魔獣専用、鍵なし物件
第2部 第27話 魔獣専用、鍵なし物件
「……扉は外した方がいいか?」
ボルクの言葉に、俺は思わず身体を持ち上げた。
……え?
そこまでやるの?
「いや、あいつらが怖がるなら仕方ねえだろ」
どうやら、俺の反応が分かったらしい。
ボルクは古い蝶番を確かめながら、豪快に笑った。
「どうせ長いこと使ってない物置だ。扉の1枚や2枚、どうってことねえよ」
……いや、でも。
雨とか降ったら困らないか?
そんな心配をしていると、隣からハルドの声がした。
「外しきらなくても、開けた状態で固定できればいいんじゃないか?」
「それでもいいんだがな。こいつが随分と重たいんだ」
ボルクが木の扉を軽く叩く。
鈍い音が響いた。
「風で閉まっちまうくらいなら、最初から外した方が安全だろ」
……なるほど。
俺は少し納得した。
今日は、小屋の裏手にある古い物置を片づけている。
目的は、2匹の白い狐の療養場所を作ることだ。
昨日、大きい方の狐が突然、強い衝撃を放った。
どうやら恐怖に反応したらしく、近くに置いてあった道具が吹き飛ばされ、ミロが剣を抜きかける騒ぎになった。
幸い、誰も怪我をしなかった。
だが、同じことがもう1度起きるとは限らない。
そこでハルドとマルタが相談し、人通りの少ない場所へ移すことになったのだ。
物置は炭焼き小屋の裏側にあり、街道からも少し離れている。
周囲には木々があり、風を遮ることもできるらしい。
ただし。
「……この扉、閉めない方がよさそうだな」
俺は心の中で呟いた。
あの狐たちは、長い間檻に閉じ込められていた。
ようやく自由になったのに、また狭い建物へ入れられる。
それだけでも、怖い思いをするかもしれない。
「ノア」
ハルドが声をかけてきた。
「まずは建物の状態を見てもらえるか?」
……了解。
俺は触手を持ち上げた。
今の俺なら、柱の傷みや床の空洞をある程度調べられる。
以前、炭焼き小屋の床が傷んでいたときも、《微振動感知》が役に立った。
ただ、今回は古い物置だ。
どんな状態なのか、慎重に確かめた方がいいだろう。
⸻
「……ふむ」
俺は柱へ触手を押しつけた。
硬い木材。
表面は少し荒れているが、内部に大きな空洞がある様子はない。
次に、床。
……こつ。
軽く叩く。
振動が板を伝わり、下の支えへ流れていく。
……悪くないな。
俺は別の場所へ移動した。
古い建物だから、多少の傷みはある。
だが、以前の炭焼き小屋のように、床板の下が大きく腐っている場所は見当たらなかった。
「……どうだ?」
ボルクが尋ねる。
俺は触手を持ち上げた。
続いて、床の一角を示す。
そこだけ、少し振動の返り方が違っていた。
「……ここか?」
肯定する。
ボルクが板を叩いた。
……こん。
「確かに、少し浮いてるな」
……おお。
分かってもらえた。
「釘が緩んでるだけかもしれねえ。あとで留め直しておく」
俺は肯定した。
そのあとは、壁と屋根を調べた。
屋根の方は俺の触手だけでは届かなかったため、ボルクが梯子を使って確認してくれた。
「穴はないな。ただ、端の板が1枚ずれてる」
「直せそうか?」
ハルドが尋ねる。
「もちろんだ。こんなの、すぐだ」
……頼もしいな。
俺は身体を小さく揺らした。
こういう作業になると、ボルクは本当に手際がいい。
必要な道具を選び、傷んだ場所を確かめ、どう直すかをすぐに決める。
俺にも建物の内部を調べることはできる。
だが、修理の方法まで詳しく分かるわけではない。
……やっぱり、専門家ってすごい。
そんなことを考えていると、ボルクが声をかけてきた。
「ノア、ちょっと手伝ってくれ」
……お?
俺は触手を向けた。
「そこの板、押さえててくれるか?」
……板?
