第3部 第40話 石の裏側
――コツ。
少し間を置いて、
――コツ、コツ。
「……ノア」
寝台の上から、ルナの声がした。
「貴様、床を叩いておるのか?」
……叩いてない。
俺は石造りの床へ触手を当てたまま、身体の端を左右に振った。
「では、何をしておる?」
「……きいてる」
「床の話をか?」
……そう言われると、ちょっと変だな。
でも、実際に音がするんだから仕方ない。
俺はもう1度《微振動感知》へ意識を集中した。
最初の1回は、重い。
そのあとに続く2回は、少し軽い。
しかも、まったく同じ音じゃない。
……何だろう、これ。
昨日、旧第4連絡坑の壁で感じた振動と似ている。
ラドが壁を叩いたあとにも聞こえたから、向こうから返事があったのかと思った。
だが、宿の床でも同じ音がする。
坑道からは、それなりに離れているはずなのに。
俺は床から触手を離し、木製の椅子へ移ってみた。
……。
何も感じない。
今度は椅子の脚から、石床へ細い触手を伸ばす。
――コツ。
……あ。
来た。
どうやら、石を通して伝わっているらしい。
だからといって、音の発生源が近いとは限らない。岩の中を、遠くから振動が伝わってきているのかもしれない。
「ノア。まさか、今から調べに行くつもりではあるまいな?」
ルナが眠そうな顔で俺を見ていた。
……いや。
それは、さすがに。
俺だって、夜中に勝手に鉱山へ入るほど無謀じゃない。
「……あした」
そう答えると、ルナは満足そうに丸くなった。
「うむ。ならば寝よ」
……はい。
俺も床の端へ身体を寄せた。
ただ、意識を落ち着ける直前、もう1つ気づいたことがある。
音が来る間隔は、毎回まったく同じではなかった。
だが、1回のあとに2回。
それだけは、変わらない。
何かが、決まった動きを繰り返している。
そんな気がした。
◇
翌朝、宿の主人が困った顔で井戸を見つめていた。
「また減ってるねえ」
……ん?
俺が近づくと、主人は井戸の中を覗き込んだ。
「水だよ。昨日から、汲める量が少なくてね」
俺も井戸を覗いた。
円形の石壁が、下へ続いている。
底には確かに水があった。
ただ、いつもどのくらいの高さまで溜まっているのか、俺には分からない。
「雨が少ないからじゃないのか?」
ルナが尋ねた。
「その可能性もあるけどね。ここは山の湧き水が入ってくるから、今まではあまり減らなかったんだよ」
……湧き水か。
俺は井戸の縁へ触手を置いた。
《微振動感知》。
石壁から、弱い振動が伝わってくる。
――コツ。
――コツ、コツ。
……まただ。
昨夜と同じ。
しかも、床で感じたときよりはっきりしている。
「……ルナ」
「む?」
「……ここ、おと」
ルナが井戸を覗いた。
「この下か?」
……それは、まだ分からない。
俺は触手を左右に振った。
少なくとも、井戸の石壁にはよく伝わっている。
「……ラド、いく」
「うむ。朝食を済ませてからな」
……いや、俺は別に食べなくても。
そう思ったが、ルナはもう宿へ戻り始めていた。
昨夜の残りの干し肉を、しっかり覚えているらしい。
……仕方ない。
朝食も、大事な仕事ということにしておこう。
◇
鉱山の管理所では、ラドが古い図面を机いっぱいに広げていた。
「ちょうど呼びに行こうと思ってた」
……お。
それなら、話が早い。
俺は井戸のことを伝えようとした。
「……みず、へる」
「水?」
「……いど」
ラドの顔つきが変わった。
「宿の井戸か?」
俺は頷いた。
ラドは少し考え、机の端にある帳面を取った。
「実は、今朝ほかの家からも相談が来た。北側の井戸で水位が下がってるらしい」
……複数の井戸で?
