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ゲームだと思ったら原初の生命に転生しました。  作者: くんくん
第2部

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知らない世界の歩き方

第2部 第1話 知らない世界の歩き方


洞窟の外に出て、最初に分かったことがある。


それは、外の世界が思っていた以上に騒がしいということだった。


……いや、正確には、振動が多い。


風に揺れる草。


木の枝から落ちる小さな何か。


地面の下を動き回る生物。


そのすべてが、絶えず微かな振動を生み出している。


「……情報量が多すぎる」


俺は草の上で身体を広げたまま、少し困っていた。


洞窟の中では、岩を伝わる振動が周囲の状況を教えてくれた。


何かが近づけば、その位置や動きが何となく分かる。


だが、ここでは違う。


《微振動感知》を広げると、あちこちから反応が返ってくるのだ。


しかも、風が吹くたびに草や木が揺れ、地面にも細かな振動が伝わってくる。


「……これ、慣れるまで大変そうだな」


俺は感知範囲を少し狭めた。


遠くの情報を拾うのをやめ、まずは足元の振動に集中する。


すると、ようやく落ち着いてきた。


「……ふぅ」


そんな俺の隣で、柔らかなものが地面へ触れる。


……ふさっ。


「何をしている、ノア?」


ルナの声だ。


俺は身体の上部に作った薄い感知膜を、声のする方向へ向けた。


この膜も、まだまだ改良の余地がある。


洞窟では比較的うまく声を拾えていたが、外では風の影響を受けやすい。


少し強く吹かれるだけで、振動が乱れてしまうのだ。


「……やれやれ」


俺は短い触手を持ち上げ、左右へ揺らした。


「……何でもない、ということか?」


今度は上下へ。


「ふふっ。貴様も忙しいやつだな」


……好きで忙しくしてるわけじゃないんだけど。


俺は心の中で言い返しながら、ルナの方へ身体を寄せた。


そして、右後ろ脚の近くへ触手を伸ばす。


「……ん?」


ルナが反応した。


「脚が気になるのか?」


肯定の合図を返す。


すると、ルナは少しだけ黙ったあと、静かに答えた。


「……まだ、痺れが残っている」


俺は動きを止めた。


「痛みは少し引いた。だが、力が入らぬ。どうやら、あの大百足の毒は思ったより厄介らしい」


……やっぱりか。


洞窟の中では、とにかく逃げることに必死だった。


だが、外へ出られたからといって、ルナの怪我が治ったわけではない。


むしろ、落ち着いた今だからこそ、きちんと考えなければならない問題だ。


「……どうすればいい?」


俺はルナの脚へ触れないようにしながら、周囲の地面を軽く叩いた。


「……どうした?」


……ああ、そうか。


この動きだけじゃ伝わらないよな。


俺は少し考え、ルナの右後ろ脚を指したあと、自分の身体を小さく揺らした。


「……傷を治せるか、と聞いているのか?」


……おお。


すごいな。


俺は嬉しくなって触手を上下へ動かした。


「ふむ……」


ルナは少し考え込んだ。


「普通の傷ならば、休んでいればいずれ塞がる。だが、毒が残っているとなると話は別だ」


……だよなぁ。


「解毒に使える薬草か、治癒術を扱える者がいればよいのだが……」


治癒術。


その言葉に、俺は反応した。


魔術が存在する世界なのだから、傷を治す魔法があってもおかしくない。


むしろ、あってほしい。


俺自身も魔力器官は手に入れたが、まだまともな魔術を使えない状態だ。


今から練習して、すぐに治癒術を使えるようになるとは思えない。


「……誰かに頼るしかないか」


俺が考えていると、ルナが小さく息を吐いた。


「まあ、案ずるな。すぐに命を落とすような状態ではない」


……本当か?


「毒の巡りは遅くなっている。少なくとも、今すぐどうこうなるわけではなさそうだ」


少し安心した。


だが、その直後。


「……ただし、この脚で長く歩き回るのは難しいな」


……ですよね。


俺は身体を小さくまとめた。


さて、どうしたものか。


洞窟の外へ出たら自由に旅ができると思っていたのに、いきなり問題が山積みだ。


ルナの怪我。


俺自身の消耗。


それに、食べ物や安全な寝床も必要になる。


……あれ?


