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ゲームだと思ったら原初の生命に転生しました。  作者: くんくん
第2部

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鎖が鳴り止むまで

第2部 第24話 鎖が鳴りやむまで


その朝、石切り場からの合図は返ってこなかった。


「……昨日までは、確かに聞こえていたんだがな」


小屋へやって来たハルドの声には、隠しきれない焦りがあった。


昨日、俺たちは古い石扉の前で、何度か壁を叩いた。


すると、奥から同じ間隔で音が返ってきたのだ。


さらに、金属を引きずるような振動と、小さな獣の鳴き声らしきものも聞こえた。


その正体は、まだ分かっていない。


ただ、商人たちが大きな白い狐を地下へ運び込んだことは、ダグの証言から分かっている。


だからこそ、音が途絶えたという知らせは、あまり気分のいいものではなかった。


「……今朝は何度も試したのか?」


ルナが尋ねた。


「ああ。昨日と同じ場所を叩いた。間隔も変えてみたが、反応はなかった」


「水の音は?」


「聞こえている。昨日より弱くなっているようだが、完全には止まっていない」


ルナはしばらく黙った。


俺も床へ身体を広げ、話の続きを待った。


「村長と相談して、今日のうちに短い距離だけ内部を調べることにした」


ハルドが言った。


「古い坑道に詳しい石工も同行する。道の状態を確認して、危険があればすぐ引き返す」


……ついに、中へ入るのか。


俺は触手を持ち上げた。


「ただし、ノアは入口までだ」


先に釘を刺された。


「昨日と同じ約束だからな。奥へ入るのは俺たちの仕事だ」


……分かってるよ。


俺は肯定した。


ハルドは続ける。


「隣町へ出した使いからも返事があった。冒険者ギルドへ応援を頼む手続きは進んでいる。ただ、到着までにはまだ時間がかかるらしい」


「待てぬと?」


ルナが尋ねた。


「奥に生き物が閉じ込められているなら、な」


その声が、少し硬くなった。


「水も十分にあるか分からん。怪我をしている可能性もある。少なくとも、入口から安全に行ける範囲だけでも確かめたい」


……そうだな。


俺は静かに肯定した。


待つことが安全とは限らない。


だが、急いで飛び込めばいいわけでもない。


その難しい判断を、ハルドたちはしようとしている。


「……ノア」


ルナが声をかけてきた。


「貴様も行くのだな?」


俺は肯定した。


「なら、昨日と同じ約束に、もう1つ加えよ」


……ん?


「救助する者が危険になったら、救助そのものを中断する。それを忘れぬことだ」


俺は少し考えた。


そして、ゆっくり肯定した。


ルナの言うとおりだ。


助けようとしている全員が閉じ込められては意味がない。


「……よし」


ルナは小さく息を吐いた。


「帰ってきたら、何があったのか聞かせてもらうぞ」


……もちろん。


俺は彼女の前脚へ触れた。


すると、柔らかな毛が触手の先を包んだ。


「それと、ノア」


……まだ何か?


「今日は発声の練習を休め。昨日も随分と疲れておっただろう」


……あ。


やっぱり、バレてるか。


俺はおとなしく肯定した。


⸻


石切り場には、すでに数人の警備隊員が集まっていた。


ハルド、セイン、それから年配の石工が1人。


ほかの隊員は入口の警戒と、救助用の道具の準備を担当するらしい。


「これが、例の扉か」


石工が低い声で言った。


「随分と古いものだな」


「何か分かるか?」


ハルドが尋ねる。


「少なくとも、普通の採掘穴じゃない。石の組み方が違う」


俺は木箱から降り、近くの岩壁へ触手を伸ばした。


……こつ。


硬い石の感触。


溝が一定の間隔で続いている。


確かに、ここには人の手が加わっている。


「奥には、水を逃がすための通路もあるはずだ」


石工が続けた。


「古い石切り場では、地下へ溜まった水を別の場所へ流すことがある。ただ、長く放置されていたなら、詰まっていてもおかしくない」


……なるほど。


それなら、昨日聞いた低い振動は水の流れだったのかもしれない。


「中へ入る前に、ひとつ決めておこう」


ハルドが言った。


「合図は縄で送る。2回引いたら停止、3回なら退避だ」


……縄?


