第3部 第41話 床下の侵入者
「全員、机から離れろ!」
ラドの声で、管理所にいた作業員たちが一斉に動いた。
その直後、俺の真下で石が割れた。
――バキッ!
「うわっ!」
慌てて身体を縮める。
さっきまで触れていた床に、細い亀裂が走っていた。
……危なっ!
もう少し前にいたら、挟まれてたぞ。
「ノア!」
ルナが駆け寄ってくる。
「……へいき!」
俺は短く答え、壁際へ移動した。
《微振動感知》で感じていた不規則な振動。
それが、今ははっきりと足元へ伝わってくる。
――ガリ、ガリッ。
何かが石を削っている。
しかも、かなり近い。
ラドは扉を開け、職員たちを外へ逃がしていた。
「図面は置いていけ! 人が先だ!」
1人の若い職員が、机の上の帳面へ手を伸ばしかけていた。
……分かる。
大事な書類なんだろうな。
でも、今はそれどころじゃない。
俺がそう思った瞬間、床の亀裂が大きく開いた。
――ガコンッ!
石板の一部が持ち上がる。
そして、その隙間から。
灰色の脚が突き出した。
先端には、鋭い爪が3本。
……いた。
昨日、点検口の奥で見たやつだ!
◇
脚は、床の縁を探るように動いていた。
1度、石を叩く。
少し間を置いて、2度。
――コツ。
――コツ、コツ。
……あ。
俺は思わず動きを止めた。
ずっと聞こえていた音。
まさか、こいつの足音だったのか?
「ノア、出口へ!」
ルナに呼ばれ、俺は我に返った。
今は観察している場合じゃない。
俺たちは扉へ向かった。
ところが、そこで床がもう1度揺れた。
――ガリッ!
突き出した脚が石板を引っかき、割れた縁を広げる。
その拍子に、壁際の棚が傾いた。
棚には鉱石の見本や、小さな灯石のランプが並んでいる。
……まずい!
俺は反射的に触手を伸ばしたが、棚までは届かない。
「ルナ!」
「分かっておる!」
ルナが前脚を上げる。
「《衝撃》!」
――ドンッ!
短い衝撃が棚の側面へ当たり、倒れる向きが少し変わった。
棚は無人の壁際へぶつかり、中身を床へ散らした。
――ガシャン!
……よし!
あそこなら誰にも当たらない。
ただ、助かったと思ったのも束の間だった。
床から突き出していた脚が、急に動きを変えたのだ。
こちらへ向かって。
いや。
違う。
俺たちの横を通り過ぎ、倒れた棚の方へ伸びている。
……何だ?
俺たちを狙ってるわけじゃないのか?
俺が確かめようとしたところで、ラドが外から叫んだ。
「ノア! 出ろ!」
……はい!
好奇心より命。
最近ようやく身についた、俺の新しい教訓だ。
◇
管理所の外へ出ると、すでに人が集まり始めていた。
「何が起きたんだ?」
「地震か?」
「管理所が崩れるぞ!」
ラドはすぐに声を張り上げた。
「古い排水路の上で陥没が起きた! 建物へ近づくな!」
……なるほど。
そうか。
俺たちが立っていた床の下には、古い排水路が通っていた。
その中を何かが削り進んでいたなら、石板の下が空洞になっていてもおかしくない。
問題は、管理所だけじゃないことだ。
俺は周囲を見た。
石造りの建物。
井戸。
そして、診療所へ続く細い道。
どれも、同じ山の岩盤の上に建っている。
……嫌な予感がするな。
「ラド!」
俺は彼の袖を引いた。
「……みち、した!」
「排水路か?」
俺は頷いた。
ラドも、すぐに理解したらしい。
「……他の建物の下まで来てるかもしれんのか」
……そう。
俺は触手を地面へ当てた。
《微振動感知》。
管理所の方から、強い振動が伝わってくる。
それとは別に、少し離れた方向にも細かな揺れがあった。
……複数?
いや、同じ振動が伝わっているだけかもしれない。
でも。
もし、あんな爪を持った生き物が何匹もいたら。
……ちょっと、笑えないな。
ラドは近くの作業員を呼んだ。
「古い排水路の図面を持ってこい。北側の井戸と、診療所にも人を回せ!」
……よし。
判断が早い。
俺も手伝おう。
そう思ったときだった。
――ガラガラッ!
