石の下、通行中
第2部 第29話 石の下、通行中
「……つまり、石切り場の奥に、まだ誰かいるかもしれないと?」
「その可能性があります。ただし、光が見えたからといって、人がいると決まったわけではありません」
サフィアの説明を聞きながら、俺は炭焼き小屋の床に身体を広げていた。
石切り場の調査から戻ってきた彼女は、ハルドたちと確認したことを報告してくれている。
水路の向こうに新しくできた穴。その奥から漏れていた微かな光。そして、周囲に残された新しい石の傷。
どれも気になる話だ。
特に光。
俺にも《明暗感知》はあるけど、普通の人間みたいに景色が見えるわけじゃない。だから、サフィアが見たものを頭の中で組み立てるしかなかった。
「穴の大きさは、人が身をかがめれば通れる程度です。周囲の傷も、自然に崩れたものとは少し違っていました」
「誰かが掘ったということか」
ルナが低い声で尋ねる。
「そう考えるのが自然ですが、今は断定できません」
この人、本当に断定しないな。
いや、調査員としては正しいんだろうけど。
俺だったら、あんな場所で怪しい穴を見つけたら、ほぼ間違いなく誰かが掘ったと思ってしまう。
そして、気になって覗き込む。
……うん。俺が調査員だったら、たぶん長生きできない。
「それと、もう1つ気になることがあります」
サフィアが紙を広げる音がした。
「古い石切り場の記録を確認したところ、現在使われている通路とは別に、排水用と思われる経路が記されていました」
「排水路なら、今もあるのではないか?」
「それが、現在の地図には載っていないんです。古い記録でも、途中から線が途切れています」
なるほど。
昔はあったけど、今は使われていない道ってことか。
「明日、地上からその場所を調べようと思っています。地下へ入るつもりはありません」
サフィアが少し間を置いた。
「そこで、ノアさんに協力をお願いしたいんです」
おっと。
まさかのご指名。
「ノアさんは地面を伝わる振動に敏感なんですよね? もし地下に空洞があれば、何か感じ取れるかもしれません」
確かに、それなら俺にもできることがありそうだ。
もっとも、地面の下が何でも分かる便利な探知機というわけじゃない。距離が離れれば振動は弱くなるし、土や岩の状態によっても伝わり方が違う。
それでも、普通の人よりは役に立てるはずだ。
俺は触手を伸ばし、サフィアの手元に軽く触れた。
「協力してくれるんですか?」
床を1回叩く。
「ありがとうございます」
「待て」
すぐ隣からルナの声が飛んだ。
「貴様、また無茶をするつもりではあるまいな?」
失礼な。
俺だって、いつまでも無茶ばかりしているわけじゃない。
最近はちゃんと考えて行動している。
……たぶん。
「今回は地上からの調査だけです。危険があれば、すぐに引き返します」
サフィアが代わりに説明してくれた。
「我が心配しているのは、そこの軟体生物だ。好奇心に負けて穴へ入り込む姿が容易に想像できる」
信用がない。
いや、反論できないのが悲しい。
俺は身体の一部を細く伸ばし、空気を通すための小さな空洞を作った。
「……い、か……な……」
途中で音が崩れる。
うまくいかない。
もう1度。
「……いか、な……い」
「本当であろうな?」
床を力強く1回叩いた。
「ならばよい」
ルナはそう言ったあと、少しだけ声を和らげた。
「気をつけて行ってこい。貴様まで怪我をして戻ってきたら、我の世話をする者がいなくなるからな」
「ルナさん、それは心配しているということでしょうか?」
エマが楽しそうに尋ねる。
「当然であろう。今の我には、こやつの手助けが必要だからな」
「ふふっ、そういうことにしておきますね」
「……何がおかしい」
俺は2人のやり取りを聞きながら、発声用の構造をそっと崩した。
今の俺には、余計なことを言わないという選択肢がある。
というか、言いたくても簡単には言えない。
便利なのか不便なのか、微妙なところだ。
翌朝。
俺はサフィア、ハルド、セインの3人と一緒に、石切り場の北側へ向かっていた。
昨夜のうちに、マルタからも外出の許可をもらっている。
ただし、疲れたらすぐ戻ること。
身体に傷が残っている俺にとっても、無理は禁物らしい。
「この辺りのはずなんですが……」
サフィアが立ち止まる。
周囲には岩が多いらしく、足音が硬い地面に反響していた。
「昔はこの斜面から雨水を逃がしていたらしい。だが、今は使われていないぞ」
ハルドの説明に、セインが続ける。
「大雨のときだけ水が流れる溝なら、少し先にあります」
「そこを確認しましょう」
俺たちは斜面に沿って進んだ。
やがて、足元の感触が変わる。
細かな石が増え、地面には浅い窪みが続いていた。俺が身体を伸ばして確かめていると、セインが説明してくれる。
「ここが古い水の通り道だ。今はほとんど土で埋まってる」
なるほど。
俺は身体の一部を地面に密着させ、《微振動感知》へ意識を集中した。
最初に伝わってきたのは、3人の足音。
少し離れた場所で、風に揺られた枝が岩を叩いているらしい細かな振動。
そして、もっと下の方に、途切れ途切れの弱い揺れがあった。
水だろうか。
確信は持てない。
俺は少しずつ移動しながら、振動の伝わり方を比べてみた。
右側では弱くなる。
左側でも弱くなる。
だが、斜面の窪みに沿って進むと、また強くなった。
「ノアさん、何か見つかりましたか?」
サフィアの声が近づく。
俺は触手を伸ばし、窪みの先を指した。
「この先ですね?」
床を叩くわけにもいかないので、触手を上下に動かす。
サフィアも、だいぶ俺の反応に慣れてきたらしい。
「ハルドさん、少し調べてもいいですか?」
「ああ。ただし、足元には気をつけろ」
セインが先に進み、邪魔になっている枝をどけた。
その直後だった。
――ギ……。
妙な振動が伝わってきた。
俺は動きを止める。
今のは何だ?
