第3部 第44話 音を追うもの
第3部 第44話 音を追うもの
岩穿ちが逃げていた。
最初は、そうとは分からなかった。
北の旧採石場。
俺たちはラドの案内で、古い坑道へ繋がる地表の割れ目を調べていた。
昨日、水路の壁を応急修理したあと、岩穿ちらしい振動が北へ遠ざかっていった。
本当に集落から離れているのか。
それを確かめるのが、今日の目的だった。
ところが。
――コツ、コツ、コツッ!
……ん?
俺は地面へ当てた触手を止めた。
《微振動感知》。
いつもと違う。
これまでは、1回叩いて、少し間を置いて2回。
あの独特な拍子が、岩穿ちの足音だった。
だが、今は違う。
間隔が短い。
しかも、どんどん近づいてくる。
「……ラド」
俺が声をかけると、彼は古い図面から顔を上げた。
「何かいるか?」
「……くる。はやい」
「岩穿ちか?」
俺は頷きかけて、動きを止めた。
別の振動がある。
ずっと重く、石を押し潰すような揺れ。
……何だ、これ。
俺は身体を低くして、もう1度確かめた。
細かな足音が先。
重い振動が、その後ろ。
どちらも、こちらへ向かっている。
「……2つ!」
ラドの表情が変わった。
「全員、岩棚の上へ!」
その直後だった。
――ガリガリガリッ!
採石場の壁が崩れ、灰色の魔物が飛び出してきた。
岩穿ちだ。
昨日見たものより少し大きい。
そして、そのすぐ後ろから、小さな個体が転がるように現れた。
……あ。
あの2匹か?
灯石を分け合っていた、大きな個体と小さな個体。
大きい方は立ち止まると、3本の爪を広げ、小さい方を背後へ押し込んだ。
その動きは、俺たちに向けたものじゃなかった。
割れた岩壁の奥を、じっと警戒している。
……何かいる。
そう思った瞬間。
――ドゴンッ!
岩壁が内側から弾けた。
◇
黒い甲殻が見えた。
最初に現れたのは、鎌のように湾曲した2本の顎。
次に、幅の広い頭。
その後ろから、節のある長い胴体が滑り出してくる。
……でかっ!
全長は3m近いだろうか。
岩穿ちとは、明らかに形が違う。
黒褐色の甲殻には細かな筋が走り、身体の両側には短い脚が何本も並んでいる。
何より目立つのは、頭の前にある2本の大きな顎だった。
あれに挟まれたら、俺の《硬質外皮》でも無事では済まない気がする。
「……鎌顎だ」
ラドが低く呟いた。
……知ってるのか?
「古い鉱山の記録で読んだことがある。岩の隙間に潜み、ほかの魔物を襲う……」
説明が終わる前に、黒い魔物が跳んだ。
速い。
岩の上を滑るように移動し、岩穿ちの小さな個体へ迫る。
――ガキンッ!
大きい岩穿ちが間に入った。
3本の爪と黒い顎がぶつかり、硬い音が響く。
……っ!
俺は思わず身体を前へ動かしかけた。
だが、すぐに止めた。
あの間へ飛び込んでも、押し潰されるだけだ。
「ノア!」
ルナが隣へ並ぶ。
「小さい方が狙われておる!」
……ああ。
見えてる。
大きい岩穿ちは、必死に顎を押し返していた。
だが、体格が違いすぎる。
黒い魔物が身体をひねると、岩穿ちは横へ弾かれた。
――ガラッ!
小さな個体が後ずさる。
逃げ道には、崩れた石の塊。
……まずい。
完全に行き止まりだ。
◇
「ラド! 下がってください!」
俺は思わず言いかけて、喉に相当する部分を震わせた。
「……ラド、さがれ!」
彼はすでに動いていた。
「全員、退避! 荷車は捨てろ!」
作業員たちが道具を放り、岩棚の奥へ走る。
その途中、若い鉱夫が足を滑らせた。
――ガタン!
持っていた鉄の道具箱が石へ落ちる。
乾いた金属音が、採石場へ響いた。
その瞬間。
黒い魔物の頭が、こちらを向いた。
……え?
