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ゲームだと思ったら原初の生命に転生しました。  作者: くんくん
第2部

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石壁からの返事

第2部 第21話 石壁からの返事


「……誰かいるかもしれない」


小屋へ戻ってきたハルドは、濡れた外套を脱ぐより先にそう言った。


外では相変わらず雨が降っている。


屋根を叩く雨粒の音に混じって、ハルドの荒い呼吸が聞こえた。


「誰か、とは?」


ルナが尋ねる。


「石切り場で見つかった古い扉だ。あの奥から、何かを叩く音がする」


俺は身体を持ち上げた。


……叩く音?


「最初は雨水が落ちているだけだと思った。だが、どうも違う」


ハルドが続ける。


「こちらから扉を叩くと、向こうからも音が返ってくるんだ」


「……人間か?」


「分からん。声をかけても返事はない。ただ、偶然にしては妙な間隔で音が鳴る」


……なるほど。


俺は床に触手を押しつけた。


石の向こうから返ってくる音。


それが本当に誰かの合図なら、扉の奥に閉じ込められている可能性がある。


「……扉は開かぬのか?」


ルナが尋ねた。


「石でできた古い扉だ。隙間へ道具を差し込んでみたが、何かに引っかかって動かない」


ハルドの足音が入口の方へ向いた。


「それに、雨水が中へ流れ込んでいる。もし奥に人がいるなら、悠長に構えてはいられん」


……水。


俺は身体を縮めた。


洞窟の地下河川を思い出した。


水の流れが急に強くなったとき、逃げ場のない場所がどれほど危険なのか、俺は知っている。


「……それで、ノアに頼みたいことがある」


ハルドがこちらへ声を向ける。


「石扉の仕組みを、触って確かめてもらえないか?」


俺は少し考えた。


細い隙間へ触手を伸ばし、中の構造を調べる。


それなら、《構造形成》が役に立つかもしれない。


ただし、相手は石の扉だ。


木の床や荷車とは違う。


どんな仕組みになっているのかも分からない。


「村長には事情を説明してある」


ハルドが続けた。


「セインも同行する。許可が出たのは石切り場の入口までだ。危険だと判断したら、すぐに引き返してもらう」


……なるほど。


それなら、村との約束を破ることにもならない。


俺は触手を持ち上げた。


「ノア」


ルナが声をかける。


「本当に行くつもりか?」


俺は肯定した。


「……そうか」


少しの沈黙。


それから、ルナは静かに続けた。


「ならば、ひとつ約束せよ。扉の奥へ勝手に入り込まぬことだ」


……うん。


それは守る。


「貴様の身体なら、狭い隙間を通れるかもしれぬ。だが、戻れなくなっては意味がない」


俺はもう1度、肯定した。


中枢核まで入り込ませるつもりはない。


あくまで、触手で調べるだけ。


それ以上のことはしない。


「……よかろう」


ルナは小さく息を吐いた。


「気をつけて行ってこい」


俺は彼女の前脚へそっと触れた。


……行ってきます。


⸻


「……お前、本当に便利な身体してるよな」


石切り場へ向かう途中、セインがそんなことを言った。


俺は彼の持つ木箱の底へ身体を固定している。


雨に濡れないよう、上には布をかけてもらった。


木箱といっても、蓋を閉められているわけではない。必要なら俺が自分で出られるようになっている。


「この前は畑の虫を捕まえて、今度は石の扉か」


……まあね。


俺は触手を少し持ち上げた。


「だが、無理はするなよ。ハルド隊長からも言われてるんだ」


分かってる。


俺は箱の底を軽く叩いた。


「お、返事か?」


もう1度、叩く。


「……ははっ。こうしてると、普通に話してるみたいだな」


……話せれば、もっと楽なんだけどな。


俺は身体を小さくまとめた。


外では雨が降り続いている。


土の上を歩く足音。


水たまりを踏む音。


遠くから聞こえる川の流れ。


普段なら、もっと細かく周囲を探れるはずだった。


だが、今日は雨の振動が強い。


《微振動感知》だけで正確な位置を知るのは難しかった。


その代わり、セインがときどき周囲の様子を教えてくれる。


