退路の前に
第15話 退路は前に
ズズズズズッ!
洞窟を揺らす振動が、急速に近づいてくる。
俺は岩の亀裂へ差し込んだ触手を、さらに奥まで伸ばした。
硬い岩。
その内側にある、細かな割れ目。
そして、わずかな力でも崩れそうな部分。
「……ここだ!」
俺は触手の先端へ《硬質外皮》を集中させた。
ぐぐっ……。
柔らかかった先端が硬くなり、細い楔のような形へ変わる。
それを亀裂へ押し込んだ。
……ミシッ。
岩の内部から、小さな振動が返ってくる。
「ノア! 場所は分かったか!」
ルナの声が響いた。
俺は触手を上下へ動かし、亀裂の位置を何度も叩いた。
……コツ、コツ!
「そこだな!」
ルナが短く息を吸った。
その直後、俺の身体の奥にある魔力器官が微かに反応した。
何かが集まっている。
俺が魔力を動かそうとしたときとは、比較にならないほどはっきりした感覚だった。
「……これが魔術か」
思わず意識を向けた、その瞬間。
「下がれ、ノア!」
俺は触手を引き抜き、身体を縮めた。
「《衝撃》!」
ドンッ!
凄まじい振動が岩壁を走った。
……バキッ!
続いて、何かが砕けるような感触。
俺が広げた亀裂を中心に、岩が一気に崩れ始めた。
「うおっ!?」
慌てて身体を低くする。
頭上から小石が降り注ぎ、身体の表面を叩いた。
痛い!
小さいとはいえ、硬い石が当たれば普通に痛い!
俺は中枢核の周囲を硬くし、さらに身体を薄く広げて岩陰へ潜り込んだ。
その直後。
ゴゴゴゴッ!
通路の一部が崩れ落ちた。
「……よし!」
ルナの声が届く。
「うまくいったぞ、ノア!」
俺は《微振動感知》を広げた。
崩れた岩が通路へ積み重なっている。
完全に塞がったわけではないが、大きな生物が通るには厄介な障害物になったはずだ。
そして。
ズズズズッ!
巨大な振動が、落石の向こう側で止まった。
「……おお!」
成功だ!
俺は思わず身体を揺らした。
「喜ぶのはまだ早い!」
ルナの鋭い声が飛ぶ。
「奴がこれくらいで諦めるものか!」
……そうだった。
俺は慌てて身体を伸ばした。
崩れた岩の向こうでは、無数の硬い脚が動いている。
……ガリガリガリッ!
何かが岩を引っかく。
続いて、重いものがぶつかる振動。
ドンッ!
積み重なった岩が、大きく揺れた。
「……嘘だろ」
あの大きさの岩を、力ずくで動かしているのか?
ドンッ!
もう1度。
今度は、さっきより大きく崩れた。
「……まずいな」
俺たちはルナの脚を支えながら、曲がりくねった通路へ逃げ込んだ。
背後からは、絶えず岩を砕く振動が伝わってくる。
あの大百足。
想像以上にしつこい。
そして、想像以上に強い。
「……くっ」
突然、ルナの身体が傾いた。
俺は慌てて支えを強める。
「……すまぬ。少し、魔力を使いすぎた」
ルナの声が弱々しくなっていた。
どうやら、さっきの魔術は相当な負担だったらしい。
「だが、時間は稼げた。今のうちに距離を取るぞ」
俺は触手を上下へ動かした。
……そうだな。
今は逃げることが最優先だ。
⸻
「……ノア、少し待て」
しばらく進んだところで、ルナが足を止めた。
俺も身体を固定する。
「……この先、水の音がする」
……水?
