扉を開けない理由
第2部 第14話 売り物じゃない
「……値段を聞かれた?」
ハルドの声が低くなった。
小屋の入口で、ボルクが申し訳なさそうに答える。
「ああ。昨日、村へ来た商人の1人にな」
俺は床に身体を広げたまま、2人の会話を聞いていた。
夜が明けてから、まだそれほど時間は経っていない。
昨夜、小屋の窓を開けようとしていた男たちについて、ハルドが聞き込みをしていたところだった。
そこへ、ボルクがやって来たのだ。
「最初は何のことか分からなかったんだ。村の外れに、珍しい魔獣がいると聞いたが本当か、なんて言うからよ」
「それで?」
「怪我をしていて動けないらしいな、と。それから、持ち主は誰なのか、譲ってもらえるならいくら必要なのかって聞いてきた」
「…………」
小屋が静かになった。
……ああ。
なるほど。
そういう話か。
俺は身体を少し縮めた。
珍しい魔獣。
怪我をしている。
譲ってもらえるか。
どう考えても、ルナのことだ。
「もちろん、そんな話は知らねえって断ったぞ」
ボルクが慌てて付け加える。
「そもそも、あいつらは誰かの持ち物じゃないからな」
……おお。
ありがとう、ボルク。
俺は触手を持ち上げた。
すると、彼が少し笑った。
「気にすんな。お前らに助けてもらってるのは、こっちも同じだからよ」
「……それで、その商人の特徴は?」
ハルドが尋ねる。
「背の高い男だった。茶色い外套を着ていて、右の頬に古い傷があったな。荷車には木箱をいくつも積んでた」
「ほかには?」
「同行者が1人いたはずだ。そっちはあまり覚えてねえ」
ハルドは少し考え込んだ。
「……昨夜の2人と同じとは限らんが、調べる必要はあるな」
そのとおりだと思う。
夜中に窓をこじ開けようとした男が2人。
昨日、ルナを譲ってほしいと尋ねてきた商人にも同行者がいた。
人数は一致する。
だが、それだけで同一人物だと決めつけることはできない。
「……ふむ」
ルナが静かに口を開いた。
「随分と失礼な連中だな」
声は落ち着いている。
ただ、いつもより少し低かった。
「我に値をつけるとは」
「……気分を悪くさせたなら、すまねえ」
ボルクが言う。
「貴様が謝る必要はない。問題なのは、我を物と勘違いしておる者だ」
……まったくだ。
俺は大きく肯定した。
すると、ルナが少しだけ笑った。
「ノアも同感らしいぞ」
「……だろうな」
ハルドが小さく息を吐く。
「それに、連中の目的がルナだけとも限らん」
……え?
俺は触手を止めた。
「どういうことだ?」
ルナが尋ねる。
「ノアの存在も噂になっている。言葉を理解する変わったスライムがいる、とな」
……ああ。
そういえば、俺も珍しい魔物だった。
すっかり忘れていた。
「珍しいものに金を出す連中なら、ノアにも興味を持つ可能性がある」
「……なるほどな」
ルナの声が、さらに低くなる。
「ならば、ますます警戒せねばならぬ」
……いや、ルナ。
俺のことより、自分の怪我を心配してくれ。
そう思ったが、彼女は続けた。
「ノアは我の仲間だ。誰かに渡すつもりなどない」
俺は思わず身体を揺らした。
……ありがとう。
でも、それは俺も同じだからな。
⸻
「ひとまず、今日から小屋の警戒を強める」
ハルドが言った。
「ただ、夜通し警備隊員を張りつけるのは難しい。村の見回りもあるからな」
「……それは承知しておる」
ルナが答える。
「だから、まずは窓と扉を補強しよう」
その言葉に、ボルクがすぐに反応した。
「なら、俺がやる。昨日、床を直したときに余った木材があるからな」
……おお。
またお世話になります。
俺は触手を持ち上げた。
「ははっ。今度は床を踏み抜く前に見つけてくれよ」
……いや。
床を踏み抜いたのはエマなんだけど。
俺が少し身体を揺らすと、ボルクが笑った。
「分かってるって。冗談だ」
……まったく。
最近、みんな俺をからかうのが上手になってきた気がする。
「それから、ノア」
ハルドが声をかけてきた。
俺は触手を向ける。
「お前にも頼みたいことがある」
……ん?