そう考えると、洞窟にいた頃とあまり変わらないような。


「……いや、違うか」


俺は身体を少し伸ばした。


今は、独りじゃない。


それだけでも、大きな違いだ。


⸻


「……ノア、腹は減っていないのか?」


ルナが突然、そんなことを聞いてきた。


……腹?


俺は少し考えた。


そういえば、かなり減っている。


いや、腹という器官があるわけではないのだが、身体の内側から栄養を求める感覚が強くなっていた。


大百足との逃走で、身体の一部を失っている。


それに、長時間《構造形成》や《硬質外皮》を使い続けたせいで、かなり消耗していた。


休んだことで操作は少し楽になったが、失った身体の量までは戻っていない。


「……食べないとな」


俺は触手を上下へ動かした。


「やはりか。随分と身体が小さくなっているからな」


……え?


そんなに?


俺は自分の身体へ意識を向けた。


確かに、洞窟で変異した直後と比べると、動かせる身体の量が少なくなっている。


だが、目で確認できないので、どれくらい縮んだのかは分からない。


「……貴様、何を食べるのだ?」


……何でも食べます。


たぶん。


俺は近くの草へ触手を伸ばした。


細長い葉を1枚掴み、身体の中へ取り込んでみる。


……じわっ。


「……ん?」


分解はできる。


だが、思ったほど栄養にならない。


いや、まったく吸収できないわけではないのだが、これだけで身体を回復させるのは難しそうだった。


「……草食は厳しいか」


俺が葉を手放すと、ルナが不思議そうな声を出した。


「……何だ? 草が嫌いなのか?」


いや、嫌いというより。


効率が悪い。


そう伝えたかったのだが、うまく説明できない。


俺は仕方なく、触手を左右へ振った。


「……ふむ。では、虫はどうだ?」


……虫?


「先ほど、あの木の根元に何匹かいたぞ」


おお!


それだ!


俺は勢いよく触手を上下へ動かした。


「……うわっ! 急に元気になったな!」


すみません。


でも、食べ物があるなら話は別だ。


俺はルナの指示に従い、木の根元へ移動した。


初めて触れる、大きな木。


硬い樹皮。


複雑に伸びた根。


その隙間には、湿った土が詰まっている。


「……おお」


俺は思わず感心した。


洞窟の岩とは、まるで違う感触だ。


しかも、土の中からは細かな振動がいくつも伝わってくる。


……こそこそ。


……かさっ。


「……いるな」


俺は身体を薄く広げ、木の根の隙間へ滑り込ませた。


すると、小さな生物が動いた。


……ささっ!


速い。


だが、洞窟にいた甲殻虫ほどではない。


俺は触手を伸ばし、逃げ道を塞ぐ。


《粘着性》を発動。


……ぺたり。


「……よし!」


捕まえた。


身体を縮め、獲物を包み込む。


小さな甲殻を持つ虫だった。


洞窟にいた種類とは少し違うらしく、身体の表面が比較的柔らかい。


分解するのに、それほど時間はかからなかった。


……じわっ。


栄養が身体へ広がっていく。


「……おお」


久しぶりに、しっかりとした食事をした気がする。


とはいえ、これ1匹で失った身体がすべて戻るわけではない。


まだ、身体の奥に空腹感が残っている。


「……もう少し食べたいな」


俺は再び、木の根元を探った。


すると。


……こそこそ。


……ささっ。


「……お?」


まだいる。


しかも、何匹も。


「……ここ、いい場所じゃないか!」


俺は夢中になって虫を捕まえ始めた。


根の隙間へ触手を伸ばし、逃げ道を塞ぐ。


捕まえたら包み込み、分解する。


最初の1匹より少し大きいものもいた。


ただし、捕食によって新しい性質が手に入ることはなかった。


……まあ、毎回何かを獲得できるわけじゃないか。


それでも十分だ。


食べれば、少しずつ身体の状態が改善していく。


「……ふぅ」


何匹か捕まえたところで、俺はようやく動きを止めた。


すると。


「……ノア」


ルナの声が届いた。


「貴様、随分と楽しそうだな」


……そりゃ、食事中ですから。


俺は触手を小さく揺らした。


「……ふふっ。変わったやつだ」


少し呆れたような声だった。


「普通、魔物というのはもっと獲物に執着するものだと思っていたが……貴様の場合、何というか」


……何というか?


