足元の異変
第2部 第11話 足元の異変
昨夜から、気になっている音があった。
……かさっ。
……こそ、こそ。
小屋の外で何かが動いている。
最初は虫だと思った。実際、この辺りには小さな生き物が多い。森の木の根元ほどではないが、土の中から絶えず微かな振動が伝わってくる。
けれど、その音には少し妙なところがあった。
夜中に何度か聞こえた場所が、ほとんど変わっていないのだ。
「……同じ虫がいるのかな」
俺は干し草の上で身体を伸ばした。
隣では、ルナがまだ眠っている。
規則正しい呼吸が、柔らかな毛越しに伝わってきた。
起こすほどのことではないだろう。
そう判断して、俺は音のする方へ移動することにした。
木の床へ身体を密着させる。
……こつ。
短い触手を作り、床を軽く叩いた。
伝わってきた振動が、板を通じて周囲へ広がっていく。
もう1度。
……こつ。
「……ん?」
何かがおかしい。
小屋の中央付近では、叩いた振動が床全体へ伝わる。
ところが、壁際の一角だけ、妙に鈍い。
下に何もないような、頼りない感触だった。
……いや、待てよ。
俺は触手を少し移動させ、別の場所を叩いた。
今度は硬い。
さらに、その隣。
……こつ。
また鈍い。
「……これ、床が傷んでるんじゃないか?」
俺は身体を止めた。
昨日までは気づかなかった。
そもそも、ここへ来てから床の下を詳しく調べたことがない。
小屋は古いと聞いている。
使われなくなってから、どれほど経っているのかも知らない。
だったら、床板が腐っている場所くらいあってもおかしくない。
……問題は。
俺は振動の位置を確かめた。
そこは、ルナが休んでいる干し草のすぐ近くだった。
「……まずいな」
⸻
「……ノア?」
俺が床を叩いていると、背後からルナの声がした。
どうやら起こしてしまったらしい。
「朝から何をしておる。まだ外も静かだぞ」
俺は触手を持ち上げた。
それから、床の怪しい場所へ向ける。
「……そこに何かあるのか?」
肯定する。
「虫か?」
少し迷って、否定した。
虫はいるかもしれない。
だが、気になっているのはそこじゃない。
俺は短い触手を2本作り、床を交互に叩いた。
……こつ。
……こん。
「……む?」
ルナが不思議そうに声を漏らす。
「何を伝えたいのだ?」
……難しいな。
俺は少し考えた。
今の俺には、覚えた文字がいくつかある。
『水』。
『仲間』。
『ノア』。
『ルナ』。
だが、『床が腐っている』なんて文章を書くことはできない。
そもそも、床という文字さえ知らない。
「……別の方法か」
俺は《構造形成》を使い、触手の先端を平たくした。
そして、床の上へ小さな四角形を作る。
さらに、その一部を細く伸ばした。
「……何だ、それは」
ルナが尋ねる。
俺は四角形の片側を支えていた触手を緩めた。
……ぐにゃ。
形が崩れる。
「……壊れたのか?」
俺は肯定した。
続いて、実際の床を軽く叩く。
「……床が壊れる?」
……そう!