俺は意識を集中させた。
《微振動感知》には、細かな振動がいくつも伝わってくる。
岩の奥を何かが流れているような、途切れることのない揺れ。
「……川か?」
そう考えた瞬間、少し期待が湧いた。
水があるなら、身体を潤すことができる。
それに、この洞窟のどこかと繋がっている可能性だってある。
だが、ルナの考えは少し違ったらしい。
「……使えるかもしれぬ」
低い声が届いた。
俺は触手を持ち上げる。
「大百足は脚が多く、硬い地面では非常に速い。だが、流れの強い水場では話が変わる」
……なるほど。
「特に、奴ほど身体が長いと、流れに巻き込まれた際に向きを変えにくいはずだ」
……おお。
俺は思わず触手を上下へ動かした。
確かに、それなら勝機があるかもしれない。
いや、勝つ必要はない。
逃げる時間さえ作れれば、それでいい。
「ただし、我らも水に落ちれば危険だ」
……ですよね。
俺は少し冷静になった。
今の身体なら、水の中でも生きていられる可能性は高い。
少なくとも、呼吸のために水面へ出る必要はなさそうだ。
だが、俺はまだ泳ぎ方を知らない。
以前、水たまりで試したときも、思った方向へ進めなかった。
しかも、ルナは怪我をしている。
流れの速い川へ落ちたら、無事では済まないだろう。
「……何か方法はないか」
俺は周囲の振動を探った。
通路は少しずつ下り坂になっている。
その先には、広い空間があるらしい。
そして、その下から絶えず大きな振動が伝わってきていた。
「……かなり流れが速そうだな」
俺は身体の一部を細長く伸ばし、先の地面を探った。
すると、岩の表面に湿り気を感じた。
さらに進むと、足元の岩が少しずつ冷たくなっていく。
「……近いな」
ルナも同じことを感じているらしい。
「ノア、もう少し先を調べてくれ。足場があるなら、そこで作戦を考えよう」
俺は触手を上下へ動かした。
そして、中枢核を含む本体は安全な場所へ残し、細い触手だけを伸ばしていく。
……。
……ざわざわ。
岩を伝わる振動が強くなる。
さらに進む。
すると、突然触手の先端が何もない空間へ出た。
「……お?」
岩がない。
下へ伸ばしてみる。
……まだ触れない。
さらに伸ばす。
……ぽちゃん。
「……水!」
触手の先端が、冷たい水に触れた。
そして、その瞬間。
ぐいっ!
「うおっ!?」
水の流れに、触手が引っ張られた。
慌てて引き戻す。
しかし、思った以上に強い。
触手が細長く伸び、身体の一部が岩から剥がれかける。
「……くそっ!」
俺は《粘着性》を強めた。
何とか岩へ固定し、触手を引き戻す。
……ぽんっ。
ようやく抵抗がなくなった。
「……危なっ!」
今のはまずかった。
あんな流れに巻き込まれたら、今の俺では簡単に流されてしまう。
「……どうした、ノア?」
ルナの声が届く。
俺は身体を戻し、川の方向へ触手を向けた。
そして、地面を何度も叩く。
……コツ、コツ!
「……川があるのか?」
上下へ。
「流れは?」
俺は少し考えた。
どうやって伝えよう。
……そうだ。
俺は触手を細長く伸ばし、勢いよく横へ振った。
「……速いのか?」
上下へ。
「……なるほど」
ルナは少し考え込んだ。
「ならば、やはり使えるかもしれぬ」
……どうするつもりだ?
俺は触手を持ち上げた。
「奴を川へ誘い込む」
……え?
ちょっと待て。
それって、どうやって?
「奴は我を追っている。ならば、我を囮にすればよい」
……いやいや!