「……食事を楽しんでいるように見える」


……ああ。


それは否定できないな。


俺は身体を小さく震わせた。


人間だった頃だって、食べることは好きだった。


まさか転生して、虫を捕まえることに喜びを感じるようになるとは思わなかったけど。


「……ふふっ」


ルナがまた笑った。


どうやら、俺の反応が面白いらしい。


……まあ、いいか。


笑っていられるなら、それに越したことはない。


⸻


食事を終えた俺たちは、森の方へ向かうことにした。


ただし、いきなり奥へ入るわけではない。


まずは安全な場所を探し、ルナの傷をどうするか考える。


それが、当面の目標だ。


「……ノア、また脚を頼めるか?」


俺は触手を上下へ動かした。


食事のおかげで、さっきよりは身体を動かしやすい。


それに、ルナを支える方法も何となく分かってきた。


俺は身体の一部を広げ、右後ろ脚の付け根を支えた。


地面に接する部分だけを硬質化させる。


そして、ルナが動くのに合わせて少しずつ身体を伸ばした。


「……うむ。随分とうまくなったな」


……でしょう?


俺は少し得意になった。


「……ただし、調子に乗るなよ」


……はい。


どうやら、ルナには俺の動きだけで考えていることがある程度伝わるらしい。


便利なような、少し困るような。


そんなことを考えながら、俺たちはゆっくりと進んだ。


洞窟の外は、思っていた以上に地面の変化が激しかった。


柔らかな土。


小さな石。


草の根。


そして、ときおり現れる大きな木の根。


岩の上を移動することには慣れてきたが、土の上は少し勝手が違う。


身体を強く押しつけると、柔らかい部分が沈んでしまうのだ。


「……なるほどな」


俺は支えの先端を広くした。


すると、地面へ沈み込みにくくなった。


……おお。


これなら歩きやすい。


「……ん?」


ルナが反応した。


「今、脚の形を変えたのか?」


俺は肯定する。


「……ほう。足場に合わせて形を変えられるのか」


少し感心したような声だった。


「便利な身体だな、貴様は」


……まあ、便利ではある。


ただし、何でも簡単にできるわけじゃない。


今だって、形を変えるたびに意識を集中させなければならない。


それに、急に地面が崩れたりすると、対応が間に合わないこともある。


「……もっと練習しないとな」


俺は慎重に身体を動かし続けた。


しばらく進むと、地面の感触が変わり始めた。


……ん?


柔らかかった土が、少しずつ硬くなっている。


しかも、ところどころに同じ方向へ続く細い溝がある。


「……何だ、これ?」


俺は触手を伸ばした。


溝の形は、どこも似ている。


自然にできたものにしては、妙に規則正しい。


「……ノア?」


俺が立ち止まると、ルナも足を止めた。


俺は地面を軽く叩き、気になる場所を示す。


すると。


「……ああ」


ルナが小さく声を上げた。


「道か」


……道?


「木々の間に、人が通るための道ができている。どうやら、ここは獣道ではないようだな」


……え?


俺は動きを止めた。


人が通るための道。


それって。


「……人間?」


思わず身体が震えた。


ルナ以外の、言葉を話す存在。


もしかすると、本当に人間が近くにいるのかもしれない。


「……どうした、ノア?」


俺は触手を大きく持ち上げた。


そして、道の方向へ向ける。


「……人が気になるのか?」


肯定する。


すると、ルナが少しだけ黙った。


「……そうだな」


その声は、さっきまでと違っていた。


少し慎重で、何かを考えているような響きだった。


「だが、気をつけろよ」


……ん?