それは、ちょっと気になるな。
山の地下水が自然に変わっただけかもしれない。
でも、例の音も続いている。
無関係だと決めるには、早そうだ。
「先に、昨日の調査結果を整理したい」
ラドが言った。
俺とルナは机の前へ移動した。
「昨日、俺が壁を叩いたあと、音が返ってきたんだったな」
……ああ。
ただし、あれが本当に返事だったかは分からない。
俺は床へ触手を当てて、昨夜聞いた音を再現した。
――コツ。
――コツ、コツ。
ラドが腕を組む。
「最初から、この拍子で鳴ってたのか?」
「……うん」
「俺が叩く前から?」
……あ。
そうだった。
俺は頷いた。
ラドは短く息を吐いた。
「なら、返事だと考えるのは早いな。こちらの音とは関係なく続いているだけかもしれん」
……うん。
俺も、そう思う。
ルナが横から言った。
「では、違う拍子で叩いてみればよい」
「それがいいだろうな」
ラドが頷いた。
「ただし、古い坑道へは入らん。まずは管理所の床と井戸で確かめる」
……賛成。
俺は身体を少し持ち上げた。
何がいるかも分からない場所へ、いきなり踏み込む必要はない。
◇
最初の実験は、管理所の床で行った。
ラドが金槌の柄で石床を4回叩く。
――コン、コン、コン、コン。
俺は床に触手を当てたまま待った。
しばらくして。
――コツ。
――コツ、コツ。
……あ。
いつもの音だ。
次に、ラドが2回だけ叩いた。
――コン、コン。
……。
――コツ。
――コツ、コツ。
また同じ。
何度か繰り返してみたが、向こうの拍子は変わらなかった。
「少なくとも、こっちを真似してるわけじゃないな」
ラドが言った。
……ああ。
それは、ほぼ間違いなさそうだ。
「だったら、なぜ1回と2回なのだ?」
ルナが首を傾げた。
……そこなんだよな。
誰かが意図して叩いているのか。
何かが動くたびに、偶然その音が出ているのか。
それは、まだ分からない。
俺はもう1度、床へ触手を当てた。
すると、ラドが古い帳面を開いた。
「実は、50年前の閉鎖記録に、気になる記述が見つかった」
……お。
何だろう。
ラドは紙の端を押さえながら読み上げた。
「『旧第4連絡坑の奥にて、採掘痕に似た溝を確認。鑿の幅とは一致せず』」
……ん?
採掘痕に似た溝?
「『同区画の灯石鉱脈に欠損あり。落石の危険を考慮し、調査を中止』」
……灯石の欠損。
俺は昨日、集落の入口で見た青白い石灯を思い出した。
この山で採れる、淡く光る鉱石。
それが、なくなっていた?
「誰かが盗んだのか?」
ルナが尋ねる。
ラドは首を振った。
「そういう報告じゃない。岩の中にあった鉱脈の一部が、削り取られたようになっていたらしい」
……へえ。
何だか、妙な話だ。
人間が掘ったわけじゃないのに、鉱石が削られている。
……それって。
何かが、石を食べたとか?
いやいや。
この世界なら、そんな魔物がいてもおかしくないけどさ。
ラドは、さらに古い図面を広げた。
「それから、この記号の意味も分かった」
図面の端に、小さな丸と3本の線が描かれていた。
昨日、ルナが見つけた印だ。
「古い鉱山で使われていた、三枚岩の印だ」
……三枚岩?
「硬さの違う岩が、3層重なってる場所を示す。採掘すると崩れやすいから、注意のために描いてたんだろう」
……なるほど。
そういう意味だったのか。
俺は、少しだけ残念になった。
カナートの古い金具にも似た印があったから、何か特別な繋がりでもあるのかと思ったけど。
よく考えれば、3本の線なんて、いくらでも使われそうだ。
同じ形に見えただけかもしれない。
「その三枚岩の先に、例の空洞がある」
ラドが図面を指した。
「だが、気になるのはそこじゃない」
……え?
彼は、図面の下側へ指を滑らせた。
古い坑道。
閉鎖された連絡坑。
そして、その下に細く描かれた線。
「これだ」
……何?
俺は目を凝らした。
線は、旧第4連絡坑から南へ伸びている。
途中で枝分かれし、集落の方へ続いていた。
……あれ?
これ。
「古い排水路だ」
ラドが言った。
……排水路?