俺は動きを止めた。
小さな岩穿ちを追っていたはずの魔物が、急に進路を変えたのだ。
鉄箱の方へ。
「……っ!」
ルナが前脚を上げる。
「《衝撃》!」
――ドンッ!
衝撃が魔物の頭の側面へ当たる。
黒い甲殻がわずかに揺れ、突進の向きが変わった。
――ガァン!
鎌のような顎が、鉄箱を挟み潰す。
……うわ。
箱、ぺちゃんこじゃないか。
鉱夫はその隙に岩陰へ逃げ込んだ。
ルナの一撃は、魔物を吹き飛ばしたわけじゃない。
ただ、ほんの少し向きを変えただけだ。
それでも十分だった。
「……今のうちだ!」
ラドが鉱夫を引っ張り上げる。
俺は、潰れた箱を見つめた。
……待てよ。
さっきの動き。
あいつ、岩穿ちより箱を優先したのか?
◇
黒い魔物が、鉄箱から顎を離した。
――ギィッ。
耳障りな音が響く。
続いて、頭の両側にある細い突起が動いた。
触角のようにも見える。
ただし、岩穿ちのものよりずっと短い。
……何をしてる?
俺が見ていると、魔物は突然ぴたりと動きを止めた。
周囲も静かになる。
……。
……。
次の瞬間。
――カラン。
ラドの足元で、小さな石が転がった。
黒い頭が跳ね上がる。
……っ!
そっちを向いた!
魔物は地面へ顎を当て、ラドのいる岩棚へ近づき始めた。
……まさか。
俺は地面を見た。
岩穿ちの足音。
鉄箱の落ちる音。
そして、今の小石。
……振動か?
こいつ、地面の振動を頼りに動いてるんじゃないか?
俺は確かめたくなった。
だが、人のいる場所で試すわけにはいかない。
……だったら。
俺自身でやるしかない。
「……ルナ」
「何だ?」
俺は採石場の奥を指した。
人のいない、古い石切り場だ。
そこには大きな石の塊が転がり、廃棄された荷車のレールが途中まで残っている。
「……あっち、よせる」
ルナは一瞬、俺を見た。
それから黒い魔物へ目を向ける。
「……貴様が囮になる気か?」
……いや。
厳密には、俺自身じゃない。
音を使うんだ。
俺は触手を地面へ当てた。
《摩擦発音》。
身体の一部を硬い石へ押し当て、短く擦る。
――ギギッ。
黒い魔物が、即座にこちらを向いた。
……っ。
やっぱり!
俺は触手を引っ込めた。
魔物は、音のした場所へ近づいた。
だが、そこには何もない。
しばらく石の表面を探ったあと、また動きを止める。
……なるほど。
少なくとも、地面へ伝わる音には反応するらしい。
それが餌だと判断しているのか、敵だと思っているのかは分からない。
ただ。
……使える。
◇
「ノア、何を考えておる?」
ルナが低い声で尋ねた。
俺は採石場の奥を指した。
「……おと、むこう」
「音で誘い出すのか」
……そう。
俺は頷いた。
ラドも話を聞いていた。
「なら、俺たちが使えるものがある」
……ん?
彼が指したのは、古い荷車だった。
採石場の奥に、鉄の車輪がついた小さな台車が残っている。
「昔、石を運ぶのに使ってた。片側の車輪は壊れてるが、少しなら動かせる」
……なるほど。
鉄の車輪。
石のレール。
動かせば、かなり大きな音がしそうだ。
「ただし、そこへ近づくのは危険だぞ」
ルナが言った。
「分かってる」
ラドは周囲を見回した。
「幸い、こっち側に古い巻き上げ用の縄が残ってる。まだ使えるか確認してからだな」
……お。
俺は少し身体を持ち上げた。
職人たちは、こういうところが頼りになる。
ただし。
俺は黒い魔物を見た。
あいつは、まだ採石場の中央を歩き回っている。
その近くでは、小さい岩穿ちが石の隙間へ逃げ込もうとしていた。
だが、岩が崩れていて入れない。
大きい個体は、そのそばで警戒している。
……時間は、あまりなさそうだな。
◇
準備の間、俺たちは音を立てないようにした。
ラドと作業員が古い巻き上げ台を確かめ、使える部分だけを選ぶ。
傷んだ縄は捨て、新しいものへ交換した。
壊れた車輪はそのまま。
むしろ、石を引きずるときに音が出る。
……なるほど。
今回ばかりは、壊れている方が都合がいいらしい。
俺は、魔物の動きを観察していた。
黒い身体が低くなる。
止まる。
頭を左右へ動かす。
……目は、どこだ?