「人間が、すべての魔物を歓迎するとは限らぬ」


俺は動きを止めた。


……あ。


そうか。


今の俺は、人間じゃない。


原初種という、正体不明の魔物だ。


しかも、姿はアメーバのような柔らかい塊。


人間から見れば、気味の悪い存在に映るかもしれない。


「……なるほどな」


俺は身体を小さくまとめた。


ルナは静かに続けた。


「もちろん、人間にもいろいろいる。無害な魔物を気にしない者もいれば、見つけ次第追い払おうとする者もいるだろう」


……まあ、そりゃそうか。


「貴様は言葉を理解できるが、まだまともに話せぬ。誤解されたとき、説明するのが難しい」


……それが一番の問題だな。


俺は自分の身体へ意識を向けた。


《摩擦発音》。


《構造形成》。


この2つを利用すれば、簡単な声を出すことはできる。


だが、今の状態で会話するのは難しい。


母音に近い音を出せるだけでは、相手に何かを伝えるには不十分なのだ。


「……もっと練習しないと」


俺は短い触手を形成し、先端を硬くした。


軽く擦り合わせる。


……カチッ。


続いて、身体の一部に小さな空洞を作った。


薄い膜を形成し、空気を送り込む。


……あ。


微かな振動が生まれた。


「……ん?」


ルナが反応する。


「また、声を出す練習か?」


俺は肯定した。


「……ふふっ。熱心だな」


少し楽しそうな声だった。


「だが、今は無理をするな。まずは安全な場所を見つける方が先だ」


……了解。


俺は発声用の構造を解除した。


確かに、今は体力を温存した方がよさそうだ。


⸻


道へ近づくにつれ、地面の振動が少しずつ変わってきた。


硬く踏み固められた土。


小さな石。


そして、一定の幅で続く2本の溝。


俺はそこへ触手を伸ばした。


「……これ、何だ?」


地面を軽く叩くと、ルナが教えてくれた。


「荷車の車輪跡だろう。随分と使われている道のようだな」


……荷車!


俺は思わず身体を伸ばした。


荷車が通るということは、少なくとも近くに人間の活動する場所がある。


村か。


町か。


それとも、もっと大きな街なのか。


想像するだけで、少し楽しくなってきた。


「……ノア」


ルナが静かに声をかけてきた。


「我としては、あまり人目につきたくないのだが……」


……え?


俺は動きを止めた。


「この姿で人前に出ると、少々面倒なことになる場合がある」


……この姿?


どういうことだ?


俺はルナの方へ触手を向けた。


すると、ルナは少しだけ困ったように笑った。


「……何だ。気になるのか?」


肯定する。


「ふむ……」


しばらく考え込むような間があった。


だが。


「……いずれ話そう」


……ええっ!?


ここまで言っておいて!?


俺は思わず触手を大きく動かした。


「こら、騒ぐな!」


……いや、気になるだろ!


「……まったく」


ルナは小さく息を吐いた。


「貴様は、どうにも反応が分かりやすいな」


……そりゃそうですよ。


意思表示できる手段が少ないんだから。


俺は少し不満を込めて、触手をゆっくり左右へ振った。


すると、ルナが小さく笑った。


「……ふふっ。拗ねるな」


……拗ねてません。


いや、ちょっと拗ねてるかもしれないけど。


「今は我の怪我を治すことが先だ。そうだろう?」


……それは、そうだな。


俺は仕方なく、身体を落ち着かせた。


ルナの言うとおりだ。


まずは怪我を治す。


そのために必要なものを探す。


今は、それが最優先だ。


「……よし」


俺は再びルナを支え、道に沿って進み始めた。


⸻


それから少し進んだところで、俺は妙な振動に気づいた。


……どっ。


……どっ。


「……ん?」


一定の間隔で、地面が揺れている。


しかも、今まで感じたどの生物とも違う動きだった。


少し離れた場所から、何かが近づいてくる。


「……ルナ」


俺は足を止めた。


そして、地面を軽く叩いた。


……コツ、コツ。


ルナがすぐに反応する。


「……どうした?」


俺は振動の方向へ触手を向けた。


「……何かいるのか?」


肯定。


ルナが息を潜めた。


「……どの方向だ?」


俺は触手を伸ばした。


道の先。


少し離れた場所。


そこから、規則正しい振動が近づいてきている。


「……なるほど」


ルナが小さく呟いた。


「我にも聞こえてきた」


……え?