俺は思わず触手を左右へ振った。
「……何だ?」
もう1度、左右へ。
「……反対なのか?」
上下へ。
「だが、他に方法があるか?」
……それは。
俺は動きを止めた。
確かに、今の状況では難しい。
大百足はまだ追ってきている。
落石で時間は稼げたものの、完全に振り切れたわけではない。
しかも、ルナは負傷している。
このまま逃げ続けても、いずれ追いつかれるだろう。
「……くそっ」
俺は必死に考えた。
何かないか。
今の俺にできること。
《粘着性》。
《硬質外皮》。
《構造形成》。
《微振動感知》。
《摩擦発音》。
そして、《微弱毒分泌》。
どれも、大百足を正面から倒せるような能力ではない。
だが。
「……待てよ」
俺は身体の一部を伸ばした。
そして、先端を硬くする。
……コツ。
岩を叩く。
続けて、2回。
……コツ、コツ。
ルナが不思議そうに反応した。
「……ノア?」
俺は触手を大きく振った。
そして、川の方向へ向ける。
「……まさか」
ルナが息を呑んだ。
「貴様が囮になるつもりか?」
俺は触手を上下へ動かした。
「……馬鹿な!」
鋭い声が返ってきた。
「奴の速さを知らぬわけではあるまい!」
……知ってる。
十分すぎるほど知ってるよ。
でも。
俺には、ルナにできないことがある。
身体を細く伸ばすこと。
狭い隙間へ入り込むこと。
そして、地面を伝わる振動を利用して、相手の位置を探ること。
もちろん、うまくいく保証はない。
それでも。
「……俺の方が向いてるだろ」
俺は触手を上下へ動かした。
ルナはしばらく黙っていた。
やがて、小さく息を吐く。
「……本当に、無茶なやつだな」
……それ、今日何回目だ?
「だが……分かった」
その声には、迷いが残っていた。
「貴様が囮になるなら、我が退路を確保する。ただし、危険だと思ったらすぐに逃げろ」
俺は触手を上下へ動かした。
「……約束だぞ、ノア」
……分かった。
俺は身体を小さく揺らした。
そのときだった。
ドンッ!
遠くから、強烈な振動が届いた。
続いて。
ガラガラガラッ!
岩が崩れ落ちる感覚。
「……っ!」
俺は身体を強張らせた。
落石の障害を、大百足が突破したらしい。
「……時間がない!」
ルナも気づいたようだった。
「ノア、急ぐぞ!」
俺は身体を伸ばし、ルナの右後ろ脚を支え直した。
そして、川のある方向へ進み始めた。
⸻
地下河川は、思っていた以上に大きかった。
少なくとも、俺の感知できる範囲では、対岸へ届かなかった。
絶えず流れる大量の水。
岩にぶつかる強い振動。
そして、湿った空気。
「……すごいな」
俺は川の手前で身体を止めた。
ルナも足を止める。
「……なるほど。ここなら」
少しだけ、希望を含んだ声が聞こえた。
「ノア、川沿いに細い道がある。見えるか?」
……見えません。
俺は触手を左右へ振った。
「ああ、そうだったな。すまぬ」
ルナは少しだけ苦笑した。
「我の右側に岩の張り出しがある。その奥に、人が通れるほどの隙間が見える」
……おお!
それはありがたい。
俺は触手を伸ばし、言われた方向を探った。
確かに、岩の張り出しがある。
その奥には、細い通路らしき空間が続いていた。
「……使えそうだな」
だが、そこへ辿り着くには問題があった。
川沿いの足場が、かなり狭いのだ。
しかも、ところどころ岩が崩れかけている。
「……これは怖いな」
俺は慎重に触手で岩を押した。
……ミシッ。
微かな振動。
どうやら、足場の一部に亀裂があるらしい。
「……ん?」
俺は意識を集中させた。
川の流れ。
崩れかけた岩。
そして、その奥にある細い通路。
……待てよ。
これ、うまく使えば。
「……いけるかもしれない」
俺は岩の亀裂を探った。
足場全体が崩れそうな場所ではない。
だが、川へ突き出した一部だけは、周囲より脆くなっている。
そこへ大百足を誘導できれば。
「……落とせるか?」
もちろん、簡単ではない。
あの巨大な身体が乗っても、すぐに崩れるとは限らない。
しかも、俺には正確な位置を目で確認することができない。
だが、何もしないよりはいい。
俺はルナへ触手を伸ばした。
そして、亀裂のある岩を何度も叩く。
……コツ、コツ!
