第3部 第43話 閉じた水門、開いた道
「水門を開ければ解決、なんて話なら楽なんだがな」
ラドはそう言って、錆びた鉄の扉を見上げた。
北の岩山の麓。
俺たちは、古い水門の点検通路へ来ていた。
目の前には石造りの大きな水路があり、山から湧き出した水が勢いよく流れている。
途中で水路は2つに分かれていた。
片方は集落へ。
もう片方は、閉鎖された古い排水路へ。
……ふむ。
俺は分岐点を眺めた。
水門が閉じているのは、古い排水路の方だ。
12日前、ここを閉じた頃から、岩の中で妙な音が聞こえ始めたという。
そして数日前、石灯宿の井戸の水位が下がった。
……関係ありそうだよな。
ただし。
「水門を閉じたら、普通はこっちの水が増えるんじゃないのか?」
イルマが集落側の水路を指した。
……あ。
それ、俺も思った。
古い排水路へ流れる水を止めたのなら、その分、集落へ向かう水は増えそうなものだ。
ラドは頷いた。
「そのとおりだ。だから、井戸の水が減った原因は別にあるかもしれん」
……なるほど。
俺は少し考えた。
水門を閉じたことと、井戸の水が減ったこと。
同じ頃に起きたからといって、同じ原因とは限らない。
そこは分けて考えた方がよさそうだ。
「まず、流れている水を調べる」
ラドが点検通路の柵を確かめた。
「ノア。お前は水の動きが分かるんだったな?」
……おう。
俺は頷いた。
ただし、何でも分かるわけじゃない。
《水流感知》で感じられるのは、直接触れている水の動きだけだ。
石壁の向こうを流れる水まで見通せるような、便利な能力ではない。
「……さわる、だけ」
「それで十分だ。危ないところまで入るなよ」
……了解。
◇
点検通路の端から、細い触手を伸ばした。
《構造形成》。
手すりへ身体を固定し、先端だけを水の中へ入れる。
《水流感知》。
……お。
流れが速いな。
山から来た水が、集落側の水路へ勢いよく流れ込んでいる。
冷たい水が触手を押し、細かな渦がいくつもできていた。
……ふむ。
今のところ、変なところはない。
俺は少し位置を変えた。
集落側の水路。
その右岸にある石壁の近く。
……ん?
俺は動きを止めた。
何か、変だ。
水が、横へ引っ張られている。
水路はまっすぐ続いているのに、その一部分だけ、壁へ向かって流れが曲がっていた。
……あれ?
俺は触手を少し動かした。
すると、先端が急に横へ引かれた。
……っ!
慌てて触手を縮める。
《構造形成》。
……危なっ。
思ったより、強い流れだった。
「どうした?」
ラドが尋ねる。
俺は右側の壁を指した。
「……みず、よこ」
「横へ?」
「……ぬける」
ラドの顔つきが変わった。
彼は点検用の灯石を持ち、石壁へ光を当てた。
……あ。
見えた。
水面の少し下。
石壁に、細い亀裂がある。
いや。
亀裂というより、何かで削られた穴だ。
その周囲には、3本の溝が並んでいた。
……これ。
俺は身体を低くした。
昨日見た、あの爪痕じゃないか。
「……岩穿ちか」
ラドが呟いた。
……多分。
俺は頷いた。
「こんなところまで掘ってきていたとはな」
彼は石壁をしばらく眺め、それから点検通路の外を指した。
「いったん、水量を落とす。あの穴がどこへ通じているか確かめたい」
……お。
それなら、手伝えることがあるかもしれない。
◇
水路には、点検用の小さな調整板がついていた。
大きな水門とは別のものだ。
ラドと作業員がそれを少し動かすと、集落側の水路を流れる水がわずかに減った。
ただし、完全には止めない。
井戸へ供給する水を、一気に止めるわけにはいかないからだ。
「ここから先は、落ちた石を拾うだけでも危険だ。手すりの外へは出るな」
ラドが念を押した。
……はい。
俺は素直に頷いた。
水路の流れが弱まると、右側の石壁が見えやすくなった。
……お。
やっぱり。
削られた跡だ。
しかも、思っていたより大きい。
3本の爪痕が何重にも重なり、壁の一部が薄くなっている。
その中央に、小さな穴が開いていた。
……ここから水が抜けてるのか。
俺は壁へ細い触手を当てた。
《微振動感知》。
……。
――コツ。
少し間を置いて、
――コツ、コツ。
……あ。
いる。
この壁の向こうに。
俺は思わず身体を固くした。
「……ラド」
「どうした?」
「……むこう、いる」
ラドの表情が険しくなる。
「今も掘ってるのか?」
……うーん。
俺は少し考えた。
確かに、振動は伝わってくる。
ただし、今この場所を掘っているのか、別の場所で動いているのかは分からない。
「……ちかい、たぶん」
ラドは頷いた。
「分かった。無理に穴を広げるのはやめよう」
……賛成。
俺も、そう思う。
そのとき、ルナが隣から声をかけた。
「ノア。あれを見よ」
……ん?