俺は少し驚いた。


まだ、俺の感知膜にははっきりした音が届いていない。


だが、ルナには聞こえているらしい。


「……馬の足音だな」


……馬!?


俺は思わず身体を震わせた。


馬。


ということは。


「……人間がいる?」


俺はルナへ触手を向けた。


すると、ルナが静かに言った。


「恐らくな。しかも、荷車を引いているようだ」


……おお。


本当に人間がいるのか!


俺は興奮した。


だが、その直後。


「……ノア」


ルナの声が低くなった。


「少し隠れよう」


……え?


「今の我らは、あまり目立たぬ方がよい」


……なるほど。


俺はすぐに身体を縮めた。


すると、ルナが道の脇へ移動し始めた。


だが。


……ずるっ。


「……くっ!」


身体が傾く振動が伝わった。


俺は慌てて支えを強める。


「……すまぬ」


ルナが小さく呟いた。


「思ったより、脚が動かぬ」


……まずいな。


馬の足音は、少しずつ近づいてきている。


今の状態で道から離れるには、時間がかかりそうだった。


俺は周囲を探った。


道の脇には、草が茂っている。


さらにその奥には、大きな木の根があった。


「……あそこなら」


俺はルナの身体を支え直した。


そして、慎重に道の脇へ移動する。


……ぐぐっ。


重い。


だが、さっきよりは安定している。


「……ノア」


ルナが声をかけてきた。


「無理をするな。最悪、我が話をつける」


……え?


ルナが?


人間と?


俺は少し驚いた。


だが、考えてみればおかしくない。


ルナは言葉を話せる。


それも、人間の言葉らしきものを。


だったら、人間と会話できたとしても不思議ではない。


……ただ。


「……魔物が喋ったら、逆に驚かれないか?」


そんな疑問が浮かんだ。


ルナの正体も、まだよく分からない。


何しろ、俺は姿を見たことさえないのだ。


「……今は考えても仕方ないな」


俺は身体を伸ばし、ルナを木の根元まで支えた。


そして、草の陰へ移動する。


「……ふぅ」


ルナが小さく息を吐いた。


「何とか間に合ったな」


俺は触手を上下へ動かした。


その直後。


……どっ。


……どっ。


足音が、さらに近づいてきた。


「……おお」


俺は思わず意識を集中させた。


馬。


荷車。


そして、恐らく人間。


この世界へ来てから、初めて接するかもしれない人間の気配だ。


俺は身体の上部に、薄い感知膜を形成した。


空気の振動を拾うための器官。


まだ未熟だが、近くの声ならある程度理解できる。


……ごとごと。


……がたん。


荷車らしきものが、道を進んでいる。


続いて。


……ふるっ。


膜に、微かな振動が伝わった。


「……ん?」


何かが喋っている。


俺は感知膜の向きを変えた。


……だが。


「……聞き取れないな」


風の影響が強い。


それに、まだ距離がある。


俺は少しだけ膜を大きくした。


すると、先ほどよりもはっきりした振動が届いた。


「……この……先……」


……お?


人間の声だ。


少なくとも、ルナとは違う声が聞こえる。


俺はさらに意識を集中させた。


「……森の……方……」


途切れ途切れだが、言葉の意味が伝わってくる。


……不思議だ。


そういえば、ルナの言葉も最初から理解できていた。


この世界の言葉を習った覚えなんてないのに、音の並びが分かると、なぜか意味まで理解できる。


転生した影響なのだろうか。


それとも、別の理由があるのか。


……まあ、今はありがたいけど。


俺は感知膜の形を少し調整した。


すると。


「……おい、ちょっと待て」


今度は、はっきりした声が届いた。


……男の声、だろうか。


低く、落ち着いた感じの振動だった。


「……どうした?」


別の声が返ってくる。


こちらは、少し高い。


「……あそこだ」


……ん?


俺は動きを止めた。


「……何かいるぞ」


……え?


ちょっと待て。


今、何て?


俺は慌てて身体を縮めた。


すると、隣のルナが小さく息を呑んだ。


「……まずい」


……え?