「もう少しで石切り場だ。道が悪いから、しっかり掴まってろよ」


……了解。


俺は《粘着性》を少し強めた。


箱が揺れるたびに身体がずれるが、固定しておけば落ちる心配は少ない。


しばらくして、足元の振動が変わった。


柔らかい土から、硬い石の上へ。


……こつ。


……こつ。


セインの靴音が、はっきりと伝わってくる。


「着いたぞ」


木箱が地面へ置かれた。


俺はゆっくりと身体を伸ばした。


「ノア、こっちだ」


ハルドの声。


俺はその方向へ移動した。


⸻


石切り場は、思っていたより広かった。


……いや。


正確には、広いらしい。


俺自身には見えない。


ただ、周囲へ広げた感知膜に返ってくる音が、開けた場所特有のものだった。


近くには石の壁があり、そこから少し離れると風の流れが変わる。


足元にも、切り出された石材がいくつも置かれているらしい。


「……昔は、ここで建築用の石を切り出していたそうだ」


セインが説明してくれた。


「だが、岩盤が崩れてからは使われなくなった。今じゃ、ほとんど人も来ない」


……なるほど。


そんな場所に、古い扉が見つかったのか。


「こっちだ」


ハルドが案内する。


俺は慎重に身体を移動させた。


すると。


……こつ。


触手の先端が、硬いものへ当たった。


石だ。


しかも、かなり大きい。


俺は身体を少し広げ、表面をなぞった。


ざらついた石肌。


ところどころに深い溝。


そして、一定の間隔で続く、人工的な凹凸。


……おお。


確かに、自然にできた岩壁とは違いそうだ。


「それが扉だ」


ハルドが言った。


「高さは大人の男より少し上。横幅も、人が2人並んで通れそうなくらいある」


……結構大きいな。


「もともとは、崩れた石の陰に隠れていた。誰かが最近、周囲の石を動かしたらしい」


……最近?


俺は触手を止めた。


「古い崩落跡の上に、新しい工具の傷が残っている。土も掘り返されていた」


なるほど。


扉そのものは古い。


だが、入口を使える状態にしたのは最近ということか。


……ますます怪しいな。


「それで、問題の音だが」


ハルドが石扉へ近づいた。


「今から叩いてみる」


……こん。


石を叩く硬い音が響いた。


続けて、2回。


……こん、こん。


俺は身体を止めた。


扉へ触手を押しつける。


石を伝わった振動が、身体の表面へ広がっていった。


しばらく、何も起こらない。


……雨音だけか?


そう思った直後。


……こつ。


……こつ、こつ。


「…………」


俺は動きを止めた。


今のは。


「聞こえたか?」


ハルドが尋ねる。


俺は大きく肯定した。


明らかに、こちらの音へ反応している。


しかも、同じ間隔だ。


「……やっぱり、誰かいるな」


セインが低く呟いた。


俺はもう1度、扉へ触手を押しつけた。


すると。


……こつ。


少し弱い振動。


続いて。


……こつ。


……こつ。


今度は間隔が乱れている。


……力が弱くなってる?


俺は身体を強張らせた。


もし誰かが閉じ込められているのなら、かなり消耗しているのかもしれない。


「……急ごう」


ハルドの声が鋭くなった。


「ノア、何か分かるか?」


俺は扉の端へ移動した。


⸻


石扉の周囲には、いくつかの隙間があった。


俺はそのひとつへ触手を伸ばしてみた。


……するっ。


入った。


だが、少し進んだところで石に当たる。


……行き止まりか。


俺は引き抜き、別の場所を調べた。


今度は、扉の下だ。


そこから、雨水が細く流れ込んでいる。


……まずいな。


このまま雨が続けば、中へ水が溜まるかもしれない。


俺は触手を薄く広げ、隙間へ差し込んだ。


……するする。


さっきより、奥まで入る。


しかし、すぐに何かへ引っかかった。


硬い。


石ではない。


表面が滑らかで、細長い。


……金属か?


俺は触手を少し動かした。


金属は、扉の裏側から横へ伸びているらしい。


そして、その先が石の溝へ収まっている。


「……なるほど」


俺は身体を止めた。


これは、もしかして。


……閂みたいなものか?