「何か異常を感じたとき、こちらへ知らせる方法を決めておきたい」
……ああ。
確かに。
俺はまだ、まともに喋れない。
声を出す仕組みは少しずつ作れるようになってきたが、人間の言葉として聞き取ってもらえるほどではない。
夜中に誰かが来ても、俺1人では助けを呼ぶのが難しい。
「そこで、これを持ってきた」
……ことん。
硬いものが床へ置かれた。
続いて、軽い金属音。
……ちりん。
「……鈴?」
ルナが尋ねる。
「ああ。呼び鈴だ」
ハルドが答えた。
「村の詰め所で使っていたものを借りてきた。手で振れば、かなり大きな音が鳴る」
……へえ。
俺は興味を持って触手を伸ばした。
触れたのは、小さな金属製の鐘だった。
上部には持ち手があり、中には小さな金属の部品が吊られている。
試しに、軽く揺らしてみる。
……ちりん。
「……おお」
俺は思わず身体を持ち上げた。
音が鳴った。
しかも、かなりはっきりした振動だ。
「ノアにも扱えるようだな」
ハルドが少し笑った。
「これを入口の近くに置いておく。何かあったら鳴らしてくれ」
……なるほど。
俺はもう1度、鈴を揺らした。
……ちりん、ちりん。
「……ただし」
ハルドが続ける。
「むやみに鳴らすなよ。警備隊が駆けつける合図にするんだからな」
……あ。
すみません。
俺は慌てて触手を離した。
すると、ボルクが笑い始めた。
「ははっ! 気に入ったみてえだな!」
……いや、そういうわけじゃ。
「ノア」
ルナが静かに言った。
……はい。
「新しい玩具ではないぞ」
……分かってますよ!
俺は触手を左右へ振った。
だが、ルナは楽しそうに笑っている。
……くそ。
絶対、分かってて言ってるだろ。
⸻
鈴をどう使うかについては、少し相談することになった。
「普通に鳴らしただけでは、風で揺れたのか、ノアが呼んでいるのか分からない場合もあるだろう」
ハルドが言う。
「だったら、3回続けて鳴らすのはどうだ?」
ボルクが提案した。
「一定の間隔で3回。それを合図にすりゃいい」
……なるほど。
俺は触手を持ち上げた。
「ノア、できるか?」
俺は肯定し、鈴へ触れた。
まず1回。
……ちりん。
少し間を置く。
……ちりん。
そして、もう1回。
……ちりん。
「……おお」
ボルクが感心したように声を上げた。
「ちゃんとできるじゃねえか」
……ふふん。
このくらいなら。
「……ノア」
ルナが呆れたように言った。
「褒められたからといって、もう1度鳴らすでないぞ」
……えっ。
まだ何もしてないのに!
俺は慌てて触手を引っ込めた。
ハルドまで笑っている。
「よし。それじゃ、3回続けて鳴らすのを合図にしよう」
「分かった」
ルナが答えた。
俺も肯定する。
ただし、ひとつだけ気になった。
鈴の音が聞こえたとして、警備隊がすぐに来られるとは限らない。
見回りが遠くにいれば、そもそも届かない可能性だってある。
俺がそんなことを考えていると、ハルドが続けた。
「もちろん、これだけで安全になるわけじゃない。今日は小屋の周囲を重点的に見回るつもりだ」
……そうだよな。
「もし相手が武装しているようなら、無理に戦わず小屋の中で待っていてくれ。こちらが来るまで時間を稼ぐんだ」
俺は肯定した。
ルナも静かに答える。
「……承知した」
その声には、少しだけ不満が混じっていた。
……分かる。
ルナだって、本当なら自分の力でどうにかしたいのだろう。
だが、今は右後ろ脚を負傷している。
魔力も、洞窟で使い果たしてから十分に回復しているかどうか分からない。
無理をして戦うべきではない。
「……今回は、頼ろう」
俺は心の中で呟いた。
何でも自分たちで解決しなくていい。
この村には、助けてくれる人がいるのだから。
⸻
昼を過ぎた頃、ボルクが窓の補強を始めた。
俺はその作業を、小屋の内側から確かめていた。
……こん。
……かん。
……ぎしっ。
木材を固定する振動が、壁を伝わってくる。
「……よし。これなら、外から簡単には開けられねえだろ」
ボルクの声がした。
続いて、窓の板を揺らす音。
……がたっ。
……がたっ。
「……うむ。しっかりしておるな」
ルナが答える。
俺も壁へ触手を伸ばした。
木の板。
その裏側へ追加された、硬い横木。
触ってみると、以前より構造が複雑になっていることが分かった。
「……なるほど」
俺は触手の先端で、横木の形を確かめた。
片側を支え、反対側へ差し込む。
その仕組みなら、内側からは外せるが、外側からは動かしにくい。
……いいじゃないか。
「ノア」
ボルクが声をかけてきた。
「そこ、緩んでるところがないか分かるか?」
……お?