管理所の中から、大きな音が響いた。
全員が振り返る。
扉の奥。
床の割れ目が、さらに広がっていた。
そこから、灰色の何かが這い出してくる。
……おいおい。
本当に出てきたぞ。
◇
そいつは、俺が想像していたより小さかった。
いや、小さいと言っても、人間の腰くらいの高さはある。
全長は1mほど。
背中には石板のような甲殻が何枚も重なり、身体の横から節のある脚が伸びている。
そして、脚の先には3本の爪。
……なるほど。
あの傷は、こいつがつけていたのか。
顔らしい部分はあったが、目は見当たらない。
代わりに、頭の前側から短い触角のようなものが伸びていた。
「……岩穿ちか?」
ラドが呟いた。
……知ってるのか?
俺は顔を向けた。
「古い鉱夫の話に出てくる、石を掘る魔物だ。実物を見るのは初めてだが……」
ラドは途中で言葉を止めた。
灰色の魔物が、管理所の中で何かを探るように動き始めたからだ。
……ん?
俺はそちらへ目を向けた。
魔物は、俺たちを追ってこない。
倒れた棚の周囲を歩き回っている。
――コツ。
――コツ、コツ。
……ああ。
やっぱり。
この拍子は、脚の動きで鳴ってたんだな。
だが、次の瞬間。
魔物が頭を低くした。
そして、床に落ちていた青白い石へ口を近づける。
……ん?
あれ。
灯石じゃないか?
割れたランプから転がり出た、小さな鉱石。
魔物はそれを爪で押さえると、口元へ引き寄せた。
――ガリッ。
……え。
食べた?
俺は思わず身体を持ち上げた。
魔物の口が動く。
硬い鉱石が砕け、青白い光が少しずつ弱くなっていく。
……本当に食べてる。
石を?
いや。
この世界には《捕食》で何でも取り込む俺もいる。
今さら、鉱石を食べる生き物がいてもおかしくないか。
……そう考えると、ちょっと親近感が。
「ノア」
ルナが横から言った。
「妙な顔をするでない」
……顔ないって!
「今、あれと仲間になれるか考えたであろう?」
……。
何で分かったんだよ。
◇
「……灯石か」
ラドが低く呟いた。
俺は顔を上げた。
ラドは管理所の中を見つめている。
「あいつ、灯石を食べてるな」
……ああ。
俺も見た。
「そういえば、50年前の記録にも……」
ラドは何かを思い出そうとしているようだった。
だが、すぐに首を振った。
「いや。まずは、安全を確保する」
……うん。
その方がいい。
俺たちは建物の周囲へ近づけないよう、縄を張った。
作業員たちが人々を誘導し、管理所の前はすぐに立ち入り禁止になった。
灰色の魔物は、その間も灯石の欠片を食べている。
人間へ襲いかかる様子はない。
ただし、石を削る力は本物だ。
俺は、割れた床を見た。
厚い石板が、まるで柔らかい木みたいに削られている。
……これは。
人間の家くらい、簡単に壊せるかもしれないな。
俺は少し不安になった。
すると、ラドが図面を持った作業員を呼び寄せた。
「……ここだ」
机代わりにした木箱の上へ、図面が広げられる。
古い排水路。
共同井戸。
管理所。
そして、その先にある診療所。
……あ。
俺は目を止めた。
排水路の線が、診療所の裏を通っている。
……まずい。
俺はラドを見た。
彼も同じことに気づいていた。
「診療所の裏に、古い貯蔵庫がある」
……貯蔵庫?
「昔、採掘した灯石の欠片を集めていた場所だ。品質の悪い石を、一時的に保管していたらしい」
……え。
俺は図面を見た。
管理所から診療所へ続く排水路。
その先に、古い貯蔵庫。
……ちょっと待て。
もし、あの魔物が灯石を食べるなら。
……そこへ向かってるんじゃないか?
ラドはすぐに作業員へ指示を出した。
「カヤへ伝えろ! 診療所の裏側へ近づくな!」
……っ。
俺は身体を低くした。
急がないと。
◇
診療所へ着くと、カヤはすでに準備を始めていた。
棚から薬を取り出し、布袋へ詰めている。
入口には荷車が置かれ、近所の人たちが手伝っていた。
……お。
早いな。
「ラドから聞いたわ」
カヤが俺たちを見る。
「裏の貯蔵庫が危ないんでしょう?」
……ああ。
俺は頷いた。
「……した、あぶない」
「分かってる。今、使う薬だけ先に運び出してるところよ」
……よし。
俺は少し安心した。
だが、カヤは続けた。
「ただ、奥の部屋に1人、足を怪我した患者がいるの」
……え。
俺は顔を上げた。
「歩けないわけじゃないけど、急いで移動させると傷が開くかもしれない。手を貸してくれる?」
……もちろん!