俺は触手を持ち上げた。


「奥へ入る者と、入口に残る者を繋ぐ。声が届かなくなっても、異常を知らせられるようにな」


……おお。


それはいい。


俺は少し感心した。


声が通じない場所でも、伝える方法を用意しておく。


今の俺には、よく分かる考え方だった。


「ノア」


ハルドがこちらへ声を向けた。


「お前には、入口の石壁を調べていてほしい。昨日と同じ音が聞こえたら、すぐ知らせてくれ」


俺は肯定した。


「ただし、遠くの音まで無理に探るな。自分の身体を消耗させる必要はない」


……了解。


俺は石壁へ身体を寄せた。


そして、感知範囲を少しずつ広げていった。


⸻


探索は慎重に始まった。


ハルドたちが奥へ入っていくと、石を踏む足音が少しずつ遠ざかっていく。


……こつ。


……こつ。


……ざりっ。


濡れた石を踏む音。


道具が壁へ触れる音。


そして、縄が地面を擦る振動。


俺は入口の岩壁へ触手を押しつけ、それらを拾っていた。


ただ、奥へ進むほど振動は弱くなる。


曲がり角があるのか、ある地点から急に音の伝わり方が変わった。


……ここが限界かな。


俺は無理に感知を広げるのをやめた。


代わりに、入口付近で異常が起きないか確かめる。


石壁のきしみ。


水の流れ。


足元へ伝わってくる振動。


それだけでも、注意することは多かった。


しばらくして、奥からセインの声が届いた。


「……隊長! 分かれ道があります!」


声が岩壁へ反射し、少し遅れて聞こえてくる。


「左は行き止まりみたいです! 右は、まだ続いてます!」


「……足元は?」


「水が少し流れてますが、歩けます!」


……なるほど。


俺は静かに聞いていた。


右へ進むのか。


それとも、左を先に調べるのか。


少しの沈黙。


そして、ハルドの声。


「まず左を確かめる。見落としがあれば危険だからな」


……慎重だな。


俺は少しだけ安心した。


しばらくして、石を叩く音が何度か響いた。


古い壁を調べているらしい。


やがて、セインの声が返ってきた。


「……こっちは崩れてます! 奥には進めません!」


「無理に動かすな。右へ戻るぞ」


……了解。


俺は身体を小さくまとめた。


直接手伝えないのは、少しもどかしい。


だが、約束した以上、勝手に動くわけにはいかない。


今の俺には、入口で周囲を調べる役目がある。


だったら、それをきちんとやろう。


そう考えていた、そのとき。


……こつ。


「…………」


俺は動きを止めた。


今のは。


ハルドたちの足音ではない。


もっと深いところから、石を通じて伝わってきた振動。


……こつ。


……こつ、こつ。


「……来た!」


俺は触手を持ち上げた。


すぐに入口の隊員へ知らせる。


床を強く叩く。


……コン、コン!


「……ノア?」


見張りの隊員が反応した。


俺は石壁の奥へ触手を向けた。


「……また音がしたのか?」


肯定する。


「分かった。隊長へ伝える!」


隊員が縄を使って合図を送る。


それから、奥へ向けて声を張り上げた。


「隊長! ノアが反応しました!」


……よし。


少なくとも、伝わった。


⸻


それからしばらく、奥の足音が止まった。


代わりに、硬いものを動かす振動が聞こえ始めた。


……ぎしっ。


……ごとん。


何かを持ち上げているのだろうか。


「……何してるんだろう」


俺は石壁へ触手を押しつけた。


しかし、詳しいことは分からない。


音が遠い。


それに、途中の石や水の振動が重なっている。


何かを調べていることは分かるが、それ以上は判断できなかった。


やがて。


「……いたぞ!」


セインの声が響いた。


「隊長! 奥に何かいます!」


「落ち着け! 近づくな!」


ハルドが鋭く指示する。


俺は身体を強張らせた。


……いた?


本当に?


「……白い狐です!」


その声が届いた瞬間、俺は思わず身体を持ち上げた。


……おお!


やっぱり、いたのか!