また俺の出番か。
俺は壁へ身体を密着させた。
そして、短い触手を作り、板を軽く叩く。
……こつ。
振動が木を伝わる。
続いて、別の場所。
……こつ。
特におかしな感じはない。
俺はゆっくり肯定した。
「……よし!」
ボルクが満足そうに笑った。
「これなら大丈夫そうだな」
……たぶん。
俺も、そう思う。
ただ、俺に分かるのは振動の伝わり方だけだ。
実際にどれほどの力へ耐えられるのかまでは、判断できない。
その辺りは、ボルクに任せた方がいいだろう。
「それにしても、お前の感覚は便利だな」
ボルクが言った。
「板の浮きや緩みを、叩くだけで調べられるんだからよ」
……まあね。
「この前の床もそうだったし、いっそ建物の点検を手伝ってもらいたいくらいだ」
……建物の点検?
俺は少し考えた。
それも、悪くないかもしれない。
畑の虫を捕まえる。
水路を直す手伝いをする。
そして、建物の異常を調べる。
……俺、何でも屋みたいになってきたな。
思わず身体を揺らすと、ルナが笑った。
「……ふふっ。ノアには向いておるかもしれぬな」
……そうかな。
「貴様は放っておくと、何か調べ始めるからな」
……いや。
それは否定できない。
俺は少しだけ身体を縮めた。
⸻
ボルクが帰ったあと、小屋には静けさが戻った。
俺は補強された窓の下へ移動し、新しい《明暗感知》を試していた。
窓が閉じられているため、昼間でも室内へ届く光は限られている。
それでも、板の隙間から微かな明るさが伝わってくる。
「……なるほどな」
外の光が強くなれば、刺激も少し変わる。
ただし、物の形は分からない。
相変わらず、明るさの違いを感じるだけだ。
……それでも。
昨夜のように、外で誰かが灯りを動かしていれば、気づける可能性がある。
今の俺には、それがありがたい。
「……ノア」
ルナが声をかけてきた。
俺は触手を向けた。
「少し、話をしてもよいか?」
……ん?
俺は身体を止めた。
ルナの声が、いつもより静かだった。
「昨夜、我を捕まえようとした人間がいたと話しただろう」
……ああ。
俺は肯定した。
「そのときのことを、少し思い出しておってな」
俺は触手を下ろした。
今は、黙って聞こう。
「以前、旅の途中で人間の商人と出会ったことがある」
ルナはゆっくりと話し始めた。
「最初は、普通の旅人だと思っておった。道を尋ねられ、少し話をしただけだったからな」
……なるほど。
「だが、我が人間の言葉を話せると知ると、急に態度が変わった」
その声には、微かな苦さが混じっていた。
「珍しい魔獣だ、ぜひ詳しく話を聞きたいと。荷車の中で休んでいけばよいとまで言われた」
……あ。
嫌な予感がする。
「我も、その頃は人間の悪意というものを、今ほど警戒しておらなんだ」
少しの沈黙。
「だが、荷車へ近づいたとき、妙な金属音が聞こえたのだ」
……金属音?