俺は勢いよく肯定した。
すると、ルナの声が変わった。
「……待て。ここの床が壊れそうだというのか?」
もう1度、肯定する。
「……本当か?」
ルナは慎重に身体を動かした。
干し草が擦れ、前脚が床へ触れる。
「……ふむ。見たところ、特に変わった様子はないが……」
俺は触手を左右へ振った。
見た目では分からないのかもしれない。
だから、余計に危ない。
「……分かった」
ルナは少し考え、静かに答えた。
「貴様が気になるというなら、確かめてもらおう。だが、我らだけで床を剥がすのはやめておけ」
……もちろん。
今の俺が無理に床板を外したら、余計に壊してしまいそうだ。
それに、ルナはまだ右後ろ脚へ体重をかけられない。
まずは安全な場所へ移動してもらう必要がある。
俺は干し草から少し離れた床を叩いた。
そこは、先ほど確かめた限りでは振動がしっかり伝わっていた。
「……そちらへ移れということか?」
肯定する。
ルナは少しだけ黙ったあと、ため息をついた。
「……まったく。貴様といると、退屈する暇もないな」
そう言いながらも、素直に移動を始めてくれた。
俺はいつものように右後ろ脚を支えようとしたが、ルナが先に声をかけてきた。
「少しだけでよい。あまり無理をするな」
……分かってる。
俺は短い支えを作り、負傷した脚が床へ引っかからないようにした。
残る3本の脚で、ルナがゆっくりと身体を移動させる。
距離はわずかだったが、移動を終える頃には呼吸が少し速くなっていた。
「……ふぅ」
ルナが横になる。
「これでよいか?」
俺は肯定した。
少なくとも、怪しい床板からは離れられた。
あとは、誰かに調べてもらうだけだ。
……そのつもりだった。
⸻
「おはようございます!」
エマがやって来たのは、それからしばらくしてのことだった。
今日もマルタと一緒だ。
「ルナ、ノア、具合はどうですか?」
「我の脚は昨日と変わらぬ。だが、それより少し気になることがあってな」
「……気になること?」
マルタが尋ねた。
「床だ。ノアが、壁際の床が壊れそうだと言っておる」
「床?」
エマの足音が、そちらへ向いた。
「見た感じ、何ともなさそうですけど……」
……待て。
俺は慌てて床を叩いた。
……コツ、コツ!
「……あれ?」
エマが反応する。
俺は怪しい場所へ触手を伸ばし、大きく左右へ振った。
「……そこに行っちゃ駄目なんですか?」
肯定する。
「でも、床はちゃんと……」
エマが足を踏み出した。
その瞬間。
……みしっ。
乾いた音が、小屋に響いた。
「……え?」
エマの声が止まる。
続いて。
……ぱきっ!
「きゃっ!」
床板が割れた。
「エマ!」
マルタが鋭く叫んだ。
俺は反射的に身体を伸ばした。
……まずい!
エマの片足が、床の下へ落ちかけている。
俺は《粘着性》を使って近くの丈夫な板へ身体を固定し、もう一方の触手をエマの足元へ伸ばした。
だが、俺の身体で人間1人を支えられるわけがない。
まして、今は完全に回復していない。
「……くっ!」
俺は割れた板の端へ触手を差し込み、これ以上大きくずれないよう押さえた。
《硬質外皮》を局所的に使い、先端を補強する。
……ぐぐっ。
重い。
床板が触手を圧迫する。
だが、ほんの少しでいい。
エマが足を抜くまで持てばいい。
「エマ! こっちへ!」
マルタの足音が近づいた。
服を掴む音。
続いて、何かが強く引かれる振動。
「……っ!」
エマの身体が動いた。
……ずるっ。
足が抜ける。
そして。
……どさっ。
2人が安全な場所へ倒れ込んだ。
「……はぁっ、はぁっ!」
エマの荒い呼吸が聞こえる。
俺は床板を押さえていた触手を引き抜いた。
……ぺたり。
「……ふぅ」
危なかった。
本当に。
あと少し遅かったら、もっと大きく床が崩れていたかもしれない。
「……エマ!」
マルタが声をかける。
「怪我は?」
「だ、大丈夫です……! びっくりしただけで……」
「足を見せなさい」
「はい……」
マルタがエマの足を確かめている間、俺は割れた床へ触手を向けた。
そこから、冷たい空気が流れてきている。
どうやら、下には小さな空間があるらしい。
しかも。
……こそ。