俺は示された場所へ移動した。
壁の下側に、細長い板が立てかけられている。
「これを支えてくれ。俺が木栓を打ち込む」
……なるほど。
俺は《構造形成》で触手を少し太くし、板へ押し当てた。
強く押しすぎると板がずれてしまうため、必要な力だけをかける。
「……よし。そのままだ」
……了解。
ボルクが木栓を打ち込む。
……こん。
……こん、こん。
振動が板を通じて伝わってきた。
俺は位置がずれないよう、触手を固定し続ける。
しばらくして。
「……よし、できた!」
……おお。
俺は触手を引っ込めた。
「助かったぜ、ノア」
……こちらこそ。
俺は身体を小さく揺らした。
すると、ボルクが笑った。
「お前がいると、こういう細かい作業が楽だな」
……そうかな。
俺は少しだけ嬉しくなった。
だが、その直後。
「……ただし」
ハルドが口を開いた。
「ノアに頼りすぎるなよ。身体の回復もまだ途中なんだからな」
「分かってるって」
ボルクが笑う。
「今日はこれで終わりだ」
……あ。
俺、また働きすぎないように見張られてる。
別に嫌じゃないけど、ちょっと複雑だな。
⸻
物置の片づけが終わったのは、昼前だった。
床には新しい敷き草。
壁際には、柔らかい布を重ねた寝床が2つ。
ただし、互いの姿が見えるよう、仕切りは低くしてあるらしい。
入口の扉は、結局取り外された。
「……これなら、閉じ込められた感じはしないだろう」
ハルドが言った。
「ただ、外から誰でも近づけるのは危険だな」
「それなら、周りに柵を作っておくか」
ボルクが答える。
「ただし、狐を囲うんじゃない。人間が勝手に近づかないようにするための柵だ」
……なるほど。
俺は触手を持ち上げた。
確かに、それならいい。
狐たちが休む場所の周囲に、人が不用意に近づかないための目印を作る。
必要なら見張りも置く。
そうすれば、昨日のように突然誰かが駆け寄ることも減るだろう。
「……それと」
ハルドが続けた。
「もし大きい狐が再び衝撃を放った場合に備えて、周囲へ割れ物や刃物を置かないようにしてくれ」
「了解だ」
ボルクが答える。
「道具は全部片づける。屋根も柱も、あまり硬い金具を使わずに済むようにした」
……おお。
そこまで考えていたのか。
俺は少し感心した。
すると、ボルクが突然、こちらへ声をかけてきた。
「……そういえば、ノア」
……ん?
俺は触手を向けた。
「お前、昨日喋ったんだって?」
……あ。
またその話か。
俺は少しだけ身体を縮めた。
「『駄目』って言ったらしいな」
……うん。
俺は肯定した。
すると、ボルクが豪快に笑った。
「ははっ! そりゃ面白え!」
……面白いって。
こっちは必死だったんですけど。
「いや、悪い悪い」
ボルクが笑いながら続ける。
「だが、お前が普通に喋れるようになったら、随分と賑やかになりそうだな」
……それはどうかな。
俺は少し考えた。
人間だった頃は、そこまでお喋りな方ではなかった気がする。
ただ、今は言いたいことが山ほどある。
ルナへのツッコミも。
エマへのお礼も。
ハルドへの説明も。
それに、ボルクへ言ってみたいこともある。
……ありがとう。
いつも、いろいろ助けてくれて。
俺は触手を持ち上げた。
だが、まだ言葉にはできなかった。
代わりに、ボルクの手へそっと触れる。
「……ん?」
彼が少し驚いたような声を出した。
俺は触手を上下へ動かした。
すると、ボルクが小さく笑った。
「……ああ。分かってるよ」
……おお。
「礼なんか気にするな。こっちも、お前らには助けられてるんだからな」
……そうか。
俺は身体を小さく揺らした。
やっぱり、喋れなくても伝わることはあるんだな。