探しても、はっきりとは見えない。
代わりに、頭の突起が地面へ触れるたび、動く向きが変わっていた。
……やっぱり、振動を感じているのかもしれない。
そう考えた直後。
――コツ、コツッ!
小さい岩穿ちが、崩れた岩を引っかいた。
黒い魔物が振り向く。
……っ!
まずい!
大きい岩穿ちが前へ出る。
だが、さっきの衝突で片方の脚を傷めたらしい。
動きが鈍い。
……間に合わない。
俺は思わず触手を伸ばした。
今度は、短く。
強く。
石の表面へ押し当てる。
《摩擦発音》。
――ギャリッ!!
黒い魔物が、こちらを向いた。
……っ。
来た!
俺は即座に触手を縮めた。
同時に、身体を岩の陰へ滑り込ませる。
《構造形成》。
薄く。
低く。
石の隙間へ身体を寄せる。
黒い魔物が、音のした場所へ突進した。
――ガンッ!
顎が岩へぶつかる。
……っ!
近い!
俺が隠れた岩のすぐ反対側だ。
黒い爪が、石の表面を引っかく。
――ザリッ。
……やばい。
これ以上近づかれたら、俺の身体まで削られる。
そのとき。
「ノア!」
ルナの声がした。
……ん?
俺は顔を上げた。
少し離れた岩棚で、ラドが手を上げている。
準備できたのか!
……よし。
俺は身体を縮めたまま、静かに移動した。
できるだけ石を擦らないように。
触手を伸ばしすぎないように。
……頼む。
こっちへ気づくなよ。
◇
「……いくぞ」
ラドが小さく言った。
俺は頷いた。
「……うん」
作業員が巻き上げ機の留め具を外す。
――ガタン!
古い荷車が動き始めた。
壊れた車輪が石へ擦れ、鋭い音を立てる。
――ギャラララッ!
……おお。
すごい音だ。
黒い魔物が、即座に頭を持ち上げた。
そして、荷車の方へ向き直る。
……よし。
反応した!
荷車はゆっくり採石場の奥へ進む。
黒い魔物も、その後を追う。
……ああ。
いいぞ。
そのまま。
だが、途中で荷車が石へ引っかかった。
――ガコンッ!
動きが止まる。
……っ。
まずい!
魔物も止まった。
頭の突起が、地面へ触れる。
……このままだと、また岩穿ちの方へ戻るかもしれない。
俺は、少し考えた。
荷車まで距離がある。
直接押すのは無理だ。
だが。
――カンッ!
ルナが《衝撃》を放った。
狙いは荷車そのものではない。
その横に転がっていた、小さな鉄の留め具だ。
留め具が跳ね、荷車の縁へ当たる。
――カラン、カラン!
……お!
魔物が反応した。
荷車へ近づき、黒い顎を持ち上げる。
――ガキンッ!
鉄の縁が挟まれた。
……っ!
今だ!
「……ラド!」
俺が叫ぶと、ラドが一気に巻き上げ機を動かした。
荷車が横へ引かれる。
――ギギギッ!
黒い魔物は、顎を外そうとした。
だが、挟んだ鉄が少し曲がり、抜けなくなっている。
……おい。
あいつ、本当に力が強いな。
魔物が身体をひねる。
――バキンッ!
鉄が割れた。
……っ。
もう外れた!
しかし、その一瞬で十分だった。
荷車は採石場の奥にある、低い石壁の前まで移動していた。
そこは昔、採掘した石を一時的に集めていた窪地だ。
入口は狭く、両側を大きな岩に挟まれている。
……ここなら。
少しは動きを制限できるかもしれない。
「ルナ!」
俺は相棒を呼んだ。
「……いま!」
ルナが頷く。
「《衝撃》!」
――ドンッ!
短い衝撃が、荷車の後ろへ当たった。
荷車が石壁へぶつかる。
――ガァン!