「……生きてるか!?」


入口の隊員が叫ぶ。


少しの沈黙。


そして。


「……動いてます!」


セインの声。


「鎖で繋がれてる! 奥の壁際です!」


……鎖。


俺は昨日の金属音を思い出した。


硬いものが擦れる振動。


何かを引きずるような音。


あれは、本当に鎖だったのか。


「……よかった」


俺は身体を小さく縮めた。


少なくとも、生きている。


そのことが分かっただけでも大きい。


だが、喜んでいられたのはそこまでだった。


「……待て!」


ハルドの声が響いた。


「セイン! それ以上近づくな!」


「……え?」


「足元を見ろ! 水路がある!」


……水路?


俺は身体を止めた。


「……深いのか?」


セインが尋ねる。


「分からん。だが、流れが速い。向こうへ渡るのは危険だ」


……まずいな。


俺は石壁へ触手を押しつけた。


地下を流れる水の振動が、さっきより強く感じられる。


恐らく、ハルドたちが水路の近くへ進んだからだろう。


ただし、音だけでは水深も幅も分からない。


「……どうするんだ?」


俺は身体を縮めた。


白い狐は見つかった。


だが、その手前に水路がある。


無理に渡れば、人間まで流されるかもしれない。


「……橋がある」


しばらくして、石工の声が届いた。


「古い石橋だ。ただし、半分崩れている」


……石橋。


俺は少し考えた。


古い地下道。


水を逃がすための通路。


そして、その上に渡された石の橋。


もし昔から使われていた場所なら、そういう造りがあっても不思議ではない。


「……渡れるか?」


ハルドが尋ねる。


「人が1人ずつなら、可能かもしれん。だが、荷物を抱えて戻るのは危ない」


……なるほど。


俺は身体を止めた。


白い狐を助けるには、あの橋を渡らなければならない。


しかし、怪我をした魔物を抱えて戻るには、足場が悪すぎる。


「……何か方法はないのか」


セインが呟いた。


その声が、少しだけ遠くなった。


……焦るな。


俺は心の中で考えた。


今の俺がそこへ行っても、何ができるわけではない。


人間の力が必要な場面だ。


だったら、任せよう。


そのとき。


「……縄を使う」


ハルドの声が響いた。


……縄?


俺は触手を持ち上げた。


「橋の向こうへ1人渡り、こちらから縄を張る。荷を運ぶための簡単な吊り具を作れるか?」


石工が少し考えた。


「……できなくはない。ただ、固定できる場所が必要だ」


「こちらの石柱を使え。向こうにも似たものがある」


「……なるほど」


2人の声が少し低くなる。


どうやら、何か相談を始めたらしい。


俺は石壁へ身体を密着させながら、静かに待った。


⸻


作業には時間がかかった。


縄を運ぶ音。


木材を組み合わせる音。


金属の道具が石へぶつかる音。


ときどき、ハルドやセインの声が響く。


その間、俺は入口で水の振動を調べ続けていた。


雨が止んでいるとはいえ、地下の水路にはまだ水が流れている。


だが、少し気になることがあった。


……ごう。


低い振動。


そのあと。


……ごうう。


少し強くなる。


そして、また弱くなる。


……ん?


俺は身体を止めた。


流れの強さが、一定ではない。


最初は、地下の水が岩へ当たる位置の違いだと思っていた。


だが、何度か繰り返しているうちに、ある程度の間隔で強くなることに気づいた。


「……何だ、これ」


俺は短い触手を作り、石壁を軽く叩いた。


……こつ。


振動が広がる。


その戻り方を確かめる。


だが、水の音が強すぎて、詳しいことは分からない。


……困ったな。


そのとき、近くにいた隊員が声をかけてきた。


「ノア。何かあったか?」


俺は触手を持ち上げた。


そして、地面へ波のような線を引く。


上がる。


下がる。


また上がる。


「……水?」


肯定。


「水の流れが変わってるのか?」


……そう!


俺は大きく肯定した。


隊員はすぐに縄へ手を伸ばした。


「隊長! 水の流れが変化しているそうです!」


……よし。


伝わった。


しばらくして、奥からハルドの声が響いた。


「……こちらでも確認した! 時々、流れが強くなる!」


「作業はどうします!?」


「石工に確かめさせる! それまでは橋へ近づくな!」


……助かった。


俺は身体を小さくまとめた。


今の俺には、水の流れが変わる理由までは分からない。


だが、変化があることを伝えるだけならできる。


それで十分だ。


⸻


しばらくして、石工の声が聞こえた。


「……上流に古い水門があるんだろう」


……水門?