俺は顔を向けた。
ルナが示したのは、石壁の下側。
水路の底近くに、青白く光るものが見えた。
……あ。
灯石だ。
しかも、壁の中から少しだけ露出している。
……なるほど。
俺は、ようやく気づいた。
この水路の石壁にも、灯石の鉱脈が通っている。
岩穿ちは、その石を食べる。
だったら。
……あいつら。
水路を壊そうとしたわけじゃないのか?
単に、壁の中にある灯石を掘っていた。
その結果、水が漏れ始めた。
……そういうことかもしれない。
もちろん、まだ推測だけどな。
◇
「……厄介な場所にあるな」
ラドが石壁を見て言った。
「ここは集落へ水を送る水路だ。放っておけば、穴が広がって水量が減る」
……ああ。
それは困る。
「だが、あの向こうに魔物がいるなら、穴を塞ぐ作業も簡単じゃない」
……そうだな。
俺は少し考えた。
壁の向こうに岩穿ちがいる。
しかも、何匹いるか分からない。
穴を塞ごうとして、突然爪が飛び出してきたら危険だ。
……どうする。
俺が悩んでいると、ラドが道具袋を開いた。
中から、厚い木板と折り畳んだ布を取り出す。
「応急処置なら、できるかもしれん」
……お。
俺は顔を上げた。
「水路の内側から板を当てる。穴を完全に埋めるんじゃなく、水が直接入り込まないようにする」
……なるほど。
俺は少し考えた。
つまり、壁の穴を塞ぐのではなく。
水路の内側へ、別の壁を作るわけか。
……それなら。
向こうにいる魔物へ、直接触れずに済む。
「ただし、板の固定は慎重にやる。水に押されて外れたら、下流へ流れてしまうからな」
……うん。
俺は頷いた。
作業員たちはすぐに準備を始めた。
厚い板の裏へ防水布を当て、その周囲に木製の枠を取りつける。
固定する場所も、穴の周囲ではなく、傷んでいない石へ選んだ。
……おお。
さすが、鉱山で働いている人たちだ。
仕事が早い。
ただし。
俺は、もう1度壁へ触手を当てた。
《微振動感知》。
……。
――コツ。
――コツ、コツ。
……まだ、いるな。
ちょっと気になる。
◇
作業が始まると、俺は板を支える役目になった。
《構造形成》。
身体の一部を平たく広げ、板の端を押さえる。
ただし、水の流れを受けすぎないよう、身体は小さくまとめる。
……よし。
これなら、少しは安定する。
ラドが反対側を固定し、作業員が金具を締めていく。
――カン、カン。
金属の音が、水路へ響いた。
……。
……ん?
俺は身体を止めた。
壁の向こうから、振動が返ってきた。
――コツ。
――コツ、コツ。
……あ。
まただ。
ただし、今度は少し強い。
俺はすぐにラドへ知らせた。
「……きてる!」
彼が顔を上げた。
「こっちへか?」
俺は頷いた。
「……ちかい!」
ラドは即座に手を上げた。
「作業中止! 全員、手を離せ!」
……っ。
俺もすぐに触手を引き戻した。
その直後。
――ガリッ!
石壁の穴から、灰色の爪が突き出した。
……っ!!
来た!
3本の爪が、薄くなった石の縁を削る。
――ガリガリッ!
……おいおい。
本当に、すごい爪だな。
俺は思わず身体を低くした。
すると、穴の奥から、灰色の頭が少しだけ見えた。
短い触角。
石板のような甲殻。
……岩穿ちだ。
ただし、昨日見た個体より少し小さい。
……ん?
俺は目を凝らした。
その口元に、青白い石の欠片がある。
……灯石?
岩穿ちは、爪で壁を削りながら、その欠片を奥へ押し込んでいた。
……あ。
食べ物を運んでるのか?
俺は少し驚いた。
そういえば、昨日も小さな個体へ灯石を譲るような動きをしていたな。
……もしかして。
奥に、ほかの個体がいるのか?
俺が考えていると、岩穿ちは突然動きを止めた。
短い触角が、穴の外へ伸びる。
その先が、水に触れた。
……っ。
俺は、少し身構えた。
水が嫌いなら、すぐに引っ込むかもしれない。
だが。
岩穿ちは、触角を少し動かしたあと、そのまま水へ口元を近づけた。
――……ごくっ。
……え。
飲んだ?