水が流れる感触とは違う。
硬いもの同士が擦れたような、短く不規則な揺れ。
もう1度、意識を集中する。
――ギ、ギ……。
間違いない。
しかも、地面の下からだ。
俺は急いでセインの足元へ触手を伸ばし、靴を引っ張った。
「ん? どうした、ノア」
もう1度引っ張る。
「止まれってことか?」
大きく身体を上下させた。
セインが足を止める。
「隊長、ノアが何か気づいたみたいです」
ハルドとサフィアも近づいてきた。
俺は再び地面に身体を広げる。
今度は、振動が伝わってきた方向へ細い触手を伸ばした。
その先には、土に埋もれた硬いものがあった。
岩……いや、違う。
表面が妙に平らだ。
指先代わりの触手で縁をなぞっていくと、直線的な段差が続いている。
自然にできた岩とは思えない。
「ここですか?」
サフィアが尋ねた。
俺は触手の先で、その場所を数回叩いた。
ハルドが膝をつく。
「……石板か?」
「少し土を払ってみましょう」
セインが小さな道具で表面の土を取り除いていく。
俺には見えないが、2人の声から何かが現れたことは分かった。
「四角い石だな。周りとは積み方が違う」
「古い排水路の蓋かもしれませんね」
サフィアが答えたあと、少し声を低くした。
「……ですが、妙です」
「何がだ?」
「縁の一部だけ、削れた跡が新しいんです。周囲の石とは摩耗の仕方が違います」
新しい?
つまり、最近誰かが触ったということか。
そのとき、地面の下から再び振動が伝わってきた。
――ゴトッ。
今度は、はっきり分かった。
何かを置いたような衝撃。
続いて、擦れる音。
俺は反射的に身体を広げ、石板へ密着した。
いる。
下に、何かがいる。
ただの地下水じゃない。
硬い床を踏むような振動が、不規則に続いている。
しかも、近づいてくる。
「……まさか」
サフィアが小さく呟いた。
「ハルドさん。全員、石板から離れてください」
「どうした?」
「下に空間がある可能性があります。強度が分からない以上、この上に立つのは危険です」
なるほど。
そういうことか。
確かに、俺は軽いほうだと思うけど、人間3人分の重さがかかったら危ないかもしれない。
ハルドたちが後ろへ下がる。
俺も身体を縮めようとした。
だが、そのとき。
石板の端に、小さな隙間があることに気づいた。
細い触手なら入れられそうだ。
……いや、待て。
ルナと約束したばかりだろ。
穴には入らない。
でも、これは穴に入るわけじゃない。
触手を少し伸ばすだけだ。
我ながら、言い訳がうまくなってきた気がする。
俺は身体の一部を細く伸ばし、隙間へ差し込んだ。
少し進むと、触手の先が何もない空間へ出た。
やっぱり空洞だ。
しかも、思ったより深い。
そのまま《微振動感知》に集中すると、石板の下を何かが移動している振動が伝わってきた。
足音に似ている。
1つ。
いや、少し違う間隔でもう1つ。
複数いるのかもしれない。
さらに、差し込んだ触手の先で《明暗感知》を働かせる。
周囲は暗い。
だが、時折、弱い光が届いていた。
その明るさが揺れるように変化している。
光源が動いているのか、それとも何かが光を遮っているのか。
どちらにしても、地下に何かがあるのは間違いなかった。
俺は触手を引き戻し、サフィアの足元まで移動した。
「何かありましたか?」
俺は地面を叩いてから、石板を指す。
続けて、触手を2本立てて動かした。
「……2つ?」
違う。
いや、そうかもしれないけど。
どう伝えればいい?