「……見つかったかもしれぬ」


……嘘だろ!?


俺は必死に周囲の振動を探った。


荷車が止まる。


馬が足踏みする。


そして、地面へ何かが降りる振動。


……とんっ。


続いて、足音。


……ざっ。


……ざっ。


確実に、こちらへ近づいてきている。


「……どうする?」


俺はルナの方へ触手を向けた。


だが、ルナは動かない。


「……ノア」


静かな声が届いた。


「我の後ろへ下がれ」


……え?


「何があっても、すぐには姿を見せるな」


……いやいや!


ルナだって怪我してるだろ!


俺は慌てて触手を左右へ振った。


だが、ルナは少しだけ強い口調で続けた。


「いいから、言うことを聞け」


「…………」


俺は動きを止めた。


その声には、今までとは違う緊張感があった。


ルナは本気で警戒している。


「……分かった」


俺は身体を小さくまとめ、木の根元へ滑り込ませた。


中枢核を内側へ引き込み、周囲を薄く硬質化させる。


そして、地面へ密着した。


これなら、草の陰から見つかりにくいはずだ。


……ざっ。


……ざっ。


足音が近づいてくる。


「……おい、本当に何かいるのか?」


最初とは違う声が届いた。


「……ああ。間違いない」


少し低い声。


「……白い獣だ」


……白い?


俺は思わず身体を震わせた。


白い獣。


それって、ルナのことか?


「……怪我をしているようだな」


……っ!


見られてる!


「……どうする?」


もう1人が問いかけた。


しばらく、沈黙。


そして。


「……待て」


低い声が、少し鋭くなった。


「……あれは、ただの獣じゃないぞ」


「……え?」


「……魔力の気配がある」


……魔力?


俺は身体を強張らせた。


ルナのことだろうか。


それとも、俺の未成熟な魔力器官を感じ取っているのか。


分からない。


だが、相手は確実にこちらを警戒し始めていた。


「……おい、あまり近づくな」


低い声が続く。


「……魔獣かもしれん」


……まずいな。


俺は必死に考えた。


このまま隠れているべきか。


それとも、何か行動するべきか。


ルナは怪我をしている。


まともに戦える状態ではない。


それに、俺自身だって、まだ身体が完全に回復していない。


「……どうする?」


俺は少しだけ触手を伸ばした。


そのときだった。


「……待ってください!」


突然、別の声が響いた。


……ん?


今までの2人とは違う。


少し高く、若い印象の声だった。


「……その子、怪我してるんですよね?」


……その子?


俺は思わず動きを止めた。


「だったら、助けてあげないと!」


……え?


助ける?


今、そう言った?


俺は驚きながら、感知膜へ意識を集中させた。


すると、低い声が返ってきた。


「……馬鹿、近づくな! 魔獣かもしれないんだぞ!」


「でも!」


若い声は、引かなかった。


「……苦しそうじゃないですか!」


「…………」


しばらく、沈黙が続いた。


そして、次の瞬間。


……ざっ!


何かが勢いよく動いた。


ルナへ近づいている。


「……っ!」


俺は反射的に触手を伸ばしかけた。


だが、すぐに止めた。


……落ち着け。


今、俺が飛び出したら、余計に警戒されるかもしれない。


それに、相手はルナを助けようとしているのかもしれないのだ。


「……ノア」


ルナが小さく呟いた。


俺にしか聞こえないほど、静かな声。


「……まだ動くな」


……分かった。


俺は身体を地面へ密着させた。


そして、相手の動きを探った。


……ざっ。


……ざっ。


足音が近づく。


……止まった。


ルナのすぐ前だ。


「……大丈夫?」


若い声が届いた。


「……どこを怪我したの?」


……おお。


本当に、助けようとしているのか?


俺は少しだけ安心した。


だが、その直後。


「……え?」


若い声が、不思議そうに揺れた。


「……何、これ?」


……ん?


俺は動きを止めた。


何かを見つけたらしい。


「……この子の足元……」


……足元?


「……変なものがいる」


「…………」


……あ。


俺だ。


完全に俺だ。


どうやら、ルナを支えていた身体の一部が、草の陰から見えていたらしい。


「……何だ、これ?」


足音が、さらに近づく。


そして。


「……スライム?」


……スライム!?