俺は思わず触手を持ち上げた。
「中を確かめると、檻が積まれておった。それも、普通の獣用ではない。魔獣を捕らえるためのものだ」
……おいおい。
完全に捕まえるつもりじゃないか。
俺は身体を強張らせた。
「我が立ち去ろうとすると、商人たちは無理に引き止めようとした。結局、少々手荒な方法で逃げることになったがな」
……手荒な方法。
それ、絶対に魔術使っただろ。
俺がそんなことを考えると、ルナが小さく笑った。
「……まあ、多少はな」
……やっぱり。
だが、笑い声はすぐに消えた。
「そのとき思い知った。言葉が通じるからといって、互いに理解し合えるとは限らぬのだと」
「…………」
俺は黙っていた。
確かに、そうかもしれない。
話し合える相手なら、すべて解決する。
そんな簡単な話ではないのだろう。
相手が最初からこちらを物として見ているなら、どれだけ言葉を重ねても意味がない場合だってある。
「……だから、我は人間を警戒しておった」
ルナが続けた。
「だが、この村へ来て、少し考えが変わった」
……え?
俺は触手を持ち上げた。
「エマも、マルタも、ボルクも。貴様を見て最初に剣を抜いたセインでさえ、今では随分と気を遣ってくれておる」
……そうだな。
「人間をすべて信用するのは愚かだ。だが、すべて疑っていては、出会えぬものもあるらしい」
その声は、少しだけ穏やかだった。
「……ノア」
俺は触手を向けた。
「貴様と旅をすることになって、我も少し変わったのかもしれぬな」
「…………」
俺は動きを止めた。
……そうなのか。
俺の方こそ、ルナと出会って随分と変わった気がする。
洞窟では、生き残ることしか考えられなかった。
だが、今は違う。
人間と話したい。
世界を知りたい。
いつか、普通に旅をしたい。
そう思えるようになったのは、ルナのおかげだ。
俺は触手を伸ばし、彼女の前脚へそっと触れた。
「……ふふっ」
ルナが笑った。
「ありがとう、ノア」
⸻
夕方、ハルドが再び小屋へやって来た。
ただし、今度は少し様子が違った。
足音が速い。
それに、扉を叩く音も強かった。
……コン、コン!
「ルナ、ノア。少しいいか!」
「何だ、騒々しい」
ルナが答える。
扉が開き、ハルドが入ってきた。
「昨夜の男たちについて、少し分かったことがある」
……お?
俺は身体を持ち上げた。
「何が分かった?」
ルナが尋ねる。
「昨日、村へ来た商人の中に、ボルクへ白銀の魔獣のことを尋ねた男がいた」
……ああ。
今朝、聞いた話だ。
「そいつは、村で宿を取っていた。同行者と2人だ」
……2人。
俺は触手を止めた。
「だが、今朝早く宿を出たらしい。しかも、ほかの商人たちとは別行動だった」
……なるほど。
少し怪しいな。
「行き先は?」
ルナが尋ねる。
「宿の主人には、隣町へ戻ると言っていたそうだ。だが、荷車が向かったのは反対方向だったという話がある」
……反対方向?
俺は少しだけ身体を縮めた。
「村の北側だ。古い山道へ続く方角だな」
……山道。
どこかで聞いたことがあるような。
いや、俺はこの辺りの地理をほとんど知らない。
単に、洞窟から出てきたときのことを思い出しただけかもしれない。
「その男たちが昨夜の侵入者だと?」
ルナが尋ねた。
「まだ断定はできん」
ハルドは慎重に答えた。
「ただ、人数も一致するし、白銀の魔獣に興味を持っていたことも確かだ。調べる価値はある」
……うん。
それがいいと思う。
「それで、ひとつ気になることがある」
ハルドは続けた。
「奴らが積んでいた荷物だ」
……荷物?
俺は身体を持ち上げた。
「宿の主人によれば、ほとんどが木箱だったらしい。だが、その中にひとつだけ、大きな鉄製の箱があったそうだ」
……鉄製?