「……そこが脆いのか?」
上下へ。
「……なるほど」
ルナが少し考えた。
「ならば、奴がそこへ乗った瞬間に崩せばよい」
……そう。
そのとおり。
「ただし、我の残りの魔力では、先ほどのような術は使えぬ。最後のひと押しが精一杯だ」
……十分だ。
俺は触手を上下へ動かした。
あとは、俺がどこまでできるか。
それだけだ。
「……ノア」
ルナが静かに声をかけてきた。
「本当に、やるのだな?」
俺は触手を持ち上げた。
そして、ゆっくりと上下へ動かした。
「……分かった」
ルナが小さく息を吐く。
「ならば、我も覚悟を決めよう」
その声は、もう震えていなかった。
⸻
ズズズズズッ!
大百足が近づいてきた。
俺はルナを岩の張り出しの陰へ誘導し、身体を支えていた部分をゆっくりと引き抜いた。
「……ノア」
ルナが声をかけてくる。
「無理だけはするな」
俺は触手を上下へ動かした。
そして、もう1度。
……コツ、コツ。
岩を軽く叩いた。
「……ふふっ」
ルナが小さく笑う。
「分かった。信じているぞ」
……任せろ。
俺は身体を細長く伸ばした。
ただし、中枢核はできるだけ身体の中心へ引き込み、薄い硬質層で守っておく。
今からやろうとしていることは、相当に危険だ。
少しでも攻撃を受ければ、身体を引きちぎられるかもしれない。
それでも。
「……やるしかない」
俺は《微振動感知》を広げた。
大百足の振動は、かなり近い。
長い身体。
無数の脚。
地面へ伝わる、重い動き。
そして。
……ガリッ!
何かが岩を引っかいた。
「……来た!」
俺は身体の先端に硬い突起を作った。
そして、岩を強く叩いた。
……カンッ!
小さな振動が広がる。
さらに《摩擦発音》を使い、硬い部分を擦り合わせた。
……カチカチカチッ!
振動が続く。
すると。
ズズッ!
大百足の動きが変わった。
こちらへ向かってくる。
「……よし!」
俺はすぐに身体を縮めた。
大百足が振動へ反応したのか、それとも単に近くの動きを察知したのかは分からない。
だが、今はそれで十分だ。
俺は岩の上へ細長い触手を伸ばし、《粘着性》で固定した。
続いて、身体の下から短い支えを作る。
引っ張る。
押す。
また伸ばす。
以前練習した移動方法だ。
「……今こそ役に立て!」
俺は必死に身体を動かした。
……ズズズズッ!
背後から、大きな振動が迫る。
速い!
想像以上に速い!
俺は身体を薄く広げ、岩の凹凸へ滑り込んだ。
その直後。
ガギンッ!
さっきまで俺がいた場所へ、硬い何かが叩きつけられた。
「……うおっ!?」
衝撃が岩を伝わってくる。
身体の端が、わずかに引っ張られた。
俺は慌てて縮めた。
……危ない!
あと少し遅れていたら、まともに攻撃を受けていた。
「……でかすぎだろ!」
俺は岩の隙間へ潜り込み、身体を細く伸ばした。
大百足は、そのまま岩の表面を這ってくる。
……ガリガリガリッ!
硬い脚が岩を削る。
狭い場所へ入れないことに苛立っているのか、周囲へ何度も身体をぶつけていた。
「……よし、こっちだ!」
俺は別の場所から触手を伸ばし、岩を叩いた。
……カンッ!
すると、大百足がそちらへ反応した。
……ズズッ!
「……おお!」
いける。
振動で相手の注意を引き、少しずつ進行方向を変えられる。
もちろん、完全に操れるわけではない。
だが、こちらへ向かってくるということは、誘導できる可能性があるということだ。
俺は岩の隙間を移動しながら、何度も振動を起こした。
……カンッ!
……カチカチッ!
大百足が追ってくる。
そのたびに、俺は身体を薄く広げて逃げた。
「……よし、あと少し!」
目的の場所が近づいてきた。
川へ突き出した、崩れかけの岩場だ。
俺は《微振動感知》で亀裂の位置を確かめた。
……ここだ。
大百足を、この岩の上へ誘導する。
そして。
「……崩す!」
俺は身体を伸ばし、岩の縁へ移動した。
硬い突起を形成する。
亀裂へ差し込む。
……ミシッ。
岩が小さく震えた。
「……よし」
もう少し。
ぐぐっ……。
亀裂がわずかに広がる。
だが、その瞬間だった。
ズズズズズッ!