もちろん、正確な構造は分からない。


だが、扉が動かない原因のひとつかもしれない。


俺は触手を引き抜き、ハルドの方へ向けた。


「……何か見つけたか?」


肯定する。


俺は地面へ短い線を引いた。


次に、その線を横切るように別の線を引く。


そして、横の線だけを動かそうとした。


「……横木?」


ハルドが尋ねる。


俺は大きく肯定した。


「扉の裏に、何か引っかかっているのか?」


もう1度。


「……なるほど」


ハルドが扉へ触れる。


「外から見た限り、錠はない。だが、内側に留め金があれば話は別だ」


……そう。


たぶん、それだ。


「しかし、妙だな」


セインが言った。


「中に誰か閉じ込められているなら、そいつが外せばいいんじゃないか?」


……確かに。


俺は少し考えた。


中にいる者が、留め金へ手を伸ばせないのだろうか。


それとも、壊れているのか。


あるいは。


……外から、何かで閉じられた?


「……分からんな」


ハルドも同じ疑問を抱いたらしい。


「まずは開けることを優先しよう」


俺は肯定した。


そして、もう1度触手を隙間へ差し込んだ。


⸻


金属の留め具は、思っていたより複雑だった。


横へ伸びた棒。


それを支える小さな金具。


さらに、その端に引っかかる突起。


俺は触手で少しずつ形を確かめた。


……なるほど。


横の棒をそのまま押しても動かない。


何かが引っかかっている。


……これを外せばいいのか?


俺は《構造形成》を使い、触手の先端を細く固めた。


《硬質外皮》は必要な部分だけ。


全体を硬くすると曲がらなくなるため、先端だけを補強する。


……ぐっ。


金具へ力を加える。


動かない。


もう少し。


……ぐぐっ。


やはり、動かない。


「……くそ」


俺は力を緩めた。


無理に押せば、触手が傷つく。


そもそも、仕組みを理解しないまま力任せに動かすのは危険だ。


……もう1度、確かめよう。


俺は触手を少し戻し、金具の根元をなぞった。


……こつ。


硬い突起。


その隣に、わずかな隙間。


さらに触れてみると、金具の一部が少しだけ動くことに気づいた。


……ん?


俺は方向を変えて押した。


……かち。


小さな振動が返ってきた。


「……お?」


今、動いたぞ。


俺は同じ場所を、もう1度押してみた。


……かち。


わずかに持ち上がる。


ただし、手を離すと元へ戻るらしい。


……ばねみたいな仕組みか?


いや、そうとは限らない。


重さで戻っているだけかもしれない。


とにかく。


これを持ち上げた状態で、横の棒を動かせば……。


「……やってみるか」


俺は2本目の細い触手を作った。


だが、狭い隙間へ2本を通すのは難しい。


互いに押し合い、思うように動かない。


「……うっ」


さらに、身体への負担が増えてきた。


昨日の調査に続き、今日も細かな構造を維持している。


今の俺には、長く続けられる作業ではない。


……焦るな。


俺は触手を少し引き戻した。


一度、形を作り直す。


細く。


柔らかく。


必要な先端だけ、硬く。


そして、もう1度。


……するっ。


隙間へ差し込む。


1本目で突起を持ち上げる。


……かち。


そのまま固定。


2本目を横の棒へ伸ばす。


……ぐっ。


力を加える。


……ぎりっ。


動いた。


ほんの少しだが。


「……いける!」


俺は身体をさらに引き締めた。


中枢核は外に残してある。


奥へ伸ばしているのは、身体の一部だけだ。


ただし、その一部を失っても負担は大きい。


慎重に。


ゆっくり。


……ぎりっ。


……がこん!


突然、重い振動が返ってきた。


「……っ!」


俺は慌てて触手を引き抜いた。


その直後。


……ごとん!


石扉の内側で、何かが外れる音がした。


「……おい!」


セインが声を上げた。


「今、何か動いたぞ!」


……やったか!?


俺は身体を持ち上げた。


ハルドがすぐに扉へ近づく。


「セイン! こっちを押せ!」


「了解!」


2人が石扉へ力を加える。


……ぐぐぐ。


重いものが動く振動。


だが、まだ開かない。


「……固いな!」


セインが唸る。


「無理に押すな! こじ開けるための木材を使う!」


ハルドが指示する。


近くで待機していた警備隊員たちが、太い木材を運んできた。


どうやら、最初から用意していたらしい。


……なるほど。


俺が仕組みを外し、人間たちが力を加える。


役割分担ってやつだな。


俺は邪魔にならない場所へ移動した。


「……せーの!」


……ぎぎぎ。


石が擦れる音が響く。


さらに力を加える。


……ごごっ!


