか?」
「いや……」
男は小さく息を吸った。
「欠けてるのは、最後の1つだけだって言ってた」
その場が静かになった。
俺は思わず、ハルドが運んでいる木箱へ触手を伸ばした。
中にあるのは、古い模様が刻まれた石の破片。
もし、それらが何かの仕組みを構成する部品だったとしたら。
残りの1つは、どこにある?
そして、全部揃ったら何が起こる?
サフィアが静かに尋ねた。
「その最後の1つについて、何か聞いていませんか?」
男は少し迷ったあと、首を振ったらしい。
「詳しくは知らねえ。ただ……」
「ただ?」
「あの狐を捕まえ損ねたとき、誰かが言ってたんだよ」
そこで、男は言葉を切った。
「……もう、石の方を使うしかないって」
俺は身体の動きを止めた。
狐。
石。
そして、奥にある扉。
これまで別々だと思っていたものが、少しずつ繋がり始めている。
だが、肝心なところはまだ分からない。
……どうやら俺たちは、思っていた以上に厄介な事件に首を突っ込んでしまったらしい。
それにしても。
こんな大事な荷物を、中身も知らずに運んでいたのか。
俺だったら絶対に断るぞ。
……いや。
好奇心に負けて、開けようとするかもしれない。
うん。
人のことは言えないな。