大百足が、一気に距離を詰めてきた。
「……っ!?」
速い!
さっきより明らかに速い!
俺は慌てて身体を引き戻した。
しかし。
ガキンッ!
硬い何かが、身体の端を掠めた。
「――っ!!」
強烈な痛み。
身体の一部が弾かれ、岩の上へ叩きつけられる。
「……ぐっ!」
まずい。
今の一撃で、身体の端が傷ついた。
しかも、相手はまだ近くにいる。
「……逃げろ!」
俺は身体を細く伸ばし、岩の隙間へ潜り込もうとした。
だが。
……ズズッ!
大百足の身体が、俺の逃げ道を塞いだ。
「……嘘だろ」
俺は動きを止めた。
前には、川。
後ろには、大百足。
左右には、崩れかけた岩。
……完全に追い詰められた。
「……まずい、まずい!」
俺は必死に周囲を探った。
狭い隙間はある。
だが、今の位置からでは、すぐには届かない。
それに、身体の一部が傷ついたせいで、移動が少し鈍くなっていた。
「……くそっ!」
大百足が近づく。
……ガリッ!
硬い脚が岩を削る。
その振動が、すぐ目の前まで迫っていた。
「……終わった?」
一瞬、そんな考えが浮かんだ。
だが。
「……いや」
まだだ。
まだ終わっていない。
俺は自分の身体を意識した。
《構造形成》。
《硬質外皮》。
《粘着性》。
今まで手に入れた性質。
そして、原初種としての身体。
「……使えるものは、全部使え!」
俺は身体の一部を大きく広げた。
中枢核を岩陰へ寄せ、残った部分を細長く伸ばす。
そして、身体の下から短い支えを形成した。
……ぐぐっ。
岩へ押しつける。
続いて、反対側の身体を伸ばし、《粘着性》で固定する。
大百足が動いた。
……ガリッ!
俺はその瞬間、身体を一気に引き寄せた。
「……今だ!」
ぐいっ!
身体が岩の上を滑る。
その直後。
ガギンッ!
大百足の攻撃が、さっきまで俺がいた場所へ叩きつけられた。
……バキッ!
岩に、亀裂が走る。
「……お?」
俺は動きを止めた。
今の振動。
さっき俺が広げた亀裂へ、衝撃が伝わっている。
しかも。
……ミシミシッ。
岩が軋んでいる。
「……これ、いける!」
俺は慌てて身体を伸ばし、亀裂へ触手を差し込んだ。
そして、残っていた力を振り絞って押し広げる。
……ミシッ!
大百足が、さらに前へ出た。
その重みで、岩が大きく揺れる。
「……ルナ!」
俺は叫ぼうとした。
だが、発声用の構造を作る余裕はない。
代わりに、硬い突起を岩へ叩きつけた。
……カンッ!
もう1度。
……カンッ! カンッ!
ルナと決めた合図だ。
「……ノア!?」
遠くから声が返ってきた。
俺はさらに岩を叩いた。
……カンッ! カンッ!
「……分かった!」
ルナの声が響く。
「すぐに離れろ!」
……分かってる!
俺は必死に身体を縮めた。
だが、大百足の身体がすぐ近くにいる。
しかも、岩の端へ乗り出しているせいで、足場そのものが不安定になっていた。
「……くそっ!」
その瞬間。
「《衝撃》!」
ドンッ!
鋭い振動が、岩の亀裂へ集中した。
……バキバキッ!
「……っ!?」
岩が砕ける。
大百足の身体が大きく揺れた。
……ズズズッ!
硬い脚が、崩れかけた岩を掴もうとする。
だが。
……ミシッ。
足場が、耐えきれなかった。
ゴゴゴゴゴッ!
川へ突き出していた岩の一部が、一気に崩れ落ちた。
「……やった!」
俺は思わず身体を震わせた。
大百足の長い身体が、崩れた岩と一緒に傾いていく。
無数の脚が岩を引っかく。
……ガリガリガリッ!