「……動いた!」


誰かが叫んだ。


続いて、冷たい空気が流れてきた。


雨水を含んだ石の隙間から、奥に溜まっていた空気が押し出される。


……開いた。


俺は身体を止めた。


だが、その直後。


「……た、助け……」


かすかな声が聞こえた。


……人間だ。


⸻


「誰かいるぞ!」


ハルドが叫んだ。


複数の足音が、扉の向こうへ向かう。


俺も反射的に動きかけたが、すぐに止めた。


約束だ。


扉の奥へは入らない。


俺は入口の石へ身体を寄せ、振動を探った。


奥から、人間の荒い呼吸が聞こえる。


そして、水の流れる音。


……結構、溜まってるな。


「……こっちだ!」


セインの声。


「倒れてる! まだ息はあるぞ!」


……よかった。


生きてる。


俺は身体を小さくまとめた。


しばらくして、重い足音が近づいてくる。


どうやら、誰かを支えて運び出しているらしい。


「……外へ出すぞ!」


ハルドが言った。


……ざっ。


……ざっ。


そして。


……どさっ。


柔らかな布の上へ、人間が横たえられた振動が伝わった。


「水だ。少しずつ飲ませろ」


ハルドが指示する。


「外傷も確認しろ。首や背中は無理に動かすなよ」


……なるほど。


俺は少しだけ安心した。


だが、次の瞬間。


「……お前!」


セインの声が変わった。


「……あの夜、逃げた男じゃないか!」


「…………」


俺は動きを止めた。


……え?


逃げた男?


それって。


俺たちを捕まえようとした、もう1人の男か?


「……間違いない」


ハルドの声が低くなる。


「顔に見覚えがある。あのとき森へ逃げ込んだ男だ」


……おいおい。


俺は思わず身体を縮めた。


まさか。


助けた相手が、俺たちを捕まえようとしていた人間だったとは。


「……どうする、隊長」


セインが尋ねる。


少しの沈黙。


そして、ハルドが答えた。


「まずは治療だ。話を聞くのは、そのあとでいい」


……おお。


俺は触手を持ち上げた。


その判断には、少し安心した。


悪いことをした人間だからといって、目の前で死にかけているのを放っておく理由にはならない。


ただし、逃がすわけにもいかない。


ハルドは別の隊員へ声をかけた。


「武器を確認してくれ。身体を動かせる状態になったら、詰め所へ連れていく」


「了解!」


……うん。


それがいいと思う。


俺は石扉の方へ身体を向け直した。


奥からは、まだ水の流れる音が聞こえる。


扉が開いたことで、溜まっていた水が少しずつ外へ流れ始めたらしい。


……危なかったな。


もし、もう少し遅れていたら。


あの男は、水の中へ取り残されていたかもしれない。


⸻


男が口を開いたのは、応急手当が終わってからだった。


名前はダグ。


ニールと一緒に、俺たちを捕まえようとした男らしい。


「……俺を、助けたのか」


かすれた声が聞こえた。


「そうだ」


ハルドが答える。


「だが、逃がすつもりはない。村へ戻ったら、話を聞かせてもらう」


「…………」


ダグはしばらく黙っていた。


やがて、小さく笑った。


「……そうだろうな」


その声には、力がなかった。


俺は少し離れた場所で、静かに聞いていた。


「……どうして、ここに閉じ込められていた?」


ハルドが尋ねる。


ダグはすぐには答えなかった。


ただ、荒い呼吸が続いている。


「……雇い主に、置いていかれた」


ようやく、低い声が返ってきた。


「……置いていかれた?」


「ああ。あんたらに追われて、森へ逃げたあと……ここへ戻ったんだ」


……ここへ?