俺はすぐに頷いた。
「……やる」
ルナも前へ出た。
「我も手伝おう」
カヤは少し笑った。
「ありがとう。じゃあ、担架を運ぶから、扉を開けておいて」
……了解。
俺たちは診療所の奥へ向かった。
◇
患者は、若い鉱夫だった。
足首を大きく腫らしているが、意識ははっきりしている。
「何だよ、また避難か?」
患者が苦笑した。
カヤは呆れた顔で答える。
「文句を言う元気があるなら大丈夫ね。さあ、運ぶわよ」
……強いな、この人。
俺は思わず感心した。
担架を運ぶのは、カヤと近所の男2人。
俺はその横で、扉を押さえたり、邪魔な道具を片づけたりした。
ルナは先に廊下へ出て、周囲の様子を確かめている。
……よし。
順調だ。
そう思ったときだった。
――コツ。
……っ。
俺は動きを止めた。
床の下から、あの振動。
続いて。
――コツ、コツ。
……来た。
俺は、すぐに地面へ触手を当てた。
《微振動感知》。
……。
……まずい。
管理所で感じたものと似ている。
しかも、今度は診療所の裏側から伝わってくる。
……もう、ここまで?
俺は声を上げた。
「……はやく!」
カヤが振り返る。
「何かいるの?」
「……した!」
俺は床を指した。
カヤの表情が変わる。
「分かった。全員、急いで!」
担架が廊下を進む。
俺は、その横を低い姿勢でついていった。
……頼む。
今は、床が割れたりしないでくれよ。
だが。
――ミシッ。
……っ。
嫌な音がした。
俺は反射的に身体を低くした。
廊下の奥。
壁際の石板に、細い亀裂が走っている。
……おいおい。
本当に、来てるじゃないか!
俺はルナを呼んだ。
「……ルナ!」
「分かっておる!」
ルナは、すぐに前脚を構えた。
ただし、床へ《衝撃》を撃ち込むわけじゃない。
それをすれば、余計に崩れるかもしれないからだ。
ルナが狙ったのは、廊下の端に置かれた木箱だった。
「《衝撃》!」
――コンッ!
箱が、少し横へ動く。
担架の通り道が広がった。
……よし!
俺はすぐに担架の横へ回った。
《構造形成》。
身体を薄く伸ばし、担架の下へ滑り込ませる。
ただし、重さを全部支えるわけじゃない。
揺れを少し抑えるだけだ。
《緩衝膜》。
……よし。
これなら、足への衝撃を少し減らせる。
カヤたちが担架を運ぶ。
廊下を抜ける。
入口を通る。
そして。
――ゴトン。
……っ。
外へ出た!
俺は、ようやく身体を伸ばした。
……ふう。
間に合った。
カヤも、大きく息を吐いている。
「……助かったわ」
……ああ。
俺は短く頷いた。
「……よかった」
◇
診療所から全員が離れたあと。
ラドが、古い貯蔵庫の位置を確かめていた。
俺も近づいた。
「……ここ?」
図面の端を指す。
ラドは頷いた。
「そうだ。診療所の裏側、その地下だ」
……なるほど。
俺は地面へ触手を当てた。
《微振動感知》。
……。
強い。
さっきより、ずっと。
――コツ。
――コツ、コツ。
そのあとに、細かく石を削る振動。
……ああ。
確かに、何かが動いている。
しかも、1つじゃない。
……ん?
俺は少し驚いた。
別の方向からも、似た振動が伝わってくる。
1回。
2回。
また、1回。
……これ。
複数いるんじゃないか?
俺はラドを呼んだ。
「……たくさん!」
彼が顔を上げる。
「何が?」
俺は地面を指した。
「……した、たくさん!」
ラドの表情が険しくなる。
「……1匹じゃないのか」
……多分。
俺は頷いた。
ただし、振動だけでは正確な数は分からない。
でも。
複数の場所から、似た動きが伝わってくる。
……これは、厄介だぞ。
ラドはしばらく考えていた。
そして、静かに言った。
「……なるほど。灯石を食べる魔物が、古い貯蔵庫へ集まってきているのかもしれん」
……ああ。
俺も、そう思う。
だが、それなら。
……どうすればいい?