「昔は坑道の湧き水を集落の外へ流してた。今は別の水路を使ってるが、地下には古いものが残ってる」
……あ。
俺は、ようやく気づいた。
旧第4連絡坑。
排水路。
そして、集落の井戸。
図面の線は、まるでその3つを結んでいるみたいだった。
◇
「ここを調べよう」
ラドが指したのは、集落北側の古い共同井戸だった。
現在は飲み水には使われていない。
だが、地下の排水路へ繋がる点検口が残っているらしい。
俺たちは管理所を出て、ラドの案内でそこへ向かった。
途中、診療所の前を通ると、カヤが水桶を運んでいた。
「ラド、ちょうどよかった」
「どうした?」
「北の井戸の水が濁ってるの。患者に使う分は別に確保したけど、原因は分かった?」
「今から調べるところだ」
カヤは少しだけ眉を寄せた。
「井戸の水は、原因が分かるまで飲まないよう知らせておくわ」
……お。
判断が早いな。
俺は少し感心した。
カヤは俺を見た。
「ノアも調査に行くの?」
「……うん」
「なら、怪我をする前に戻ってきてね」
……。
診療所へ来た初日から、すっかり危険人物扱いされてる。
横でルナが頷いた。
「我も、そう願っておる」
……お前まで言うのかよ。
カヤは小さく笑って、また水桶を運び始めた。
◇
共同井戸は、集落の北端にあった。
今は使われていないだけあって、石の縁には苔が生え、周囲には雑草が伸びている。
その横に、地面へ半分埋まった石の蓋があった。
「これが点検口だ」
ラドが言った。
……へえ。
俺は近づいた。
蓋の表面には、古い金属の取っ手がついている。
ただし、錆びていて動きそうにない。
「昔の作業員は、ここから排水路を点検してた。今は使ってないから、開くかどうか……」
ラドが道具袋を下ろした。
俺はその間に、蓋の周囲へ触手を当てた。
《微振動感知》。
……。
――コツ。
――コツ、コツ。
……っ。
強い。
宿の床よりも。
管理所よりも。
そして、昨日の坑道の壁よりも。
……近い?
いや、待て。
振動が強いからといって、発生源が近いとは限らない。
ここは古い排水路と繋がっている。
音が伝わりやすいだけかもしれない。
俺は落ち着いて周囲を調べた。
蓋の右側。
左側。
それから、井戸の石壁。
……ん?
俺は触手を止めた。
蓋の下から、少し違う振動がする。
いつもの1回と2回。
それとは別に、細かく石を擦るような感触。
――……ザリ、ザリ。
……何だ、これ。
俺はラドを呼んだ。
「……ここ!」
彼が顔を上げた。
「何かあるのか?」
「……こする、おと」
「石が擦れる?」
俺は頷いた。
ラドは蓋を見下ろした。
「……中で土砂が動いてるのかもしれんな」
……そうかもしれない。
ただし。
少し、嫌な感じがする。
俺が触手を離すと、ルナが耳を立てた。
「……待て」
……ん?
俺は顔を向けた。
「今、我にも聞こえた」
……え。
本当に?
ルナは井戸の方を見ている。
「石の奥で、何かが擦れたような音だ」
……。
俺は、もう1度点検口へ目を向けた。
これまで、音を感じられるのは俺だけだった。
だが、今はルナの耳にも届いている。
……何かが、近づいてきたのか?
◇
蓋を開ける前に、ラドは管理所から来た作業員を2人呼んだ。
周囲の安全を確かめ、古い取っ手へ縄を結ぶ。
俺たちは少し離れた場所から、それを見守った。
「いくぞ」
ラドの合図で、作業員たちが縄を引いた。
――ギギギッ。
石の蓋が、ゆっくり持ち上がる。
……お。
動いた。
だが、完全には開かない。
途中で、何かに引っかかったらしい。
ラドがすぐに手を上げる。
「止めろ。無理に引くな」
……うん。
それがいい。
俺は点検口の横へ近づいた。
開いた隙間は、俺の身体なら入れそうな幅だった。
……いや。
だからって、すぐ入るわけじゃないぞ。
俺は自分に言い聞かせた。
代わりに、細い触手だけを伸ばす。
《構造形成》。
先端へ小さな視覚器官を作る。
ただし、内部は暗い。
……見えないな。
「灯石を使うか?」
ラドが小さなランプを差し出した。
……助かる。
俺はランプを受け取った。
細い触手で持ち、隙間からゆっくり下ろしていく。
……お。
見えた。
古い石の通路。
壁には細かな亀裂が走り、底には砂利が積もっている。
その奥へ、低い排水路が続いていた。
……なるほど。
確かに、昔の水路だ。
だが。
……あれ?
俺は視覚器官を少し動かした。
通路の右側。
石壁の一部が、妙に新しい。
そこだけ、表面が削られている。
……ん?
俺は近づけてみた。
灯石の光が、壁へ当たる。
そこには、細い溝が3本並んでいた。
……あ。
これ。
今朝の帳面に書いてあった、採掘痕に似た溝じゃないか?