俺は触手を持ち上げた。


「ここへ流れてくる水は、一定じゃない。どこかで溜まった水が、少しずつ流れ込んでいるようだ」


「……危険か?」


ハルドが尋ねる。


「今すぐ橋が崩れるとは限らん。だが、大雨のあとだ。急に水が増える可能性はある」


……なるほど。


俺は身体を縮めた。


やはり、油断できない。


「……作業を続けるなら、急いだ方がいい」


石工が続ける。


「ただし、橋を使うのは最低限にしろ。人を増やしても危険が増えるだけだ」


「……分かった」


ハルドが答えた。


俺は少しだけ安心した。


無理に人数を増やせばいいわけではない。


今は、慎重に。


だが、遅すぎてもいけない。


その難しい状況の中で、作業は続けられた。


⸻


「……隊長!」


セインの声が響いた。


「向こうへ渡れました!」


……おお!


俺は身体を持ち上げた。


どうやら、石橋を越えたらしい。


「……白い狐は?」


ハルドが尋ねる。


「生きてます! ただ、かなり弱ってます!」


……そうか。


俺は少しだけ身体を縮めた。


軒下の小さい狐も、助けたばかりのときはひどく衰弱していた。


大きい方も、似たような状態なのかもしれない。


「……首輪があります! 鎖で壁へ繋がれてます!」


……やっぱり。


俺は身体を強張らせた。


また、首輪。


また、鎖。


あの商人たちは、本当に魔獣を道具のように扱っているらしい。


「……外せるか?」


ハルドが尋ねる。


「留め具はあります! ただ、錆びているみたいで……」


「無理に首輪を外そうとするな! 鎖の方を切り離せ!」


……なるほど。


俺は少し納得した。


首輪そのものを外すには、相手の首へ触れなければならない。


怪我をした魔獣が怖がって暴れれば、かえって危険だ。


ならば、まずは壁へ繋がれている鎖を外す。


そのあと、安全な場所でマルタに診てもらえばいい。


「……分かりました!」


セインが答えた。


続いて、金属を叩く音が響き始めた。


……かん。


……かん。


しばらくして。


……ぎりっ。


「……っ!」


俺は身体を止めた。


今のは、鎖が動いた音か。


……かん!


……ぎりっ!


それから。


……がちゃん!


大きな金属音が響いた。


「……外れた!」


セインが叫んだ。


「……よし!」


ハルドの声が返ってくる。


「すぐに吊り具へ乗せろ! 無理に歩かせるな!」


……おお。


俺は思わず身体を揺らした。


ついに。


あの鎖が外れたのか。


「……頼む」


俺は心の中で呟いた。


今度こそ、無事に帰ってきてくれ。


⸻


大きな白い狐を運び出すのは、簡単ではなかった。


まず、身体を布で包む。


それから、縄と木材で組んだ吊り具へ移す。


その間、狐は何度か小さく鳴いたらしい。


ただ、抵抗する力もほとんど残っていないようだった。


「……ゆっくりだ!」


ハルドの声。


「……はい!」


セインが答える。


縄が張られる。


……ぎしっ。


続いて、重いものが少しずつ動く振動。


……ずる。


……ずる。


俺は石壁へ触手を押しつけたまま、じっと待った。


そして。


……ごうっ!


突然、水の振動が強くなった。


「……っ!」


俺は身体を持ち上げた。


今までとは違う。


水路を流れる水が、明らかに増えている。


……まずい!


俺は地面を強く叩いた。


……コン、コン、コン!


「……ノア!?」


入口の隊員が反応する。


俺は水の方向へ触手を向け、大きく上下へ動かした。


「……水が増えたのか!?」


肯定する。


「隊長! 水量が増えています!」


隊員が奥へ向けて叫んだ。


すると、ほとんど同時に。


「……分かってる!」


ハルドの声が返ってきた。


「今、狐を渡している! 急いで引き上げるぞ!」


……頼む!