大きな音が響いた。
黒い魔物が、反射的にそちらへ突進した。
……っ。
入った!
魔物の身体が、狭い窪地へ滑り込む。
その直後、ラドが叫んだ。
「落とせ!」
作業員たちが、古い落石防護柵の留め具を外した。
以前、崩れた石が道へ転がらないように使っていたものらしい。
太い木材と鉄の網で作られた柵が、入口へ下りてくる。
――ガシャン!!
……っ!
閉じた!
黒い魔物が振り返る。
そして。
――ガギンッ!
鎌のような顎が、柵へぶつかった。
……っ。
俺は思わず身体を低くした。
柵が、大きく揺れる。
もう1度。
――ガギンッ!
……おいおい。
これ、長くは持たないぞ!
ラドも同じことを考えていた。
「ここは一時しのぎだ! 全員、離れろ!」
……ああ。
俺は頷いた。
閉じ込められたからといって、安心できる相手じゃない。
あいつは石だって削れる。
その気になれば、柵の横の岩まで掘るかもしれない。
……今は、逃げるしかないな。
◇
俺たちが岩棚へ戻ると、大きい岩穿ちが小さい個体を連れて動き始めていた。
黒い魔物が離れたおかげで、ようやく逃げられるようになったらしい。
ただし、大きい方は片脚を引きずっている。
……ああ。
やっぱり、傷ついてるな。
俺は少し心配になった。
すると、小さな個体が突然立ち止まった。
……ん?
何だ?
俺は目を凝らした。
小さい岩穿ちは、しばらくこちらを向いていた。
いや。
目が見当たらないから、向いているかどうかも分からない。
ただ、短い触角が俺の方へ伸びている。
……。
……。
次の瞬間。
――コツ。
……。
――コツ、コツ。
足元へ、懐かしい振動が伝わってきた。
……あ。
いつもの音だ。
小さい岩穿ちは、もう1度石を叩いた。
そして、大きい個体のあとを追って岩の隙間へ消えていった。
……。
俺は、しばらく動けなかった。
何だろう。
今の。
もちろん、礼を言ったわけじゃないだろう。
たまたま足が動いただけかもしれない。
それでも。
……元気でな。
俺は小さく触手を振った。
そのとき。
――ガギンッ!!
……っ。
背後から、激しい音が響いた。
黒い魔物が、また柵へぶつかったのだ。
……ああ。
忘れてた。
こっちは、まだ終わってなかった。
◇
「……どうする?」
ルナが尋ねた。
俺は黒い魔物を見た。
柵の向こうで、何度も顎を動かしている。
そのたびに木材が削れ、細かな欠片が飛び散る。
……これは。
いずれ、出てくるな。
俺は少し考えた。
今のところ、あいつは人間を狙っているわけじゃない。
少なくとも、最初に追っていたのは岩穿ちだった。
そして、地面へ伝わる大きな音へ反応していた。
……つまり。
あいつにとって、俺たちも餌に見えるかもしれないってことか。
そう考えると、背中が冷たくなる。
……いや。
背中がどこかは、微妙だけど。
「ノア」
ラドが隣へ来た。
「助かった。お前らがいなきゃ、被害が出てたかもしれん」
……いや。
俺も、かなり怖かったよ。
俺は触手を小さく振った。
「……まだ、あぶない」
ラドは頷いた。
「ああ。分かってる」
彼は採石場の奥を見た。
「鎌顎が1匹とは限らんしな」
……。
俺は動きを止めた。
……え。
ちょっと待て。
それ、今言う?
俺が顔を上げると、ラドは険しい表情で続けた。
「古い記録には、鎌顎は岩穿ちの群れを追って移動することがある、と書かれてた」
……なるほど。
だから、岩穿ちが逃げていたのか。
いや。
もしかすると。
12日前に岩穿ちが集落の下へ現れ始めたのも、こいつらから逃げるためだったのかもしれない。
……ただし。
まだ、そうと決まったわけじゃない。
水門を閉じたことで通れる場所が増えた可能性もある。
灯石を求めて移動した可能性だってある。
いくつもの理由が、重なっているのかもしれない。
……まあ。
理由が何であれ。
今の問題は、目の前のこいつだ。
俺は柵の向こうを見た。
黒い魔物が、再び顎を動かす。
――ガギンッ!