俺はラドを呼んだ。
「……みて!」
彼が隙間を覗く。
「何だ?」
俺は溝のある場所を指した。
「……きず!」
ラドは、しばらく目を凝らしていた。
そして、表情を変えた。
「……こいつは」
……ん?
俺は顔を上げた。
ラドは低く言った。
「鑿の跡じゃないな」
……え?
「普通、石を削るときは何度も道具を当てる。こんなに長く、同じ幅の溝が残ることは少ない」
……なるほど。
俺は、もう1度壁を見た。
3本の溝。
それぞれ、ほとんど同じ幅。
しかも、周囲には細かい石の欠片が積もっている。
……つまり。
最近、何かがここを削ったのか?
ラドは、ゆっくり息を吐いた。
「……閉鎖した坑道の奥にあった傷と、似てるのかもしれん」
……。
俺は少し身体を低くした。
50年前の記録。
今朝の帳面。
そして、目の前にある新しい傷。
……これは。
偶然で片づけていいのか?
俺が考えていると、突然。
――コツ。
……っ。
音がした。
今までより、ずっと大きい。
続いて。
――コツ、コツ。
……!
俺は反射的に触手を縮めた。
今のは、耳でも聞こえた。
石の奥から。
すぐ近くで。
……何だ?
俺は点検口を見つめた。
すると、ルナが一歩前へ出た。
「ノア。下がれ」
……っ。
俺はすぐに身体を引いた。
その瞬間。
――ザリザリザリッ!
石を削る音が、通路の奥から響いた。
……っ!?
何かいる!
俺は思わず身体を低くした。
ラドもすぐに叫んだ。
「全員、離れろ!」
作業員たちが縄を緩め、蓋から距離を取る。
俺もルナの隣へ下がった。
ただし、灯石のランプはまだ隙間の中にある。
俺は細い触手を通して、奥を見ていた。
暗い通路。
新しく削られた壁。
その向こうで。
……あ。
何かが、動いた。
黒っぽい影。
いや、岩と同じような灰色か?
細長いものが、壁の穴から突き出している。
……何だ、あれ。
俺は目を凝らした。
節のある脚。
その先には、鋭い爪が3本。
……っ!
生き物だ!
俺は反射的に触手を引いた。
だが、その直前。
――ガリッ!
何かが、壁へ爪を立てた。
3本の細長い溝が、一気に刻まれる。
……っ!!
俺は息を呑むように身体を固くした。
さっき見た傷。
あれと、まったく同じ形だ。
……おいおい。
本当に、いたのかよ。
石の中に。
俺が驚いている間に、灰色の脚は壁の穴へ引っ込んだ。
そして。
――コツ。
……。
――コツ、コツ。
また、あの音がした。
今度は、はっきり分かった。
石を叩くような音の正体。
少なくとも、その一部は。
あの生き物が、岩の中を動くときに出しているらしい。
◇
「……見たのか?」
ラドが低く尋ねた。
俺は頷いた。
「……あし」
「脚?」
「……つめ、みっつ」
ラドの表情が変わった。
俺は身体を少し伸ばし、3本の爪の形を作って見せた。
「……いわ、けずる」
ラドは、しばらく俺の触手を見つめていた。
それから、点検口へ目を向けた。
「……魔物か」
……多分。
俺は頷いた。
ただし、全身は見えなかった。
大きさも、種類も分からない。
見えたのは、岩の間から突き出した脚だけだ。
……でも。
1つ、確かなことがある。
あいつは、石を削れる。
しかも、かなり簡単に。
俺は点検口の周囲へ目を向けた。
井戸。
石造りの家。
そして、足元へ広がる古い排水路。
……これ。
放っておいて大丈夫なのか?