俺は動きを止めた。
「しかも、普通の荷物にしては妙な造りだったという」
ルナの呼吸が、わずかに変わった。
「……どのような造りだ?」
「側面に細い隙間がいくつもあり、外側から錠をかけられるようになっていたそうだ」
「…………」
小屋が静かになった。
俺は、その説明を頭の中で繰り返した。
鉄製の箱。
側面の隙間。
外側からかける錠。
……まさか。
「……檻か」
ルナが低く呟いた。
「恐らくな」
ハルドが答える。
「荷車に檻を積む商人が、すべて怪しいわけではない。家畜や魔物を運ぶ仕事もあるからな」
……確かに。
それだけで悪人と決めつけることはできない。
「だが、今の状況では見過ごせん」
ハルドの声が、少しだけ強くなった。
「村長にも報告した。必要なら、こちらから人を出して調べるつもりだ」
「……そうか」
ルナは静かに答えた。
その声は落ち着いていた。
だが、俺には分かった。
彼女が警戒している。
恐らく、さっき話してくれた過去の出来事を思い出しているのだろう。
俺はそっと触手を伸ばした。
そして、ルナの前脚へ触れる。
「……ノア」
小さな声が届いた。
「……大丈夫だ」
……本当か?
俺は少し心配になった。
だが、ルナは続けた。
「今は、独りではないからな」
「…………」
俺はゆっくりと肯定した。
……そうだな。
今回は、俺もいる。
それに、ハルドたちもいる。
あの洞窟とは違う。
逃げるしかなかった頃とは、状況が違うのだ。
⸻
ハルドが帰ったあと、俺は小屋の入口へ移動した。
床には、今日渡された呼び鈴が置いてある。
俺はその表面へ触手を伸ばした。
冷たい金属。
硬い持ち手。
そして、中に吊るされた小さな部品。
……ちりん。
軽く動かすと、音が鳴った。
「……ん?」
ルナが反応する。
「ノア。何をしておる?」
俺は慌てて触手を止めた。
……すみません。
ちょっと確かめただけです。
「……まったく」
ルナが小さく笑った。
「気になるのは分かるが、本当に危険が迫ったとき以外は鳴らすでないぞ」
……はい。
俺は素直に触手を引っ込めた。
そして、少し考えた。
今の俺にできること。
振動を感じる。
明るさの変化を知る。
細い隙間へ身体を伸ばす。
形を変え、必要なら硬質化する。
それから、鈴を鳴らす。
……たったそれだけか。
いや。
違うな。
俺には、頼れる相手もいる。
ルナ。
ハルド。
ボルク。
エマ。
マルタ。
今まで知り合った人たちだ。
そして、俺にはもうひとつ、できることがある。
……約束を守ることだ。
勝手に村へ入らない。
無理に戦わない。
危険なら知らせる。
それだけで、誰かが助けに来てくれる可能性がある。
……だったら。
「……焦る必要はないか」
俺は身体を小さくまとめた。
そのとき、ルナが声をかけてきた。
「……ノア」
俺は触手を持ち上げた。
「ひとつだけ、言っておく」
……ん?
ルナの声が、少しだけ真面目になった。
「もし本当に、あの商人たちが我らを狙っておるのなら……」
少しの沈黙。
「我は、ただ捕まるつもりなどないぞ」
……当然だ。
俺は大きく肯定した。
「だが、貴様が無茶をすることも許さぬ」
……うっ。
先に言われた。
「だから、何かあれば必ず我へ知らせよ。独りで何とかしようとするでないぞ」
……分かった。
俺は素直に肯定した。
すると、ルナが小さく笑った。
「……うむ。それでよい」
そして。
「我らは仲間だからな」
……ああ。
俺も、そう思う。
俺は触手を伸ばし、ルナの前脚へそっと触れた。
小屋の外では、夕方の風が木々を揺らしている。
遠くからは、村人たちの足音や荷車の振動が伝わってきた。
いつもと変わらない、静かな夕暮れ。
だが、今の俺たちは知っている。
この村の外に、俺たちを物として見ているかもしれない人間がいる。
そして、その相手はまだ見つかっていない。
……さて。
どうしたものかな。
俺は身体の中心へ意識を向けた。
《中枢核》。
その周囲を、薄く硬質化する。
続いて、身体の表面へ《明暗感知》を広げた。
今の俺には、まだ見えないものが多い。
だが、感じ取れるものは増えてきた。
そして、伝える方法も。
……次に何かあったら。
今度こそ、早く知らせよう。
誰かが傷つく前に。
俺は入口の呼び鈴へ触手を向け、それから静かに引っ込めた。
今夜は、使わずに済むといい。
そう願いながら、俺はルナの隣へ戻った。