俺は身体を止めた。


「もともと、石切り場で合流する約束だった。だから、逃げ込むならここしかないと思った」


「……それで?」


「……いたんだよ。あの男が」


……あの男。


雇い主か。


「荷車はなかった。だが、ほかの連中が何かを運んでいた」


ハルドの声が硬くなる。


「……何を?」


しばらく、沈黙。


そして。


「……白い狐だ」


「…………」


俺は身体を強張らせた。


……大きい方か?


「小さい狐じゃない」


ダグが続けた。


「もっと大きいやつだ。脚を鎖で縛られて……動けなくなっていた」


……っ。


俺は触手を強く握るように縮めた。


あの狐。


連れ去られた、もう1匹。


生きていたのか。


「……どこへ運んだ?」


ハルドが尋ねる。


「……分からねえ」


ダグは苦しそうに息を吐いた。


「石切り場の奥だ。古い扉を開けて、何人かで運んでいった」


「……この扉か?」


「……ああ」


俺は動きを止めた。


……じゃあ。


この奥に、まだいるのか?


「俺は入口で待てと言われた。だが、しばらくして中から呼ばれて……」


ダグの声が震えた。


「入った途端、後ろで扉を閉められた」


……え?


俺は身体を縮めた。


「……閉じ込められたのか?」


ハルドが尋ねる。


「そうだ。何かの金具を使って、外から留め具を落としやがった」


……なるほど。


俺がさっき動かした仕組みか。


外から細い道具を使えば、留め具を閉じることもできるらしい。


「……どうして、そんなことを?」


セインが尋ねた。


「……俺が、あんたらに見つかったからだ」


ダグは乾いた声で答えた。


「捕獲に失敗して、ニールも捕まった。俺まで戻ってきたのが、気に入らなかったんだろうな」


……ひどい話だ。


もちろん、ダグ自身も俺たちを捕まえようとした人間だ。


同情するつもりはない。


だが、失敗した仲間を閉じ込めて放置するというのは、どう考えても普通じゃない。


「……奥の連中は、どこへ行った?」


ハルドが尋ねる。


「分からねえ。俺が閉じ込められてから、しばらくは足音がしてたが……」


そこで、ダグは言葉を止めた。


「……何だ?」


ハルドが尋ねる。


「……いや」


ダグの呼吸が速くなる。


「……あそこには、まだ何かいる」


「…………」


俺は身体を止めた。


……何か?


「狐のことか?」


ハルドが尋ねた。


「……分からねえ」


ダグは震える声で答えた。


「人の足音じゃない。ずっと奥の方から……何かが、石を叩いてるみたいな音がしてた」


……石を叩く音。


俺は反射的に扉へ触手を向けた。


「……それは、どんな音だった?」


セインが尋ねる。


ダグは少し黙った。


そして。


「……一定じゃないんだ」


低い声が返ってきた。


「最初は遠かった。だが、だんだん近づいてきて……」


そこまで言って、ダグは身体を震わせたらしい。


布が擦れる音が聞こえる。


「……俺が扉を叩き始めたら、向こうも叩き始めた」


「…………」


俺は動きを止めた。


……向こうも?


「……待て」


ハルドの声が低くなる。


「お前が叩いていた音とは別に、何かが叩いていたのか?」


「……ああ」


ダグが答えた。


「だから、助けを呼ぶのも怖くなった。だが、水が増えてきて……もう、どうしようもなくて……」


……なるほど。


俺は身体を小さくまとめた。


さっき、扉の向こうから返ってきた音。


あれは、ダグが叩いていたものだと思っていた。


だが。


本当に、それだけだったのだろうか。


⸻


「……隊長」


セインが静かに声をかけた。


「どうする?」


「今日は、ここまでだ」


ハルドは迷わず答えた。


「負傷者を村へ運ぶ。奥の調査は、人員と装備を整えてからだ」


……そうだな。


俺も、それがいいと思う。


今の段階で、扉の奥へ踏み込むのは危険だ。


内部の構造も分からない。


雨水がどれほど溜まっているのかも不明だ。


しかも、何か生き物がいるかもしれない。


「扉はどうする?」


セインが尋ねる。


「完全には閉じない。だが、勝手に入られないよう、外から見張りを置く」


……なるほど。


確かに、また閉じてしまえば、中に何かあったときに対応できなくなる。


ただし、開け放したまま放置するのも危険だ。


人が入れないようにするだけなら、柵や縄で区切る方法もあるだろう。


「……ノア」


ハルドがこちらへ声を向けた。


俺は触手を持ち上げた。


「今日は助かった。お前がいなければ、扉を開けるのにもっと時間がかかっていたかもしれん」


……いや。


みんなで開けたんだよ。


俺は触手を左右へ振った。


すると、セインが笑った。


「また遠慮してるのか? お前が仕組みを外したのは確かだろ」


……まあ。


それはそうだけど。


「礼くらい受け取っとけ」


俺は少しだけ身体を揺らした。


……分かったよ。


すると、ハルドが続けた。


「それから、もうひとつ」


……ん?