……かさ、かさ。
また、あの音だ。
昨夜から聞こえていた音。
「……やっぱり、何かいるな」
俺は身体を縮めた。
床が傷んでいたことと、その音に関係があるのだろうか。
⸻
「……まったく。危ないところだったね」
エマに大きな怪我がないと分かると、マルタはようやく息を吐いた。
「ノアが止めようとしてくれたおかげだよ」
……いや。
ちゃんと伝えられなかった俺にも問題はある。
俺は触手を小さく動かした。
すると、エマが近づいてきた。
ただし、今度は割れた床を避けている。
「ノア……ありがとうございます」
その声は、いつもより少し小さかった。
「助けてくれようとしたんですよね?」
俺は肯定した。
「……ごめんなさい。ちゃんと教えてくれてたのに」
……いやいや。
無事だったなら、それでいい。
俺は触手を左右へ振った。
エマは少し黙ったあと、安心したように笑った。
「……ありがとうございます」
そのとき、ルナが口を開いた。
「エマ。ノアは見えぬ代わりに、振動を感じ取ることができる。恐らく、床の異常もそれで気づいたのだろう」
「……振動で、ですか?」
「うむ。ただし、ノア自身も何が壊れているのかまでは分かっておらぬようだ」
……そうなんだよな。
床の下に空間があることは分かった。
だが、木が腐っているのか、支えが折れているのか、それとも別の理由なのか。
そこまでは分からない。
「……なるほどね」
マルタが静かに言った。
「だったら、ボルクを呼んできた方がよさそうだ」
「ボルクさんを?」
「この小屋の持ち主だよ。建物のことは、私たちより詳しいだろう」
……確かに。
それがいい。
俺は肯定した。
「エマ、村へ戻って伝えておくれ。それまでは、誰もあの床へ近づかないように」
「はい!」
エマの足音が、扉へ向かう。
だが、途中で立ち止まった。
「……あの、先生」
「何だい?」
「……走っていいですか?」
「転ばなければね」
「……気をつけます!」
……大丈夫かな。
少し心配になったが、足音は慎重に遠ざかっていった。
どうやら、今回は本当に気をつけているらしい。
⸻
ボルクがやって来たのは、昼を少し過ぎた頃だった。
セインも一緒だ。
「……おいおい」
小屋へ入るなり、ボルクが驚いたような声を出した。
「こりゃ、思ったよりひどいな」
「ボルク、床下に何か空間があるのか?」
ルナが尋ねる。
「ああ。昔、炭を置いておくために、床を少し高くしてあるんだ。湿気を避けるためにな」
……なるほど。
そういう造りだったのか。
俺は床へ身体を密着させた。
確かに、丈夫な場所と傷んだ場所では、振動の伝わり方が違う。
その理由が、少し分かった気がする。
「……しかし、ここまで傷んでたとはな」
ボルクが床板を軽く叩く。
……こん。
続いて、少し離れた場所。
……ぼこん。
「……こっちも駄目か」
どうやら、思ったより広い範囲が傷んでいるらしい。
「しばらく使ってなかったからなぁ。最後に床を直したのがいつだったか……」
ボルクは申し訳なさそうに続けた。
「悪かったな。貸す前にもっとよく調べておくべきだった」
「気にするな」
ルナが答えた。
「我らは雨風を凌げる場所を借りられただけでも助かっておる」
「そう言ってもらえるとありがたいが、危ないままにはしておけねえ」
ボルクは何かを持ち上げた。
……がたっ。
工具だろうか。
「セイン、そっちの板を少し持ち上げてくれ」
「分かった」
2人が作業を始めた。
俺は邪魔にならない場所へ移動し、振動を探る。
板が外されるたび、床下から冷たい空気が流れてきた。
そして。
……かさっ。
……こそこそ。
あの音が、はっきりと聞こえるようになった。
「……ん?」
俺は身体を持ち上げた。
「どうした、ノア?」
セインが気づく。
俺は床下へ触手を向けた。
「……下に何かいるのか?」
肯定する。
「……虫か?」
少し迷った。
虫かどうかは分からない。
だが、小さな生き物なのは確かだと思う。
「……何だろうな」
セインが床下を覗き込んだらしい。
少しの沈黙。
そして。
「……ああ、いた」
……お?
「小さな鼠みたいなのが、何匹かいるぞ」
……鼠?