貯蔵庫の灯石を動かす?
でも、地下にあるんだぞ。
それに、あの魔物たちが何匹いるかも分からない。
……うーん。
困ったな。
俺が考えていると、ルナが静かに言った。
「……ラド」
「何だ?」
「灯石は、ほかの場所にもあるのか?」
……ん?
俺は顔を向けた。
ラドは少し考えた。
「ある。採掘場の倉庫にも、品質の悪い石をまとめて置いてる」
……あ。
なるほど。
俺は少し気づいた。
灯石が目当てなら。
別の場所へ、誘導できるかもしれない。
……そうか。
風喰いのときとは違う。
あいつは音に反応した。
今度の魔物は、灯石を食べる。
だったら。
食べ物のある場所へ向かう可能性がある。
……ただし。
それが本当にできるかどうかは、試さないと分からないな。
俺はラドを見た。
「……いし、つかう?」
彼は少し驚いた顔をした。
「灯石を?」
俺は頷いた。
「……そと、よせる」
ラドは、しばらく考えた。
それから、ゆっくり頷いた。
「……なるほど。集落から離れた場所へ誘導するのか」
……そう。
俺は触手を持ち上げた。
もちろん、簡単じゃない。
あの魔物たちが、必ず灯石へ向かうとは限らない。
しかも、地下を掘り進めるなら、どこから出てくるかも分からない。
……でも。
何もしないよりは、いいかもしれない。
◇
夕方。
俺たちは鉱山の管理所から少し離れた場所で、今後の相談をしていた。
建物には、まだ入れない。
床が崩れたままだし、灰色の魔物も完全には出ていないからだ。
ラドは作業員たちへ指示を出し、古い排水路の上にある建物を順番に点検させていた。
診療所の患者も、安全な場所へ移されたらしい。
……よかった。
俺は少し安心した。
だが、問題はまだ残っている。
地面の下には、何匹いるかも分からない岩を掘る魔物。
そして、古い灯石の貯蔵庫。
……どうする。
俺は、図面を見つめた。
そのとき、イルマがやってきた。
「話は聞いたよ」
……お。
俺は顔を上げた。
イルマは、いつもの旅装を着ていた。
「荷物を運ぶなら、ベクも使える。必要なら手伝うよ」
……ああ。
助かる。
俺は少し嬉しくなった。
だが、イルマはすぐに続けた。
「ただし、地下の魔物を相手にするのは専門外だからね。運ぶだけだよ」
……うん。
それで十分だ。
俺は頷いた。
ルナも静かに笑った。
「ふむ。頼もしいな」
……ああ。
本当に。
俺は少しだけ身体を持ち上げた。
すると、ラドが地図の端を指した。
「……ここだな」
……ん?
俺は顔を向けた。
ラドが指しているのは、集落の北側。
今は使われていない、古い採掘場の跡だ。
「ここなら、建物も少ない。地面も比較的しっかりしている」
……なるほど。
俺は地図を見た。
集落から離れた場所。
灯石を運べる道。
そして、古い坑道とは少し距離がある。
……いいかもしれない。
ただし。
まだ、問題は1つある。
……どうやって。
地面の下にいる魔物たちへ、灯石の場所を知らせるか。
俺は少し考えた。
だが、答えは出なかった。
そのとき。
――コツ。
……っ。
俺は、また地面へ触手を当てた。
――コツ、コツ。
……ああ。
まだ、動いてる。
しかも。
今度は、診療所の方角から。
……まずいな。
古い貯蔵庫へ、近づいているのかもしれない。
俺は、ゆっくり身体を低くした。
そして、図面へ目を向けた。
灯石。
古い排水路。
地下を掘り進む魔物。
……なるほど。
ようやく、少しだけ繋がってきた。
でも。
まだ分からないことがある。
50年前、なぜこの魔物たちは姿を消したのか。
そして、なぜ今になって戻ってきたのか。
……それが分かれば。
もっといい方法が見つかるかもしれない。
俺は触手を持ち上げた。
「……しらべる」
ルナが隣で頷く。
「うむ。今度は、石の中の相手だな」
……ああ。
俺は短く答えた。
「……いっしょ」
ルナは、少しだけ笑った。
「当然であろう」
俺たちは、もう1度北の岩山を見た。
夕日に照らされた大きな岩壁。
その奥で、何かが今も石を削っている。
……さて。
空の次は、地面の下か。
本当に。
この世界は、退屈させてくれないな。