俺は少し考えて、身体の内部に発声用の空洞を作った。
「……ひ、と……」
音が詰まる。
サフィアが動きを止めた。
「人?」
俺は勢いよく身体を上下させた。
「下に人がいるんですか?」
再び肯定する。
サフィアの息をのむ音が聞こえた。
「ハルドさん」
「ああ。俺も今、微かに音が聞こえた」
ハルドの声が低くなる。
「セイン、周囲を確認しろ。こちらの位置を悟られるな」
「了解」
セインが足音を抑えて離れていく。
サフィアはしばらく黙っていたが、やがて静かに口を開いた。
「この石板が地下への出入口だとすると、あの新しい穴とは別に、地上へ通じる道があることになります」
「そして、今も誰かが使っている可能性が高い」
「はい。ただ、地下の通路がどこまで繋がっているかは、まだ分かりません」
慎重な言葉だったが、声には緊張があった。
俺も同じだ。
石切り場の奥にあった光。
新しく削られた穴。
そして、今まさに地面の下を移動している何者か。
全部が繋がっているとは限らない。
けれど、無関係だと考えるには、少し出来すぎている。
「いったん引くぞ」
ハルドが判断した。
「地下に何人いるか分からん。出口なら、別の場所にもあるかもしれない。村へ報告して、周囲を固める」
「賛成です」
サフィアも頷いたらしい。
「ここを見張れる位置を確認してから戻りましょう」
俺たちが動き出そうとした、その瞬間だった。
――ガコン。
石板の下から、重い振動が伝わってきた。
さっきまでとは違う。
何かが内部で動き、硬い部品同士が噛み合うような感触。
続いて、金属が擦れる音。
「……待て」
ハルドが鋭く囁いた。
俺も動きを止める。
――ギギ……。
音は、石板のすぐ下から聞こえていた。
まずい。
これ、もしかして。
「……開く」
俺はどうにか短い音を絞り出した。
「何?」
「……あ、く……」
今度は少しだけ、はっきり言えた。
直後、サフィアが息をのんだ。
「ハルドさん! 石板が動いています!」
「全員、岩陰へ!」
俺たちは急いでその場を離れた。
ハルドとサフィアが身を隠し、セインも少し離れた場所から戻ってくる。
俺は近くの岩に身体を薄く張りつかせた。
《粘着性》のおかげで、こういう隠れ方は得意だ。
便利な身体だな、ほんと。
ただし、今は感心している場合じゃない。
石板が擦れる振動。
金属の音。
そして、すぐ下から伝わってくる足音。
やがて、石板が動く音が止まった。
誰かが地上へ出ようとしている。
俺は身体を岩に密着させたまま、じっと振動を探った。
そのとき、聞き慣れない男の声がした。
「……おい、本当にここでいいんだな?」
別の男が答える。
「ああ。石切り場の方は見張られている。こっちなら誰も来ないはずだ」
……なるほど。
向こうは、この出口が見つかっていないと思っているらしい。
残念だったな。
こっちには、地面に張りつく妙な生き物がいるんだよ。
もっとも、声を出して笑える状況じゃない。
俺は静かに身体を縮めた。
すると、最初の男が続けた。
「急げよ。あの狐を取り戻せなかった以上、せめて残りだけでも運び出さないと……」
狐。
その言葉を聞いた瞬間、俺の意識が男たちへ集中した。
間違いない。
こいつらは、あの事件に関係している。
男の声は、さらに続いた。
「それに、奥の扉が開く前に、あいつが戻ってきたら面倒だ」
……奥の扉?
あいつ?
聞きたいことが、一気に増えた。
隠れていた岩の向こうで、ハルドが小さく動く振動が伝わってくる。
サフィアも息を潜めているようだった。
ここで飛び出せば、相手を捕まえられるかもしれない。
でも、何人いるかも分からない地下へ逃げ込まれたら厄介だ。
俺は石板の方へ意識を戻した。
今は、焦るな。
相手の動きを確かめるんだ。
その直後。
地下から上がってきた男の1人が、思いがけないことを口にした。
「……なあ。そもそも、あの獣がいなくても、本当に扉は開くのか?」
「知るかよ。俺たちは言われた荷物を運ぶだけだ」
「でも、あの人は言ってたぞ」
少し間が空く。
「鍵は、もう1つあるって」
俺は、思わず身体を固くした。
鍵が、もう1つ?
あの大きな白狐だけが必要だったんじゃないのか。
……いや。
そもそも、狐が本当に鍵だったのかさえ分かっていない。
男たちの足音が、石板から離れ始めた。
その振動を追いながら、俺は考える。
捕まった狐。
欠けた輪の印。
地下の奥にある、まだ開いていないらしい扉。
どうやら、この事件は魔獣を売って終わるような話じゃなさそうだ。
そして何より。
俺たちは今、その秘密を知っている人間を、すぐ目の前で見つけてしまった。
……さて。
ここからどうする?
逃がすには、ちょっと惜しい相手なんだけどな。