俺は触手を向けた。


「ダグを助けることに、迷わなかったようだな」


「…………」


俺は動きを止めた。


……迷わなかった?


いや。


正直に言えば、少し驚いた。


助けた相手が、俺たちを捕まえようとしていた男だったのだから。


だが、扉を開ける前には、誰がいるのか分からなかった。


それに。


たとえ最初から知っていたとしても、目の前で死にかけている相手を見捨てられたかどうか。


……分からないな。


俺は触手を小さく下ろした。


ハルドは、それ以上何も言わなかった。


ただ、少しだけ穏やかな声で続けた。


「……そういうこともある」


……ん?


「助けた相手が、いい人間とは限らん。だが、助けたことが間違いになるとも限らん」


「…………」


俺は静かに聞いていた。


「ダグが何をしたかは、これから調べる。お前たちを襲ったことも、なかったことにはしない」


……ああ。


それでいい。


俺はゆっくり肯定した。


⸻


帰る前に、俺はもう1度だけ石扉へ触れた。


開かれた隙間から、冷たい空気が流れてくる。


石の表面には、雨水が伝っていた。


俺は短い触手を作り、扉の縁へ押しつけた。


《微振動感知》。


石を通じて、奥の振動を確かめる。


……こつ。


自分で軽く叩く。


振動が伝わっていく。


少し遅れて、弱い反響が戻ってきた。


……なるほど。


奥には、ある程度の空間があるらしい。


だが、広さも形も分からない。


もっと深い場所までは、今の感覚では届かない。


……それでも。


「……ん?」


俺は身体を止めた。


石の向こうから、別の振動が返ってきた。


……ごう。


低く、長い振動。


地下を流れる水のようにも感じる。


だが、それだけではなかった。


……こつ。


……こつ、こつ。


「…………」


俺は動きを止めた。


今のは。


石を叩くような音。


しかも、扉のすぐ向こうではない。


もっと奥から、かすかに伝わってきた。


「……ノア?」


セインが声をかけてくる。


俺はすぐに触手を持ち上げた。


そして、扉の奥へ向けた。


「……何か聞こえたのか?」


肯定する。


「……人の声か?」


否定した。


人間の声ではない。


少なくとも、俺にはそう聞こえなかった。


「……何かが動いてる?」


俺は少し迷い、触手を止めた。


動いているかどうかまでは分からない。


ただ、石を叩くような振動がある。


俺は地面へ短い触手を伸ばし、同じ間隔で叩いてみせた。


……こつ。


……こつ、こつ。


「……なるほど」


セインの声が低くなる。


「ダグが言ってた音かもしれないな」


……ああ。


その可能性はある。


ただし、同じものだとは限らない。


俺は触手を下ろした。


すると、ハルドが近づいてきた。


「……何か分かったか?」


セインが事情を説明する。


しばらくして。


「……そうか」


ハルドは静かに言った。


「やはり、奥の調査は慎重に進めるべきだな」


……そうだな。


俺はゆっくり肯定した。


「ノア、今日はもう戻ろう」


……了解。


俺は石扉から身体を離した。


だが、最後にもう1度だけ、触手の先端へ振動が伝わってきた。


……こつ。


たった1回。


それきり、何も聞こえなくなった。


⸻


小屋へ戻ると、ルナがすぐに声をかけてきた。


「……ノア!」


俺は触手を持ち上げた。


「無事か?」


肯定する。


すると、柔らかな前脚が触れてきた。


「……まったく。随分と心配させおって」


……ごめん。


俺はそっと触手を寄せた。


ハルドが、今日あったことを説明する。


古い石扉。


閉じ込められていたダグ。


奥へ運ばれた大きな白い狐。


そして、扉の向こうから聞こえた妙な音。


ルナは最後まで黙って聞いていた。


やがて。


「……そうか」


静かな声が返ってきた。


「やはり、あの場所はただの石切り場ではなかったか」


……そうだな。


俺も、そう思う。