俺は少し驚いた。
「どうやら、床下に巣を作ってたみたいだな」
ボルクも声を上げた。
「……おいおい。木の屑まで溜まってるじゃねえか」
なるほど。
昨夜から聞こえていた音は、床下で動く小さな生き物だったらしい。
ただ、それだけでは床が壊れた理由にはならない。
「……こっちは腐ってるな」
ボルクが低い声で言った。
「湿気で支えの木が傷んでる。それに、鼠が巣を作ってたせいで、余計に隙間ができてる」
……やっぱり。
俺は身体を縮めた。
「これじゃ、いつ抜けてもおかしくなかったな」
セインが呟く。
「……よく気づいたな、ノア」
俺は触手を小さく動かした。
偶然だ。
最初から床を調べようと思っていたわけではない。
ただ、変な音が気になっただけ。
それでも。
「……気づけてよかった」
俺は心の中で呟いた。
もし気づかずにいたら、ルナが怪我をした脚であの場所へ乗っていたかもしれない。
そう考えると、少し怖くなった。
⸻
床の修理には、思っていたより時間がかかった。
ボルクとセインは傷んだ板を外し、使えそうな木材を運び込んできた。
その間、俺は小屋の隅で作業を見守っていた。
……いや。
正確には、音を聞いていた。
……こん。
……かん。
……ぎしっ。
木材を叩く音。
道具で削る音。
板を固定する音。
人間だった頃にも聞いたことのある音だった。
「……懐かしいな」
俺は少しだけ身体を伸ばした。
そういえば、元の世界にも木造の建物があった。
家を直しているところを見かけたこともある。
だが、今は見ることができない。
その代わり、床を伝わる振動から作業の様子が少しずつ分かってきた。
「……ノア」
ボルクが声をかけてきた。
「ちょっと頼めるか?」
……ん?
俺は触手を持ち上げた。
「新しい板を置いてみたんだが、どこか浮いてるみたいでな」
……浮いてる?
俺は床へ身体を広げた。
……こつ。
まず、板の端を叩く。
振動がしっかり返ってくる。
続いて、中央。
……こん。
「……ん?」
少し違う。
俺はもう1度叩いた。
……こん。
わずかだが、空洞へ響くような振動がある。
「……ここか?」
俺はその場所へ触手を向けた。
「……そこ?」
ボルクが確認する。
「なるほど。ちょうど支えの位置から外れてるな」
……やっぱり。
「セイン、こっちへ木片を入れてくれ」
「了解」
2人が再び作業を始める。
しばらくして、ボルクが声をかけた。
「ノア、もう1度頼む」
俺は同じ場所を叩いた。
……こつ。
今度は、さっきより硬い振動が返ってきた。
「……おお」
俺は思わず身体を持ち上げた。
ちゃんと変わっている。
「どうだ?」
俺は肯定した。
「……よし!」
ボルクが嬉しそうに声を上げた。
「助かった! 目で見ただけじゃ分からんところだった」
……へえ。
そんなこともあるんだな。
俺は少しだけ驚いた。
自分には目がない。
だから、できないことばかりだと思っていた。
だが、目がある人間にも分からないことがあるらしい。
そして、俺には分かることがある。
……なかなか面白いじゃないか。
⸻
修理を終えた頃には、外の空気が少し冷たくなり始めていた。
「……よし。これなら大丈夫だろう」
ボルクが床を何度か踏み鳴らした。
……どん。
……どん。
しっかりした振動が、小屋全体へ伝わってくる。
以前のような頼りない響きはない。
「ただし、しばらくは気をつけてくれよ。ほかの場所も、時間を見て点検するつもりだからな」
「……うむ。世話になった」
ルナが礼を言う。
「いや、こっちこそ悪かった。まさか床があんなことになってるとは思わなかったからな」
ボルクはそう言ってから、俺へ声を向けた。
「ノア。お前のおかげで、怪我人が出ずに済んだ」
……いや。
エマは少し危なかったけど。
俺は触手を小さく動かした。
「それにな」
ボルクは少し笑った。
「床を直すのまで手伝ってもらうとは思わなかったよ」
……ああ。
それは俺もだ。
虫を食べるだけじゃなく、建物の異常を調べることまでできるとは。
原初種の身体は、本当に変わっている。
もっとも、俺自身に床の修理ができたわけではない。
何がおかしいのかを感じ取って、知らせただけだ。
実際に直したのはボルクとセインだった。
「……でも、それで十分なのかもな」