⸻
午後になると、いよいよ狐たちを移すことになった。
ただし、無理に歩かせるわけではない。
大きい方は、布と木枠で作った運搬用の寝台へ寝かせたまま移動させる。
小さい方は、エマが用意した浅い木箱を使うことになった。
「……さて」
マルタが静かに声をかける。
「まずは、小さい方からだね」
……なるほど。
俺は小屋の入口で待っていた。
小さい狐は、以前よりかなり元気になってきた。
ただし、右前脚の傷はまだ治っていない。
歩き回るより、運んでもらった方が安全だろう。
「……大丈夫だよ」
エマが優しく声をかける。
「ちょっとだけ、お引っ越ししようね」
……引っ越し。
俺は少しだけ身体を揺らした。
何だか、急に普通の生活みたいな話になってきたな。
こんな世界で、魔物の引っ越しを手伝うことになるとは思わなかった。
「……ノア」
マルタが声をかける。
「この子、あんたには随分慣れてるだろう? 少しそばにいてやってくれるかい」
……了解。
俺はゆっくりと近づいた。
小さい狐は、すぐに俺の気配へ反応したらしい。
……くん。
……くん、くん。
そして。
……ぺたり。
柔らかな鼻先が、触手へ触れた。
……おお。
今日も元気そうだな。
俺は触手を少しだけ柔らかく広げた。
すると、狐が小さく鳴いた。
……くぅ。
「……ふふっ」
エマが笑う。
「本当に仲良しですね」
……そうかな。
俺は少しだけ身体を揺らした。
ただ、今はそれよりも引っ越しだ。
エマが木箱を近づける。
狐は最初、少し警戒したようだった。
……かさっ。
……ぺた。
だが、無理に押し込むことはしなかった。
代わりに、箱の中へ柔らかい布を敷き、少しだけ待つ。
すると。
……ぺた。
小さな足音。
狐が、自分から箱へ近づいたらしい。
「……おっ」
マルタが小さく声を上げた。
「入ったね」
……おお!
俺は触手を持ち上げた。
ただし、急に動いて驚かせないようにする。
しばらくして、エマが静かに言った。
「……じゃあ、運びますね」
木箱が持ち上げられる。
……ことっ。
小さな振動。
そして、ゆっくりと足音が遠ざかっていった。
……よし。
まずは1匹目だ。
⸻
問題は、大きい方だった。
「……このまま運べそうか?」
ハルドが尋ねる。
「無理に身体を起こさなければ、大丈夫だと思うよ」
マルタが答える。
「ただし、後ろ脚には気をつけておくれ」
……了解。
俺は少し離れた場所で、様子を確かめていた。
大きい狐は、昨日より呼吸が落ち着いている。
だが、まだ衰弱しているのは確かだ。
ハルドとボルクが運搬用の寝台を持ち上げる。
……ぎしっ。
木枠がわずかに軋む。
「……よし、ゆっくりだ」
ハルドが声をかける。
「分かってる」
ボルクが答えた。
2人が慎重に歩き始める。
……ざっ。
……ざっ。
大きい狐は、最初のうち静かだった。
だが。
物置の入口へ近づいたときだった。
……ざっ!
突然、寝台の上で身体が動いた。
「……おっと!」
ボルクが足を止める。
続いて、荒い呼吸。
……はっ。
……はっ。
「……また怖がってるのか?」
ハルドが低く呟いた。
俺は身体を強張らせた。
……まずい。
昨日の衝撃が頭をよぎる。
あれがもう1度起きたら、運んでいる2人まで危険な目に遭うかもしれない。
「……一度、下ろそう」
マルタが言った。
「無理に進まない方がいい」
……そうだな。
俺は静かに肯定した。
寝台が地面へ下ろされる。
……ことん。
その直後、大きい狐が短く鳴いた。
……ギャウ。
「……うん?」
エマが小さく声を漏らした。
「どうした?」
ハルドが尋ねる。
「……入口を見てます」
……入口?