俺は石壁へ身体を密着させた。


水の振動が、さらに強くなる。


……ごうう!


「……縄を緩めるな!」


「……はい!」


……ぎしっ。


……ずるっ。


何かが動いている。


だが、まだこちらへ近づいてこない。


……どうした?


俺は身体を強張らせた。


「……引っかかった!」


セインの声が響いた。


……え?


「……石橋の端だ! 吊り具が引っかかってる!」


「……落ち着け! 縄を引きすぎるな!」


ハルドが指示する。


俺は身体を小さくまとめた。


……まずい。


力任せに引けば、吊り具が傾くかもしれない。


かといって、時間をかければ水が増える。


「……どうするんだ?」


俺は心の中で呟いた。


だが、俺には何もできない。


ここから触手を伸ばしても、届く距離ではない。


石の向こうへ入り込むわけにもいかない。


……任せるしかない。


俺は触手を強く押しつけた。


すると、奥から石工の声が響いた。


「……木材を少し持ち上げろ! 端を越えれば動く!」


「……分かった!」


ハルドが答える。


……ごとっ。


……ぎしっ。


……ずる。


そして。


……がたん!


「……外れた!」


セインの声が響いた。


「……よし! そのまま引け!」


……おお!


俺は思わず身体を持ち上げた。


縄が張られる振動。


木材が滑る音。


そして、何人もの足音。


……ざっ。


……ざざっ。


少しずつ、近づいてくる。


やがて。


「……来たぞ!」


入口の隊員が叫んだ。


俺は身体を止めた。


……本当に?


「……白い狐だ!」


その声が届いた瞬間、俺はようやく身体の力を緩めた。


……よかった。


本当に。


「……まだ油断するな!」


ハルドが続ける。


「すぐに外へ運べ! 水が増えている!」


……そうだな。


俺は邪魔にならない場所へ移動した。


その直後。


……ごうっ!


さらに強い振動が、地下から伝わってきた。


……水が増えてる。


俺は身体を強張らせた。


だが、もう狐は外へ運ばれている。


ハルドたちも、次々と入口へ戻ってきた。


最後に、セインの足音が近づく。


「……全員、出たな!」


「……ああ!」


ハルドが答えた。


「入口を塞ぐぞ! 石工、手を貸してくれ!」


……了解。


俺は身体を小さくまとめた。


今は、邪魔にならない方がいい。


警備隊員たちが太い木材を運び、入口へ固定していく。


……ごとん。


……ぎしっ。


そして。


……どん!


最後の木材が置かれた。


石扉の向こうからは、まだ強い水音が聞こえている。


だが、人の足音はすべて外へ戻ってきた。


「……終わったか」


俺は小さく息を吐くつもりで、身体を縮めた。


……本当に、よかった。


⸻


「……大きいな」


セインが少し驚いたように呟いた。


俺はその声へ反応した。


「……どれくらい?」


もちろん、声にはならない。


俺は触手を持ち上げた。


すると、ハルドが説明してくれた。


「ルナより一回りほど大きい。白い毛をしているが、かなり汚れているな」


……へえ。


そんなに大きいのか。


「首輪はまだついている。右の後ろ脚にも傷があるようだ」


……また脚か。


俺は少しだけ身体を縮めた。


ルナも右後ろ脚を怪我している。


小さい狐は右前脚。


そして、大きい狐は右後ろ脚。


……変なところで似てるな。


「……ノア」


ハルドが声をかけてきた。


俺は触手を向けた。


「少しだけ、近づいてみるか?」


……いいのか?