俺はそう思った。
できることを持ち寄れば、1人では難しいことも何とかなる。
洞窟では、そんなことを考える余裕すらなかった。
だが、ここでは違う。
俺が気づいたことを、人間が形にしてくれる。
人間が知らないことを、俺が教えられる場合もある。
……なるほど。
これなら、俺にもできることが増えそうだ。
「……ノア」
ルナが声をかけてきた。
「また得意げになっておるな?」
……いや、今回は違うぞ。
俺は触手を左右へ振った。
「……本当か?」
もう1度、否定する。
すると、ルナが小さく笑った。
「……ふふっ。まあ、よい」
そして、少しだけ穏やかな声で続けた。
「今日は、本当によく気づいてくれた」
俺は動きを止めた。
「我が怪我をしたまま、床を踏み抜いていたらと思うと……少々恐ろしいからな」
……そうだな。
俺も、それが一番心配だった。
「……ありがとう、ノア」
俺はそっと触手を伸ばし、ルナの前脚へ触れた。
……どういたしまして。
⸻
その夜。
小屋の中には、昨日までとは違う静けさがあった。
床下から聞こえていた、小さな足音がない。
どうやら、修理の途中で鼠たちは逃げていったらしい。
俺は新しく直された床へ身体を広げた。
……こつ。
触手で叩く。
しっかりした振動が返ってくる。
「……大丈夫そうだな」
俺は身体を小さくまとめた。
すると、隣からルナの声が届いた。
「ノア」
……ん?
俺は触手を持ち上げた。
「貴様、今日は随分と楽しそうだったな」
……そうかな。
「畑の虫を捕まえたときもそうだったが、誰かと何かをするのが好きなのか?」
「…………」
俺は少し考えた。
どうだろう。
人間だった頃は、別に何でも誰かとやりたかったわけじゃない。
1人で過ごす時間も好きだった。
誰にも邪魔されず、好きなことをしているのは気楽だった。
だが、この世界へ来てからは。
……少し、変わった気がする。
洞窟では、ずっと独りだった。
食べることも。
逃げることも。
何かを覚えることも。
全部、自分でやるしかなかった。
それが今では、困ったときに相談できる相手がいる。
知らないことを教えてくれる人がいる。
そして、俺にも誰かを助けられることがある。
「……悪くないな」
俺は心の中で呟いた。
ルナへ触手を向け、ゆっくり肯定した。
「……そうか」
ルナが小さく笑う。
「ならば、我の脚が治ったら、もっといろいろなことをしてみようではないか」
……おお。
それは楽しみだ。
俺は身体を揺らした。
「ただし、今度は床を壊さぬようにな」
……俺が壊したんじゃないだろ!
俺は思わず触手を大きく動かした。
すると、ルナが楽しそうに笑った。
「……ふふっ。冗談だ」
……まったく。
この人は。
俺は身体を小さくまとめた。
今日も、新しい能力を獲得したわけではない。
変異もしていない。
それでも、できることは増えた。
自分の身体が何を感じ取れるのか。
その力を、どう使えばいいのか。
少しずつ分かってきた。
……そういえば。
俺はふと、別のことを思い出した。
今日、床の下を調べていたとき。
木材を伝わる振動だけでなく、空間の違いまで、何となく感じ取れた。
あれは単に音の響き方が違っただけなのだろうか。
それとも。
もっと正確に、周囲の形を知る方法があるのだろうか。
俺は短い触手を作り、床へ軽く押しつけた。
……こつ。
振動が広がっていく。
その戻り方を、意識して確かめる。
……うん。
まだ、はっきりとは分からない。
だが、試す価値はありそうだ。
「……明日、もう少し調べてみるか」
俺はそう考えてから、触手を引っ込めた。
今夜は休もう。
ルナも眠っている。
小屋の床もしっかり直った。
少なくとも、今は急いで何かをする必要はない。
俺は柔らかな干し草へ身体を預けた。
自分には目がない。
だから、見えないものは分からない。
ずっと、そう思っていた。
けれど。
今日、床の下にある空間を感じ取れたように。
見えなくても、知る方法はある。
それは目の代わりにはならないかもしれない。
だが、俺だけが使える感覚には、まだ気づいていない可能性が残っている。
……さて。
次は何が分かるだろうな。
そんなことを考えながら、俺はゆっくりと意識を休ませた。