俺は触手を持ち上げた。
「扉のあった場所を、ずっと……」
「……ふむ」
ハルドが考え込む。
「扉は外してあるんだがな」
……そうか。
俺は身体を小さくまとめた。
扉がない。
それでも、入口そのものが怖いのかもしれない。
檻へ入れられた経験があるなら、狭い場所へ運ばれるだけで恐怖を思い出す可能性がある。
「……どうする?」
ボルクが尋ねた。
「このまま外で寝かせるか?」
「……いや」
マルタが少し考えた。
「雨風を防げる場所は必要だよ。ただ、無理に入れるのもよくないね」
……難しいな。
俺は身体を小さく揺らした。
すると、物置の中から小さな鳴き声が聞こえてきた。
……クゥ。
小さい狐だ。
どうやら、先に移された寝床から呼びかけているらしい。
続いて、もう1度。
……クゥ、クゥ。
大きい狐が反応した。
……くぅ。
呼吸が少しだけ変わった。
「……あれ?」
エマが声を上げた。
「今、小さい子の方を見ました」
……おお。
俺は身体を持ち上げた。
「……なるほど」
マルタが静かに言った。
「少し待ってみようか」
……待つ?
俺は触手を向けた。
「無理に入れるんじゃなくて、落ち着くまで待つんだよ」
……そうか。
俺は納得した。
急がなくてもいい。
ここは、逃げ場のない洞窟じゃない。
商人たちの檻でもない。
安全な場所へ移すだけなのだから。
⸻
しばらく、誰も動かなかった。
ハルドとボルクは寝台のそばで待っている。
マルタは大きい狐の様子を確かめ、エマは物置の中から小さい狐を見守っている。
俺は少し離れた場所で、地面へ身体を広げた。
……すぅ。
……はぁ。
大きい狐の呼吸。
最初より、少し落ち着いてきた。
そして。
……クゥ。
小さい狐が、また鳴いた。
すると、大きい狐が短く返事をする。
……くぅ。
しばらくして。
……かさっ。
寝台の上で、身体が動いた。
「……ん?」
ハルドが小さく声を漏らす。
「立とうとしてるのか?」
「……いや」
マルタがすぐに答えた。
「まだ駄目だよ。後ろ脚に負担をかけちゃいけない」
……そうだな。
俺は触手を持ち上げた。
すると、大きい狐がもう1度、小さく鳴いた。
……くぅ。
その声に、物置の中から返事があった。
……クゥ。
「……ふむ」
マルタが静かに息を吐いた。
「この子たち、本当に仲がいいんだね」
……そうだな。
俺も、そう思う。
小さい狐は、何度も大きい方へ声をかけている。
大きい方も、そのたびに返事をする。
まるで、お互いの居場所を確かめているようだった。
「……もう少しだけ、入口へ近づけてみるか?」
ハルドが尋ねる。
「……そうだね」
マルタが答えた。
「ただし、嫌がったらすぐ止めるんだよ」
……了解。
俺はゆっくり肯定した。
再び、寝台が持ち上げられる。
……ぎしっ。
足音が動く。
……ざっ。
……ざっ。
今度は、大きい狐が暴れなかった。
入口へ近づいても、呼吸は落ち着いたままだ。
そして。
……ことん。
寝台が物置の中へ下ろされた。
「……入れた!」
エマが小さく声を上げる。
……おお!
俺は思わず身体を持ち上げた。
やった。
どうやら、無事に移せたらしい。
「……ふう」
ボルクが大きく息を吐く。
「なかなか気を使う引っ越しだったな」
……本当に。
俺は身体を小さく揺らした。
「まあ、これでしばらくは落ち着けるだろ」
……そうだな。
俺も、そう思う。
⸻
「……悪くない住まいだな」
夕方、物置の様子を聞いたルナが、そんなことを言った。
俺は彼女の隣へ身体を寄せていた。
マルタからの許可が出るまでは、ルナ自身が物置まで歩いていくことはできない。
だから、俺が代わりに様子を確かめてきたのだ。
「入口の扉は外したのだろう?」
俺は肯定した。
「……ふむ」
ルナが少し考える。
「貴様、あの狐たちが怖がらぬよう、随分と気を配ったようだな」
……まあね。
俺は身体を小さく揺らした。
「……しかし」
ルナが続ける。
「扉を外しただけで、本当に安心できるものなのか?」
……ん?