俺は触手を持ち上げた。


「無理に触れるなよ。まだ警戒しているかもしれん」


……分かってる。


俺は慎重に身体を移動させた。


布の上から、弱い呼吸が聞こえてくる。


……すぅ。


……はぁ。


確かに、生きている。


ただ、呼吸はかなり浅い。


俺は少し離れた場所で止まった。


すると。


……くぅ。


小さな鳴き声が返ってきた。


「…………」


俺は身体を動かさなかった。


……大丈夫だ。


もう、鎖で壁へ繋がれていない。


今は、ここにいる。


そう伝えたい気持ちはあった。


だが、俺にはまだ言葉が足りない。


それに、この狐が人間の言葉を理解できるとも限らない。


だから、無理に近づくことはしなかった。


ただ、静かに待った。


しばらくすると。


……くん。


小さな鼻息が聞こえた。


狐がこちらの匂いを確かめているらしい。


俺は触手を少しだけ伸ばした。


すると。


……ぺたり。


柔らかな鼻先が、触手へ触れた。


「…………」


俺は動きを止めた。


……おお。


触ってきた。


しかも、向こうから。


ただし、それ以上は何もしなかった。


今は、それだけで十分だ。


⸻


小屋へ戻ると、ルナがすぐに声をかけてきた。


「……ノア!」


俺は触手を持ち上げた。


「無事か?」


肯定する。


すると、柔らかな前脚が触れてきた。


「……よく帰ったな」


……ただいま。


俺は彼女の前脚へ身体を寄せた。


そのあと、ハルドが今日あったことを説明した。


奥にいた大きな白い狐。


鎖で繋がれていたこと。


古い石橋。


水が増えたこと。


そして、何とか全員無事に戻ってきたこと。


ルナは最後まで黙って聞いていた。


やがて。


「……そうか」


静かな声が返ってきた。


「助かったのだな」


「ああ。だが、かなり弱っている。マルタに診てもらう必要がある」


「……うむ」


ルナが短く答える。


その声には、少しだけ安堵が混じっていた。


「それから」


ハルドが続けた。


「小さい狐と、すぐに一緒にするのは避けた方がいいだろう。どちらもまだ怪我をしているからな」


……確かに。


俺は肯定した。


だが、ルナは少し考え込んだ。


「……姿を見せるくらいなら、できぬか?」


「……ん?」


ハルドが聞き返す。


「小さい方は、もう1匹を探していたのかもしれぬ。ならば、無事だと分かれば少しは落ち着くやもしれん」


……なるほど。


俺は身体を持ち上げた。


確かに、そうかもしれない。


「……ただし」


ルナが続ける。


「無理に近づける必要はない。互いに刺激し合わぬ距離で十分だ」


「……そうだな」


ハルドは少し考えた。


「マルタへ相談してみよう」


⸻


2匹が再び顔を合わせたのは、夕方になってからだった。


場所は、小屋の軒下。


ただし、寝床は少し離してある。


小さい狐は、自分で動ける程度には回復していた。


大きい狐は、まだ布の上へ横たわっている。


その間には、マルタとハルドがいる。


俺とルナは、小屋の入口から様子を確かめることにした。


「……ノア」


ルナが静かに言った。


「小さい方が、顔を上げたぞ」


……おお。


俺は身体を持ち上げた。


軒下から、小さな足音が聞こえる。


……ぺた。


……ぺた。


そして。


……クゥ。


短い鳴き声。


「……気づいたようだな」


ハルドが呟いた。


すると、大きい狐の方からも、微かな声が返ってきた。


……くぅ。


「…………」


俺は動きを止めた。


……返事だ。


少なくとも、俺にはそう感じた。


小さい狐が、もう1度鳴く。


……クゥ、クゥ。


今度は、少し声が高い。


続いて、布の上を動く音。


……かさっ。


「……おっと」


マルタが静かに声をかける。


「まだ無理に動いちゃ駄目だよ」


……そうだな。


俺は身体を縮めた。


だが、2匹の鳴き声は止まらなかった。


……クゥ。


……くぅ。


互いに、何度も声をかけ合っている。


その音が、軒下の静かな空気へ広がっていった。


「……ふむ」


ルナが小さく息を吐いた。


「やはり、互いに知っておるようだな」


……そうだな。


俺も、そう思う。


ただし、それが親子なのか、兄弟なのか、別の関係なのかは分からない。


それでも。


離ればなれになっていた2匹が、再び出会えた。


そのことだけは、確かだった。


「……よかったな」


俺は心の中で呟いた。


すると、小さい狐が突然、こちらへ近づいてきた。


……ぺた。


……ぺた。


「……ん?」


俺は身体を持ち上げた。


続いて。


……ぺたり。


柔らかな鼻先が、俺の触手へ触れた。


「…………」


……おお。


何だ?