木材の一部が、折れた。
……っ。
危ない!
俺は反射的に身体を低くした。
「……ラド!」
彼も、すぐに気づいた。
「全員、採石場から退け!」
……ああ。
俺は頷いた。
今は無理に戦うべきじゃない。
少なくとも、この場所で人を巻き込むわけにはいかない。
俺たちは、採石場の入口へ向かって移動した。
◇
帰り道。
ルナは、いつもより少し静かだった。
「……ノア」
……ん?
俺は顔を向けた。
「先ほど、よく踏みとどまったな」
……え?
俺は少し驚いた。
ルナは、前を向いたまま続ける。
「小さい岩穿ちが襲われたとき、貴様は飛び出そうとした」
……ああ。
まあ。
そうだったな。
「だが、無理に近づかなかった。代わりに、音を使った」
……うん。
俺は頷いた。
正直に言えば、あのときはかなり迷った。
助けたかった。
でも、あんな大きな顎に挟まれたら、俺だって危ない。
俺が傷つけば、ルナやラドたちにも迷惑をかける。
……だから。
できることを探した。
それだけだ。
「……よかった」
俺が短く答えると、ルナは小さく笑った。
「うむ。我もそう思う」
……ああ。
俺も、そう思う。
ただし。
俺は、少しだけ身体を低くした。
もし、あの魔物がもう1度現れたら。
今度も、同じ方法で逃げられるとは限らない。
あいつは、音へ反応した。
でも、何も聞こえなくなれば、また地面を探り始める。
……そのとき。
俺たちが、どこにいるか分からないとは限らない。
俺は自分の触手を見た。
《微振動感知》。
《摩擦発音》。
そして、《構造形成》。
……なるほど。
俺にも、できることはある。
だが。
今のままじゃ、まだ足りない。
俺は北の岩山を見上げた。
その下には、岩穿ちたちが暮らす場所があり。
さらに、その奥では。
あの黒い魔物と同じものが、まだ動いているかもしれない。
……どうやら。
今度の山は、思っていたよりずっと危険らしい。
俺は、ゆっくり身体を持ち上げた。
ただし。
危険だからといって、何もしないわけにもいかない。
石灯宿の人たちは、ここで暮らしている。
俺たちは旅人だから、いずれ出発する。
でも。
今は、まだここにいる。
……だったら。
できることを、もう少し探してみよう。
俺は、隣を歩くルナへ目を向けた。
「……あした、また」
ルナは、少しだけ目を細めた。
「うむ。ただし、今度は戦うことも考えておくべきだな」
……ああ。
俺は頷いた。
岩穿ちを助けるためでも。
集落を守るためでも。
あの黒い魔物が襲ってくるなら、逃げるだけでは済まないかもしれない。
……分かった。
次は、ちゃんと準備しよう。
俺は前を向いた。
石灯宿の灯りが、夕暮れの岩山の下に見え始めている。
その足元。
深い岩盤の奥から。
――……ズズズッ。
今までとは違う、重い振動が伝わってきた。
……っ。
俺は、足を止めた。
《微振動感知》。
……いる。
さっきの鎌顎と、似た動き。
ただし。
今度は、もっと深い。
そして、別の方向だ。
俺は、ゆっくり身体を低くした。
……おいおい。
まさか。
もう1匹、いるのか?
俺が顔を上げると、ルナも周囲を警戒していた。
「……ノア?」
俺は、短く答えた。
「……おおきい、した」
ルナの表情が変わった。
「……別のものか?」
……分からない。
俺は首に相当する部分を横へ振った。
振動が似ているだけで、同じ魔物とは限らない。
ただ。
今度の振動は。
少しずつ、石灯宿の方へ向かっていた。
俺は、思わず身体を持ち上げた。
……まずい。
急いで戻ろう。
あの魔物が本当に集落へ向かっているなら。
今度は、採石場での実験なんてしている場合じゃない。
俺たちは、足を速めた。
背後では、北の岩山が夕日に染まっている。
その奥で。
誰にも見えない何かが、岩を押し分けながら動いていた。