俺は触手を向けた。
「檻とは、ただ閉じ込めるための道具ではない。閉じ込められた記憶そのものが、恐怖になることもある」
「…………」
俺は動きを止めた。
……そうか。
扉がなければ、絶対に安心できる。
そんな単純な話じゃないのかもしれない。
「……だが」
ルナが少し声を柔らかくした。
「少なくとも、今回は自分たちで落ち着くまで待てたのだろう?」
俺は肯定した。
「ならば、よい」
……そうだな。
俺も、そう思う。
「……それにしても」
ルナが突然、楽しそうな声を出した。
「貴様、随分と建物の修理が上手くなったのではないか?」
……いやいや。
俺は触手を左右へ振った。
上手くなったのは、せいぜい傷んだ場所を見つけることくらいだ。
実際に修理したのはボルクだし、俺は板を押さえていただけ。
「……ふふっ」
ルナが笑った。
「それでも、役に立っておるではないか」
……まあ。
そう言われると、悪い気はしない。
俺は身体を小さく揺らした。
だが、そのときだった。
小屋の外から、少し急いだ足音が近づいてきた。
……ざっ。
……ざっ。
「……ルナ!」
ハルドの声だった。
俺は身体を持ち上げた。
……また何かあったのか?
⸻
「ニールが、もう少し話した」
小屋へ入ってきたハルドは、いつもより真剣な声だった。
「……何を?」
ルナが尋ねる。
「今朝、ダグと別々に話を聞いた。その中で、少し気になる証言が出た」
……証言?
俺は触手を持ち上げた。
「ニールは、白い狐を捕まえたときのことを覚えていた」
ハルドが続ける。
「ただ、本人は捕獲の理由を詳しく知らされていなかったらしい」
……なるほど。
「最初は、珍しい魔獣を高く売るためだと思っていたそうだ」
……ああ。
俺も、そう思っていた。
だから、あの商会が引き渡しを求めてきたときも、不思議には思わなかった。
だが。
「……違ったのか?」
ルナが尋ねる。
「どうやら、単純な売買だけが目的ではなかったらしい」
……え?
俺は身体を止めた。
「ニールが聞いた話では、雇い主は大きい方の狐を捕まえた直後、こう言ったそうだ」
ハルドは少し間を置いた。
そして。
「……『これで、奥を開けられる』と」
「…………」
小屋の中が静かになった。
……奥?
俺は身体を強張らせた。
何の奥だ?
「……石切り場のことか?」
ルナが尋ねる。
「確証はない。だが、状況から考えて、その可能性はある」
……なるほど。
俺は静かに考えた。
石切り場の地下。
古い扉。
その奥へ運ばれた大きな白い狐。
そして、今日の話。
『これで、奥を開けられる』
……まさか。
あの狐は、売るためだけに捕まえられたんじゃないのか?
「……さらに」
ハルドが続けた。
「ニールは、雇い主が持っていた金属の棒についても話した」
……あ。
俺は身体を持ち上げた。
以前、ダグが話していた道具だ。
先端に石がついていて、大きい狐が暴れたあと、それを使うと動かなくなったという。
「何か分かったのか?」
ルナが尋ねる。
「……ニール自身は、詳しい仕組みを知らない。ただ、雇い主があの道具を使うと、狐が急に大人しくなったそうだ」
……なるほど。
俺は身体を小さくまとめた。
今日、大きい狐が衝撃を放つところを見た。
いや、見えたわけじゃない。
だが、あの強い力は、普通の魔物にはないものだと思う。
そして、それを抑えるための道具。
……そう考えると。
「……最初から」
俺は心の中で呟いた。
最初から、あの狐の力を知っていたのか?
「……ルナ」
ハルドが声を向けた。
「何か心当たりは?」
ルナはすぐには答えなかった。
しばらく沈黙が続く。
やがて。
「……少なくとも、普通の商人が持つ道具ではないだろうな」
低い声が返ってきた。
「魔獣の力を抑える道具なら、相応の知識と技術が必要になる」
……なるほど。
「だが、我にも詳しいことは分からぬ。実物を見なければ判断できん」
「……そうか」
ハルドが小さく息を吐いた。
「なら、引き続き調べるしかないな」
……そうだな。
俺はゆっくり肯定した。
ただ、ひとつ気になることがある。
石切り場の奥を開く。
そのために、大きな白い狐が必要だった。
だとしたら。
……あの力で、何を開かせようとしていたんだ?