俺は思わず身体を持ち上げた。
岩穿ちは、もう1度水へ顔を近づけた。
……あ。
やっぱり。
水を飲んでる。
……ということは。
水が苦手だから乾いた水路へ入ってきた、という考えは間違ってるのかもしれない。
少なくとも、今の個体は水へ触れることを嫌がっていない。
……なるほど。
これ、結構大きな発見じゃないか?
俺はルナを見た。
ルナも、穴の奥を見ていた。
「……ノア」
……ん?
「水を恐れておるわけではなさそうだな」
……ああ。
俺は頷いた。
ただし。
泳げるかどうかまでは分からない。
大量の水に耐えられるかも不明だ。
……そうか。
だったら、水門を開けて追い払う、なんて方法は危ないな。
俺は、少し考えを改めた。
◇
岩穿ちは、しばらくすると穴の奥へ戻っていった。
俺たちは作業を再開した。
ただし、今度は穴へ近づかないよう、板を少し大きなものへ交換する。
水路の内側から、傷んでいない部分を覆う形にした。
俺が板の位置を支え、ラドたちが新しい固定金具を取りつける。
ルナは少し離れた場所で、壁の音へ耳を澄ませていた。
「……来るぞ」
……っ。
俺はすぐに触手を引いた。
ラドも作業を止める。
だが、今度の振動はすぐに遠ざかった。
……ふう。
危ないところだった。
俺たちは、慎重に作業を続けた。
そして。
――カチンッ。
最後の金具が締まった。
……よし!
俺は少しだけ身体を持ち上げた。
「……できた!」
ラドはすぐに板の状態を確かめた。
「……ああ。これなら、少なくとも水が直接穴へ流れ込むことは減らせる」
……お。
よかった。
ただし、これは応急処置だ。
石壁そのものが直ったわけじゃない。
向こう側で岩穿ちが掘り続ければ、別の場所から穴が開くかもしれない。
……そこが問題だな。
ラドも、同じことを考えていた。
「本格的な修理は、魔物の動きが落ち着いてからだ」
……うん。
俺は頷いた。
まずは、集落へ水を送れる状態を守る。
それが先だ。
◇
調整板を元へ戻すと、水路の流れが強くなった。
俺は再び、細い触手を水へ入れた。
《水流感知》。
……。
……お。
今度は、横へ引っ張られない。
もちろん、完全に漏れが止まったかは分からない。
だが、少なくとも、さっきより水がまっすぐ流れている。
……よし。
俺はラドへ頷いた。
「……よく、なった」
ラドは、ようやく少しだけ表情を緩めた。
「そうか。なら、ひとまず成功だな」
……ああ。
俺も、そう思う。
ただし。
まだ、古い水門の問題は残っている。
12日前に閉じられた排水路。
そして、その奥にある岩穿ちたちの通り道。
……どうして、あいつらが集落の下まで来たのか。
そこは、まだ分からない。
俺は水門を見た。
錆びた鉄の扉。
その奥へ続く、暗い水路。
……ふむ。
気になるな。
すると、ラドが静かに言った。
「……もう1つ、確かめたいことがある」
……ん?
俺は顔を上げた。
ラドは古い水門の横を指した。
そこには、小さな点検窓があった。
「ここから、閉じた水路の中を覗ける」
……お。
俺は少し身体を持ち上げた。
「ただし、扉は開けない。見るだけだ」
……了解。
俺は頷いた。
◇
点検窓の蓋は、少し固かった。
ラドが金具を外し、ゆっくり開ける。
――ギギッ。
狭い隙間の向こうに、暗い水路が見えた。
……お。
本当に、乾いてる。
昔は水が流れていたはずの場所だ。
底には細かな砂が積もり、壁には白い鉱物の跡が残っていた。
俺は灯石の光を向けた。
すると。
……あ。
見えた。
水路の底。
そこに、細い溝が何本も走っている。
3本ずつ。
同じ幅で。
……岩穿ちの爪痕だ。
しかも、それだけじゃない。
水路の側面には、小さな穴がいくつも開いていた。
……おいおい。
これ。
あいつらが通ってるんじゃないか?
俺はラドを呼んだ。
「……みて!」
彼が覗き込む。
しばらくして、低い声を漏らした。
「……なるほどな」
……ん?
俺は顔を向けた。
ラドは、水路の底を指した。
「水門を閉じてから、ここを通るようになったのかもしれん」
……ああ。
俺も、そう思う。
だが、ラドは続けた。
「それだけじゃない。あの穴の位置を見ろ」
……え?