だが、足場はもう残っていない。
そして。
ドボォンッ!
凄まじい水の振動が広がった。
「……落ちた!」
俺は《微振動感知》を広げた。
川の中で、大きな何かが暴れている。
無数の脚が水を掻き、硬い身体が岩へぶつかる。
だが、思ったように移動できていないらしい。
激しい水の流れに押され、振動が少しずつ下流へ移動していく。
「……成功だ!」
俺は思わず身体を揺らした。
正面から倒すことはできなかった。
だが、あの巨大な百足を川へ落とすことには成功した。
これなら、逃げる時間を稼げる。
「……ノア!」
ルナの声が響いた。
「よくやった! すぐに戻れ!」
……よし!
俺は身体を縮め、来た方向へ移動しようとした。
だが、その瞬間だった。
……ミシッ。
「……ん?」
足元から、小さな振動が伝わってきた。
さっきまでとは違う。
もっと近い。
俺が張りついている岩そのものが、軋んでいる。
「……え?」
……ミシミシッ。
嫌な予感がした。
さっきの落石。
大百足の重み。
そして、ルナの魔術。
どうやら、周囲の岩にも相当な負担がかかっていたらしい。
「……ちょっと待て」
俺は慌てて身体を伸ばした。
安全な岩へ触手を固定する。
だが、その直後。
……バキッ!
足元の岩が、大きく割れた。
「……嘘だろ!?」
俺は反射的に《粘着性》を強めた。
しかし、張りついている岩そのものが崩れている。
これでは意味がない。
「ノア!!」
ルナの叫びが届いた。
そして。
ゴゴゴゴッ!
俺の身体が、崩れた岩と一緒に落下した。
「う、うわあああっ!?」
もちろん、声にはならない。
頭の中だけで叫びながら、俺は必死に身体を伸ばした。
何かに掴まらなければ。
このまま川へ落ちたら――。
……ぺたり。
「……っ!?」
触手の先端が、何かに触れた。
岩だ!
俺は《粘着性》を強めた。
ぐぐっ……。
身体が引っ張られる。
……止まった!
「……助かった!」
だが、安心する間もなかった。
「ノア!」
すぐ近くから、ルナの声が聞こえた。
「動くな! 今、そちらへ――!」
……え?
俺は慌てて《微振動感知》を広げた。
ルナが近づいてきている。
怪我をした脚を引きずりながら、崩れた岩場の縁へ向かっているのだ。
「……来るな!」
俺は発声用の構造を作ろうとした。
だが、身体を支えるだけで精一杯だった。
「……ルナ、駄目だ!」
俺は必死に触手を振った。
しかし、ルナには見えていないのかもしれない。
いや、違う。
見えていても、助けようとしてくれているのだろう。
「……くっ!」
ルナの声が近づいた。
「もう少しだ、ノア!」
その瞬間。
……ミシッ。
「…………」
俺は動きを止めた。
ルナが立っている岩。
そこにも、亀裂が入っている。
「……まずい!」
俺は触手を伸ばした。
ルナへ向かって。
できるだけ遠くへ。
そして。
……バキッ!
岩が砕けた。
「……きゃっ!?」
ルナの身体が傾く。
……落ちる!
俺は咄嗟に触手を伸ばした。
《粘着性》を最大まで強める。
……ぺたり!
何か柔らかいものに触れた。
「……っ!?」
掴まえた!
ルナだ!
だが。
……ぐいっ!
強烈な重みが、俺の身体へ加わった。
「……うおおっ!?」
支えきれない!
俺は必死に岩へ張りついた。
しかし、限界だった。
……ぶちっ。
固定していた触手の一部が、引きちぎられた。
「……あ」
身体が浮く。
ルナの重みと一緒に、俺も落下していく。
「ノア!」
ルナの声が、すぐ近くで響いた。
俺は必死に身体を広げた。
せめて、ルナを守らなければ。
中枢核を内側へ引き込み、残った身体をできる限り広げる。
ルナの身体へ巻きつく。
《硬質外皮》を使い、岩にぶつかりそうな部分だけを補強する。
「……頼む!」
次の瞬間。
ドボォンッ!