俺は身体を小さくまとめた。
地下の水路の向こうには、まだ調べていない場所がある。
ハルドたちは大きい狐を救出したが、その先まで進んだわけではない。
しかも、雨水が増えたため、急いで引き返している。
……もしかすると。
あの先に、まだ何かあるのかもしれない。
「……ノア」
ルナが静かに声をかけてきた。
俺は触手を向けた。
「貴様も、同じことを考えておるな?」
……うん。
俺は肯定した。
すると、ルナが低く呟いた。
「……やはり、あの道か」
「……閉ざされた道、か?」
ハルドが尋ねる。
「……まだ分からぬ」
ルナは慎重に答えた。
「だが、古い記録にあった場所と、重なる部分が増えてきた」
……なるほど。
俺は身体を小さく揺らした。
古い記録。
閉ざされた道。
そして、石切り場の地下。
今まで別々に見えていたものが、少しずつ繋がってきている。
……だとしたら。
あの商人たちは、何を探しているのだろう。
ただ珍しい魔獣を売りたいだけではない。
その奥に、別の目的がある。
そう考えると、嫌な予感がした。
⸻
ハルドが帰ったあとも、ルナはしばらく黙っていた。
俺は彼女の隣へ身体を寄せ、静かに待った。
やがて。
「……ノア」
……ん?
俺は触手を向けた。
「貴様、今日の話を聞いて、どう思った?」
……どう、か。
俺は少し考えた。
大きい狐の力。
それを抑える道具。
そして、石切り場の奥。
確かに、気になることばかりだ。
だが、それ以上に。
俺は、あの狐が今日見せた反応を思い出していた。
物置へ運ばれたとき。
入口の前で怖がり、なかなか中へ入れなかった。
だが、小さい狐の声を聞くと、少しずつ落ち着いていった。
……そうだ。
俺は触手を伸ばし、ルナの前脚へ触れた。
彼女が小さく首を動かした気配がした。
「……何だ?」
俺は少し考えた。
そして、身体の内部へ意識を集中させた。
小さな空洞。
薄い膜。
細い通路。
最近、ようやく少しずつ形を作れるようになってきた発声器官だ。
ただし、まだ長い言葉は言えない。
だから、短く。
今の俺に言える言葉だけ。
「……だ……め」
「…………」
ルナが静かになった。
俺は発声器官を解除し、触手を持ち上げた。
……駄目だ。
あの狐を、また利用するなんて。
そんなの、駄目だ。
俺はゆっくり身体を揺らした。
すると、ルナが静かに答えた。
「……ああ」
その声は、いつもより低かった。
「我も、同じ気持ちだ」
……そうか。
俺は少しだけ安心した。
「ただし、ノア」
ルナが続ける。
「相手の目的が分からぬ以上、慎重に動く必要がある」
……うん。
それは分かっている。
「それに、我らがあの狐を守りたいと思っていても、村の者たちへ危険を押しつけるわけにはいかぬ」
……そうだな。
俺は肯定した。
「だからこそ、今は情報を集めるのだ。相手が何をしようとしているのか、それを確かめねばならぬ」
……了解。
俺は身体を小さくまとめた。
今日、狐たちは新しい寝床へ移った。
扉のない、静かな物置だ。
そこでは、誰も首輪をつけない。
鎖で繋がれることもない。
ただ、傷が治るまで休むことができる。
少なくとも。
今は、そういう場所にしておきたい。
……そのためにも。
あの商人たちが何を狙っているのか、もっと知らなければならない。
俺はルナの柔らかな尻尾へ身体を寄せ、静かに意識を休ませた。
小屋の外では、遠くから2匹の狐の鳴き声が聞こえている。
もう、檻の中ではない。
そして。
もう2度と、あの場所へ戻すつもりもなかった。