俺が考えていると、ルナが静かに言った。
「ラド。ここは閉じた方がよい」
……ああ。
俺も同じ意見だ。
ラドはすぐに頷いた。
「全員、点検口から離れろ。蓋を戻すぞ」
作業員たちが縄を操作し、石の蓋をゆっくり元の位置へ下ろした。
――ゴトン。
……よし。
ひとまず、閉じた。
だが、ラドは安心していなかった。
「石の中を掘り進める魔物なら、蓋を閉めただけじゃ意味がない」
……。
……そうだよな。
俺は、足元を見た。
これまで俺たちは、古い坑道の奥に何かいるのだと思っていた。
でも。
本当にあの生き物が岩を削って進めるなら。
閉じた扉なんて、関係ないのかもしれない。
……いや。
もっと悪い。
あいつはもう、集落の下まで来ている。
◇
ラドはすぐに人を走らせた。
古い井戸の周囲を立ち入り禁止にすること。
北側の建物を点検すること。
そして、坑道の作業を引き続き止めること。
俺たちは管理所へ戻り、見たものを図面へ記録した。
ラドが指を置いたのは、古い排水路の南端。
まさに、集落の下だった。
「……ここで見たんだな?」
俺は頷いた。
「……うん」
ラドは、しばらく黙っていた。
それから、静かに言った。
「50年前の連中は、こいつを見たのかもしれんな」
……ああ。
俺も、そう思う。
ただし、同じ個体かどうかは分からない。
あの生き物が何年生きるのかも。
何匹いるのかも。
……何も分からない。
分からないことだらけだ。
でも。
俺は、図面を見た。
古い坑道。
その奥にある空洞。
そして、集落へ伸びる排水路。
……少なくとも。
音の正体へ、少し近づいた。
ただし、今度は別の問題ができた。
この集落の下で、岩を削る魔物が動いている。
しかも、井戸の水位まで変わっている。
……これは。
ちゃんと調べないと、危ないかもしれない。
俺は身体を少し持ち上げた。
すると、ルナが隣へ来た。
「……ノア」
……ん?
俺は顔を向けた。
ルナは、真剣な表情で言った。
「今度の相手は、空ではないな」
……ああ。
俺は頷いた。
「……いわ、なか」
ルナは、少しだけ目を細めた。
「ならば、貴様の得意な場所かもしれぬ」
……え?
俺は首を傾げた。
ルナは続けた。
「狭いところへ入り込むのは、貴様の得意技であろう?」
……。
…………。
……まあ。
それは、そうだけど。
でも。
だからって、すぐに穴へ入るつもりはないぞ。
俺が触手を振ると、ルナは笑った。
「ふふっ。分かっておる。今回は、ちゃんと準備してからだな」
……ああ。
そのとおり。
俺は小さく頷いた。
すると、ラドが机の上へもう1枚、古い図面を広げた。
「……準備するなら、こいつも必要だろう」
……ん?
俺は顔を上げた。
そこには、旧第4連絡坑のさらに奥へ続く、細い通路が描かれていた。
ただし、その先は大きな空白になっている。
……何だ、これ。
ラドは、図面の端を指した。
「昔の調査員が、最後に書き残したものだ」
……最後?
俺は少し驚いた。
「その先は、まだ誰も詳しく調べていない」
……なるほど。
俺は、空白の部分を見た。
大きな岩山。
その内側へ広がる、知らない場所。
……やっぱり。
この世界は、まだまだ広いな。
俺は少しだけ身体を揺らした。
ただし。
今回は、好奇心だけで進むわけにはいかない。
この下には、集落がある。
暮らしている人たちがいる。
そして、岩を削る何かが動いている。
……まずは。
あいつが何をしているのか。
それを確かめなきゃな。
俺は、ゆっくり触手を持ち上げた。
そのとき。
――コツ。
……っ。
俺は動きを止めた。
机の下。
石の床から、振動が伝わってきた。
続いて。
――コツ、コツ。
……ああ。
まただ。
俺は床へ触手を当てた。
《微振動感知》。
……。
――ザリ、ザリ。
今度は、石を擦るような振動も混じっていた。
……おい。
ちょっと待て。
俺は顔を上げた。
ラドたちも、静かにこちらを見ている。
……これ。
さっきより。
近くなってないか?
俺は、ゆっくり身体を低くした。
すると、ラドが小さく呟いた。
「……管理所の下まで来てるのか?」
誰も答えなかった。
ただ、床の奥で。
――コツ。
――コツ、コツ。
例の音が、もう1度響いた。
そして俺は、ようやく理解した。
あれは、誰かが助けを求めて叩いている音じゃない。
少なくとも、今聞こえているものは違う。
……何かが。
石を削りながら、こちらへ近づいてきている。
俺は、自分の触手をじっと見つめた。
狭い場所へ入り込める。
形を変えられる。
石の振動を感じられる。
……確かに。
今の俺なら、調べられることはあるかもしれない。
でも。
あの爪が、俺の身体へ向けられたら。
……どうなるんだろうな。
俺は、もう1度床へ意識を集中した。
今度の相手は、風喰いとは違う。
助けを求めているわけでも、傷ついているわけでもないかもしれない。
それでも。
何が起きているのか分からないまま、放っておくわけにはいかなかった。