凄まじい衝撃が、全身を襲った。
冷たい水。
強烈な流れ。
そして、身体を引きちぎろうとするような力。
「……っ!?」
川だ!
俺たちは、地下河川へ落ちたのだ。
「……ルナ!」
俺は必死に身体を伸ばした。
まだ、触れている。
ルナの身体はすぐ近くにある。
俺は《粘着性》を強め、離れないように巻きついた。
だが、流れは想像以上に速かった。
岩へ張りつこうとしても、すぐに引き剥がされる。
身体を伸ばしても、思った方向へ進めない。
「……くそっ!」
何とかしなければ。
このままでは、どこへ流されるか分からない。
しかも、ルナは怪我をしている。
水の中で自由に動ける状態ではないはずだ。
俺は身体をさらに広げた。
ルナの胴体を包み込むように、しっかりと固定する。
そして、できるだけ頭部を水面へ出せるように身体を支えた。
「……ぷはっ!」
ルナが大きく息を吸う振動が伝わってきた。
「ノア……!」
俺は触手を上下へ動かそうとした。
だが、水の流れが強すぎて、まともに動かせない。
それでも。
「……離さない!」
俺は必死に身体を固定した。
流されてもいい。
岩にぶつかってもいい。
だが、ルナだけは離さない。
この世界へ来てから、初めてできた仲間なのだ。
たった数時間かもしれない。
それでも、名前をくれた。
言葉を交わしてくれた。
俺を信じてくれた。
「……絶対に、助ける!」
俺は流れに逆らうのをやめた。
今の身体では、川の力に勝てない。
だったら、無理に逆らわなければいい。
ルナの身体を支え、岩へ衝突しそうなときだけ形を変える。
流れそのものに身を任せながら、少しでも安全な場所を探す。
「……ノア!」
ルナが叫んだ。
「前方に、岩がある!」
……前方?
俺は《微振動感知》を広げた。
だが、水の振動が強すぎる。
周囲の情報が入り乱れ、何がどこにあるのか分からない。
「……くそっ!」
「右だ! 右へ寄れ!」
ルナの声。
俺は身体の一部を右へ伸ばした。
だが、流れに押されてうまく進めない。
「……無理だ!」
その瞬間。
「ならば、我に任せろ!」
ルナが身体を動かした。
続いて、微かな魔力の感覚。
「……っ!?」
「《衝撃》!」
ドンッ!
水の中に、強い振動が広がった。
俺たちの身体が、わずかに横へ押し出される。
そして。
ゴンッ!
すぐ横で、大きな岩へ水がぶつかった。
「……っ!?」
危なかった。
あと少しで、まともに衝突していた。
「……はぁ、はぁ……」
ルナの呼吸が荒い。
どうやら、今の術で残っていた魔力をほとんど使い切ってしまったらしい。
「……すまぬ、ノア」
弱々しい声が届く。
「もう……術は使えぬ……」
……十分だ。
本当に、十分だよ。
俺はルナを包む身体へ意識を集中させた。
ここからは、俺が何とかする。
……だが。
その直後。
ズズズズッ!
水の奥から、巨大な振動が伝わってきた。
「……え?」
俺は身体を強張らせた。
この振動。
覚えがある。
長い身体。
無数の脚。
硬い甲殻が岩へ擦れる感覚。
「……まさか」
俺は必死に周囲を探った。
すると、川の底で巨大な何かが動いている。
激しい流れに押されながらも、岩へ脚を引っかけ、必死に身体を固定しようとしているらしい。
「……あいつ、まだいるのか!?」
大百足だ。
川へ落としたはずの、あの巨大な百足。
あいつもまた、流されながら移動しているのだ。
そして。
……ズズッ。
振動が、少しだけ近づいた。
「……冗談じゃないぞ」
俺はルナの身体をさらに強く抱え込んだ。
ようやく逃げ切れたと思ったのに。
まだ、終わっていない。
地下河川の暗闇の中。
俺たちは、巨大な捕食者と同じ流れに飲み込まれていた。