俺はもう1度、点検窓の奥を見た。
小さな穴。
その周囲には、青白い灯石の欠片が散らばっている。
……あ。
そうか。
古い排水路の壁にも、灯石の鉱脈があるんだ。
岩穿ちは、その石を食べながら穴を広げていた。
その結果、今まで繋がっていなかった通路が、少しずつ繋がってしまったのかもしれない。
……なるほど。
俺は、ようやく少し理解した。
水門を閉じたことが、すべての原因とは限らない。
でも、水が流れなくなったことで、あいつらが通れる場所が増えた可能性はある。
そして、灯石を求めて掘り進んだ結果、集落の下まで来てしまった。
……そう考えると。
かなり、辻褄が合う。
もちろん、まだ確かめる必要はあるけどな。
◇
「……ラド」
ルナが静かに言った。
「この水路を、再び使うことはできぬのか?」
ラドは首を振った。
「今すぐは無理だ。穴が開いてる場所へ大量の水を流せば、どこへ漏れるか分からん」
……ああ。
そうだな。
俺も頷いた。
下手をすれば、集落の下へ水が流れ込み、地盤が崩れるかもしれない。
それに、岩穿ちたちが水路の中にいるなら、いきなり水を流すのは危険だ。
……うーん。
簡単じゃないな。
ラドは古い水路を見つめていた。
「まずは、こいつらがどこから来たのかを調べる必要がある」
……ああ。
俺も、そう思う。
古い坑道の奥。
灯石の鉱脈。
そして、岩穿ちたちが暮らしている場所。
……そこが分かれば。
集落から離れた場所へ、戻ってもらう方法も考えられるかもしれない。
ただし。
俺は、少し考えた。
あいつらは灯石を食べる。
だから、灯石がある限り、また掘り進んでくる可能性もある。
……だったら。
単に追い払うだけじゃ、駄目かもしれない。
◇
帰り道。
俺たちは、石灯宿へ戻る水路に沿って歩いていた。
ラドは、作業員たちへ応急処置の状態を記録させている。
イルマは集落へ戻り、井戸の水位を確認する手伝いをするらしい。
俺とルナは、少し後ろを歩いていた。
「……ノア」
……ん?
俺は顔を向けた。
ルナは、静かな表情で言った。
「貴様、何を考えておる?」
……うーん。
俺は少し考えた。
水路を壊した魔物。
灯石を食べる生き物。
そして、集落の下に広がる古い坑道。
……何だろうな。
俺は、短く答えた。
「……どう、する」
ルナは小さく頷いた。
「ふむ。我も同じだ」
……ああ。
俺は身体を少し揺らした。
すると、ルナが続けた。
「ただ、1つだけ分かったことがある」
……ん?
俺は顔を向けた。
「岩穿ちは、水が嫌いなわけではない」
……ああ。
それは、確かに。
俺は頷いた。
「ならば、水を使って追い払うという考えは、いったん捨てるべきであろう」
……そうだな。
俺は少し感心した。
ルナの言うとおりだ。
分かったことを使う。
間違っていた考えは、ちゃんと直す。
……それ、大事だな。
俺は触手を持ち上げた。
「……ルナ、かしこい」
ルナは一瞬、目を丸くした。
それから、得意そうに胸を張った。
「当然だ。我を誰だと思っておる」
……はいはい。
俺は少し笑った。
だが、その直後。
――コツ。
……っ。
俺は足を止めた。
地面の奥から、振動が伝わってくる。
続いて。
――コツ、コツ。
……ああ。
まだ、いる。
俺は地面へ触手を当てた。
《微振動感知》。
……。
……ん?
今度は、少し違う。
音が、2つある。
1つは、いつもの重い振動。
もう1つは、もっと軽く、細かいもの。
……あ。
もしかして。
昨日見た、大きい個体と小さい個体か?
俺は少し身体を低くした。
だが、そのとき。
2つの振動が、同時に遠ざかり始めた。
……え?
俺は顔を上げた。
集落の方じゃない。
北の岩山の方へ。
……戻ってる?
俺は、少し驚いた。
もちろん、偶然かもしれない。
ただ、さっき水路を調べている間も、岩穿ちは穴の奥へ戻っていった。
……ふむ。
何か、変わったのかな。
俺は少し考えた。
だが、今はまだ判断できない。
まずは、井戸の水が戻るかどうか。
そして、岩穿ちたちが本当に集落から離れているのか。
それを確かめないとな。
俺は身体を持ち上げた。
「……もどる」
ルナが頷く。
「うむ」
俺たちは再び歩き始めた。
その足元では、古い岩盤の奥へ向かって、2つの振動が少しずつ小さくなっていった。
ただし。
水路の壁に残った爪痕は、消えない。
あの魔物たちが石を食べる限り、また穴を開けるかもしれない。
……さて。
次は、どうするか。
今度は水門を直すだけじゃなく。
岩穿ちたちの暮らす場所まで、考える必要がありそうだった。