俺は動かなかった。


すると、小さい狐はもう1度だけ鼻先を押しつけたあと、寝床へ戻っていった。


「……ふふっ」


ルナが小さく笑う。


「礼でも言いに来たのやもしれぬな」


……そうかな。


俺は少しだけ身体を揺らした。


もちろん、本当にそうなのかは分からない。


だが。


……悪い気はしないな。


俺は触手を小さく持ち上げた。


⸻


夜になると、ようやく小屋の周囲が静かになった。


大きい狐はマルタの手当てを受け、首輪も慎重に外してもらった。


小さい狐も、少しだけ食事を口にしたらしい。


2匹は別々の寝床で休んでいるが、互いの鳴き声が届く距離にいる。


俺は小屋の床へ身体を広げ、今日の出来事を思い返していた。


……長い1日だったな。


あの石切り場で、何度も水の音を聞いた。


鎖を外す音。


縄を引く音。


木材が石へ引っかかる音。


そして、狐が運び出されるときの足音。


どれも、まだはっきり覚えている。


「……ノア」


隣から、ルナの声がした。


俺は触手を向けた。


「今日は、よく頑張ったな」


……いや。


俺がしたのは、音を聞いて知らせることだけだよ。


俺は触手を左右へ振った。


すると、ルナが少し笑った。


「それで十分だ。貴様が水の変化へ気づかなければ、あの者たちはもっと危険な目に遭っていたかもしれぬ」


……そうかな。


俺は少し考えた。


確かに、今日は自分にできることをした。


だが、実際に奥へ入ったのはハルドたちだ。


石橋を調べた石工も。


縄を使って狐を運んだセインも。


みんな、それぞれの役目を果たした。


「……そういうことか」


俺は身体を小さくまとめた。


1人では、できなかった。


誰か1人でも欠けていたら、難しかったかもしれない。


……いや。


そう考えると、俺もその中の1人だったのか。


俺は少しだけ身体を揺らした。


すると、ルナが静かに続けた。


「……それにしても」


……ん?


俺は触手を向けた。


「あの2匹が無事に再会できて、よかったな」


……ああ。


本当に。


俺は大きく肯定した。


しばらく、沈黙が続いた。


そして。


「……ノア」


ルナが柔らかな声で呼びかけた。


俺は触手を向ける。


「貴様、今日は発声の練習を休む約束だったな」


……あ。


そうだった。


俺は少しだけ身体を縮めた。


すると、ルナが小さく笑った。


「……だが、最後に1度だけなら許してやろう」


……え?


俺は動きを止めた。


「我の名前を呼んでみよ」


……今?


正直、今日はかなり疲れている。


石の振動を調べ続けたせいで、身体の反応も少し鈍い。


発声器官を作る余裕があるかどうか。


……まあ。


1度だけなら。


俺は身体の内部へ意識を集中させた。


小さな空洞。


薄い膜。


細い通路。


昨日、作った形を思い出す。


そして、ゆっくり空気を押し出した。


「……る……」


最初の音は、少し弱かった。


続いて、通路を変える。


「……な」


「…………」


小屋の中が静かになった。


俺は構造を解除した。


……ふぅ。


やっぱり、まだぎこちない。


だが。


「……うむ」


ルナが穏やかに答えた。


「ちゃんと聞こえたぞ」


……よかった。


俺は触手を小さく揺らした。


すると、ルナが少し笑った。


「……次は、もう少し長い言葉を覚えてみるか?」


……おお。


それ、いいな。


俺は身体を持ち上げた。


「ただし、明日からだぞ」


……はい。


俺はおとなしく触手を下ろした。


……まったく。


厳しい先生だな。


そんなことを考えると、ルナが小さく鼻を鳴らした。


「……今、失礼なことを考えたであろう?」


……気のせいです。


俺は慌てて身体を縮めた。


ルナが楽しそうに笑う。


その声を聞きながら、俺は少しだけ安心した。


小屋の外では、2匹の白い狐が静かに休んでいる。


もう、鎖の音は聞こえない。


少なくとも、今夜は。


誰かが壁を叩いて助けを求める音を、聞かずに済みそうだった。


俺は柔らかな尻尾へ身体を寄せ、ゆっくりと意識を休ませた。

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