俺は思わず身体を震わせた。


え。


ちょっと待て。


今、スライムって言ったよな?


ということは、この世界にはスライムという生物がいるのか?


いや、俺は原初種なんだけど。


……まあ、見た目は似てるのかもしれない。


そんなことを考えた瞬間。


「……危ない!」


低い声が響いた。


「……そいつから離れろ!」


……え?


「……魔物だ!」


足音が一気に近づいてくる。


そして、金属が擦れ合うような鋭い振動が、感知膜へ届いた。


「……っ!?」


俺は身体を強張らせた。


何かを抜いた。


剣か。


それとも、別の武器か。


分からない。


だが、相手が戦う準備をしたことだけは理解できた。


「……ノア!」


ルナの声が響いた。


「……逃げろ!」


……え?


俺は動きを止めた。


逃げる?


……いや。


待てよ。


相手は、ルナを助けようとしていた。


だが、俺を見た途端に警戒し始めた。


つまり。


「……俺が、敵だと思われてる?」


当たり前といえば、当たり前だ。


今の俺は、人間から見れば正体不明の魔物なのだから。


だが。


「……それでも」


俺は身体を小さく震わせた。


逃げるだけでいいのか?


ルナを置いて?


……そんなこと、できるわけないだろ。


俺はゆっくりと触手を伸ばした。


相手へ向けて。


攻撃するためではない。


ただ、敵意がないことを伝えるために。


しかし。


「……動いたぞ!」


鋭い声が響いた。


「……下がれ!」


……っ!


俺は反射的に身体を縮めた。


その瞬間。


……ヒュッ!


空気を切るような振動。


そして。


ガキンッ!


硬い何かが、すぐ目の前の地面へ突き立てられた。


「……うおっ!?」


危ない!


あと少し前に出ていたら、まともに当たっていた!


俺は慌てて後退した。


すると。


「……やめろ!」


ルナの声が響いた。


……え?


今のは、俺に向けた声じゃない。


明らかに、目の前の人間へ向けた言葉だった。


「……そやつに手を出すな!」


「…………」


一瞬、周囲の動きが止まった。


俺も動きを止めた。


そして。


「……え?」


若い声が、呆然と響いた。


「……今、喋った?」


……あ。


そうか。


ルナが人間の前で喋ったんだ。


「……嘘だろ」


低い声も、明らかに動揺している。


「……魔獣が、言葉を……?」


……なるほど。


どうやら、普通の魔獣は人間の言葉を話さないらしい。


……いや。


今は、そんなことを考えている場合じゃない!


俺は慌ててルナの方へ触手を伸ばした。


すると、ルナが小さく息を吐いた。


「……まったく」


その声は、どこか呆れているようで。


それでいて、少しだけ楽しそうでもあった。


「……仕方あるまい」


そして。


ルナは、人間たちへ向かって静かに言った。


「……まずは、その物騒なものを下ろしてもらおうか」


……おお。


何だか、すごいことになってきたぞ。


俺は草の陰で身体を縮めたまま、目の前で起きている出来事を必死に理解しようとしていた。


洞窟の中では、虫と魔物ばかりを相手にしてきた。


だが、外の世界は違う。


ここには、人間がいる。


言葉を話す者がいる。


そして、魔物である俺たちを、恐れる者もいる。


……なるほどな。


どうやら、外へ出たからといって、簡単に平和な旅が始まるわけではないらしい。


それでも。


「……悪くないな」


俺は身体を小さく揺らした。


怖いことは、まだまだたくさんある。


分からないことだって、山ほどある。


だけど。


少なくとも、この世界には。


助けようとしてくれる人間もいるらしい。


俺は、さっきの若い声を思い出した。


怪我をしたルナを見て、迷わず近づいてきた声。


……ああいう人もいるんだな。


だったら。


いつか、ちゃんと話してみたい。


自分の言葉で。


今度こそ、誰かに伝わる声で。


俺はそう思いながら、再び感知膜へ意識を集中させた。


目の前では、ルナと人間たちの会話が始まろうとしていた。

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