「……閉ざされた道かもしれぬな」


ハルドが尋ねた。


「確証はあるのか?」


「……まだない」


ルナは正直に答えた。


「だが、古い記録にあった話と重なる部分はある」


……なるほど。


俺は身体を小さくまとめた。


古い地下道。


岩山の南側。


そして、商人たちが使っていたらしい秘密の通路。


確かに、気になることばかりだ。


「……それから」


ルナが続ける。


「ノアが聞いたという音も、気になる」


……ああ。


俺は触手を持ち上げた。


あの低い振動。


そして、石を叩くような音。


何だったのだろう。


「……ただし」


ルナの声が少し強くなる。


「だからといって、今すぐ調べに行くなどと言い出すでないぞ」


……言いませんよ。


俺は触手を左右へ振った。


すると、ハルドが笑った。


「安心しろ。俺たちも、準備なしに踏み込むつもりはない」


「……ならばよい」


ルナが答えた。


俺もゆっくり肯定した。


今は、焦る必要はない。


ダグからは、まだ聞けることがあるかもしれない。


古い扉の向こうにも、調べるべきことがある。


ただし、危険を無視して飛び込む理由にはならない。


……それに。


俺は小屋の外へ意識を向けた。


軒下では、白い狐が静かに休んでいる。


今日も、少しだけ食事を口にしたらしい。


まだ十分に回復してはいないが、以前よりは動けるようになってきた。


……よかった。


俺は身体を小さく揺らした。


すると、ルナが静かに言った。


「……ノア」


俺は触手を向けた。


「今日の話を、あの狐へ聞かせるべきだと思うか?」


「…………」


俺は動きを止めた。


……それは。


難しいな。


大きな狐が、古い扉の奥へ運ばれた。


それを伝えたところで、今の俺たちに助け出す方法はない。


逆に、白い狐が無理に動こうとしてしまうかもしれない。


だが、黙っているのも違う気がする。


「……どうしよう」


俺は身体を小さくまとめた。


すると、ルナが続けた。


「……まあ、今すぐ決める必要はない。まずはマルタと相談しよう」


……そうだな。


俺はゆっくり肯定した。


ルナは少しだけ笑った。


「貴様が独りで悩むことではない」


「…………」


俺はそっと彼女の前脚へ触れた。


……ありがとう。


その温かさに触れながら、俺は静かに考えた。


今日、俺たちはひとつの扉を開けた。


その向こうから、人間を助け出した。


だが、扉の奥にはまだ別の道が続いている。


そして、そこへ大きな白い狐が運ばれたらしい。


……まだ、終わっていないな。


俺は身体を小さくまとめた。


石の扉は開いた。


だが、その先へ進むには、まだ準備が必要だ。


少なくとも。


あの低い振動の正体が分かるまでは、慎重に進んだ方がいい。


……そうだ。


俺はふと、もうひとつのことを思い出した。


ダグは、雇い主に閉じ込められたと言っていた。


つまり、あの男は扉の仕組みを知っていたことになる。


古い石扉の開け方も。


閉じ方も。


そして、奥へ続く道の存在も。


……誰から教わったんだ?


俺は身体を止めた。


あの商人たちは、偶然この場所を見つけたのだろうか。


それとも。


最初から、ここに何があるのか知っていたのか。


「……なるほどな」


俺は静かに考えた。


調べるべきなのは、扉の向こうだけじゃない。


どうして、あの男たちが扉の場所を知っていたのか。


その理由も、きっと重要なのだろう。


俺は小屋の床へ身体を広げ、ゆっくりと感知範囲を狭めた。


雨は、まだ降っていた。


屋根を叩く細かな音が続いている。


だが、今はその音も、少しだけ違って聞こえた。


遠くの石切り場。


開かれた古い扉。


そして、その奥から返ってきた小さな音。


……あれは、何だったのだろう。


俺はその疑問を抱えたまま、ルナの隣へ身体を寄せた。

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